Il y avait une petite fée

「噂……」

「……あぁ、噂か」

「見たってさ」

「あぁ……すばしっこいんだってね」

「言葉が通じるんだか通じないんだか」

「何にしろ不気味だな」

 CAM=介護支援用人造機ケア・アシスト・マシンがゆっくりと近寄り、ベンチの二人に声を掛ける。

『防犯を強化しますから大丈夫ですよ』

 メガ=ジオドーム内に四季はない。敢えて季節を名付けるならば、それは春。室温、湿度、気圧が常に一定に保たれた常春である。寄り添い茂る草花、せせらぎさえずり、薫風と共にある陽光、夜ともなれば満天の星空、極限まで不確定性を排した、何の不自由もない理想的世界がそこに実現している。

 らば酒池肉林の心持ちか、と言えば、そうでもない。酔生夢死の境地と表するのが最も正鵠を射るだろう。


 当初の目撃者に拠れば、数匹で群れを作る小幽鬼はドームの外に居た。外部からドーム内をしげしげと覗き、居住者と眼が合うと奇声を上げて逃げて行く。実在の証拠として、壁面硝子の彼方此方に奴等の大小様々な手形が残っているのだった。

 やがて、小幽鬼はドーム内でも目撃されるようになった。夜となく昼となく草花を踏み荒らしながら騒がしく駆け回る。何がそれ程までに情緒を揺さぶるのか、時に愉し気に、時に危う気に、時に気狂いのようにわらうのだ。

『何かお手伝いしましょうか?』

「いやぁ……大丈夫」

 CAMの問い掛けに、居住者は口を揃えてそう言う。欲する事も、抗する事も、夢を見る事もない。誰もが満たされながら空虚な心を飼い慣らし、散華の時を待っている。

 居住者は単に生きている。予定された事柄は何もない。しかし、それこそが本来的な生き物の常態であり、何ら恥じる必要はない。これ以上の幸せが他にあろう筈がないのだ。

「……小幽鬼だ」

「えっ……何処に?」

「ほら、あそこ」

「何処だい……?」

 小幽鬼は正に神出鬼没で、誰かの目に映ったかと思えば、直ぐにまた他の誰かの目に留まり、一所ひとところに落ち付かない。


 厄介の種とばかり考えられていた小幽鬼が次第に居住者の心の有り様を変え始めたのは、いつの事だったか。

「試しに嗜好食おやつをあげた人が居るって」

「食べたのかい?」

「ぺろりと平らげたってよ」

「食欲があるんだなぁ」

 既にその存在が視える者は心の片隅で癒やしを受け、窺いようもない希望と時の移ろいとを知る。未だ視えざる者は心の片隅で嫉妬を温め、形のない焦りと執着とに気付く。

「美味そうに食うもんだから、もっともっとあげたくなるらしい」

「食べる悦びなんか……」

 居住者と小幽鬼とは、生産性の欠如という観点から同類と言える。現在いまをやり過ごすだけの居住者。現在だけを生きる小幽鬼。それは、未来あすへの視座にも表れている。先細る未来を受け入れる諦観と、茫漠な未来など意に介さぬ心性とは、帰納的に等価なのである。


「まるで別の星からやって来たみたいだねぇ」

「きっとその星には死という概念がないんだねぇ」

 いつの間にか、小幽鬼は居住者の膝で寛ぐようになり、寝入ってしまうまでになった。疲れを知らない存在なのかと思えば、燃料切れのように無防備この上なく沈黙してしまう。小幽鬼は気紛れと適応能力とで出来ているようだった。

「こんなに可愛らしいもんだとはなぁ……」

 もし居住者に好奇心の欠片でも残っていたならば、CAMに訊ねたかも知れないし、訊ねられたCAMは答えたかも知れない。

 かつて、小幽鬼はこの社会に満ち溢れていた。宝とも呼ばれていた。〔不確定性排除運動〕の奔流が世を席巻するまで、小幽鬼はその無邪気さを以て平和の象徴として機能していた。

 しかし、或る日、誰かが言ったのだ。


《煩い!》

《耳障りだ!》

《近所迷惑だ!》


 居住者は総じて忘れている。小幽鬼はかつての自分である事を忘れている。人の一生は小幽鬼に始まり、それを忘れ去る事でしまいへと向かうものなのだ。

 今日もまた、隔絶された宇内うだいに老いさらばえた命が時を持て余す。しかし、傍らには小幽鬼が居る。そこに光明を見出す紙一重の感性は残滓ざんし程にも有りや。

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