第23話『確認期間』

「では……モニカ・ラザルスについての悪い噂は、あくまで噂であると?」


 扉は開かれていても、顔が陰になったまま見えないオブライエン一家の一人は、慎重に聞き返した。


 ……いえ。


 モニカの悪行については、噂ではなくその通りなのだけれど、中身が変わってしまっているから、私ではないとも言えるし。


 ……複雑だわ。ここで彼らを真実を話すことは、絶対に出来ないもの。


「ああ。その通りだ。王城での噂を知るならば、これも知っているだろう。俺たち二人は熱烈に愛し合っている婚約者同士なんだ。何故、彼女にナイフを向けた? その回答次第では、俺にも考えがある」


 ウィリアムは真剣な表情でそう言ったので、私は緊迫した場面にも関わらず、彼の凜とした格好良さに見惚れてしまっていた。


 そうだった……ウィリアムは、最初からなんでも生まれ持ったチート級ヒーロー。


 さっき私を庇う時の動きだって、まるで訓練された戦闘員のように、しなやかで素早かった。


 これは、ウィリアムの存在自体が、そもそも格好良いもの。こうした場面で彼に見惚れてしまうのも、無理はないと思うわ。


「……それは知らない。しかし、確かに先ほど聞いた情報は、俺たちは知らなかった。真偽を調べさせてもらう。一週間後に、また来い」


 彼はそう言い放ち、両開きの扉はまた、隙間なくきっちりと閉められた。


 オブライエン一家がそう判断したのならば、私たちはここで用はない。


 怪我をしているウィリアムの腕に素早くハンカチを巻くと、私は彼に頷き腕を取って歩き出した。


――――私たち一行は無言のままで、地下街へ出入り口へと向かった。


 そして、夕暮れの赤い光が広がる空を見て、ほっと息をついた。


 ああ。良かった。


 思わぬ展開ではあったけれど、一週間後に再び訪問すれば、オブライエン一家の助力は得られるかもしれない。


「……とりあえず、会ってもらえることになったな。話も聞いてくれるだろう」


 私と同じことを考えていただろうウィリアムもなんだか、にっこり笑って満足そうにしている。


「あの、ウィリアム様。怪我は大丈夫ですか?」


 王太子の彼が怪我をするなど、本来絶対にあってはならないことなのだけれど、既にそうなってしまったのなら仕方ない。


 今まで無反応に近かったから、脅しでナイフを投げられるなどと、想定出来なかった私の考えが甘かったのだかわ。


「ああ。気にするな。かすり傷だ。もっとも、これは脅しのつもりだったんだろう。この時間が過ぎても何もなければ、薬や毒なども塗られていない」


 ウィリアムはとりあえずで結んだ私のハンカチに滲む血を見て、そう言った。


 そして、私はさっき起こった事の重大さに、不覚にもこの時に自覚したのだ。


 ……王太子ウィリアムに、もしもの事があれば、ここに居る全員処刑。ラザルス伯爵家は断絶ね。


 そうならなくて、神に感謝だわ。


「ありがとうございます。ですが……こんなこと、もう二度と、しないでくださいね」


「……どうしてだ。自分の婚約者を、守らない男など居ない」


 ウィリアムは当然のことをしただけだろうと、不思議そうに私に言った。


 それはそうかもしれないけれど、一貴族令嬢の命と王太子の命ならば、どちらを優先すべきか、冷静に見極めればすぐにわかることだ。


 いくら虐げられていようが王太子ウィリアムの背中には、あまりにも多くのものが背負われているのだから。


「ですが、ウィリアム様は王太子なのです。代わりの利かない存在なのですよ」


「いや……それは、そうでもないだろう」


 彼の次に継承権の高い弟のジョセフ王子のことを考えたのか、ウィリアムは苦笑していた。


 そして、私も何も言えなくなった。


 ……ウィリアムは自分が役立たずの王太子とされて、ジョセフ王子が王位につくように、周囲が動いていたことを知っている。


 そんな彼にこれを言わせてしまうなんて愚かなことをしてしまったと、そう思ったからだ。


「……私にも、貴方の代わりは利きません。お願いですから、怪我だけはしないでください」


 ウィリアムを幸せにするために、私はこうして必死に頑張っているのに、本人が不幸に向かわないで欲しい。


「ああ。わかった」


 私の言葉にウィリアムは苦笑いして頷き、急ぎ城へと戻ることにした。



◇◆◇



「……おい。大丈夫か?」


「はい? なんでしょう? なにかありました?」


 私たちはウィリアムの離宮へと戻り、城外に出るからと変装を解いて、王太子と貴族令嬢に戻っていた。


 ようやく寛げる……そんな時に、ウィリアムが私に大丈夫かと聞いてきたのだ。


「いや、モニカ。さっき姉上から叱られていただろう。俺の怪我のことで」


 離宮に囚われている王太子ウィリアムの怪我を、誰の目からも完璧に隠すことは出来ない。


 そして、ようやく外へ出ることを許されたウィリアムの監督責任はエレイン様にあり、私は婚約者としてそんな彼の動きを監視する役割を担っている。


 帰城した私たちはエレイン様に遠出した時にウィリアムは、私を庇って傷を負ってしまったと報告していたのだ。


「あら……ウィリアム様。確かにエレイン様より叱責を受けましたが、あれは落ち込むようなものではありません」


「は? どういうことだ?」


 ウィリアムはエレインから厳しい叱責を受けた私が、平然としているのが不可解らしい。


「あれは、双方の立場上、必要なやりとりだったのです。エレイン様とて私を庇いウィリアム様が怪我をしたことは把握してらっしゃいます。心から私が悪いと、思っている訳ではありません。ですが、あの方の立場上、王太子たる弟王子の身体に傷を付けてしまい、私を叱らない訳にはいかずに……あの方は、ああいったお叱りを」


「まあ……そうだろうが、俺ならばあのように姉上に叱られれば、落ち込んでしまうだろう。そう思ったからな」


 ひと目も他にあったので、私へのエレインの口調は厳しいものがあった。それをただ見ていたウィリアムは、私が落ち込んでしまうと確信を持って思ってしまうほどに。


「そうですね。ウィリアム様とエレイン様は血縁ですので、それは仕方ないことかと……私は王の臣下の娘で、エレイン様の取り巻きの令嬢です……これまでに、ウィリアム様には何度も何度も伝えていますので……重々、ご存じだとは思いますけれど」


 モニカ・ラザルスがエレインの取り巻きの一人ということは、誰もが認めることだろう。


 エレインは弟の様子を探るために傍に置いていたのだけど、彼女の真意を知る者は居ない。


「お前は本当に、おかしな奴だな……まるで、自らの過去を他人事のように言う」


 ……ええ。あの頃のモニカ・ラザルスは、私ではない私ですもの。


 なんて事を、ウィリアムに言う必要もないのだけれど……。


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