第2話 ドラゴンがやって来た—2
「な……そ、その子がさっきのドラゴンなんかぁ!?」
事情を説明したら、村長はそれとなく理解してくれた。ツノやら尻尾やらを見て、信じることにしたらしい。
「はぇー、あんのでっけえのがこんなちゃっちぃガキになるたぁ驚きだ。しかもまー可愛らしい」
うちの娘には及ばんがな、ガハハと言いながら村長はふざけていた。ノアは観察を続けていたが、やはり。
「体調が悪そうですね」
人間になったからより分かりやすくなった。顔が青白く、唇が青紫色に変色している。手足も微かに痙攣していて、呼吸の数が異常に少ない。
「ほん? なんだぁこりゃ。こんな良い天気の日に凍えてんのか」
「凍えて……?」
確かに、雪山で迷子になった人間みたいだ。
「ハッ!?」
村長の言葉で気づいた。
(火山と比べたら確かに寒い! 環境を適応させるのに失敗したのか!)
普段厳しい環境に住んでいるドラゴンは、万が一遥か遠くの異郷に移動しなければならない場合があっても、異郷の環境を無理矢理変えて、自分の故郷に限りなく近い環境を作り出すことができるとこの前読んだ本に書いてあった(どこまで信用できるか分からないが)。裏を返せば、それが出来なければ温度やら湿度やらにやられて病気にかかり、最悪の場合死に至る。
(さっき火を吐いたのはそれが目的……!)
妙に魔力がこもっていると思った。周囲を高温にするための火炎放射なら、魔力がこもっていた方が持続しやすい(これも失敗したようだが)。
このドラゴンは死にかけている。
「このままじゃ大変だ、急いで暖めないと!」
「暖め……? ほんとに凍えてんのかいな?」
「おそらく……!」
ノアは少女を抱きかかえた。なるほど、体温がドラゴン形態の時と同じように異常に高い。こんな穏やかな場所にいては、熱は奪われるばかりだろう。
「僕の家で治療します。ここで亡くすにはあまりに惜しい」
「え、お、おい、ノア先生!?」
村長の了承を得る前に駆け出した。残念ながら少女を包めるものを持ち合わせていないから、肌は野晒しになってしまっている。高速で走る際に風が当たって冷えると良くないから、杖を振って、少女含めた自分の全身を魔力の膜で覆って走った。
※
「おーい、ノアせんせー?」
村長が、玄関の扉をノックしている。
「入ってください」
「んじゃ、お邪魔しまーす」
特にためらいもせずに、村長は家に入ってきた。
「うわぁなんだぁこのあり様は!?」
ドラゴンの少女を治療するために家中の本を漁って、それでも足りずに書庫からたくさん本を取り出してそのまま放置していたから、まるでゴミ屋敷みたいになっている。本のタワーがいくつも出来上がっていて、何個か崩れたものが床に散乱していた。
「今日はゴミ燃やす日か? んで場所はここかいな?」
「どっちでもないですから。こっち来てください」
村長は本の山をうまく避けながら、呼ばれた方へ向かった。
「……こりゃあまた、愛っくるしいなぁ」
机の上で、すやすやと気持ちよさそうに眠っているドラゴンの少女を見つけたのだ。
「顔色が良くなっとる……まさかもう治療終わったんか?」
「ええ、一刻を争う事態だったので急ぎました」
「この子抱えてどえらい速さで帰ってったもんなあ。真っ直ぐ追ってきたつもりだが、もう終わってるたぁ相変わらず見事なもんだ」
村長は少女の頬に触れようとした。
「お、こりゃなんだ?」
少女を覆う魔力の膜にそれを阻まれた。今度は膜をツンツンとつっついた。
「それがないと治療以前に、その子をここに置いておくことすらままならないんですよ。皮膚が異常に熱いので、そのままじゃ机やら本やらが焦げてしまいます」
おかげで少女を抱えて走った時に、いただいた麻の服の前面が丸焦げだ。今は、幼い頃知り合いのツテで仕立ててもらったとびっきり良い綿の服に、自分であれこれ魔改造したお気に入りのローブを着ている。万が一に備えてだ。
「で、まずはその子をそこに入れて、暖めました」
「はぁ、というと?」
「別に特別なことはしてませんよ。それの中を火山内部……マグマの温度に近づけただけです」
「おーそりゃおっかないね」
村長は急いで手を離し、一定の距離を保って少女を眺めた。
「実のところ、本格的な治療はこれからというところだったんですが……その中に入れただけでみるみる顔色が良くなりまして」
「はぁ、じゃあ治療っていうのは」
「あっためただけです」
「……簡単でしたよーとでも言うつもりだろが、マグマ級となりゃぁノア先生以外にはそうそう出来んよ」
「そうですかねーアッハッハ」
椅子の上で裁縫針片手に、天井を仰ぎながら笑った。褒められたら喜ばずにはいられない性分なのだ。実はノアでなくとも上級の魔法使いならできちゃったりするが、それはそれ。
「待てよ? じゃあこの本の山はなんだ?」
「必要になるかもと思って出しただけで全く役立ってませんアッハッハ」
「なーに笑ってんだい」
どこか適当なノアに、村長は頭を抱えてしまった。
「で、今はなにしてんだ」
「服を作っています」
片手に持った裁縫針を見せつける。机の上にはボロボロの布切れがある。
「この子のか?」
「ええ。と言っても、大昔にいただいたのを直してるだけですがね」
と、ノアは言うが、彼がチクチク縫っている布に服の面影はない。ほぼゼロから作っているのだろう。妙に器用なのだ。
「着せたらどのみち燃えちまわねえか?」
「そういうのを防ぐための服ですよ。魔改造するので」
「おぉ、そっか……」
それから魔改造とやらが終わるまでの間、村長はずっとドラゴンの少女を見守っていた。たまに寝返りを打ったり寝言を言ったりする少女に、村長は思わず見惚れていたそうな。
※
「できたー!」
日が落ちる前に、ドラゴンの少女用耐熱ワンピースが出来上がった。熱は蓄え外に漏らさず、服の内側は常にマグマのようにぐつぐつと少女をあっため、しかし外側の温度は大気の温度とほぼ同じになるという機能を付与しておいた。要は加熱プラス断熱の服。火山の外にいても、これを着るだけで体温を保つことができるという逸品だ(この子専用)。
裸にしておくのが申し訳ないというのも理由の一つだが、なにより肌に纏う高温でそこかしこを燃やされてはたまらないので、仕方なく作ったのだ。
ちなみに色は真っ黒に染めた。独断と偏見とイメージである。
「まだ眠ってますか」
「おう、グースカな」
「じゃあ、早速ですけど」
ノアは黒のワンピースを、少女が眠る膜の中へ入れようと試みる。膜は弾性を伴ってやんわりとワンピースを拒んでいるが、ノアは膜が破れぬよう、抵抗に逆らわずに丁寧に押し込んでいく。
「割れちゃわねえかい?」
「大丈夫、魔法ですから。僕の匙加減だ」
やがてワンピースの全体が中に入った。ついでに両手も。
今度は膜を割らぬよう気をつけながら手を動かし、ドラゴンの少女にワンピースを着せる。
まず二本のツノを通し、頭から被せる。次に両腕を袖に通す。本来常人では触れることすら叶わないその皮膚も、感触は人間の子供と何も変わらないことに、言葉にし難い生物の神秘を感じた。
「ワンピースで正解だったなぁ? 着せるんが簡単だ」
村長の言う通り、あまり時間をかけることなく無事着せることができた。それに加え、尻尾を考慮する手間も省くことができた。下着を用意していなかったが、今は大丈夫だろう。次に進むことにする。
「じゃあ、膜を消しますよ」
「お、おう」
ワンピースのおかげで少女を閉じ込めておく必要がなくなったので、少女を外に出す。内部の温度を家の中と同じにして、魔力の膜を破るだけだ。
「……お、おい。ノア先生」
「へ?」
ノアが膜に触れようというところで、少女の目が開いた。
少女は体を起こして頭を振り、前髪をのけた。その際にツノが膜に当たったらしく、パンと弾けた。弾けた魔力はすぐには消えずに、虹色の粉末となって少女の周囲を漂った。
少女の瞳は、ドラゴンの姿の時と比べて煌めきが淡く、ほんのり紅色に染まっているだけだった。長い髪は机の上に扇状に広がって、しかし机を焦がすことはなかった。赤みがかった部分も、熱を持っているわけじゃないらしい。
鋭い二本のツノ、爬虫類のような尻尾、ワンピースの三つが黒で統一され、元のドラゴンの姿を想起させる。内部の魔力も相変わらずの激流で、ノアの脳裏には、さっき見た大きなドラゴンの姿が鮮明に浮かんでいた。
けれど今、目の前にいるのは、人間にしてもあまりに見目麗しい少女。その致命的な差異が、ただでさえ可憐な少女をより魅力的に映すのだ。
ノアと村長は初めて目にする異様な景色に心奪われていた。人の姿でも、超自然の生物。その事実を否応なく教え込まれた気分だった。
ドラゴンの少女はノアを見つめる姿勢から全く動かなかった。ノア達もしばらくぼーっとしていたが、不意にハッとして、
「は、初めまして」
ノアが挨拶した。
あくまでドラゴンだ。少女の姿に惑わされてはいけない。
「ノームライト・プシケルガーと言います。貴方が森の中に倒れていたのを、勝手ですが助けました」
片膝をつき、目線を机の上の少女よりも下げる。
「対話を……許していただけますか」
ドラゴンは食物連鎖の頂点に立つもの。人より偉い。だから気分を害さぬよう、下に立って物を言う。
「………」
少女はすーっと息を吸った。
「ゆびをだせ」
見た目通りの幼い声だった。
「指?」
「だせ」
「は、はぁ……」
ノアは言葉の意味を理解する前に右の人差し指を差し出した。
「もっとよせろ」
「も、もっと?」
恐る恐る指を近づける。鼻に当たりそうというところで、少女は口をおっ開いて、
「ガブッ!!」
人差し指に噛み付いた。
「い———っ!!?」
「ノアせんせーーー!!?」
すぐさま立ち上がり、少女を引き剥がそうとするノア。
「お、おい! 何してんだドラゴン様ぁ!?」
「近づかない方がいいぞ村長! とんでもない顎の力だ……っ、痛い痛い痛い!!」
ギザギザの前歯が皮膚の奥の骨まで捉えて離さない。骨が軋むのを感じる。
「は、離して!? 何の意味が!?」
「うるふぁいぞひんへん!! おはえおほほほひをうへるふひあいはあい!」
「なんて言ってるか分からない!」
とにかく引き剥がそうと、まずは引っ張った。
「うぉおぉぉぉお……! いいぃぃ!?」
がむしゃらに引っ張りまくっていたら、少女が机から落ちてしまった。しかし床には着地せず。粗暴に扱ってはならないと、なんとか指を肩あたりまで上げていたら、なんと少女も食いついたまま宙ぶらりんになるではないか。
(何がそこまでさせるんだ!?)
ここからどうすればいいか分からなくなってしまった。ブンブン振って落とそうか? 落ちなかったら傷を深めるのは自分だ。
「は、離して!?」
ひとまず言葉での説得を試みる。
「ふぅぅぅぅう“ん!!」
何故かさらに力む少女。突然歯が皮膚を突き破り、骨にグッと食い込んだ。
「あ、ちょっと待って、それ以上は本当にまず———」
「ふう”ん!!」
突然少女の体が床に落ち、赤い液体が髪に降り注いだ。
「せ、せせ先生………」
「あ……ぁぁああ……」
少女がノアの人差し指を噛み切ったのだ。断面から血が噴き出していた。
「血……僕の指から血が……ああ、死ぬ………僕、死んだぁ……」
そう言い遺して気絶、受け身も取らずに倒れた。その衝撃で周囲にあった本のタワーが崩れ、ノアの上に覆い被さるように本が重なり、彼を完全に隠してしまった。
「せ、せんせーーー!!」
村長はすぐに駆け寄り、急いで本をどけ始めた。
一方その頃ドラゴンの少女は、たった今自分が噛み付いたものの硬さに戦慄していた。
「うあ」
口からノアの指先と、白く小さな個体が唾液とともに床にこぼれた。白いものは、よく見ずとも歯の一部であることが分かる。
(欠けたっ!!?)
少女にしてみればとんだ醜態だった。たった一人の人間の指一本を噛み切る程度で、火成岩に限らず鉱物やらワイバーンの屈強な爪やらを噛み砕いてきた自慢の歯が欠けてしまったのだから。
「う……ううううう」
哀愁漂う歯のカケラに、さらに雫がたれる。少女の涙だった。
「うわああああ“あ”あ“!!」
「え、あ、ドラゴン様ーーー!!?」
少女はぐしゃぐしゃに泣きながら家を飛び出してしまった。その際に、玄関の扉が少女の怪力によって森の遥か遠くの方まで吹っ飛ばされてしまった。
村長は、自分が追っても何もできないので、急いでノアを掘り起こし、目が覚めるまで頬をひっぱたき続けた。
「どうすんだよぉぉぉぉ!?」
村長の困惑に満ちた叫びが、村にまで響いたという。
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