第4話 ドラゴンがやって来た—4
「……ぅん…」
目を覚ますと、いつかと同じ感覚に包まれていることに気づいた。やわっこくて、触るとぶよぶよしている。居心地が妙に良い。以前目覚めた時も、同じことを思った気がする。
「ああ、やっと起きたね」
自分を包むものの向こう側から、男の声がした。腹立たしくも拒めない、イヤな声。
体を起こして、声の主を確かめる。
「君、三日も眠っていたよ。泣き疲れたのか魔力切れか、いずれにせよ困ったやつだ」
白いローブを着た、痩せ型の男だった。片手に本を持っている。さっきまで読んでいたのだろうか。
(こいつはたしか……生意気なニンゲン)
それが、少女のノアに対する認識だった。
「起きたならもう必要ないね」
そう言うとノアは魔力の膜に触れた。同時に膜が弾け、この前同様虹色の粉末になって周囲を漂った。
「調子はどう? 具合の悪いところはない?」
事務的に尋ねるノア。少女は俯いたまま答えた。
「こまった」
その一言だけだった。
「はらがへった。あのデブはどこいった?」
「村長は普段ここにいない。意外と忙しいんだ、あの人は」
ここ数日は特に忙しい。この前の豪雨で、案の定近くの川が氾濫していたし、森も広い範囲が焼けてしまった。今日も村長は、村の被害を把握するために、あちこちを奔走することになるだろう。
ノアだってそうだ。この子の介抱と家の立て直しで三日が潰れてしまった。それをわざわざ伝えることはしないけれど。
「ざんねんだ」
顔だけ残念がる少女。
「はぐらかしても意味はないよ。君が困っているのは、ドラゴンに戻れない件だろう?」
「むぅぅぅ………そだ」
渋々認めた。喧嘩をするつもりはないらしく、この前と比べて会話の余地があるように見える。
「なんでもどれないんだぁぁ……」
「僕に言っても仕方がないだろう。あれだけ自然を荒らしておいて、まさか戻れないと来るとはね。流石に予想外だった」
「またバカにするか?」
「戻れないこと自体をいじる気はないさ。僕も鬼じゃない。でも」
ノアはいやらしく笑った。
「あの泣き方はどうかと思うよ?」
「———ッ!!?!?」
少女は頬を真っ赤にして悶え始めた。机の上をゴロゴロしている。
「あれを恥ずかしがる心はあるんだね」
「ううぅうぅ………ワスれろ!」
「善処しよう」
ノアは食器を取り出し、たった今できあがった料理をよそった。今朝採りたての野菜を炒めたものと、肉をただ焼いただけの二品だ。
「よーし、できた」
ノアはそれらを机の上に運んだ。それも、少女の目の前に。
「……これはなんだ」
察しが悪いわけではない。なんとなく察しつつも、少女はノアに尋ねるのだ。勘違いだったら恥ずかしいから。
「食べていいよ。腹が減ってるんだろう?」
さっきのはぐらかしを真に受けた。自分が食べようとしていたものを、少女に譲ったのだ。
「………」
少女は無言で、手づかみで食べ始めた。
「……ぅう、うう“」
「え、ええ?」
何故か泣き始めた。三日前散々泣いたというのに、まだ泣き足りなかったのだろうか。
「仕方ないなぁ」
ノアは少女の頭を撫でた。少女が手をパチンと叩いて退けたものだから、手首がしばらくヒリヒリした。
※
「さて……と」
皿洗いを終えたノアは、少女の正面に座った。
「話をしようか」
尊敬の念こそないが、この前のような敵意もなかった。
「なんのはなしだ」
「色々あるだろう。まず、君はどうしてあんなところで倒れていたのか。知らないと言っていたけど、本当に覚えてないのかい?」
「おぼえてない」
「理由も? 記憶喪失って訳じゃないんだろ?」
「ぜんぶワスれたわけじゃない。でも……覚えてない」
「そうか。ふむ…」
どうやら、森で倒れていた経緯だけ綺麗さっぱり覚えていないようだ。かなり衰弱していたから、その後遺症かもしれない。
「よし、話題を変えよう。今後はどうする。ドラゴンに戻れないなら、飛べないんだから故郷にも帰れないだろう? アテはあるのか?」
思いの外容赦なかった。言葉の端から端まで少女に刺さった。また瞳が潤んできた気がするが、それでも。
「いいや、もどる。ぜったいもどる」
ドラゴンともあろうものが、永遠に泣き言を言うわけにはいかなかった。
「どうやって」
「ひとりじゃむりだ」
「なら、どうする」
少女は息を吸った。
「てつだえ」
偉そうな一言だった。ドラゴンだからだろうか、敬意の払い方をまるで知らないように見える。
「嫌だ」
即答だった。
相変わらず器の小さい男だ。命を助けてやったにも関わらず指を噛み切られ、家もまっさらにされたことを根に持っている……別に小さくないかもしれない。
「なぜ?」
「なぜって、逆にどうして手伝って貰えると思った?」
「オマエいった。ドラゴンのすがたもどるのてつだう、オマエがいった」
「それは……」
『ドラゴンの姿に戻れるよう、僕も協力するから』……泣き喚いている少女にノアがかけた言葉である。
「聞いてたのか……」
頭を抱える。その場の勢いで、変なことを口にしてしまった。
「それともウソか? ニンゲンはウソ、よくつくな。だからキライだ」
「僕はつかないさ」
「ならてつだうな?」
「分かった手伝おう」
ドラゴンに嫌われるのはなんだか屈辱的だから避けたい。それに、本当に必要な時以外嘘はつかないと決めているから、その言葉を嘘にしないためには、もう手伝うしかない。
「よし、キマリ———」
「ただし!」
少女が話に区切りをつける前に、無理やり割り込んだ。
「……ただし、なんだ?」
「対価は払ってもらう」
ノアはやられたらやり返すタイプだった。
「んな!? きいてない!」
「言ってない。でも、そもそもタダで手伝うとも言ってないよ。君の早とちりだ」
「むうぅぅぅぅぅ……!」
少女は頬を大きく膨らませて怒りを伝えてくる。残念ながら、ノアにそんな幼稚な手口は通用しない。
「僕の要求を飲めないなら、この話はなしだ」
「………」
少女はしばらく自分なりの怒りの顔で粘っていたが、全く通用しないことを悟ると、観念したようで、
「…………わかった、のむ」
内容を聞く前に、要求を飲むことを受け入れた。
(そんなにドラゴンの姿に戻りたいのか……)
逆に驚いた。単に少女の言動が、ドラゴンのイメージとかけ離れている。というか今更だが、ドラゴンに戻れないドラゴンなんて聞いたことがない。本でも見かけたことがない。
(色々未知の領域だなぁ……)
正直戻せるか分からないが、ドラゴンと関われる機会などそうそうないので、頑張ることにする。
「さて、じゃあ僕の要求なんだけど」
「エッチなことするか?」
「僕にそういう趣味はないと言ったはずだよ」
「おぼえてない」
「今覚えなさい」
気を取り直して。
「人間の文化を学んでもらう」
ノアの要求だ。
「は? やだ」
なんで我がそんなことしなきゃいけないんだ、いやするわけないだろとでも言いたげな表情だった。
「じゃあこの話はなしで」
ノアは椅子から立ち上がり、家から出て行こうとした。
「あーーーうそうそうそ! やるやるやる!」
少女はノアのローブにしがみつき、引きずられながら前言撤回。本当にガキみたいだった。
「ドラゴンも嘘つくんだねぇ?」
下衆な男だ。ドラゴンの少女が関わると、どうにも大人気ない一面が隠せないらしい。
「………やだけど、やる」
「アハハ、あくまで嘘はつかない…ね」
二人は椅子に座り直して、改めて向かい合った。
「なんでニンゲンまなぶ? きがすすまない」
「そんなに嫌いか?」
「きらい」
嘘をつくつかないの話ではないらしい。根本的、あるいは本能的に嫌っているようだ。
「まあ、知ったことではないけどね。断ることはできないだろう?」
「そだな」
しかめっ面をしながら同意する少女。
「やるから、われをもどせ。いいな?」
「勿論。手伝いくらいなら僕にも出来るさ」
「? てつだいくらいなら?」
「うん」
「???」
「………?」
何やら互いの認識に齟齬がある模様。
「オマエがわれをもどす。ちがうか?」
「違うね。僕一人の力で解決できる問題じゃない」
「はぁ!?」
椅子に立って叫ぶ少女。なんだかデジャブ。
「はなしがちがう!」
「違わないよ。僕は手伝うと言ったんだ。戻せるとは言ってない」
「な……なん……」
少女は椅子に座り直すと、死んだ魚のような目で天井を仰いだ。
「ニンゲン、すぐダマすな……だからきらいだ……」
「うーん、騙したつもりはまったくないんだけど。勘違いさせてしまったかな」
これまた事実だ。別にこの二人でなくとも起こり得るすれ違いだろう。
「じゃあ、やめてしまおうか?」
「いややる」
「話が早いね」
ノアは椅子から立ち上がった。少女もそれに合わせて立ち上がり、ノアを見上げた。
「僕は君が元の姿に戻れるよう尽力する。その代わり、君は人間の文化を学ぶ。異論は?」
改めて尋ねる。
「ない」
即答だった。
「よーし、交渉成立だ」
ノアは杖を持ち、大きく振った。杖の動きに従って周囲の空気が大きく揺らめき、陽光が窓から降り注ぐ爽快な家の様子が、やや仄暗い、どこか大きな堂の中のものに変わっていく。ぐわんぐわんと全身を揺らされる感覚もあり、少女は構えていなかったから、酔った。
景色の揺れが収まると、そこには大量の本棚があった。窓がどこにも無いせいで太陽の光が入り込まず、高い天井についている少ない照明の灯りだけが頼りだった。広さもノアの家と比べて広大で、家では無い別の場所に移動したことが分かる。
「うぷ……」
「ドラゴンって酔うんだね?」
「い、いまのは……きもちわるすぎる……うぷ」
渦潮に放り込まれたようなものだ。初めてであればまず酔う。ノアもそうだった。
「ここは、どこだ?」
少女は周囲を見渡した。清潔とは言い難く、あちこちが埃まみれだ。見渡す限り本棚の海で、なんと棚に収まりきらないものもあるらしく、遠くの方に本の山が出来上がっていた。
「僕の書庫さ」
「書庫? いくうかんにつくったのか?」
「よく異空間だと分かるね。流石、幼くてもドラゴンか」
「なめるな」
ノアは少女の正面に立って、両手を広げた。
「これから君には、ここで人間のことをみっちり学んでもらう。ざっと百万冊はあるから、あらかたの事は学べるさ」
「ひ、ひゃくまん? ぜんぶよむか?」
「いやいや、それじゃあいつ終わるか分からないだろう。僕が数冊選んでくるから、それを読むといい」
ノアはすぐ近くの棚から本を一冊手に取り、埃を払ってから少女に差し出した。
「早速だけど、始めようか?」
「あ、まて」
少女は本を受け取らずに、口を大きく開けた。
「どうした」
口を開けたまま一言。
「は、はおへ」
歯、治せ。
「………」
ちゃちゃっと治してやった。
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