塩谷凛 第14話




「行こう……」


 この日私は気合いを入れて、化粧をし、服を選び……お気に入りの下着を履いて家を出た。


 先輩は初めて泊めてくれた日から、私を家には呼んでくれなかった。何度も行きたいって言ったけど、毎回部屋が汚いとか親の知り合いが来てるとか言っては断られてきた。


(避けられてるのかな……キスだってあの日以来してない……)


 自分の中にある後悔、そこから来る不安が胸を締め付けてくる。だけど、私はもうこんな所で立ち止まってる訳にはいかない。


 それは、この間の西野先輩の件だけじゃ無い。


『この間一年の教室の前の廊下を、三嶋先輩が女子の手を引いて走ってたらしいよ』


 だいぶ前に流れたこの噂は、一年の間で有名だった。友達達はそれ以来私に、二股かけられてる、先輩とは別れた方が良い、そうずっと言っていた。だけど私は先輩を信じてる。


(今日こそ先に進むしかないっ!!)


 中間テストの結果がイマイチだった私に、先輩が勉強を教えてくれる事になったのだ。私はそれなら先輩の部屋が良いと、必死でお願いしてなんとかお許しを貰った。


(この間腕組んだときもぉー、満更じゃなさそうだったしー……)


 そういうのが嫌いな訳じゃ無いはずだ。付き合った初日だって凄い興奮してくれていた。


(あんなにカチカチだったのに……大丈夫だったのかな? 途中でやめて……)


 やめた理由は納得してるし、嬉しかった。だけど、やっぱり残念なんだ……私は。


 先輩の家の前に着くと、私は大きく深呼吸をした。


(よしっ!!)


 勝負の一日が始まる!!



#



「おう! 遅かったな?」

「ハロー! 凛ちゃん!!」


 私は目の前の光景に絶句をした……


「加賀谷も中間悪かったって言っててさ、せっかくだからって」

「純はそんなに悪くなかったけどさー、先輩達と勉強なんてメチャ楽しそうじゃん?」


 加賀谷先輩と、その先輩の彼女であり私の親友の純が仲良さそうに並んで座っている……このメンバーはあの日の再現だ……


「私……聞いてない……」

「え? 関戸さんが伝えとくって……」

「いやぁー、こっちの方が面白いかな? って! いやー、成功成功! マジウケた!!」


 どうやら私は親友に計られた様だ……


「まぁまぁ、あの日以来ここでまた四人集まるなんてなんかカンドーじゃん? 仲良く勉強しようぜっ!!」

「……加賀谷先輩の事、あんまりまだ許せて無いんですけど?」

「……うっ」


 加賀谷先輩は私の大切な先輩に暴力を振るおうとした人達の仲間だったはず。マドカ先輩やレナ先輩が言うには、体育館裏に呼び出したのは加賀谷先輩だって話しだ。


「凛、良いんだよ。みんな立場ってものがあるんだ。あの件は誰が悪いとかじゃないよ」

「み、ミッシーーーー」

「もうっ……先輩は甘すぎです!!」


 それが大人っぽくてカッコ良いんだけど……でも私はまだムカムカしちゃう。それだけ私は先輩が大好きなんだって思う。


「ウチはーー、その話しより、もっと気になる事があってさぁー」

「純!? 何を言うつもり?」

「えーー? 凛ちゃんだって気になってたでしょー?」

「ん? なんの事だ?」


 純はきっと二股疑惑の事を聞こうとしてる。確かに気になってはいるけど……だけど……それがもし本当だったら……


「純っ!! 取り敢えず勉強しよ!! お喋りはその後っ!!」

「えーーー」


 私はこの余りに自由な親友に、好き勝手される訳にはいかない。今日こそ先に進むって決めてここに来たんだ。


「じゃあやるか? 凛、お前の今回分かんなかった所教えてくれ」」

「はいっ! せ、ん、せっ!!」

「はいはい」


 さっさと勉強を終わらせて、この二人を追い出そう。そう私は心に決めて教科書にかじりついた……



#



「一旦休憩にしよう」


 先輩の声で勉強が中断される。


「いやぁー、なんかすげーなぁ」

「うんうん! ウチもマジビビった!」


 私もだ……最近真面目にやってるのは知ってたけど、……こんなに先輩頭良いなんて。


「なんでも分かるのもすげーけど、なんか教え方がうめーって言うか……」

「ねーー、ちょー的確に教えてくれるからスラスラ入るしっ!!」


 その通りだ。先輩の説明はとても分かりやすくて、どこでつまづくかを予想して、先回りしてくれてる様な……そんな教え方だ。


「あぁ……良く教えてたからね」

「へ? 先輩誰に?」

「あ、いや……ちょっと……お、弟とか?」

「あ、ああ、そっか、先輩弟いたもんね?」

「そうそう、三個下ね? 体弱くてあんまり学校行けてないから家で教えたりするんだ」


 一瞬だけど、先輩の顔が泣きそうに歪んだ気がした。本当に一瞬の事で、直ぐにいつもの先輩に戻った。


「俺、なんか飲み物とか取ってくるよ」

「あ、私手伝うっ!!」

「良いよ、お袋とかにウザ絡みされるのとか嫌だろ?」

「そんな事無いよっ!! 逆に挨拶したいぐらいっ!!」

「お袋と凛のお母さん知り合いだし、家でなんか言われるぞ?」

「あれ? そうなの? 私知らない……」


 私がそう言うと、先輩は口元に手を当てて何か考えてるみたいだ。


「そっか……凛は知らないのか……。多分お母さんに聞けば、俺のお袋と知り合いだって言うと思うよ」

「へぇーー、じゃあ尚更挨拶するっ!!」

「……まぁ、良いけど」


 私達は二人で階段を降りる。階段の下には玄関があり、そのまま外に出れる作り。前はここからソッと二階に忍び込んだ。


 私達は下まで降りると、玄関に背を向けて居間への扉を開ける。


「あら、幸人? 勉強会は?」

「あぁ、一旦休憩だよ。なんか飲み物とかお菓子無い?」

「キッチンで適当に持って行って良いわよ。……それより……」

「あっ! あのっ!! 塩谷凛ですっ!! 初めましてっ!!」

「……塩谷さんのところの凛ちゃん? 今日は凛ちゃんにも勉強教えてたの?」

「あぁ、後は加賀谷と凛の友達の関戸さんもいるよ」


(お母さん……綺麗な人……)


 身長は高くなくて私と同じぐらいだけど、小顔で細くて、どことなく先輩と似てる。先輩はお母さんの横を抜けると、キッチンにある冷蔵庫や戸棚を開けて物色を始める。


「でも……幸人と凛ちゃんが知り合いだったなんて、初めて知ったわ」

「あ、あのっ! ご、ご、ご、ご挨拶が遅れましたっ!! 私二学期から先輩と……お、お付き合いさせつてっ」

「え? え?」


 盛大に噛んでしまう……そんな私の所へ、コーラのペットボトルとポテチの袋を持って先輩が帰ってくる。


「俺たち付き合ってるんだよ」

「えーーー、幸人とこんな可愛い子がっ!?」

「は、はいっ!! 付き合ってますっ!!」


 口を開けたまま、お母さんは私と先輩へ視線を行ったり来たりさせている。そんなお母さんを一瞥すると、先輩は私の肩に手を置きUターンさせる。


「じゃあもう部屋戻るから、遅くなる前には帰らすよ」

「え、ええ……」


 とても堂々としている先輩。本当に大人っぽくて余裕で、私とは大違いだ……


「はは、緊張するのは分かるけどさ。もっと気楽で良いよ、ウチの親なんて大したもんじゃない」

「うーー、ちょーズルいっ!! なんでそんな余裕なのっ!!」

「こういうのは、上手くやろうとかしないで、自然体でいた方が緊張が和らぐものなんだよ」


 階段へと戻ると、先輩は私の前へとずいっと体を捩じ込んできた。


「へ? どうしたの?」

「……バカ、お前そんな短いスカートで先に登ろうとすんな」

「あ……」


 そこそこ傾斜のある階段を先輩が登っていく。先輩は私のスカートの中を見ないように配慮してくれたんだ…[


「ま、待ってよ先輩っ!!」

「ん? なんだよ?」

「…………もぉ…………見てくれて良かったのに」

「ぶっ!!」


 先輩が吹いた! 顔を赤くして、私から目を逸らした! 


(て、照れてくれてる……)


 大人びた先輩……だけどやっぱり男の子で、ちゃんと私の事を女の子として見てくれてて……それが嬉しくて……


「バカな事言ってないで戻るぞ……」

「もぉ……ちゃんとしたの履いてきたんだから……」

「おまっ! ……ったく、そういう事言うの禁止」


 ドアを開けて部屋に戻って行く先輩。自分の頬にも熱が込み上げてるのが分かる。


 今日こそ……


「ほらっ、みんなこれ食ったら続きだからな」

「お! うまそっ!! 早く食おうぜっ!」

「純がコーラ入れるねぇ〜〜」


 その為にも早くコイツらを追い出さねばっ!!



#



「おじゃましましたぁーー」

「しましたぁ〜〜」


 やっと終わった………


「凛もまたな、気をつけて帰れよ?」

「はぁーー??」

「なんだよ? 送った方がいいか?」


 ちょっとちょっとちょっと……なんでここで帰る流れになるのっ!! あの二人だってこの後二人きりで、絶対イチャイチャするのに……

 でもここで先輩を困らせたって仕方ない。子供みたいな駄々を先輩相手にこねたくない。


「この後、ウチは直ぐ夜飯だし……」


 そうだよね。もうこの時間からじゃ、ここで残ったって何も出来ない……


 だけど……


「……もう少し一緒にいたい」

「…………」


 悔しさと寂しさが後押ししてくれたのか、ほんのちょっとだけど私は口を動かし、声を出す事が出来た……


「…………はぁ……ちょっと待ってな?」


 先輩はそう言うと、一人家の中に戻って行く……


「なんか全然上手くいかない……」


 確かにあの時みたいに、一気に〜とかはしない方が良いと思う。勢いでってのはもう今更な感じする。それでも、あの日みたいに何もかも考えない自分になりたい……


「ーー凛、上がれよ」

「ーーえ?」

「送ってくって条件で、お袋とお前のお母さんに許可もらってきた」


 せ、せんぱーーーーい!!!!


「兄貴や弟もいて気まずいだろうけど、飯食っていけよ」

「うん……うん……うん、うんっ!!」

「……ったく、喜びすぎだって」


 嬉しいっ! 本当に嬉しいんだよ? 先輩っ!! 先輩には分からないかもしれないけど……こんなに大切に……私の事考えてくれて……


「ど、どれくらい一緒にいられる?」

「まぁ……飯食った後、一時間くらいじゃないか?」

「……も、もっと居られない?」

「もっとって……お前どれぐらいここに居たいんだよ……」

「と………泊まる…………」

「!? ば、バカ! 明日学校だぞ? 無茶言うなっ!!」

「うぅ…………」

「お前な……だいたいが中学生の女の子が、親公認で、男子の部屋に泊まってくなんて聞いた事ねぇよ。流石にそこまでの我儘は誰も許さないって」


 そりゃそうだよね? 自分で言っといて恥ずかしくなる。親同士が知り合いならワンチャンぐらいにちょっと思っただけ。……なら後一時間……私はこの時間で必ず成果を出してみせるっ!!


「うん、わかったよぉ……ごめんね」

「ったく……ほら、兄貴達に紹介するからついてこいよ」

「う、うん」


 こういうのもある意味進展だし、悪い事ばっかじゃない。


(前向きに……前向きに……そう! ポジティブにだっ!!)


 まずは先輩の兄弟とお近づきになるんだっ! よしっ!! まずは気に入られるように、ちゃんと挨拶から! そう私は決意を新たに家の中に再び足を踏み入れた!

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