ドーナツの旅

昼月キオリ

ドーナツの旅

とある6月の月曜日の午後。

私はドーナツ屋に向かっていた。

今日行くのはチェーン店ではなく老舗のドーナツ屋さんだ。

チェーン店のドーナツにはチェーン店のドーナツの魅力があるのだが、今求めているドーナツは老舗の素朴なドーナツなのだ。

見つけたお店は家からは少し距離があったのでバスに乗って買いに行く。

ちょっとした旅の始まりである。


そう言えば、なぜ急にドーナツ屋を探し始めたのかというと理由は二つある。

一つ目は、タイトルにドーナツと書かれた小説を買ったこと。

たまたま通りがかって入った本屋の中でたった一冊目に止まった本があった。

それはドーナツを題材にした小説だった。

節約の為、一度は買わずに店を出たのだが、その後、どうしても本のことが頭から離れず、再度同じ本屋に戻って買ってしまった。

全く、この努力を仕事に使えないものか。

先程、節約の為と言ったがそれはここ数ヶ月赤字だからである。

質素倹約に生きていてもやはり私も一人の人間。

欲はそれなりにある。

食欲、睡眠、性欲、それとドーナツ。

そうだ、お金のことはひとまずドーナツの旅を終えてから考えよう。

結局、来月も赤字予定。

しかし、最大の問題点は赤字ではなく、赤字を楽しんでいる自分だろう。

追い込まれて喜んでいるのか何なのか。

もしかして私はドMにでも目覚めてしまったのだろうか。

自覚はないのだけど。初めて知った、私はドMだったのか。

そういえば過去に思い当たる節があるようなないような。

そんな変態に成り下がってしまっていたとは世も末だ。

話は少々脱線してしまったが、小説にはアイシングや生クリームでデコレーションされたドーナツではなく、素材そのものの味を生かした素朴な味わいのドーナツの話が書かれていた。

いわゆる思い出の味。


二つ目は、旅に出かけた時に見つけたとある商店。

レトロな雰囲気が漂う、昔ながらのお店だ。

最初に見た時、駄菓子屋なのかと思ったらどうやら違うらしい。

一見、やっているのかやっていないのか分からないほど入り口が暗い。

いや、電気が付いているはずなのに何故か部屋が暗く見える。

中に入ると様々な日用品、お菓子、アイスが置かれている。

どこからどこまでが商品?と思うようなまとまりのない物の置き方がされている。

部屋の奥にはおばあさんがポツンと座っている。

暑かったのでアイスを買おうと思い入ったけれど、ケースの中には食べたいアイスがなかった為、私はすぐ隣の机の上にポツンと置かれているドーナツを一つ買うことにした。

一つ50円。

今思うと全部買っておけば良かった。

次に行くことがあったら全部買おう。

何気なく手にしたドーナツだったけれど、これがまた私好みの味だった。

ドーナツというと、口の中がボソボソする、飲み物が必須なイメージがあった。

しかし、このドーナツは違った。

飲み物がなくても美味しく食べられるほどしっとりしている。

袋を開けてそっと鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。どこか懐かしい甘く優しい匂いがした。


旅の始まりの日。

見つけた老舗のドーナツ屋に入る。

人気店らしいのだが、平日のお昼時ということもあり客は私一人だった。

人混みが大変苦手なので助かる。

お店の中で一番シンプルなドーナツを選んで買う。

本日焼き立ての生ドーナツ。一つ100円。

日持ちは三日間、ということで三つ買った。

一日一つずつ食べて三日計算だ。

沢山買って冷凍するのもいいが、ドーナツの良さを100%引き出した食べ方となればそのままの状態で頂くのがベスト。

カフェではないので座って食べれる場所は当然ない。

ドラッグストアで一つ50円の水を買う。

近くの公園に寄り、ベンチに座って食べる。

二つは明日明後日の分。そして今手に持っているのが今から食べる分。


まずは水で口の中を潤わせる。

喉が渇いていたのでまるで砂漠に雨が降ったかのようなありがたさを感じる。

値段が安かったのもありがたい。

袋を開け、匂いを嗅ぐ。カステラのような匂いがする。

口に運ぶと、まさかのふわふわ生地。シフォンケーキみたいな食感と優しい味。

そして、口の中に確かな味を感じるのに一瞬で消えてしまうほどの儚い甘さ。

ドーナツの周りに砂糖がまぶしてある。食べ終わると口の周りに砂糖が付いた。

まるで優しさを具現化したようなドーナツだった。


飲み物が欲しくなった私は近くの喫茶店に寄って牛乳を飲んだ。

ドーナツに一番合うものは牛乳だと思う。

コンビニで牛乳を買っても良かったけれど、ちょうどドーナツ屋の近くに気になっていた喫茶店があった。

さらにまったりしたかったので、その喫茶店に寄ることにした。

旅にまったりは必需品。

出かける前に牛乳がある喫茶店を調べておいたのはこの為だった。

その牛乳がある喫茶店こそ、私がずっと気になっていた喫茶店なのだ。

これはもはや運命としか言いようがない。

昔ながらのおやつを食べるならやはり昔ながらの喫茶店がいい。

気になっていたと書いたが、気になっていたのはもう二年間も前からである。

しかし、バスを使うとはいえ、家から割と近い場所にある。

それなのにも関わらず一度も行けていなかった。

人は気になってはいても近いと案外行かないもので、

近いからまた今度行こうと思いながら二年の月日が経ったのがその証拠だ。


喫茶店は1965年創業。

外観からすでにレトロな雰囲気が漂っている。

店内は少し暗めで、電球色の明かりが落ち着いた印象を与えている。

更にジャズが流れている。ジャズが好きな私にとってこれは嬉しい。

テーブルはゲーム盤になっているが故障中の張り紙が付けられている。

今は使われていないらしい。

牛乳を注文する。今日は6月なのにも関わらず肌寒いのでホットミルクにした。

ドーナツと牛乳。この組み合わせは最強で、おやつながらに栄養がたっぷり取れる。

栄養不足気味な私の強い味方である。


家に帰って日課の瞑想をする。目を閉じるとドーナツの味と牛乳の味が記憶から蘇る。

あのお店はこんな風だった。味はこんな感じだった。

そうそう、喫茶店の雰囲気は・・・。

そう、本日も瞑想は見事に失敗する。こんな調子だから頭の中が空っぽになれた試しがない。

机にはドーナツが二つ入った袋、冷蔵庫にはその日買った紙パックの牛乳。

こうして今日のドーナツの旅は無事に終わりを告げた。

今日も平和で何より。

 

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ドーナツの旅 昼月キオリ @bluepiece221b

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