塩谷凛 第20話



「それでそれで!? どうだったのよ〜〜、放課後デート!」


 俺はポケベルで呼び出された通り、給食を済ますと非常階段へと向かった。

 行きたくない気持ちから胃痛に苛まれ、中々食が進まなかった所為で、早く食べ終わっていた伊東が俺をドアの向こうで出迎える形になった。


「デートじゃないだろ……誤解を招く様な事言うな……」

「えーー、だってマリがアンタと一回帰った時に放課後デートって喜んでたもん」

「う……アレはお前らが圧力かけたからだろ……」


 一週間程度、形だけ付き合わされたノーカンの元カノの名前を出されると少し胸が痛い。


「えーー? アンタちょっとは乗り気だったりしなかったのぉ?」

「しないよ、本当に申し訳ないけど本当にタイプじゃないんだよ」


 伊東は狭い踊り場でクルクル二回転ほど回ると、スカートをたなびかせながら階段を二段程上る。ギリギリの境界線まで見える白く透き通る脚に、俺は吸い寄せられるように視線を向ける。


「で、実際どんな感じだったのよ? 陽子は〜」

「んー……多分だけど、俺が凛に振られる事を想定して、心配? 慰める? みたいな……」


 俺は自分なりに落とし込んだ結論を伝える。すると伊東は階段に腰を下ろし脚を組んで何かを考えるようなポーズを取る、


「なんだよ、俺にはそう感じたけどな? 後は俺の好きなタイプが凛みたいなのじゃないから、俺が凛を好きだって事を信じてくれなかったな」

「へーー、アンタの好みを陽子知ってんの?」

「いや、知ってない。全然見当違いな事を勝手に言ってきた」


 実際には見当違いでは無いのだが、今の俺は見た目がタイプだからとかで人を見ない。ちゃんと中身や価値観も大切にしている。その上で凛にちゃんと魅力を感じた。それは好きと言って良いはずだ。


「陽子はさ、アンタがどんな子が好きだと思ってんの?」

「…………」


 流石にこれは言えない。俺は伊東に背を向けると手すりに肘を置いて無言を貫く。


「ちょっとぉーー、教えなって!」

「…………」


 すると、伊東は二段上の階段から飛び降り、俺の肩に手を回し肩を組むと、ニヤニヤと顔を近づけてくる。俺は近距離の伊東の顔と、髪から香るシトラスの爽やかな芳香に、自分の頬の熱が上がるのを感じる。


「ち、近い……」

「照れんなってぇ〜、ほら言ってみ? アンタの好きなタイプ!」

「違うだろ? 西野が考える俺のタイプの話しだろ!」

「それそれ〜〜、ほらほらぁ〜〜」


 俺は少し考える。俺のタイプを話す訳じゃないし、ある意味西野にダメージがある様な内容だ。そう、自意識過剰な妄言として。

 俺はそれならさっさと話して、この状況から脱出するのが正解のはず。


「あ、アイツは俺が西野みたいなのがタイプだって思ってんだよ」

「ほへ……なんて?」

「だから、俺が好きなタイプは西野だって思ってんだって」

「…………ほう…………なるほど…………そうか、そうきたか……」


 ようやく肩から手を離した伊東は、再び考えるようなポーズを取ると、室内への扉へと近すぎドアノブに手をかける。


「もう良いのか? それならサッサと教室戻れよ。俺は時間差でここを出るから」

「うふふふふふふふふ」


 俺に背を向けたまま、伊東が何か気味の悪い笑い声を発する。


「な、なんだよ……」

「……ねぇ? 実際は?」

「そんな訳ねぇだろ、さっき言ったろ? アイツの勘違いだ」

「ぷふぅーーー」


 そう答えた俺に堪えきれなかったのか、大きく息を吹いた伊東は、そのまま大きく扉を開くと顔だけをこちらに向ける。


「なんだ?」

「知ってるよーー」

「な、何をだよ」

「アンタのタイプは陽子じゃない」


 ニヤリと意地悪そうな笑いを浮かべながら、伊東はドアを持つ手と逆の手で、スカートをツマミ上げる。


 ゆっくりゆっくり、それを上へと持ち上げていく伊東の頬は、赤く赤く染まっている。俺は視線を下には向けない様必死で抵抗する。


(無だ……無になるんだっ!!)


 俺は遂に耐えきれず目を瞑る。四十過ぎたいい大人が、こんな中ニの女子に揶揄われる訳にはいかない……


「アンタの好きなのわぁ〜〜……」

「!?」


 俺はかけられた言葉の続きに意識が引っ張られ、閉じたばかりの眼を見開いて伊東へ視線を向けてしまった。そして、そこにはーー


「この脚と、アタシだもんね〜〜?」

「!!!!」


 そこには細く長い、シミひとつ無い美しい脚と、その付け根でチラチラと見え隠れする薄水色のレースの布……


「エッチ」


 俺は急いで彼女に背を向ける。


バタンッ


 それと同時に閉じたドアの音……


 俺は伊東の事も本当に分かってなかったし、今も全然何考えてるのか分からないと感じた。それより何より……



「見てたの……バレてたのか……」



#



「ミッシっ!!」

「おっと!」


ダムダム……


 俺は背後からのスチールをかわすと、ドリブルで切り込む。相手はゾーンを組んでいるので正面には相手のセンターが立ち塞がっている。俺はその脇の下にワンバンでボールを投げ込むとそのまま左にはける。


「おっしゃっ!!」


パサッ


「ナイッシュ加賀谷!」

「そっちこそっ! ナイスパス!!」


ピーー


 ホイッスルが鳴り紅白戦の終わりを告げる。


「おいおい、レギュラーに好き放題やられすぎだぞ! こんなんじゃベンチに入っても役に立たねぇぞ!!」


 監督の怒声が飛び交う。俺を含めたレギュラーチームは三十点差をつけ、補欠組に圧勝を決める。大人になった俺にはこれが週末の大会初戦に向けた監督なりに、レギュラーには勝ちイメージと補欠組には喝を与えるものなのだろうと解釈する。


「流石だな、ミッシー。あのパスは完璧だわ」

「いや、その前の声出しがありがたかった。それがなきゃ切り込め無かったしな」


 俺はタオルで汗を拭きながら、声をかけてくれた山中に感謝を伝える。


「サンキューなっ!!」

「お、おう!!」


 最近はサボらず部活に参加してくれてる加賀谷や山中。過去の世界ではこの二人も実力はあったのにサボりがちだったり、タバコがバレたりで監督に嫌われ、俺と同じ様に試合から遠ざけられていた。だが今回はちゃんとレギュラーとしてベンチ入りする事が決まっている。


「しっかし、良く動けるな加賀谷も山中も。肺とかキツくないか?」

「バカ言え! そんぐらいハンデで丁度いいわ」

「そうそう!」


 そんなバカな会話をしつつも、俺は少し嬉しかった。部活に真面目に参加するという当たり前、そんな健全な世界に身を置けてるという事。


 それだけでもやり直した甲斐がある。こうやって生きていたら? と言う過去への後悔と妄想は俺を苦しめてきた。今俺はそれを確かに再現出来ている。そしてその結果がこの二人にも影響を与えている様に思う。


(だけど……アレはキツイな…….)


 体育館の半分。女バスが使うコートからむけられる、俺を今すぐ殺すかの様な視線。そしてその向こうの校庭側の扉から向けられる、いやらしくニヤつく何人かの視線。


(勘弁してくれ……)


 ただ青春をやり直したいだけなのに、何故こんなに邪魔をされなければいけないのか。西野の殺人視線と伊東達の視線をスルーして、俺は練習に戻ろうとタオルをコートの外へと投げ出す。そんなタイミングで伊東とは別の校庭側の扉が開いた。


(次は凛か……)


 扉の隙間から凛と加賀谷の彼女の関戸純が顔を覗かす。凛は小さく手を振ると可愛らしい笑顔を浮かべている。


「お、純と凛ちゃんも見てんな!」

「あぁ、今来たみたい」


 加賀谷が大きく自分の彼女である関戸さんに手を振る。俺はそれに習って小さく手を振るとーー


「うわっ!!!」

「あっぶねっ!!」


 俺達に向かってバスケットボールが高速で飛んでくる。俺達はそれを交わすと、そのボールを投げた人物に目を向ける。


「な、なんなんだ? なんでアイツボール投げて来たんだよ……」

「さ、さあな? 俺も知らん……」


 俺は加賀谷の疑問に適当に返すと、視線を伊東と三井に向ける。二人とも腹を抱えて笑っている。ボールを投げ付けてきた人物は、その二人にもボールを投げ出していたが、俺はそのやり取りを見つめる凛が、何処か苛立っている様に見えた。


「えっ……」


 靴を脱ぎ、体育館の中に足を踏み入れる凛。彼女はそのまま、引き留めようとする関戸さんを振り切り、コッチに向かってくる。


「な、なんだ?」


 慌てて靴を脱ぎ、関戸さんが凛を追って体育館へと靴下で入ってくる。そしてそんな二人に気付いたのか、西野達が視線を向けている。


「お、おいミッシー、なんか入って来ちゃったけど……」

「お、おお……なんか用かな……」


 周りからの視線に動じる事も無く、真っ直ぐに俺達の元へ歩く凛と、それを追う関戸さん。


「凛? どうした?」


 俺は声の届く範囲に入った凛へと声をかけた。凛は眉間に皺を寄せ、唇を尖らせている。そしてそのままペースを落とす事無く俺の横まで来ると、俺の腕に手を回して俺を引っ張る。


「お、おいっ!!」

「先輩!! こっちに来て下さいっ!!」


 俺は引っ張られるままに、人のいない体育館の隅へと連行される。関戸さんは加賀谷と合流し、二人で俺達を心配そうに見ている。


「り、凛? まだ部活中だよ? 話しなら終わってからでも……」

「今じゃないとダメなのっ!」

「な、なんだよ……」


 凛は振り返ると体を傾けて、俺の横から西野達の方へ視線を向ける。その表情は固く何か不満を訴えてるようで……


「なんで……あんな風に構われてるんですかっ!?」

「あ、あんな風?」

「先輩分かってないんですか!?」

「分かってないって……」


 凛は俺へと視線を戻すと、その瞳にはほんのりと潤んでいるようだった。俺は自分の背後の西野や伊東達に視線を向ける。ニヤニヤしている伊東や三井とは裏腹に、西野はこれでもかと睨みを向けて来ていた。


 凛に向かって……


「先輩……西野先輩となんかあったでしょ!?」

「なんかってなんだよ……」


 俺は思い当たる事はあってもそれをここでは口にはしない。ここはうまく誤魔化しタイミングを見て、笑いを交えて真実を伝えるのがベストだ。隠し続けるとか嘘はNGなのは分かってるので、これが得策だ。


「見れば分かるもん……」

「うーん、まぁちょっと揉めたのはあったかな? 詳しくは帰り話すよ」

「ホント!? ちゃんと話してくれる!? ってか一緒に帰って良いの!?」

「ああ、校門で待ってるよ」


 そう告げると、凛は先程までの険しい表情を一瞬だけ綻ばせると俺の腕に抱き強く引っ張る。俺は体の向きを強制的に西野のいる方へと向けられる。


「ちゃんと説明して下さいね……」

「う……」


 小さな身体を目一杯大きく見せようと仰け反らせ、腕を組み、凄まじい顔つきでコチラに睨みを送り続ける西野に向かい合ったまま、凛はそう呟くとソッと腕を離す。


「……じゃあまた後でね」

「あ、ああ…….」


 凛は西野と視線をぶつけ合いながら、来た道を戻っていく。途中で関戸さんと合流すると、女子のいるコートの横を抜け、ドアで靴を履いて無言で立ち去る。


 俺は、そんな凛を最後まで睨みつける西野に恐怖と、もう一つの校庭側のドアから口を抑えて笑いを堪える伊東達に苛立ちを感じつつ、今置かれている状況に警戒と焦りを覚える。


 まるで、何かのドラマの修羅場の様なこの空気に、俺は計画通り笑いを交えるなんて一向に出来る気がしなかった……

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