ネオ・ものぐさ太郎

ミド

ネオ・ものぐさ太郎

 昔々ある所に、ものぐさ二郎がいた。無論、それより更に昔の「ものぐさ太郎」という男の物語から生まれた綽名だ。

 ものぐさ二郎の両親は息子を甘やかした。上げ膳据え膳で良いものを着せ、只々やりたい事だけをするように言い聞かせた。

 ところがものぐさ二郎は齢十四歳にしてその甘えた暮らしに疑念を持ってしまった。彼は父に尋ねた。

「お父さん、ぼくは働かなくていいんでしょうか。向かいの家の喜助は七つの頃から田植えをやっています」

「可愛い息子よ、田舎侍の家に生まれたとはいえお前は武家の子なんだぞ。貧しくもないのに、稲作のような苦しいことをする必要が何処にあるんだね」

「じゃあぼくは家を出て先生を選び、学を積むか剣の道を歩むべきじゃないでしょうか」

「そんなものは、厳しい先生に何かにつけ道理なく叱られ、また出来が悪ければ同輩から始終馬鹿にされ、出来が良ければ妬まれ、決して楽しいものではないぞ。学を積んだところで余人に理解されはせず使い道もない。剣の道も仮に天下無双の武芸者になったって、歳を取れば腰が曲がり最後には刀を取れなくなってしまうんだ。そんな終わりが来るとわかっていることを何故始める? 何もしなくていいんだ、何をしてもいずれは全て終わる、無駄になるんだからね。武家には禄がある。何もせず、何処にもいかず父と母と暮らすのが一番の親孝行だ」

 何もしないのが親孝行だと言われてしまえば、気の強い方ではないものぐさ二郎は大人しく従うしかない。

 こうしてものぐさ二郎はものぐさとして生きた。一日の大半を布団の中で過ごすうち、時たま頭に浮かぶのは、家を出て学を極め算術や医術の大先生になった自分、或いは一念発起して剣の道を歩み天下無双の武芸者になった自分だ。不思議と、やればできる気がするのだ。何事もなさぬまま終わるのが、無性に嫌になるのだ。

 それなのに、両親に繰り返し言われるうち、何もしなくてよいわけではないにせよ、やるにしても明日からでいいや、今度でいいやと思うようになってしまった。

 これでいいのか、いや、良くない気がする。が……具体的な事を考えようとすると、不思議と眠くなる……明日また考えよう……




 矢走敏子はカーテンの隙間から射す朝の陽ざしで目覚めた。奇妙な夢を見ていたものだ。自分が「ものぐさ二郎」と綽名され、只管自堕落な暮らしをしており、周囲もそんな自分を甘やかしている。

(本当、理解できない両親だったわ。子供を甘やかし過ぎよ。自分達が死んだあと、二郎がどうやって生きて行くか考えたことがなかったのかしら。)

 具体的なことは知らないが、昔の武士とはいえ、身分に安住し刀を振り回して農民を脅しつければ安楽な暮らしができるわけではないだろう。十四歳の二郎が言っていたとおり、学なり武術なり、箔をつけ人と交わり見出される必要があるのではないか。

 それこそ敏子が息子の将来の進路を案じて狭き門のスポーツ推薦一本に賭ける道ではなく塾にも通わせ筆記試験もできるように、またそれでも安心できず、万一どちらも芳しくなかった時の人生の先輩を求め母親コミュニティのあるダンスや絵画の教室に通っているように……

 敏子は布団から上半身を起こした。時計は朝の五時三十分を指している。いつもより三十分も長く寝てしまった。

 敏子は焦った。これから七時半までに夫と息子の弁当の支度をして朝食を作り洗濯器を回し洗濯物を庭に干して夫と息子が食べ終わったら洗い物をして掃除機をかけ化粧をし朝九時半からのパートに行かなければならない。忙しい。随分と忙しい。

(それに比べれば、夢の中はそれこそ夢のようだったのかも……)

 敏子は今まで考えもしなかった思考に至っている自分に気づき、苦笑した。心なしか、今朝はいつになく、目覚めた時に頭がすっきりしていた気もする。

 そして思い当たった。今、夫は出張中だ。朝食と弁当は要らない。今日は土曜日で、パートは休み。息子早馬の学校もない。彼は朝食も昼食も野球部の友達と食べに行く約束があるから要らないと言っていた。

 つまり、今朝、敏子は暇なのだ。そう気づくと、途端に身体が重くなった。もう一度眠りたいと全身が訴えている。しかし理性はこれではいけないと反論している。家事をしなければならない。動き回らなければいけない。休んではならない。私は忙しいのだ。

「そ、そうだわ、今日の私にはダンス教室と絵画教室があるのよ! 朝ご飯を作って洗濯してお化粧しなきゃ」

 敏子はそう叫んで布団から完全に離れた。しかし彼女の内なる自分が囁く。

——どちらも午後からなのに、何故そんなに焦る必要があるの? 貴方は暇なのよ。事実をありのままに受け入れなさい……

 敏子の抵抗は潰えた。彼女は振り向いた。楽園が、そこにある。

「……もう一時間くらい、い、良いわよね……?」

 敏子はそう言うと、吸い寄せられるように布団に入っていった。

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