正解のない無慈悲な問いかけ

小狸

短編

 さる小説投稿サイトに登録してからある程度長い期間が経過しているけれど、時折こんなダイレクトメッセージが飛んで来ることがある。


 大抵が、私と同じく作家志望の方からである。


。』


い。』


。』


 うん。


 いや、もう、「うん」としか言いようがない。


 この「うん」は、勿論「そうだね」のような肯定の意味を含めたものではない。


 どちらかというと、「そっかあ」という納得や得心、そして諦観の意を示している。


 何ならフォローして間もない方から、こういう文章が来ることがしばしある。


 お前って。


 私は、あなたに「お前」呼びされるほど仲良くないのだが。


 礼儀を知らない無礼者、インターネットの功罪だろう。


 画面の向こう側に人がいることを忘れてしまった哀れな者というのは、今の世、大勢いる。


 まあ、別に構わないのだ。


 そう言えるということは、私の小説を読んでくれているということなのだから。


「え――それってひどくない?」


「あり得ない。アンチじゃん」


「じゃあお前は、面白い小説書けんのかよって話じゃない?」


「っていうか、その言葉でこっちが傷付く想像力もないのかよ」


「その程度の想像力で小説家目指してるとか、そいつの方が向いてないんじゃない?」


「気にしちゃ駄目だよ」


 友人にこの件を相談した時には、そんな風に言われた(やや言葉選びが過激な友人なので、どうか私の顔に免じて、ご容赦していただきたい)。


 しかし私は、正直なところ、あまり傷付いていない。


 アンチだろうと敵だろうと何だろうと、私の小説を読み、いびつながらも感想をくれるというのは、作家志望の末端の末端の、そのまた末端として、ありがたいと思ってしまうのである。小説は、読者が手に取りそれを開いて初めて、小説となる。それはいくら電子書籍や小説投稿サイトが発展したとしても、同じことである――私はそう思っている。小説を小説にしてくれているのは、読者なのだ。故に私は、嬉しいと、そう思ってしまう気持ちを否定できないのである。本当、我ながらどうしようもない性格であると思う。


 ただ。


 返答が、とても難しいのである。


 最初は律儀に返答していたけれど、下手に返せば、「効果があったのだ」「相手に効いたのだ」と相手方に思われ、同じような言葉の連投が来るだろう――実際来た。


 色々考えた末、自分にとって有益にならない言葉については、無視することにした。


 しかし、一体何を考えて、知り合って間もない、顔も知らない他人の、賞も受賞したこともなければ選考に残ったこともない、デビューも何もしていない作家志望の末端の末端の、そのまた末端みたいな私に、ダイレクトメッセージに、中傷めいた発言を送信するのだろうか。


 分からない。


 分からないが、「ダイレクトメッセージ」であるという点から、その行動原理は読み取ることができる。


 本当に誹謗中傷がしたければ、リプライ欄で名前を公開してやれば良い。「お気持ち表明」という言葉が、人口に膾炙して久しいくらいである。実際にそうやって共感を集め、「いいね」の数を稼いでいる者は大勢いる。日々そうやって「炎上」があちらこちらで起きている。「炎上ビジネス」なんて言葉もあるくらいである。


 そんな中で、わざわざ大衆に見えないところで、誰かを攻撃する言葉を発する――しかもインターネット上だから、名前なんてもう自由自在、好きに決定できる――結局この者は、「私の小説上に登場する理念や観念、あるいは小説そのものに対してムカつくけれど、公の場で批評する勇気がないから、わざわざダイレクトメッセージで送っている」ということになるのだろう。


 人間として未だ理解できていないようだから言っておくけれど、言葉は武器である。


 使いようによっては、人を殺害することができるのである。


 「そんな言葉くらいで」と思うかもしれないが、人の心の状態を完全に可視化することは、令和現代の技術をもってしてもほぼ不可能である。そんな不完全で不均衡な心を持った人間が、「たった一つの無慈悲な言葉」で死に至っても不思議ではない。


 逆を返せば、そんな一言を盾に「このダイレクトメッセージのせいで私は死にまーす」「この引用リポストが自殺の原因でーす」と遺言を遺し、実際に自害し、この相手に社会的制裁を与えることもできる。しかし、そんな面倒臭いことはしない。というかその程度で死んでたまるかという思いがある。


 気にしない、無視をする――それがこの場合の最適解なのである。


 相手に合わせた言い方をするのなら、一番「効く」方法である。


 分かろうともしない。


 理解しようとも、するつもりはない。


 しかし、まあ。


 気にしない! と宣言して、簡単に「気にしない」モードになることができれば、そんな簡単なものはない。言葉という武器がいかに軟弱なものでも、微細なりとも影響を受けた心の状態を元に戻すのには、そこそこ時間がかかる。


 だから、私の場合などはこうして、小説として投稿することにしている。


 作風からでもお察しの通り、私は元々、人とのコミュニケーションが苦手である。それは対人に限った話ではなく、インターネット上でもそうだと思っている。というか、ネット上でも、画面の先に人がいることには変わりはないのだ。結局、人と話している、伝え合っている、コミュニケーションしている。それが苦手なのだから、どうしようもない。


 さりとて苦手だからといって忌避してしまうのも、違うだろう。それは、ただ逃げているだけだ。人はコミュニケーションによって成り立っていると言っても過言ではない。


 だから、全てを、小説にする。


 それこそが、私のコミュニケーションの方法である。


 私は小説で出来ている。




(「正解のない無慈悲な問いかけ」――了)

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