伊東祥子 第6話
中間の答案用紙が戻ってから数日が経った。
「あ、あのっ! コレ!!」
今日で何人目だろうか? トイレにもオチオチ行く事も出来ない。もう膀胱が破裂しそうだ。俺は受け取ったそれを、学ランの内側のシャツのボタンを開けて腹に隠す。ポケットはもう満杯だ。
俺は校舎裏から早歩きで離れると、靴を履いてトイレに向かう。
「なぁ三嶋ぁ、ちょっと今からーー」
「す、すいません先輩! ちょっとトイレ行ってからにしてください!」
「お、おおう……」
女バスの先輩を振り切り、俺はトイレに駆け込む。そのまま小便の行先を確認しようと下を向くも、膨らんだ腹が邪魔で見えない……
俺は手を洗ってハンカチを出そうとポケットに手を伸ばすも、四角いハコが邪魔をする。
(くっ……ズボンで良いか……)
そして、トイレの出口からそーっと顔を出すと左右を見渡す。先輩はいない。
「三嶋ぁ、終わったか?」
「はっ! はいっ!!」
と、思ったら女子トイレから顔を覗かす先輩。
「コレ、やるよ……」
「あ、ありがとうございます……」
「後PHSの番号、進学先北高で地元だからよ、遊びにとか誘えよ」
「は……はい」
「じゃあな?」
「さよーならぁ……」
もう無理だ……ホワイトデーとか考えたら小遣いが何ヶ月か飛ぶ。
だけど、今の先輩に俺が逆らえなかった理由がある。あの先輩のパンツ一丁の姿を、実は前の世界で見た事があるのだ。
先輩達の溜まり場になってた、とある先輩の家にタバコと酒を買ってきて欲しいって頼まれた事があるのだ。その時部屋で出迎えた上半身裸の先輩が、お礼に布団の中を見て良いって言われ、それをめくったーー
そこには……今の先輩がパンツ一丁で寝ていたのだ。
人生初のTバックのお尻に、俺は尻餅をついた。
「しかし……バレンタインにこんな恐怖を感じる事があるとは……」
「前世では考えられなかったって?」
「ひっ!!」
振り返ると、そこには陽子が立っていた。
「お、お前はまだストーキング行為にハマってんのかっ!」
「なによっ!! そんな事した事ないわよっ!」
「ストーキングだと思わない奴がストーキングするんだよ。イジメと同じだ」
「うぐぅっ!!」
勝利だ。胸を抑えうずくまる陽子を放って、俺は人に見つからないように、そーっと身を隠す様に教室に向かう。
「ま、まちなさいよ!! 今日学校の後で時間作りなさい!!」
「なんだくれるのか? 今さっさとと渡してくれ。放課後は忙しい」
「きぃーーーー!!!! なんなの!! その態度っ!!」
「見ろ、この腹。お腹いっぱいだ」
「このデブっ!! 調子乗んなっ!!」
俺の背中を何度もグーで殴ってくる陽子に、俺は溜息を吐くと、そのまま無視して歩く。
「あ、祥子とかレナからは貰ったの?」
「レナは部活だからって朝イチで渡してきた。祥子は今日はリハビリだ。病院まで送ってく予定だしその時じゃないか?」
「お、お前……貰える前提なのね……そして全然嬉しそうじゃないわね……」
「お前ら毎日あからさまなんだ、いちいちこんなイベントで一喜一憂するかよ。それよりさっきの先輩にびびったわ」
俺の中でヤリマンピッチ先輩として記憶していた人にまさか貰えるとは。俺はそっちの方が衝撃だった。勉強とか部活って、これぐらいやれば世界は変わる様だ。
「美幸先輩よね? お前接点あったの?」
「今世では無いな。前の時にちょっとな。だからちょっと衝撃だった」
「ふーん」
綺麗な尻だったな……美幸先輩って言うのか。
「あ! 鼻の下伸びてるっ!! お前それエロい事だったんだろっ!! 美幸先輩男好きだから!!」
「い、いや、別にそんなんじゃねぇよ」
「この発情猿っ!! エロッ! 変態っ!!」
「くっ……ならもう良いだろ? 行くぞ」
「うぅ………」
陽子はその場から動こうとしない。ほんのりと赤くした頬で顔を顰めて眉間に皺を寄せている。その所為か余計に大きなオデコが大きく見える。
「なんだよ、なんかあんなら早く言えよ」
「ぶ、部活の後……」
「……はぁ、……一緒に帰れば良いのか?」
「わ、分かってるなら言わそうとしないでよ!! 本当性格悪っ!!」
「ならそんな相手誘うな……」
本心からそう思えるのなら、陽子はやっぱり優しい松と一緒になるべきなんだ。俺のせいで初恋を拗らせてしまったこの子の事も心配だ。
今は俺の正体を教え、協力者となってくれた陽子。
俺は未だ、なぜこの子が俺の初恋だったのかさえ思い出せない。だけど、今の俺を支えてくれてるのは彼女だ。沢山の不可思議な出来事、そして凛との事や祥子の事、運命との戦い、俺は一人ではもうやっていけないと考え彼女に助けを求めた。
彼女だけが運命という流れから逸脱しているかの様に、自分の意思を貫いている。俺はそんな彼女に、自分もきっと抗えるんじゃないかってそんな希望をもらっていた。
「校庭側の校門で良いか?」
「は、初めからそうやって言ってればいいのよ!!」
頬を赤らめながらそう言い放つ幼馴染に、俺は心底呆れてしまう。
「ツンデレにも程があんだろ……」
「ツン……って何よ!!」
「いつかわかるよ」
「あっ!! また未来の言葉ねっ!! ちょっとぉ! 教えなさいよ!!」
「いつか知れ」
こんなやり取りが俺には楽しくて、俺のこの二度目の人生を確かに豊かにしてくれた。
#
「デブったわね?」
「この後更にデブる予定が入ってる」
部活前に祥子を送る帰り道。先生にバレないように工作した結果、不名誉のセリフを投げかけられる。
「何個?」
「さぁ……八個からは数えてない」
肩掛け鞄の中は何時間授業だったんだってぐらい膨らみ、ポケット全てとシャツの内側も満室だ。
「アンタさ、スペースは残ってるの?」
「あーー」
「もお……」
祥子は自分の鞄から取り出した小さなビニールにリボンでラッピングした可愛らしい袋を開ける。そしてその中に手を入れ一つチョコを摘むとーー
「はい、あーん」
「んぐ、んぐうぐ……」
「おいし?」
「ゴクッ……ン……ナッツか? 美味いけど好きじゃないな」
「はぁ!! なんでよ? 美味しいんでしょ?」
「コレが美味いものなのは分かるけど……そもそも砂糖甘いのが好きじゃないんだよ」
「う……確かに何時もコーヒーもブラックね……」
俺は溜息を吐く祥子から、ビニール袋を奪い取ると、そこに指を入れてまた口に含む。
確かに甘くて好きではないが、ナッツが入った事で中和されていて、俺でも美味いものだと感じれる。
俺はそれを無くなるまで食べる。
「無理しなくて良いのに」
「いや? ナッツが入ってて、そこまで甘く無いし、俺でも美味しいって思えるって。ありがとうな」
「そ、そう? なら良かった……」
「次はビターチョコにしてくれ」
「び、びたー?」
「あーー、甘く無いチョコがあるんだよ」
「あ! そうなのね? アタシ調べとく! 次はそれ使うからっ!!」
「頼むな?」
まるで恋人同士が交わす約束の様に、俺達は次の話をする。こうして祥子を送る事がもう当然の毎日だった。
「リハビリの後は? 今日もお母さん来てくれるのか?」
「ううん、今日は一人。終わるの四時くらいだし、幸人はその時まだ部活でしょ?」
「分かった、その頃迎えに行く」
「……大丈夫だよ?」
「いや、ダメだ。迎えに行く」
「……うん」
一時間くらい部活に参加し、そこで切り上げて迎えに行って、その後陽子と合流すれば良いだろう。俺には選択肢は無い。もし時間が押して、陽子との約束が果たされなければそれはそれで仕方ない。
「でもさ、大丈夫かもしれないよ? 一人でも」
「そうだな? そうかもな?」
「だったら幸人が無理とかーー」
「だけど俺がしたいからするんだ。お前がなんて思おうとな?」
「幸人……」
俺達は二人、病院への道を進む。触れるか触れないかの距離をお互いの手が掠めていく。
確かにリハビリは順調だ。だけど心のケアはそんな簡単に終わるものじゃない。時間をかけてゆっくりと自然にやっていくものだ。それは一月とか半年とかそんな単位じゃない。人によっては一生かかる事もある。
「お前は何も気にすんな」
「あ……」
俺は祥子の手を取り、ゆっくりと坂を登る。祥子の自宅へと向かう道とは違う道、リハビリが終わるまではこうして手を引こう。彼女の体だけじゃなく、心のケアがおわるまで。
#
「おっそーーーーーーい!!」
「なんだよ……仕方ないだろ? 祥子を病院から家まで送って、そのまま全速力で戻ってきたんだ。労えよ……」
「お前部活に結局こなかったじゃない!」
「少し手伝ってたんだよ、そしたらもう戻るよりそのまま時間潰して家まで送った方が早かったんだ」
「ふん! お優しいこと!!」
陽子はそう言うと、俺に背を向けて歩きだす。部活終わりを気にしたのか、学校では普段していないはずの香水の香りが風に乗って流れてくる。
「祥子の様子はどうなのよ?」
「ん? なんだよ、お前も知ってるだろ?」
「あの子、大丈夫よーしか言わないのよ!」
(こいつは直ぐ個人情報を他から仕入れようとするな……)
陽子は速度を落とすと、俺に並んで覗き込んでくる。
「ほら、早く答えなさい!」
「まぁ、体はリハビリでだいぶ良くはなってきてるんじゃないか? 多分後何回かで病院に行くのは終わりだな。だけど元の筋力にちゃんと戻すには筋トレは続けないとって感じだ」
「そう、それなら良いわ。部活も引退までもう少しあるし、戻れたらいいわね」
「ああ、だけどメンタルはどうだろな? コレばっかりは本人しか分からないし、本人ですら分からない事もあるだろうな」
「メンタル……精神とかだったっけ? 最近たまに聞く」
「あ、そう、英語だ。精神面、だな」
「それも、将来みんな使うの??」
陽子は俺の前に身を乗り出し、口元に手を置きコソコソ話ししだす。
「かなり使うかな? すぐ元気無くなる人とかにメンタル弱いなーとか、何怒られても平気な奴にはメンタル強いなーとかな」
「良いわね……」
「おいおい、あんまり乱用するなよ? 確かもう少し先なんだ、流行るのは」
「お前の指図は受けないわ! お前の事だから、また未来が変わるーとかビビってんでしょ? メンタル弱いわね!」
「うぐっ……」
分かれ道の交差点が近づく。俺はいつの間にか隣にいない陽子に気付き、脚を止めて振り返る。そこでは鞄の中に手を入れたまま、顔を赤らめ湯気を立ててる姿があった。
「何してんだよ」
「う、うぅ……」
俺は陽子が何をしようとしてるのかは分かっているが、あんまりもたつかれて家に帰るのが遅くなるのはごめんだ。
「メンタル弱いな……」
「う、うっさいわね!! お前はしらないだろうけど、私にとっては結構特別な事なんだ!!」
そう調子を取り戻すと、陽子は深呼吸をして、鞄から取り出した赤の白の包装紙に赤のリボンのかかった包みを俺に押し付けた。
「……あの時よりは上手くできてる。ちゃんと食べなさいよ」
「あ、あの時?」
「だから言ったじゃない、特別だって。お前はそんなパンパンになるまで貰ってるから、私のなんてどうだって良いんだろうけど!」
陽子はそう言うと、俺の横をすり抜け交差点を突っ切っていく。
「あ、おい! 陽子!! ありがとな?」
「ふんっ! また明日ね」
俺は立ち去る陽子の背を見送ると、そのまま自分も交差点に向かい、左に曲がる。
「特別……どういう事だ?」
俺は一旦立ち止まって、陽子から貰ったチョコのリボンを外し、包装紙を開ける。白いケースをスライドさせるとそこにはーー
「これ…………」
そこにあったのは絵だ。四角い茶色のチョコの中に、白い半円の太陽の絵……
「そっか……そういう事か。ったく、お前の方が本当バカだよ……」
それは小六のバレンタイン。無記名で靴箱に入っていたチョコとそっくりだった。あの時のより、真ん中の半円は綺麗に出来ていた。
俺はそのチョコを取り出し、角に口をつける。
カリッ
「すげぇあめぇ……」
祥子のものとは比べ物にならないその甘さは、まるで陽子という少女そのものを表してるようだった。
俺は振り返ると彼女が立ち去った方へと視線を向ける。畑越しに見えるその道の先には彼女の姿は無く、ただ西陽が落ちていた。
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