嘆きの乳粥、夢の残り香[前編]

五色ひいらぎ

その夢は、あまりに鮮やかで

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 王宮の食卓に並ぶ、美しく香り高い料理の群れに私は手を伸ばす。今日の彼の技はいかほどか。高みへと至る歩みを、一歩でも進めることはできたのか。それとも後退したのか。確かめるのが私の使命ゆえ。

 だが、銀のナイフを当てようとした瞬間――すべては消えた。いつものように。

 料理も皿も、燭台もテーブルも。王宮さえも霧となって散り、私は思い出す。足に繋がれた鎖を、空腹に痛む己が胃袋を。

 そうして思い知る。ここは牢獄であり、私は囚人なのだと。




 9回の夢の詳細を、私は鮮明に覚えている。

 1回目は肉厚の骨付牛肉ビステッカ。2回目は鶏肉の猟師風カチャトーラ……そして9回目は、絢爛たる加工肉シャルキュトリの一群だった。遠国の王族を迎えるにあたり、客人の母国の品々でもてなそうと、かつて宮廷料理長ラウルが挑んだものだ。

 あの日毒見の卓に並んだのは、至高の加工肉料理――ハムやパテやテリーヌだった。客人の国の様式、我が王宮の食材と技芸、双方を合わせた至高の逸品。

 風味の精髄を確かめつつ、私は想像したものだ。客人と国王陛下とを前に、卓上を圧するシャルキュトリの降臨を――私はその場を直に見てはいない。だが華麗な見た目と、完璧に近い食味とを備えた皿が、客人の不興を買う可能性は万が一にもなかっただろう。私はそう確信したし、後日伝え聞いた評判も、大筋でその通りだった。

 あの時と同じ皿が、夢の中で私を誘い――いつものように霧となって消えた。




 不意に牢の戸が開いた。牢番が、端が欠けて薄汚れた椀を目の前に置いた。痛いほどに腹が鳴る。

 いつもどおりの、水に近いミルク粥だった。口をつければ滋味はなく、代わりにひねたような生臭さがある。食材の質も鮮度もひどい。飲むたびに、舌が鈍り汚れていくように思える。

 しかしそれさえも、飢えた舌は、喉は、胃は、喜びをもって受け入れる。命を繋ぐ唯一の糧として。


 おいしい、と、感じてしまう。

 その一口ごとに引き裂かれていく。絶望する魂と、生きたいと願う身体とが。


 ミルク粥を飲み終え、私は横になった。すり切れた毛布にくるまり、目を閉じる。

 壊れかけたこの身を慰める、ただひとつのもの――10回目の夢を心待ちにしながら。


【了】

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嘆きの乳粥、夢の残り香[前編] 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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