第8話『心疾患』

「ええ。そうなのですわ。先んじてお伝えしていた通り、エレイン様は不遇にある弟ウィリアム様を、どうにかして助けだそうと尽力なさっています。それを知り彼女を煙たがったダスレイン大臣に殺されてしまうのですわ」


「それで、俺は何をすれば良いんだ。ここに幽閉されていたとて、何も出来ない訳ではない。姉上を暗殺から救うのならば、今から何かをして早過ぎるということはあるまい」


 不機嫌そうに腕組みをしているウィリアムは、眉を寄せて言ったので、私もその通りだと大きく頷いた。


 エレインの暗殺防止については、まだまだ先の出来事こととは言え、絶対に失敗出来ない事が事なだけに先んじていくつかの対策を講じておく必要がある。


 私の方でも、それは考えていた。


「……はい。エレイン様の暗殺防止については、もちろん私も、最優先すべき事項であると捉えています。ですが……現在の私の直近目標としては、ウィリアム様の立太子の儀式を成功させることなのです」


「俺の立太子の儀式……ああ。そういえば、以前に、父上から手紙を貰っていたな……」


 私の言葉を聞いて驚いて目を見開いたウィリアムは、父王からの手紙の内容を思い出すように腕組みをして宙に視線を向けた。


 立太子の儀式までひと月しかないというのに、ウィリアムはまるで危機感を持っていない。彼にはこれから起こる悲劇をほとんど知らないのだから、それも無理はないのだけど……。


 ウィリアムは現王陛下の長子で、生まれながらの王太子。


 王太子は王位継承の確定を意味する成人年齢になると『立太子の儀式』という式典に参加し、多くの臣下たちの前で、国家安寧のために賢政を敷くという誓いを立てるのだ。


 小説の中では、ウィリアムは式典用の儀礼服を引き裂かれていて、今ここに居るような服装で出て行くしかなかった。


 そんな彼を見て、国王はじめ王族ならび臣下たちも、王太子ウィリアムが王家や王国そのものを軽んじていると思い込み人前で罵倒する。


 言い訳することも出来ずに離宮に戻ることしか出来なかったウィリアムの孤独感は、より加速することになってしまう。


 もちろん。それはダスレイン大臣の企みで、彼は完全に人間不信に陥ったウィリアムにすり寄るためだったのだ。


 ……ええ。そのようなことには、私がさせません。


「立太子の儀式については、私が既に動いておりますので、何も心配なさらずに……」


 私は彼を安心させるように右手で胸を叩き、不思議そうに首を傾げていたウィリアムに大きく頷いた。


 立太子の儀式を成功してしまえば、ダスレイン大臣はウィリアムにつけ込む隙を失ってしまう。彼に画策されていろいろと誤解のある王族同士にも、まだ、改善の余地が残されることとなる。


「……まあ。お前がそう言うのならば、間違いあるまい」


「お任せ下さいませ」


 ウィリアムは元々自分のことを罵倒し続けた過去を持つモニカだとしても、自分の目で間違いないだろうと確認出来れば特にこだわることもなく許し、信じると任せてくれる。


 ……これこそが、国を治める王としての器。


 ほんの少しの失敗を延々と長期間引っ張る良くない中間管理職に、爪の垢でも飲ませてやりたいところだわ。


「そして、あのメイドはどうするんだ。君のすることには間違いないとは思うが、放って置けば何か仕出かしそうだ」


 流石はウィリアム……キャンディスさんはすぐに追い出して、あまり話も出来ていないはずなのに、彼女の人となりをわかってるわね。


 本人には悪気がないだけ、より多くの警戒を必要とする人なのだ。


 ええ。その通り。


 竹本さんについては、放って置くと嫌な予感しかしないので、私もこの後に良く言い聞かせるつもりではあった。


「たけも……キャンディスさんにも、暗殺防止については参加して貰います……友人ですし私の事情を、知っている方なので」


 厳密に言えば彼女は友人ではなく職場を同じくするただの同僚なのだけど、ここでウィリアムにそこまで説明する必要もないだろうと思った。


「……君の友人ということであれば、言いにくいが、その……大丈夫なのか」


「ウィリアム様。大丈夫ですわ。彼女のことは私も理解しております。ですが、とにかく、ウィリアムの立太子の儀式が迫っています。それが終わってから、キャンディスさんに詳しく説明することにしましょう」


「ああ……」


 キャンディスについては放って置くと何を仕出かすかわからないという意見は二人とも一致しているものの、立太子の儀式を最優先に片付けよう私の言葉に、ウィリアムはため息をついて頷いた。


「……しかし、モニカ。君はまるで……そんな未来の光景を見て来たかのようにして、語るんだな」


 私をまっすぐに見つめる、ウィリアムの黒い瞳。まるで、私の心の中にある何もかもを、見透かしているかのようだ。


 そして、ウィリアムに私が転生している話をするとなると、何をどう伝えれば良いかわからなかった。


 そもそも彼に伝えるつもりなんてなかったから、事前に練っていたウィリアム用伝達プランを、ここでは用意出来ていなかったとも言える。


 行き当たりばったりにすべてをここで伝えてしまえば、この後で何か支障が出てしまうかもしれない。


 小説内にある悲劇フラグを、先んじて折ってしまうことが私が最優先にすること……これは、絶対に失敗出来ないのだから。


「いずれ……何もかも、お話し出来ると思います」


「……お前を信じる」


 何もかもをここでつまびらかにすることは出来ず、曖昧なことしか口に出来ない私に、ウィリアムは信じるときっぱりと言い切った。


 いわば、いきなりくるりと手のひらを返した婚約者モニカを、純粋に信じてくれていた。


 信頼に応えて……私はウィリアムを、必ず幸せにする。


 彼には味方が今は私だけしか居ないけれど、これからは違う。


 孤独で悲しみの中に堕ちるなんて、絶対にさせない。幽閉の身から解放されて自立することさえ出来れば、ウィリアムはどんな道でも……どんな相手でも、結婚相手に選ぶことが出来るのだから。


 あら……? なんだか、たまに胸が痛くなるわね……?


 小説の中では語られなかった設定だけれど、もしかしたら悪役令嬢モニカは、心疾患を患っていたのかもしれない。

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