歯車とルビーたち

宇埜一星

第1話 「習性」

オフィスでは、今日も無数の歯車が音もなく回っている。

一見無機質に見えて、その歯車一つひとつは実に個性的だ。

静かに役割をこなすこともあれば、

ときにはルビーの軸受のように、そっと輝く。


――これは、歯車であり、ルビーでもある人たちの、ささやかな日常の物語。


***


 フリーアドレスデスクの職場では、本日の作業場所探しから一日が始まる。やなぎ 美久みくも例に漏れず、自身のデスクを確保しようとフロアを見渡した。

 電車の遅延でいつもより少し到着が遅れたせいか、フロアを見渡すと席が埋まり始めている。せっかく新しいネイルで指先までバッチリ決めて、家も少しだけ早めに出たのに何だか損した気分だ。

 やはり座席は端から埋まり、残るのは微妙な空席ばかり。フロアを見る限り、残念ながら一席空けて座れるような余裕のある場所はないようだ。せめて気心知れた同僚の隣に陣取れないかと視線を巡らせると、朝にしては珍しい人物がいた。

そらさん!おはようございます」

「おはよう。今日混んでるね。隣、来る?」

 同じ部署の先輩であるそら 紅一こういちは、ぶっきらぼうな口調のうえに視線はモニタのままだったが、丁寧に右隣の椅子を引いてくれた。

「いいんですか?お邪魔します」

 ありがたい言葉に甘えて空の隣を陣取ることにした。腰下ろすと、右隣の席には同じ部署の同期である宇佐見翔のものらしき鞄があった。どうやら朝から打ち合わせのようで、本人の姿はない。

 鞄からパソコンを取り出し、業務に取り掛かる。桜の季節に合わせてデザインされたピンクのフレンチネイルは、ゴールドのアクセントともにキーボードの上を軽やかに跳ね回る。やはりこの色にして正解だったと、柳は時折タイピングする指先を見ては自身の機嫌をとった。

 都内某企業本社。フロアはIT企業らしく静かなものだった。通話やちょっとした雑談の声は聞こえるものの、基本的にオフィス勤務の社会人は自分のディスプレイとにらめっこしながら黙々とキーボードを叩いている。特にエンジニアとは静かなもので、フロアに響くのはキーボードの音ばかり。100人近くもの人間が集まってこれほど静かなのは、何とも珍妙な光景な気がしてならない。それくらいには、凪のような静けさが広がっていた。


 しばらく順調に仕事を進めていた柳だったが、ふと現れた画面を見つめて手を止めた。

 ディスプレイいっぱいに表示されたのは、エラー画面だ。

 その表示にきゅっと心臓が縮こまる。

「……ん?」

 念のためページをリロードするが、変化はない。再接続を試みるも失敗。ローカル環境の問題かと思い、手元の環境をチェックするが異常なし。チャットツールの障害報告チャンネルもまだ静かだ。

 今し方までは正常に動いていた。この短時間で行った操作に原因がないかと記憶を巡らせるが、思い当たる節は全くない。

 縮まった心臓が、動悸に合わせて痛む。再度リロードを試みるが、状態は変わらない。

 ついに原因がわからず、思わず立ち上がり、辺りを見渡す。

 すると、数メートル先のデスクでも、別の部署のエンジニアがキーボード――おそらくF5キー――を連打しながら立ち上がっていた。

 そのまた向こうでも、何人かが顔を上げ、警戒するように辺りを見渡す。

 そして次々と――

『ん?』

『あれ?』

『もしかして?』

 整然としていたフロアに、突風が吹き抜けたかのようにエンジニア達は立ち上がっていく。

 数十秒後、フロアには異様な光景が広がる。

『これ、サーバー落ちた?』

『いや、ネットワーク障害かも……』

『今日セキュリティ関連の作業予定あるって告知でてたかな?』

 立ち上がった者同士が、無言のアイコンタクトを交わす。自分だけの問題ではないとわかった瞬間、わずかに緊張がほどけるが、確証が得られない状況では誰かが何かを言い出すわけでもなく、視線で会話を交わすのみだった。


***


 企画チームの会議は、予定時刻を5分超過して終わった。

「宇佐見くん、このあと今日の議事録の展開よろしくお願いします」

「はい」

 金曜朝一番の会議は、一週間の疲れた頭に鞭を打つ。宇佐見うさみ かけるは小さなため息を隠すようにノートパソコンを閉じ、立ち上がった。

(議事録送って、新しい企画を詰めて、午後くらいに進行中のプロジェクトの状況確認……)

 異動したばかりでまだ慣れない仕事について思案を巡らせながら廊下を歩く。首から下げている社員証を端末にかざして執務フロアへのドアを解錠した。しかし、その先の光景に言葉を失う。

「……え?」

 普段、座って作業することに最適化されたはずのエンジニアたちが、ほぼ全員立ち上がっていたのだ。さらに、無言で周囲を警戒するように見回している。その様子は、まるでミーアキャットの群れだ。

 あまりの異常事態に、宇佐見は本能的に危険を感じた。とりあえず情報収集をしなければとミーアキャットの群れに混ざって立ち上がっている同期の柳に駆け寄った。

 思わず声も小さくなる。

「何これ。地震でもあった?」

 柳は真顔で答えた。

「テスト環境に繋がらなくなって……」

「テスト環境に繋がらなくなって、……立ってんの?」

「……うん」

 テスト環境に接続できないことと立ち上がっていることの因果関係が全くわからない。考えれば考えるほど宇佐見の混乱は深まるばかりだった。

 今やフロアで立ち上がっていないのは総務部と、リモート会議中の社員と、空くらいだった。

 固定席の総務部の面々も、この異常事態に気づいているようで、ちらちらとこちらの様子をうかがっている。

 空はこの事態に気づいているようだったが、いつもと変わらない様子でキーボードをカタカタと鳴らしていた。

 次々と立ち上がっていたミーアキャットたちは、ほとんど全員が立ち上がったことで自分だけの問題ではないと確信すると、誰からの号令があったわけでもないのに示し合わせたかのようにぱらぱらと座り出した。座って落ち着きを取り戻したように見えても、原因が特定できていないからか、いまだに警戒するように辺りを見回している。

 ミーアキャットの一員である柳もそれに倣って座り、宇佐見も目立つまいと遅れて腰を下ろした。

「え、今度はなんで皆座ったの?」

「自分だけの問題じゃなさそうだから」

 柳は自然の摂理を説明するように平然と言い放ちながら、パソコンのロックを解除した。

「え、誰も、何も言ってないのに、立ったり座ったりしたの?」

 柳は小さく頷いた。

 フロアにはこれだけの人がいるのに、キーボードを叩く音がやけに少なく、妙な静けさだ。普段なら気にも留めないはずなのに、総務部の脇にある複合機が紙を吐き出す音が耳についた。

 その静寂を断ち切るように、空の冷静な声が響く。

「……あー、東京リージョン死んでる」

 普段は口にしない独り言を、誰にともなく、しかし周囲に聞こえる程度の声でつぶやいた。

 ミーアキャットたちは一斉にスマホやパソコンでクラウドサービスのステータスページを確認する。

「マジか、なら仕方ない」

「復旧まで待つか」

「今日仕事になるかな」

 ちょうどこのタイミングで「クラウドサービスにて障害発生」との社内システム担当からの通知が、画面の右下にポップアップ表示された。

 ついさきほどまで警戒していたミーアキャットたちは、一匹、また一匹と警戒を解き、エンジニアへと戻っていく。そしてエンジニアたちは、今出来る作業に切り替える者、良いタイミングだととりあえず休憩に向かう者と様々に動き出した。

 誰かの号令があるわけでもないのに統率の取れた行動があまりにも奇妙で、休憩へと向かうエンジニアたちを目で追ってしまう。

 はたと我に帰り、自分の仕事があることを思い出した。ノートパソコンを開き、議事録をまとめるためにツールを起動した。しかし、その瞬間、ページがロードされて出てきたのはエラー画面だった。

「あれ? 」

 隣で柳がにやりと笑った。

「仲間入りじゃん」

「えっ!?」

 気づけば、宇佐見も先ほどのミーアキャットよろしく立ち上がっていた。

 休憩に向かう他部署のエンジニアたちは、ワンテンポ遅れて辺りを見回す宇佐見をからかうようにニヤリと笑い、手を振ってフロアを後にする。

「そのツールもクラウド使ってるからね」

 柳は、それみた事かと言わんばかりの表情だ。

「……変な習性」

 空はそう呟きながら、クラウドサービスのステータスページをショートカットキーで閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る