羽舞ふとん店〜眠らない格闘家VS誰でも眠らせる布団屋

くれは

羽舞ふとん店

 その試合も、不寝ねずいわおの勝利に終わった。その日の夜、巌は試合の高揚と勝利の興奮に酔いしれて眠りについた。そして三時間で目を覚ました。

 その三時間すら、ぐっすり眠ったわけではない。巌は天性の格闘家だった。彼の生活は常に警戒とともにあった。神経を研ぎ澄ませ、人の気配を探る。

 その本能は眠っている間ですら発揮される。彼の眠りは浅く、誰かの気配があれば目が覚め、すぐに動き出せるように身構える。

 物心ついた頃から、巌はそんな生活をしていた。だからこそ、試合では極限まで神経を尖らせることができる。その張り詰めた緊張感が、巌の天下無双を支えていた。

 けれどそのときなぜか、薄暗い部屋の中で目覚めた巌はふと思った。


「一度くらい、ぐっすり眠ってみたい」


 そうして巌が辿り着いたのが、羽舞うもうふとん店だった。




 いわおは羽舞ふとん店の店先に立つと、訝しげに目を細めてその様子を眺めた。

 羽舞うもうふとん店は、商店街の中にある、どちらかと言えばやや古ぼけた店、そんな面構えの店だった。


(こんな普通の店が……?)


 口コミによれば、ここは知る人ぞ知る店なのだという。極上の眠りに誘うオーダーメイド寝具は、一度それで眠ればもう他の寝具では眠れない。そのため、エリートやセレブ、財界人などまでこの店を利用するのだという。

 店頭のショーウィンドウには、アニメや特撮キャラクターの枕カバーが飾られていた。こんな店に、本当にセレブがくるだろうか。


(何かの間違いじゃないのか?)


 実際に店まで訪れたものの、巌はなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。もう帰ろう、そう思った瞬間、店のドアが開いた。自動ドアじゃない、そんなところも垢抜けない雰囲気を強めていた。

 身構える必要はない、巌の本能がそう告げた。相手は強くはない。こちらに危害を加える気配もない。この店に似つかわしい、ぱっとしない店主だろう。

 一瞬のうちにそう判断した巌の前に姿を見せたのは、ひょろりとした青年だった。まだ若い。それに巌よりふたまわりほども小さい。とても強くは見えない。試合でもないのに巌は相手を見定めて、わずかに口角をあげた。


「うちに何かご用ですか? よろしければ、店内にどうぞ」


 青年は巌を見上げて、大きく店のドアを開いた。


「ああ、いや……俺はやっぱり……」


 断って帰ろうとする巌に、青年は微笑んだ。


「見るだけでもどうぞ。せっかくいらっしゃったんですから」


 穏やかで優しげな声。巌が戦えば、一瞬で決着がつくだろう。ひ弱そうな青年だった。


(そうだな、せっかく来たんだし、見るくらいはするか)


 巌は頷くと、静かに店内に足を踏み入れた。




「私、現在店主をやっています、羽舞うもう夢悟ゆめさとと申します。よろしくお願いしますね」

「ああ……不寝ねずいわお、だ」


 羽舞うもうふとん店の店主を名乗る青年──夢悟が名乗ったので、巌も頷いて名乗った。


「不寝様ですね。今日は何をご覧になりますか。店頭に置かれているのは市販品ですが、もしオーダーメイドご希望でしたら……」


 ひょろりとひ弱そうでぱっとしない夢悟は、丁寧な物腰で布団のサンプルを出してきた。なるほど、上等なものなのかもしれないが、だからといって、それでぐっすり眠れるとは巌には思えなかった。


「いや、やっぱり良い。たかが布団を替えたところで、ぐっすり眠れるとは思えない。すまない、邪魔したな」


 巌は小さく首を振って、店を出ようとした。


「お待ちください」


 張り詰めた声、鋭い気配に、巌は驚いて振り返る。咄嗟に身構えていた。そこには、さっきまで穏やかに微笑んでいた夢悟が、巌に鋭い視線を向けていた。

 雰囲気の変化に、巌は戸惑う。


「不寝様、布団は睡眠に重要なものです。『たかが布団』とおっしゃったその認識、まずは改めていただきたい」


 夢悟の迫力に、巌の闘争心がかすかにざわめいた。この店主は存外面白い男かもしれない。そう感じて、自然と巌は笑みを浮かべていた。


「俺が認識を改めるほどの、そんな布団がこの店にはあるのか?」


 夢悟は手にしていた布団のサンプルを静かにカウンターの上に置いた。


「不寝様は先ほど『ぐっすり眠れるとは思えない』とおっしゃった。つまり、ぐっすり眠れていないのですね?」

「そうだ。俺は昔からぐっすり眠ったことがない。それは俺の格闘家として生まれ持った本能だ。常に闘いを求め、常に周囲を警戒する。それが、俺の生き方だからな」


 にやりと不敵に笑って、夢悟は巌を見た。


「承りました。私が──羽舞夢現流うもうむげんりゅうの名を持って、不寝様をぐっすり眠らせて差し上げます!」

「羽舞夢現流……面白い、この俺をぐっすり眠らせてみろ!」


 巌の心に、熱いものが灯った。戦いを挑まれる興奮。そして、未知への期待。こんな感覚は久しくなかった。




 一見は町の布団屋、しかしながら羽舞うもうふとん店の奥には「道場」があった。そここそが、羽舞夢現流うもうむげんりゅうの道場だった。

 店主の夢悟ゆめさとに案内されて道場に足を踏み入れたいわおは、その異様さに、咄嗟に足を引いてしまった。


「床が……!」


 先に足を踏み入れた夢悟は、なんてことないように振り向いた。


「ええ、高級マットレスを使っております。倒れた体を柔らかく受け止め、程よい弾力で沈み、快適な睡眠をもたらします」


 一歩踏み出すたびに、柔らかなマットレスに足が沈み、またその弾力が反発し、体が弾む。歩きにくいことこの上ない。

 そんな道場を、夢悟は涼しい顔で体を揺らすことなく歩いてゆく。


(意外と体幹はしっかりしている……!)


 巌はさらに闘志を燃え上がらせて、マットレスの中に足を踏み入れた。道場壁際には、綿布団や羽毛布団など、様々な掛け布団が畳まれて置かれていた。壁には様々な枕がディスプレイされている。

 眠らせるための準備は万端、といったところだろうか。

 巌はふっと笑って夢悟を見た。


「だが、俺はそう簡単には眠らないぞ。警戒心、闘争心、そんなもので俺は常に気を張っている。ぐっすり眠れたことなど、かつて、ないのだ。そう、睡眠など弱者の行為でしかない。己の弱さをさらけ出す行いだ。だから俺は、眠らない」


 夢悟は、脇に畳まれていた羽毛布団を一枚手にとると、それをふわりと広げた。


「そう言いつつも、あなたは眠りを欲している。心の奥底ではぐっすりとした睡眠に憧れている。この私が──羽舞夢現流が、あなたを眠らせて差し上げます」


 そしてそれが、闘いの始まりだった。

 巌は先手必勝とばかりに、夢悟に向かっていった。真っ直ぐに伸ばした拳を夢悟に打ち込む。

 ──ばさり、と拳は羽毛布団を打った。その先に手応えはない。巌の拳を避けた夢悟は、巌の周囲で舞いはじめる。

 そう、その舞いこそが、羽舞夢現流の極意の舞踏ダンスであった。


「羽舞夢現流が舞、羽夢うむささやき」


 静かな声で夢悟が告げる。ひらりとそよぐような羽毛布団の動きと、静かなステップで周囲を踊る夢悟の動きに、巌の副交感神経が刺激される。

 緊張状態にあった巌の体の力がわずかに抜ける。そして、心はどこか落ち着いたような、まるでリラックスしているかのような──。


「いや、俺にそんなものはいらない!」


 巌は吠えた。落ち着こうとしている闘争心を蘇らせる。弛緩しようとする身体中の筋肉に力を込める。

 そうして今度は足を蹴り上げた。


「寝る前は興奮を沈めるべきです」


 その足には、羽毛布団がまとわりついただけだった。巌から少し離れた夢悟は、今度は綿布団を持ち上げた。ずっしりとした綿布団を難なくひらめかせ、夢悟は舞う。


「羽舞夢現流が舞、白綿はくめん抱擁ほうよう


 普段の巌なら、避けることもできただろう。けれど、さっきの羽夢の囁きによって副交感神経優位な状態にさせられた巌は、それを避けることができなかった。

 さらには、足元は程よく弾力のあるマットレス。もたつく巌に、綿布団が覆い被さった。

 心地良い重さが、巌を包み込む。それはまるで、赤子が母親の腕に抱かれるような心地良さだった。

 巌は抵抗して、布団の中でもがいた。


「それでも、俺はぐっすりとは眠らないのだ。いつだって眠りは浅かった。ぐっすり、眠ったことなどない……!」

「ええ、ですから、安心しておやすみください」


 夢悟は、新たな羽毛布団を手に取った。真っ白な羽毛布団を広げる。巌の視界いっぱいに羽毛布団が広がった。


「羽舞夢現流が奥義、トリの降臨!」


 巌は幻覚を見た。ふわふわの羽毛が舞い落ちる幻覚だ。それは巌の体に無数に降り注いだ。そして、全身が柔らかさに包まれていく。

 青空の中、落ちてゆくような感覚──。


「なんだこれは……心地よ……ぐう」


 意識が引っ張られるような感覚に、巌はついに目を閉じた。ふわり、と羽毛布団がその体に落ちかかり、夢悟は舞を止めた。巌の傍に膝をついて、ぽん、とその体を叩く。


「おやすみなさいませ」


 その瞬間、巌の表情は確かに安らいでいた。




 いわおが目覚めたのは、もう夜になろうかという時間だった。六時間は眠っていたことになる。しかも、完全に熟睡していた。

 妙にすっきりとした気分で、巌は夢悟と向き合った。


「今まで、睡眠とは弱さだと思っていた。けど、違った。睡眠こそ、強さを支えるものだったんだな」


 羽舞うもうふとん店の店主である夢悟ゆめさとは、静かに微笑んだ。


「はい。眠ることは弱さではない。きっと不寝ねず様は、もっと強くなれます」


 そうして、眠ることの大切さに目覚めた巌は、上等な寝具一式を買って帰ったのだった。その日から巌は、ぐっすりと気持ちよく眠るようになった。

 そうして巌は、ますます天下無双となったのだった。




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