MMOプレイヤーズ
zataz
ep1:佐藤健太(28)「新たな世界へのログイン」前編
青白いモニターの光が、暗がりの中で俺の顔を照らしていた。
「佐藤くん、今日の進捗はどうなった?」
肩越しに声をかけてきたのは、プロジェクトマネージャーの村上だ。こんな深夜まで残っていたとは驚きだが、締め切りが迫っているので仕方ない。
「あと少しで今日分のコードレビューが終わります。バグ修正はほぼ完了しました」
村上は俺の画面をちらりと見て、厳しい表情のまま頷いた。
「明日の朝イチで最終確認するから、必ず今日中に終わらせろよ。クライアントからのプレッシャーが半端ないんだ」
「はい、わかっています」
村上は足早に自分のデスクに戻っていく。
俺は深いため息をついた。
この大手企業向け基幹システムの開発プロジェクト、もう3ヶ月連続で遅延している。当初の見積もりが甘かったとはいえ、こうも状況が悪化するとは誰も予想していなかった。
時計を見ると午後11時を回っていた。今日も終電ギリギリになりそうだ。
「佐藤、お疲れ」
隣のデスクの山田が立ち上がって声をかけてきた。
今日は早めに帰れるらしい。羨ましい限りだ。
「ああ、お疲れ」
「最近さ、新しいMMORPG始めたんだけど、知ってる? プロジェクトナレッジっていうの」
MMORPGなんて、大学生以来触っていない。
今の生活で新しいゲームを始める余裕なんてない。
「ああ、広告で見たことあるかも。エルドラサとかいう世界が舞台の?」
「エルドラシア、ね。けっこう面白いぞ。暇があったらやってみない?」
山田はカバンからパンフレットを取り出して、俺のデスクに置いた。
「暇なんて、あるわけないだろ…」
低く呟いた言葉は、すでに離れていく山田の背中には届いていなかった。
「じゃあ、明日な!」
山田の姿が扉の向こうに消えると、フロアには俺ともう数人の社員だけが残された。みんな黙々と作業を続けている。魂の抜けた人形のようだ。
---
終電で帰宅した俺は、ワンルームのアパートの扉を開けた。
玄関の電気をつけると、雑然とした部屋が目に入る。
床に散らばった服、本、空の缶コーヒー。最近は片付ける気力すら湧かない。
コンビニで買った弁当を電子レンジで温め、ビールを開ける。
テレビをつけっぱなしにしながら、機械的に食事を口に運ぶ。
「明日からまた同じ日々の繰り返しか…」
冷蔵庫にビールを取りに行ったとき、バッグから落ちた山田のパンフレットが目に入った。
手に取ると、派手なイラストと「新たな冒険、新たな自分」というキャッチコピーが踊っている。
『プロジェクトナレッジ—知識の冒険者たち—』
俺は少し笑った。
「知識の冒険者」か。
プログラマーとしての知識はたくさんあるが、それが俺を冒険者にした試しはない。むしろ、この狭いアパートと会社を往復する囚人にしているだけだ。
しかし、パンフレットをめくっていくうちに、どこか懐かしさを感じた。
大学生のとき、友人たちとオンラインゲームで徹夜したことを思い出す。
あのときは楽しかった。
「少しくらい、現実から逃げてもいいよな…」
半ば自分を言い聞かせるように呟きながら、ノートPCを開いた。
公式サイトからゲームをダウンロードし、インストールが終わるまでビールを一本空けた。
アカウント登録を済ませ、ようやくログイン画面に到達する。
壮大な音楽が流れ始め、エルドラシアの空から見た風景がスクリーンに広がった。
「少しだけ、試してみるか」
キャラクター作成画面。
種族選択から始まる。
パンフレットによると、この世界には5つの主要種族がいるらしい。
「アルディアン…人間に近く、適応力と柔軟性に優れている種族か」
他にも、優雅なシルヴァリオン、知的なミレニット、敏捷なフェリシアン、力強いタイタノスがある。迷った末、無難そうなアルディアンを選んだ。
次に職業選択。
15種類もあるのか。説明を読んでいくと、「ブレードマスター」が目に留まった。
剣や斧を使う近接戦闘の達人らしい。
複雑なスキルシステムを覚えたり、魔法詠唱のタイミングを計るより、シンプルに前に出て戦う方が俺には合っていそうだ。
「名前は…」
しばらく考えて、「カイト」と入力した。
大学生の頃に好きだったファンタジー小説の主人公の名前だ。
懐かしい気持ちと同時に、自分らしくない選択に少し照れくさい気分になる。
「さあ、ようこそエルドラシアへ…」
画面に表示されたメッセージに合わせて、俺は初めてのログインを果たした。
---
「こちらがセントラルガードの郊外、冒険者たちの初めての訓練場です」
NPCの女性ガイドが、優しく微笑みながら案内してくれる。
周囲には他のプレイヤーらしき初心者が何人も見える。
中には明らかに操作に手間取っている人もいる。
ゲームの基本操作は思ったより簡単だった。
WASD キーでの移動、マウスでの視点変更、数字キーでのスキル発動など、標準的なものだ。
チュートリアルに従ってまずは簡単なモンスター、「フォレストラビット」を倒していく。
最初は操作に慣れず、相手の動きを読み損ねて何度かダメージを受けたが、すぐにコツを掴んだ。
剣を振り下ろすたびに派手なエフェクトが画面に広がり、少しずつ爽快感が増していく。
「なかなかいい感じだ」
一匹、また一匹と倒していくうちに、仕事のストレスが薄れていくのを感じた。
このゲームはグラフィックにも凝っていて、風に揺れる草や木々、遠くに見える山々まで細部が作り込まれている。
チュートリアルを終え、最初の街へ向かうための道を進んでいく。
「カイト」の装備はまだ初心者用の粗末な革の鎧と短剣だけだが、これから良い装備を集めていけばいい。
ふと時計を見ると、すでに午前2時を回っていた。
明日、いや今日は出勤日だ。あと数時間で起きなければならない。
「もう少しだけ…」
最初の街「セントラルガード」が見えてきたところで、突然システムメッセージが流れた。
『注意:この地域に危険度の高いモンスターが出現しています』
次の瞬間、周囲の草むらから何匹もの「ダークウルフ」が飛び出してきた。
レベル5の俺には明らかに手に負えない相手だ。
「なんだこれは!」
慌てて逃げようとするが、ウルフの方が圧倒的に早い。
あっという間に囲まれ、攻撃を喰らい始める。HPゲージが急速に減っていく。
「くそっ、初見殺しか?」
死にそうになっているところで、突然鮮やかな青い光が走った。
氷の魔法がウルフたちを凍らせ、次の瞬間、甲冑を身にまとった女性キャラクターが飛び込んできた。
彼女は剣で凍ったウルフたちを次々と倒していく。
魔法と剣術を組み合わせた華麗な戦闘スタイルに、思わず見とれてしまった。
「大丈夫?」
ウルフをすべて倒した彼女が、俺に声をかけてきた。
つまり、テキストチャットではなく、ボイスチャットを使っているらしい。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
俺も慌ててヘッドセットを装着し、応答する。
「初心者エリアにこんな強いモンスターが出るなんておかしいわよね。システムバグか、それとも…」
彼女はプレイヤー名を確認して、「カイト、初心者ね」と言った。
彼女の名前を見ると「セイラ」とある。
アバターは銀髪の長身で、種族はシルヴァリオンのようだ。
職業表示は「マジックナイト」—魔法と剣術を組み合わせる上級職らしい。
「初心者狩りが多いから気をつけて。意図的に低レベルエリアに強いモンスターを呼び寄せる上級者がいるの」
「そんなことができるんですか?」
「特定のアイテムを使えばね。ゲーム会社も対策してるけど、いたちごっこなのよ」
セイラは笑いながら薬草のアイテムをくれた。
「ありがとうございます」
「初心者はギルドに入った方がいいわよ。一人だとこういう嫌がらせの標的になりやすいし、何より寂しいでしょ?」
確かに一理ある。
これまでMMOをソロプレイしかしたことがない俺だが、せっかくならギルドというものも体験してみたい。
「ギルドってどうやって入るんですか?」
「うちのギルドに入る? 小さいけど、いい人しかいないわよ」
予想外の展開に驚いた。
たった今出会ったばかりなのに、もうギルドに誘ってくれるとは。
「いいんですか?」
「ええ、もちろん。『フリーバード』っていうギルドなの。自由に飛び回る鳥たちって意味よ」
セイラはチャットで招待を送ってきた。
少し迷ったが、承諾ボタンを押す。
『ギルド「フリーバード」に加入しました』
「ようこそ、カイト。これからよろしくね」
セイラは楽しげに笑った。
なぜだか、この声は信頼できる気がした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
現実では決して見せない素直な姿で、俺は返事をした。
---
「佐藤くん、聞いてる?」
村上の声で、俺は我に返った。
会議室のテーブルを囲んだ開発チームのメンバーが、全員俺を見ている。
「すみません、ちょっと…」
「徹夜続きで大変だろうけど、ここは重要な場面だぞ。もう一度言うぞ、スケジュールをさらに圧縮してくれと、クライアントから要請があった」
一瞬、顔から血の気が引いた。
これ以上の圧縮は物理的に不可能だ。
「それは…対応できるんでしょうか」
「できるかできないかじゃない、やるしかないんだ」
村上の言葉は絶対だった。
残りのミーティングでは開発タスクの再分担と優先順位づけに時間が費やされ、結局俺の担当部分はさらに増えることになった。
会議室を出ると、昨夜も残業していたチームメンバーがぼやいている。
「マジ無理ゲーだよ…」
「このままだと過労死するぞ」
「転職活動始めようかな」
俺も同じ気持ちだ。
しかし、この業界から出たところで、他に何ができるというのか。
学生時代に憧れていたエンジニア像とは、どこかでかけ離れてしまっていた。
デスクに戻り、コードを見つめながら、昨夜のゲームのことを思い出す。
セイラの言葉、自由に飛び回る鳥たち…。
現実では、俺はまるで檻の中の鳥だ。
---
今日も深夜残業を終え、疲れ切って帰宅した。
即席麺をすすりながら、迷わずPCの電源を入れる。
『プロジェクトナレッジ』のログイン画面が、まるで俺を待っていたかのように現れた。
「昨日の続きをやるか」
ログインすると、ギルドのウェルカムメッセージが表示された。
『フリーバードへようこそ! 困ったことがあればいつでも声をかけてね!』
メッセージをスクロールすると、何人かのギルドメンバーが歓迎の言葉を残してくれていた。
こんな温かい雰囲気、久しぶりだな…。
ギルドチャットを開いてみると、何人かがオンラインで話をしていた。
「あ、新入りのカイトさん、こんばんは!」
「初めまして、ルークです。よろしく!」
「カイト君、今晩はパーティ組んでレベル上げしない?」
見知らぬ人たちからの親しげな挨拶に、最初は戸惑った。
しかし、すぐに打ち解けて会話に加わる。この気軽さは、現実ではとても考えられない。
しばらくして、セイラがログインした。
「みんな、カイトにはもう挨拶した? 昨日ウルフの群れから救った子よ」
「おお、セイラの騎士道精神の犠牲者か!」
「彼女に救われた人、これで10人目だってよ」
冗談交じりの会話が続き、俺は思わず笑みを浮かべた。
「カイト、今日はパーティ組まない? いいレベリングスポット知ってるわよ」
セイラの誘いに乗って、他のギルドメンバー2人と共に4人パーティを組んだ。
全員がボイスチャットに参加し、和気あいあいとしたムードの中でモンスター退治が始まった。
セイラは剣と魔法を自在に操り、パーティの要として戦闘をリードしていく。
何度か俺がピンチになると、的確なヒールや援護を入れてくれる。
彼女のプレイスキルは明らかに抜きん出ていた。
「セイラさんはゲーム上手いですね」
「まあね。このゲーム、クローズドβテストからやってるから」
「そうなんですか。じゃあかなりのベテランですね」
「ゲームは好きなの。現実では得られない体験ができるから」
その言葉に、何か共感するものを感じた。
俺もまた、現実から逃れるためにここにいるのだから。
数時間のプレイで、俺のレベルは8から12まで上がった。
セイラたちのおかげで、通常の倍以上の速さでレベルアップできている。
「もうこんな時間…」
気づけば午前3時を回っていた。
明日も仕事だ。泣く泣くログアウトの準備をする。
「今日はありがとうございました。またよろしくお願いします」
「またね、カイト!」
「また一緒に遊ぼう!」
みんなの声に送られて、俺はログアウトした。
疲労で重い体を横たえながら、俺は考えた。
たった2日でこんなに楽しめるなんて。
現実の生活では考えられない。セイラをはじめとするギルドメンバーたちと過ごした時間は、まるで別世界の記憶のようだ。
眠りに落ちる直前、一瞬だけ不安がよぎった。
このままゲームにのめり込んでいって大丈夫だろうか?
だが、その考えはすぐに消え去った。今の俺には、この逃避先が必要なのだ。
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