リサさんの寂しさ

レネ

🥀

 その頃、ふとした瞬間に、寂しさが自分を捉え、さいなむのを、どうすることもできなかった。

 友達と会っていても、音楽を聴いていても、街を歩いていても、それはそっと私のところにやってきて、じわじわと心身を侵蝕した。たまらなかった。

 リサさんと知り合ったのはそんな頃だった。

 1990年の、渋谷で行われた湾岸戦争に抗議するデモでのことだ。

 天下無双の軍事力にモノを言わせて、とうとう始めたとその時私は思った。

 デモの行進中に、彼女が同じようなことをつぶやいたのが記憶に残っている。

 やがてデモは、まるで地面に布団が敷いてあるかのようにしっかり身を横たえて、死んだふりをするダイ・インという抗議に移った。そしてそれが終わると間もなくお開きになり、私はリサさんと、ごく当たり前のように行動を共にし、その夜は一緒に居酒屋で飲んだ。それが最初の出会いだった。


 リサさんは、不思議な寂しさを身にまとった人だった。私より少し年上のお姉さんだったが、私がリサさんに惹かれたのは、その美しい顔立ちよりも、彼女から滲み出る侘しさみたいなものに、自分の心が呼応したことの方が大きいような気がする。

 私たちはそれから時々会うようになり、一緒にお酒を飲んだ。


 ある日、渋谷の小さなパブで飲んでいた時、

「わたしね、バツイチなの」

 そう教えてくれた。そして冗談まじりに、

「父親の顔も覚えてないし、恋人もいないし、寂しい女なのよ」

 と言って笑った。

 どうして夫と別れたのかとか、父親とは死別したのか、それとも親が離婚したのかとか、そうしたことまではとても聞けなかったが、彼女の身の上に、なんとなく、ああ、そうだろうな、と納得した記憶がある。


「あなた、生まれも東京?」

「うん」

「わたしね、横浜なの。あなた、自分の生まれた病院を見たことある?」

「病院? いや、そういえばないな。なんで」

「わたしね、高校生くらいの時、自分は何なんだろうってすごく思って、生まれた病院を見に行ったことがあるのよ」

「うん。で?」

「泣いたわ。号泣。自分の苦しみはここから始まったのだと思うと,涙が止まらなくってね」

 私は、リサさんは大分酔ってると思った。今までこんなに自分のことを話したことはなかった。


 その時、玉置浩二の『行かないで』がかかった。

「ねえ、踊ってくれる?」

「う、うん」

 私はリサさんの右手を自分の左手で握り、右手は彼女の腰のあたりに回してチーク・ダンスを踊った。

 リサさんは泣いていたかもしれない。

 その夜、私たちは男と女の関係になった。

 しかし、それは長くは続かなかった。

 

 私は若かった。

 彼女が生きてきた道筋も、夫と別れた理由も、その後静かな口調で淡々と話してくれたのだが、今となっては全く記憶に残っていない。

 ただ、静かに語ってくれたのだけは覚えている。それが妙に寂しげで、不思議な静謐さがあって、内容は覚えていないのに、その寂しそうな雰囲気だけははっきり覚えているのである。


 しかしその寂しそうな女性は、いつしか私から静かに離れて行った。「じゃあ、この辺で」とでも言うように。

 去って行ったその女性の、寂しさだけが、私の心に残った。それは今でも忘れられず、こうして残っている。


(おわり)

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リサさんの寂しさ レネ @asamurakamei

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