戦場の舞姫 滅亡の歌姫
兎霜ふう
第1話
──天下無双、と。
そう言われた時代もあった。ここに寝転ぶ女には。
華麗なダンスでもするかのように戦場を舞い、敵を斬り伏せる。その姿から舞姫と渾名されたこともあった。
けれど、どちらも人々の記憶薄れて久しい時代のことだ。
夢を見た。いくさの夢だった。戦場を駆ける夢だった。ガヤンは人々が入り乱れる中を、自らの脚を頼りに走り回った。敵を探し、探しては斬り伏せ、血を避けてまた敵を探す。
脚の筋肉が盛り上がり、収縮を繰り返す。そのたびごとに一歩、また一歩と飛ぶように走る。駆ける。敵の攻撃を受ける。受け止めた手に衝撃が走る。びりびりと痺れ、その痺れが全身を駆け巡る。
血湧き肉躍るとはまさにこのこと。
ガヤンの腕はここにいる人間たちの数倍確かで、剣を振るう才は本物だった。
だが──。
「……っ、くそったれ」
ガヤンは眼を開けた。上がった瞼の下、網膜に映るのは崩れかけた天井だ。外からはどごぉんと地響きが鳴り、それに合わせて天井が震え、パラパラと石の欠片が落ちてくる。
ガヤンは起き上がった。右膝を立て、そこに右腕を乗せる。右手で頭を支えた。眼の奥が痛むような気がした。もはや見えなくなった左の眼の奥が。ちらりと左に視線をやる。光の差さない廃屋の、廃れた布団の上に、似つかわしくない煌めきがあるのが見えた。
鉱物、だった。
白い雲母の母岩。その中に点々と飛び散る血飛沫の如き辰砂の結晶。それらはみな、ガヤンの腕、脚から突き出している。ごつごつとした岩肌の岩石が、ガヤンの体から生えているのだ。
それだけでない。ガヤンの左半身もまた、石となりつつあった。痛みはないが、感覚もまた同時にない。筋肉が強張った時のように手足が動かない。今日は一段と強張りが酷い気がした。
「なんで、夢なんか……」
まだ柔らかな右の手のひらに顔を擦り付ける。戦場を駆け回っていた時代。あれがガヤンにとってもっとも輝かしかった時代だ。この忌々しい手足の石さえなければ、ガヤンはあそこにいたはずなのに。女将軍として立っていたはずなのに。
「んなこと考えても意味はねえ」
ガヤンは唇を噛み締めて、自分に言い聞かせるように言う。体が鉱石化していく病原菌。それに侵されたガヤンはもはや、戦士ではない。荒れ果てた戦場の片隅で死んでいくだけの雑兵以下の存在に過ぎない。
このまま鉱石化が進み、息が止まるのは明日か明後日か、はたまたその先か。鉱石化の進行は日によってまちまちで、医者もなんとも言えないとのことだった。
ぎり、と唇の端を噛み締める。
「ガヤン!」
いきなりドアが空き、子どもが転がり込んできた。
「ヨース、どうした」
ガヤンはぱっと表情を変える。子どもにみっともない姿を見せられない。ただでさえ動けないところを看病してもらっているヨース相手には尚のこと。
「さっきの地響き」
「ああ、あったな。またどっか崩れたのか」
「うん。東の大聖堂がね。それでね、ガヤン」
ガヤンはヨースの手の中に、何かがあることを認めた。
「これが落ちてたの」
ヨースはそっと手を開ける。
卵だった。まるで鉱石のようなきらきらとした透明の輝き。その中に、胎児のように何かの幼体が丸まっているのが透けて見える。人間にも似ているが、腕や脚と思しき場所からは草の芽が生えているようだ。
「ガヤン、これなんだと思う?」
ヨースに手渡され、得体の知れないものを胸に抱いた。
とくん、と鼓動がした。幼体が眼を開いた。白眼がほとんど見えないほど、真円の眼。真っ赤なその瞳。ガヤンの体に巣食う辰砂のような。
卵が光り始めた。眼を開けていられないほどの強い光が卵から差す。ぱきぱきと割れる音が響いて、やがて止まると同時に光が収まった。
ガヤンの腕の中には変わらず、ずっしりとした重みがあった。一つ違うのは手が濡れていたことだ。
「なんだよ、これ……」
ガヤンは眼を見開いた。腕の中には赤子がいた。
ガヤンの腕を浸しているのは、卵の中から溢れてきた水だった。赤子を今しがた抱いていた羊水、それが溢れている。
赤子がけぷりと水を吐き出した。それから、火のついたように泣き始める。あまりの声量にガヤンもヨースも顔を顰めた。両手の自由のきくヨースは耳を塞いだほどだった。
ぴたりと赤子が泣くのをやめた。
「っ!」
「ガヤン?」
「静かに」
ガヤンは耳をそば立てる。外に大きな気配がある。いかにも剣呑な気配、それが三つ。ガヤンは咄嗟に、そばに置いてあった剣を手に取った。振るえなくなってからも手入れを欠かしていない。片手で苦労しながらも鞘から引き抜き、構える。
「ヨース、後ろにこい」
「う、うん」
「こいつを頼む」
ヨースを背に庇い、待つ。開けっぱなしになっていたドアの向こうからぐるぐると唸り声が聞こえてきた。
入ってきたものの姿を見てガヤンは驚く。
「砂漠狼?!」
この辺りからは去っていったはずの凶暴な狼だ。それが三頭。ガヤンの背中を汗が伝う。砂漠狼は厄介だ。片手しかまともに動かせない状態で相手できるかどうか。
じりじりと砂漠狼が間合いを詰めてくる。ガヤンは眼を逸らすことなく砂漠狼を睨みつけ、攻撃の隙を与えない。
おぎゃあ、と赤子が泣いた。それがきっかけになった。砂漠狼の一頭が飛び上がり、ガヤンの頭を狙った。すかさず剣を持ち上げ、牙を防ぐ。手の中にがつんと衝撃が加わった。
(っ、いいなァ、やっぱこれ……っ!)
心の奥底から湧き上がる戦意を叩きつけるように、ガヤンは剣を振り下ろした。
おそいくる砂漠狼、一歩も引かぬガヤン。
砂漠狼が飛び掛かる、剣で受ける、肘を張る、衝撃を逃す、剣を牙に滑らせる、口の端を切先で切り付ける、飛び退く砂漠狼、間髪入れず突きを繰り出すガヤン、前足を貫く、ぎゃんという悲鳴、血飛沫が舞う、赤黒い血、鉄臭い匂い、二頭目が飛び掛かる、前足を振り払う、三頭目に斬りつける、飛ぶ血、飛ぶ、飛ぶ、舞い滴る赤。
一頭の死体だけを残して砂漠狼は逃げ去った。
(耐えたな)
肩で息をするガヤンのそば、ヨースに抱かれた赤子がいつの間にか泣き止んでいた。
「ああ、あう」
喃語を喋り、必死に手を伸ばしている。赤子の手がガヤンの左半身に触れた。
ぱしゃっと光が瞬いた。ガヤンの左半身をその光は覆っていく。ガヤンが何も言えないでいるうちに光は収まった。
「な……!」
ガヤンは言葉を失った。動かなくなっていた左半身から鉱物が消え去っていた。
「なんで、急に」
「あう」
「お前が……やったのか」
「あー」
赤子がにっこりと笑う。その頬から花びらがぺらりと剥がれ、こぼれ落ちる。
「ガヤン、大丈夫……?」
ヨースが恐る恐る尋ねてくる。
「あ、ああ、痛みはねえが」
信じられない思いで赤子を見つめる。真っ赤な瞳がガヤンを見ていた。
これはのちに戦場の舞姫と語られるガヤンと、滅亡の歌姫と呼ばれる赤子──キエラの出会いである。
戦場の舞姫 滅亡の歌姫 兎霜ふう @toshimo_fu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます