求婚の儀式

芦原瑞祥

求婚の儀式

 なりゆきで、求婚の儀式に立ち会うことになった。 


 南アジアの山岳地帯を旅していた僕は、店先に並ぶひときわ美しい水晶に一目惚れした。透き通っていて中に虹が見え、触れると不思議と心が落ち着いた。購入しようとしたところ、あとからやってきた現地の若い男性が、どうしてもそれが欲しいから自分に買わせてくれと頼み込んでくる。なんでも、想い人に求婚する際のプレゼントにしたいそうだ。人の手があまり触れていない、ヒマラヤから掘り出してきたばかりの水晶は、神様の力が宿っているお守りとしてとても価値があるらしい。

 そういうことなら、と僕は快く水晶を譲った。すると喜んだ彼は、これも何かの縁だから村に招待したいと言ってきた。気ままなバックパッカーの僕は、純朴そうな彼の厚意に甘えて村を訪れることにしたのだ。

 彼──カルナによると、 彼らの部族は年に一度、集団で求婚の儀式を行うという。といっても、各男女がお互いに好意を持っていることは前もって認識済みで、最後の確認作業と村への周知の意味で行うことがほとんどだという。

「結婚は勢いも大事だからね。求婚の時期が決まっていると踏ん切りがつくんだよ」

 カルナは儀式のために毎日体を鍛えてきたと言い、二の腕やふくらはぎの筋肉を自慢した。もしかして儀式というのは、天下一武道会みたいなやつだろうか。天下無双して初めてプロポーズが許されるって、ハードル高すぎないか? 僕の質問に、カルナは笑った。

「違う、武道じゃなくて舞踏、ダンスね」

 村に着くと、カルナの家族だけでなく、村全体が僕を歓迎してくれた。夕食は、村長の家で宴会を開いてくれるという。

「求婚の儀式って、明日なんでしょ? 気を遣わないで。そんな忙しいときに来ちゃって迷惑だったんでは」

「うちの村では、よその土地の人は幸いを運んでくる『幸運の使者』と言われている。儀式の前日に来てくれるなんて、とても幸先がいいよ。村中が喜んでる」

 村長宅には大勢の人たちが、料理やお酒を持ち寄ってくれた。豆のスープが一般的な家庭料理で、焼きそばやお好み焼きによく似た食べものも好まれている。少々薄味で物足りないけれど、一緒に配られる岩塩を舐めながら食べるとちょうどいい。海がないこの国ではミネラル不足になりやすく、岩塩は欠かせない調味料らしい。

 食事が一段落したあたりで、女性たちだけが退席していった。村の寄り合い所のようなところへ集まるのだという。

「明日は求婚の儀式だからね」

 女性の側も、うまくダンスを踊れるように練習するのだという。それと、縁談がまとまったときのための準備。なんでも、女性たちはいつか嫁ぐ日のために、子どもの頃から少しずつ、様々なものに刺繍をほどこす。そして最後に、新居で使う布団にオリジナルの刺繍をするのだという。他の刺繍は婚姻前にみんなに披露するけれど、布団の刺繍は夫以外の男性には見せないしきたりだそうだ。

「ラクシュミの布団の刺繍を見られる幸運な男は、誰かなー」

 カルナがにやにやしながら集会所の方を見て言う。ラクシュミとは、カルナが求婚予定の女性だ。宴会のときに「あの子」と教えてもらったが、エメラルドグリーンの民族衣装が似合う、清楚系の女性だった。向こうもカルナの方をちらりと見て頬を染めていたから、互いの気持ちを確認済みというのは嘘ではないのだろう。


 そうして、求婚の儀式の当日となった。

 お寺の仏塔前の広場には五色の旗が飾られ、中央を取り囲むように村の人たちが並ぶ。村全員で儀式を見届けるのだ。 

 円筒形の太鼓や、ウクレレとギターの中間のような弦楽器、縦長のラッパや口琴で、演奏が始まった。陽気な音楽に合わせて、この日のために着飾った男女が中央へと躍り出る。第一部は、今回求婚しない男女も参加してのダンスパーティーだ。ここで踊りのうまさを披露することで、来年以降の相手を見つける意味合いもあるらしい。

「一緒に踊ろうよ」

 カルナに手を引かれて、僕も中央へと引っ張り出される。ダンスは苦手だけれど、外の人間は幸運を連れてくるというのなら、僕が踊れば皆にいいことがあるかも、と昔踊った盆踊りの動きをしてみる。

 今回求婚予定なのは二組。彼らはそれぞれの想い人の側で踊っているが、他の男女は目当ての人にアピールしたり、親受けを狙ってか観客の周りを回りながら踊ったり、ライバルの男性同士でダンスバトルを繰り広げたりしていた。皆、インド映画ばりに踊りがうまくて、僕は踊るのをやめて外野で見惚れてしまった。

 曲が終わり、広場が拍手で満たされる。求婚予定の二組以外の男女が、外へとはける。いよいよ第二部の、求婚の儀式だ。

 演奏が始まる。ゆっくりとしたテンポの重厚な曲だ。まずは男性が女性の正面に立ち、ひざまずいて手を差し出す。ここで女性が手を取るか否かが第一関門らしい。どちらの女性も男性の手を取り、外野から拍手が起こる。男性が立ち上がってダンスが始まった。社交ダンスに似ていて、男性がリードして女性が美しく見えるように踊る。このとき、自分勝手に踊ったり強引なリードをしたりする男とは結婚しない方がいい、と言われているらしい。どちらの男性も、いかに相手に気持ちよく踊ってもらい、自分もその時間を楽しめるかに注力しているかがわかる。

 やがて曲が終わる。村長が出てきて仏塔に拝礼する。二組の男女もそれに倣い、仏塔に深々と頭を下げる。

「カルナ・サインジュ」

 村長がまずはカルナの名を呼ぶ。彼は返事をすると、仏塔に向かって何かを宣誓したあと、ラクシュミの前に再びひざまずいた。

「ラクシュミ。幸せも苦労も君と共にありたい。……結婚してください」

 カルナの緊張した声が、広場に響き渡る。彼は懐から美しい布製の巾着を取り出し、中の水晶をラクシュミへと捧げた。僕が譲った水晶だ。皆が息をすることすらためらうように、固唾を吞んで二人を見守る。

「喜んで」

 ラクシュミがそう言って、水晶を受け取る。その瞬間、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。僕も興奮して「おめでとう!」と声援を送った。

 二人は笑顔で村人たちに手を振ったあと、もう一組の男女に場所を譲った。

 村長が男性の名を呼ぶ。宣誓の後、彼も女性の前にひざまずいてプロポーズの言葉をのべ、懐から贈り物を取り出した。今度は見事な彫刻の腕輪だ。女性が笑顔でそれを受け取ると、再び歓声と拍手が起こり、そのあとは村中の人が入り乱れてのお祭り騒ぎとなった。


 翌日、僕はカルナとラクシュミ、そして村人たちから感謝されつつ村をあとにした。特に何もしていないのだけれど、みんなは「幸運の使者」が幸せを連れてきたから求婚が成功したと信じているらしい。

 一人でバックパックを背負って旅をするのが好きな僕も、カルナのプロポーズを見て少し心が動いてしまった。

「日本に帰ったら、……とりあえずダンスの練習でもするかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

求婚の儀式 芦原瑞祥 @zuishou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ