書き下ろし~奇跡のコラボレイション~
Youlife
奇跡のコラボレイション
夕刻を迎え、上空が青から茜色に変わりつつある横浜・みなとみらい地区。
ベージュのワンピースに少し高めのヒールの靴を履き、いつもよりめかし込んだ
朱里はずっとライブハウスを中心に活動していたが、昨年、五十二歳と遅咲きながらメジャーデビューを果たした。今日はアルバム発売を記念した全国ツアーの初日だった。
「あおい!」
背後から、誰かが呼ぶ声がした。
振り向くと、そこには手を振りながら微笑む二人の女性の姿があった。ともに高校時代のクラスメイトの
「美智奈、わざわざ仙台から来てくれたんだね」
「だって、朱里のメジャーデビュー後初のライブだもん。見逃さないわけにいかないでしょ?」
美智奈の隣には、赤い顔で大きく手を振る雪枝の姿があった。
「久しぶりだね、あおい。先に美智奈と待ち合わせて、近くのお店で一杯飲んでからこっちに来たんだ」
目元に少し皺が入り、黒縁の丸っこい眼鏡をかけた雪枝は、見かけは年相応な感じがするものの、身体は以前会った時より心なしかスリムになったように感じた。
「雪枝、以前会った時より痩せた? 何か運動でもしてるの?」
「うん。最近社交ダンス始めたんだ」
「ふーん、品のいいおじ様達と一緒に踊るやつ?」
「ううん、私がやってるのは競技系だよ」
雪枝はコートを脱ぐと、しなやかに手足を動かし、バレエダンサーのように足を斜め上に向かって一直線に伸ばした。
「す、すごい! 昔のあんたからは想像できないよ」
「まあね、昔は無類の運動嫌いだったからね」
「だよね? 一体、どういう心境の変化なの?」
「自由よ。やっと得られた自由な時間をとことん満喫しているの」
雪枝は大学卒業と同時に高校時代から付き合っていた同級生と結婚したものの、長男が生まれてすぐ離婚してしまった。まだ遊びたい盛りの二十代に、雪枝はアルバイトをしながら長男を女手一つで育てていた。その後再婚し、長男が家を出てからは、若い頃の自分を取り戻そうと色々と趣味を始めたようだ。
三人は肩を並べ、赤レンガ倉庫の中にあるライブハウス「パッションレッド」に入った。 会場には着飾った男女がテーブルを埋め尽くし、ステージでは細身のスーツを着込んだ若い男性グループがスイングジャズを演奏して雰囲気を盛り上げていた。
受付では、朱里のデビューアルバムが平積みになっており、チケットを買いながらアルバムも買い求めていく客の姿もあった。
「ねえねえ、アルバムに書いてあるライナーノーツ読んでみてよ」
美智奈はアルバムの下半分を覆う帯に書かれた文字を指さした。
「なになに、『天下無双の歌声、ここに君臨!』?」
あおいは赤い帯に白抜きで大きく書かれた文字を見て、目を丸くして驚いた。
「お買い上げになりますか?」
受付の女性があおいに声を掛けた。
「じゃあ、一枚……」
「ありがとうございます」
「あの……『天下無双』って、すごい宣伝文句ですね」
「朱里さんのプロデューサーが歌声を聴いて、直感で言った言葉をそのままライナーノーツに引用したそうです。私もさっきリハーサルを拝見しましたが、重厚感のある声と繊細な声を巧みに使い分ける、誰にも真似できない歌唱力の持ち主だと思いますよ」
そう言うと、受付の女性はアルバムを丁寧に袋に包み、あおいに手渡した。
「楽しみだなあ……天下無双の歌声か。あの日からまた成長したんだろうな」
あれから七年……あの日と同じように、胸が熱くなるステージを見せてくれるのだろうか? 三人が席に着くと、すぐ真後ろにステージがあり、背中越しにスイングジャズの軽快なリズムが鳴り響いていた。
「いらっしゃい」
艶のある声と共に、パープルのロングドレスに身を包んだ朱里が姿を見せた。
「朱里、今日は席を用意してくれて、ありがとう」
「こちらこそ、みんな忙しい中来てくれて、すごく嬉しいよ」
「ねえねえ、アルバムの帯に『天下無双』って書いてあったけど、否が応でも期待しちゃうじゃないの、これ」
「アハハハ。ちょっと誇張し過ぎだと思うけど……ゲホッ!」
朱里はしゃべりの途中で、突然口元を押さえて咳き込み始めた。
「朱里、急にどうしたの?」
「うん、おとといまで風邪をひいて寝てたんだよ」
「そうなの? 今日のステージ、無事にこなせそう?」
「何とかなると思う。さっきもリハーサルを無事にこなせたし」
朱里は手を振りながら、ステージの袖へと入っていった。
「声も少しガラガラしてるし……無事にこなせるのかな?」
三人はグラスワインを片手に、朱里が姿を消したステージ袖の方向を見つめていた。
やがてスイングジャズの演奏が終わり、司会役のウエイターがスタンドマイクの前に立った。
「お待たせしました。ここから本日のメインアクト、早川朱里さんの登場です」
会場から万雷の拍手が沸き起こる中、朱里がドレスをひらめかせながらステージに登場した。
朱里は顔を紅潮させながら胸に手を当てて呼吸を整えると、スタンドマイクの前に立った。その瞬間、客席は一斉に静まり返った。
ピアノに合わせ、朱里は「Fly me to the moon」を唄い始めた。
しかし、途中の高音部分がなかなか出ない。朱里は胸の辺りを押さえながら必死に出そうすると、今度はむせって咳き込んでしまった。
最初の曲を何とか歌いきったものの、会場はどこか微妙な空気に包まれていた。そして何より、朱里の表情は冴えなかった。
「ごめんなさい。ちょっと先日、風邪をひいちゃって。でも、今は全然元気です。病み上がりですから、いつも通りには声が出ないかもしれませんが、来てくれた皆さんに満足してもらえるように頑張って歌います!」
朱里は帰ろうとする客を引き留めようと、元気な素振りを見せていた。
しかし、次の曲も思うように声が出なかった。
次も、またその次も……。
朱里はだんだん声を出すのが辛そうになってきているのが、傍目で見ても分かった。
いつもなら会場を盛り上げる曲である映画『モダン・タイムス』の「スマイル」も、笑顔が無くどことなく息苦しそうに唄っていた。
「何だか見るのがいたたまれないわ。帰ろうかしら」
「これのどこが『天下無双』なの? せっかく酒飲んでいい気分で見てたのに、白けて酔いが冷めちまったよ」
時間が経つにつれ、席を立つ客の数が増えていった。
それでも朱里は諦めず、全身を震わせて声を絞り出していた。
あおいも美智奈もワインを飲む手を止め、心配そうにステージを見つめていた。
一方で雪枝はテーブルに頬杖を付き、苛立たし気に靴で地面を踏みならしながらステージ上の朱里を睨んでいた。
「もう、しょうがないなあ……朱里は。自己主張がヘタクソなのは、昔から変わらないよね」
そう言うと雪枝は突然立ち上がり、靴音を立てながらステージに近づいていった。
「雪枝! どこに行くのよ!」
「ちょっと踊ってくるだけだから、気にしないで」
店員が雪枝を引き留めに入ろうとしたが、雪枝はその手を振り払い、朱里の背後に立った。朱里は、突如現れた雪枝の姿に驚きを隠せない様子だった。
「朱里、私がついてるから、安心して歌って」
雪枝は小声でささやくと、朱里は軽く頷き、再び歌い始めた。
すると雪枝は「スマイル」の曲に合わせて軽やかなステップを踏みながらステージを縦横無尽に動き回った。時折脚を高く上げ、全身を思い切り回転させると、客席からは大きな歓声が上がった。
あおいと美智奈はしばらく呆然としながら雪枝のダンスに見入っていたが、やがて美智奈が拍手しながら立ち上がった。
「ねえあおい、雪枝だけにやらせておいちゃダメだよ。朱里のために、私たちも何かやらなくちゃ!」
美智奈は、朱里の歌に合わせて体を左右に揺らしながら手を叩いた。
あおいは一人着席したまま、楽しそうに手を叩く美智奈の姿を見ていたが、やがて居てもたってもいられなくなったのか、立ち上がり、美智奈の隣で手を叩いた。
すると、あおいや美智奈だけではく、会場のあちこちから一緒に手を叩く音が聞こえてきた。それらはやがて会場全体に広がり、気が付けば会場全員が朱里の歌に合わせて手拍子を打っていた。
朱里は次第に表情から焦りが消え、いつものようにキレのある歌声を出せるようになっていった。その声は「天下無双」という表現にふさわしく、時には繊細で、時には豪快に声を上げ、会場にいるすべての人達の目と耳を惹きつけていた。
「ありがとう……ございます」
歌いきった時、朱里は感極まった声で叫んだ。
ステージの四方八方から鳴り響く拍手は止むことなく、朱里に向かって降り注がれていた。
★★★★
あおいと美智奈、雪枝、そしてステージを終えた朱里は、
高校時代の仲間全員が揃ったのは七年ぶりだったこともあり、皆、時間が過ぎ去るのを気にすることなく話し込んでいた。
会計を済ませて店を出た時、美智奈が腕時計を見ながら「えっ!?」と驚きの声を上げた。
「もうすぐ十二時になるけど……みんな、帰りの電車は大丈夫なの? 私は近くのホテル予約してきたから大丈夫だけど」
「マジで? 調子に乗って飲んでたらもう終電の時間過ぎちゃったじゃん! どうしよぉ? 長男に車で迎えに来てもらおうかな」
雪枝は酔って呂律が回らないまま、携帯電話を手にして長男に連絡を取ろうとした。
その時、美智奈が雪枝の手を握った。
「ちょっと、何するのよ?」
「こんな遅くに、息子さんに来てもらうのは悪いわよ。泊っていかない? 私が泊ってるホテルに。ここから歩いてすぐだよ」
「ええ? 今から部屋なんか取れるの? 気持ちはありがたいけど、いくら何でも無理だよぉ」
「私を信じてよ、今から交渉するから」
美智奈は他の三人を置いて駆け出していった。
すぐ近くには、全国展開しているシティホテルのネオンサインが見えた。
「あ、美智奈が戻ってきた! 何だか顔がにやけてるけど、ひょっとして……」
美智奈は息を切らしながら三人の前に立つと、両手で「〇」の字を作った。
「ツインベッドのお部屋が一つだけ空いていたって」
「やった! さすがは『ミス・パーフェクト』!」
雪枝は悲鳴にも似た声で美智奈の肩を叩いた。
「狭いけれど、今確保した部屋にはあおいと雪枝、朱里の三人で入ってちょうだい」
「いいじゃん、狭くて上等だよ!」
美智奈が背中越しに手招きすると、あおい達はその後を歓声を上げながら付いていった。受付でチェックインを済ますと、早速ホテルの自販機でスナック菓子やビールを買い込み、部屋の中で再び話が盛り上がった。
しかし、ここまでずっと飲み通しで酔いが回ったのか、昔のように徹夜して騒ぐほどの体力がなくなったのか、一人、また一人と布団の中に入っていった。
「そろそろ……寝るか。昔ならこの時間でもまだ平気だったけどさ」
「そうだね、さすがに今はちょっと、ね」
部屋の明かりを消すと、あおい、雪枝、朱里の三人は、同じ布団にくるまりながら体を寄せ合った。
「ねえ、雪枝」
朱里は、隣で寝ている雪枝に語り掛けた。
「今日は本当にありがとう。あの時、声が絶え絶えになって、心がだんだん折れそうになってたの。雪枝のダンスとのコラボレーション、うちのスタッフがみんなベタ褒めしていたよ」
朱里はか細い声ですまなそうに話していた。すると雪枝はため息をつき、呆れた表情で声を上げた。
「どうしてそこまでして、今日のステージに出ようと思ったわけ?」
「だって……自分の歌を聴きに来てる人達の期待を裏切りたくなかったから」
「はあ?」
「すぐ評判落ちるのがこの世界の常だから。ただでさえ『天下無双』の歌声を売りにしてるんだもん。せっかく私の評判を聞きつけてきた人達に逃げられるのが、何よりも怖くて……」
朱里は苦笑いを浮かべながら、枕に顔をうずめた。
すると、雪絵が突然舌打ちをした。
「馬鹿じゃないの?」
「え?」
「馬鹿だって。たとえあんたが天下無双じゃなくても、あたし達、これからもずっと応援するし、ライブやるならばどこからでも駆け付けるって!」
「雪枝……」
朱里は片手で、溢れ出る涙を何度も拭っていた。
時が過ぎ、お互いに歳を重ね、住む場所や環境は違っても、あの頃築いた絆は簡単には途切れていなかった。
「ねえ、みんな」
朱里は涙を拭いながら、布団から顔を上げた。
「眠いだろうけど、もう少しだけ話しかけてもいいかな? 朝が来てみんなとお別れしたら、次いつ会えるか分からないもの」
「アハハ、そうだね……じゃあ、とことんまで語り合おうか。ね、あおい」
「うん!」
薄明りの灯る中、三人は同じ布団にくるまりながら話を続けていた。
まるで別れを惜しむかのように、カーテンの隙間から覗く東の空が白み始める頃まで、途切れることなく、ずっと……。
(了)
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