ドーナツはご飯である

昼月キオリ

ドーナツはご飯である

果たしてドーナツはご飯かおやつか。

結論から言うとどちらが正しいというものではない。

嗜好は十人十色なのでこれはあくまで個人の意見として読んでもらいたい。


これは友人とドーナツについて論争した時のことだ。

私は「ドーナツはご飯になる」と言った。

それに対して友人は「ドーナツはご飯にはならない」と言った。


「ドーナツはご飯にならないの?」

「ならないよ、ご飯じゃないもん」

「でもほぼパンじゃん、パンがご飯になるんだからドーナツもなるでしょ」

「いやいや、全然違うよ」


ドーナツはほとんどパンではないか。

あんなに密度が高くお腹に溜まるものなのに?

パン食があるのだからドーナツもなるはずで

牛乳も足したらそれはもう一食のご飯になる。

だってカフェに行ってドーナツを食べて牛乳を飲むなんてことをする為には昼食を抜いてからでないと行けない。

というのは友人いわく私だからなのだそう。

私だから?頭にはてなが浮かぶ。

私と友人が違う点。それは私が人より少食なこと。

そう、ドーナツがご飯になるのは単に私が少食なだけだったからなのだ。


確かに子どもの頃から別腹なんて便利なものは持ち合わせていなかった。

私がお腹いっぱいだと言えばそれは本当にお腹いっぱいでそれ以上何も入らない。

甘いものだからとかしょっぱいものだからとか辛いものだからとか関係ない。

しかし、周りの人は皆別腹というものを持っていた。

周りの人はバイキングに行けば元を取ろうといつもより食べれるし、量が多かったとしても多少無理しても食べ切れる。

私が同じことをすればお腹を下すし、

それはまだいい方で最悪の場合吐いてしまう。

ご飯を食べた直後にケーキやパフェを食べる人たち。

それが羨ましかった。

 

つまり何が言いたいかと言うと私は少食が故にドーナツはご飯になるという結論になっていただけということだ。

これは由々しき事態である。

少食で羨ましいとかいっぱい食べれなくて可哀想とか、そういった個々の意見があることはさて置き。

私のドーナツはご飯になるという考えはお洒落な願望、嗜好によるものではなく単なる胃の問題だったのだ。

私は昼と夜の一日二食生活をしている。

大好きなドーナツを食べに行こうとすれば昼を抜いて行かなければならない。

それが当たり前だと思っていたけれど、周りから見たら一日一食の変な人になってしまうらしい。

運動、勉強、人付き合い、仕事だけに止まらずついに食まで世の中の普通からかけ離れてしまったのか。

それがどうこうというよりも

こういうしょうもない話ができる相手がいることは貴重だなと思う今日この頃。

ありがたいことに今日も平和。

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