ごはんとおやつ

昼月キオリ

ごはんとおやつ

〜おやつ〜

子どもの頃好きだったおやつは

カリカリ梅、スルメ、納豆、タラタラしてんじゃねーよなどしょっぱいものばかりだった。

カリカリを梅を全部の指先に擦り付けて真っ赤になった指先を見て満足していたあの頃の自分をしばきたい。

カリカリ梅なんて3時のおやつに一パック食べて母に止められ、納豆は三パック食べておばあちゃんに止められていた。


〜ごはん〜

私はごはんが苦手だ。

その原因は子どもの頃の出来事にまでさかのぼる。

それは小学生の頃だった。

当時、同じ班の人が給食を全員完食したらポイントが貯まる制度があった。

一回の給食で一ポイント。

貯まったら何かがもらえたのか何か得をしたのか忘れてしまったが、とにかく昔から食事が苦手だった。

その強迫観念から給食を食べれない日もあった。

あまりに量が多過ぎて半分は食べてもらってたり減らしたりしてもらっていたのだけど

それでも食べ切れなかった。

だから子どもの頃から食事はしなくてはならない苦痛なものという考えになった。


給食が嫌で嫌で家で食事が出てくるだけで辛くて涙を流した。

やがてごはんを食べれなくなったのだけど

八の字クッキーだけは食べてた。

もちろん他にも何かしら口にはしていたのだろうけど記憶にない。

私の命を繋いだのは八の字クッキーだったのかもしれない。

あの素朴な味わいとサクサク感が優しく体に染み込んでいってくれた。


だいたい食パンの一枚の半分しか食べれないのに二枚ってさ多過ぎるにもほどがある。

マックのハンバーガーは二分の一、ラーメンなら半分が限界だった。

食パンを六枚も食べていた男の子が羨ましかった。

名前も忘れたあの子と私を足して二で割ったらちょうどいいのではないだろうか。

更に給食にはパンだけではなくスープやらサラダやらフルーツやら牛乳やら付いてくる。

こうなってくるとプリンやヨーグルトでさえ苦痛の対象になってくる。

食事が取れなくなって修学旅行にも行かなかった。

電話で修学旅行には行かないと担任の先生に伝えた。

確か母が伝えてくれた。

先生が行こうと言ってきたが私は食事ができないからと母に言ってもらった。

給食を食べずにいたら保健室で休んでいいという話になった。

ベッドで休んでいたら担任の先生だけでなく校長先生までが心配してお見舞いに来たっけな。

少し話は変わるけど

校長先生との会話で少しだけ覚えていることがある。

校長室に呼ばれた時のことだった。

絵のコンクールで銅賞を取ったと裏覚えではあるがあの時表彰状をもらった気がする。

時計のテスト0点、50m走は12秒、マラソンはビリ、友達付き合いも上手くできず、給食さえままならかった、

何の取り柄もない私が初めて賞をもらえた。

子どもの頃の記憶の大半が消えてしまった今までもタイトルだけは覚えている。

絵のタイトルは「トラのながしっぽ」。


絵に話は脱線してしまったけど

大人になった今でも給食のあの量は食べ切れないことは変わらない。

今でこそ食パン二枚は食べれるようになったものの、

定食屋さんやランチフルコースなどには到底行けない。

量が少なめの定食で更にごはんを半分にしてもらってようやく完食できるのだ。


いっぱい食べれなくていいからせめて一人前は食べれるようになりたいな、と大人になった今でも思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ごはんとおやつ 昼月キオリ @bluepiece221b

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ