4 もてなし

「どうぞ、お入り下さい」

 訪問の理由も訊かないで招き入れてくれた。慎司の身に何が起きたのかは見れば分かる。そういうことかもしれない。

「夜分にすみません。田原慎司と申します。恥ずかしながら遭難してしまいました。おじゃまさせていただきます」

「ようこそいらっしゃいました。お疲れでしょう?」

 奥からもう一人女が現れて慎司に声をかけた。やはり浴衣を着ている。濃い紫色の地に薄紅色の五弁の花柄だ。

 二人の女は顔は全然違うけれども、並ぶと雰囲気がよく似ていた。姉妹にしては歳が離れているが、母娘だとするとずいぶん近い。そんなふうに見えた。あとから姿を見せた、母または姉とおぼしき方は三十代半ば過ぎ、若い方は十代の終わりぐらいではないだろうか。

彩乃あやのと申します」

 歳上の方がお辞儀をして名乗った。ショートにした黒髪が揺れた。切れ長の涼し気な目で慎司を見つめている。

穂の香ほのかです」

 若い方がそれに続いた。艶やかに長い真っ直ぐな髪がさらりと流れた。潤んだ大きな瞳から幼い印象を受けたが、立ち居振る舞いは自然でしとやかだった。

 慎司は上がりがまちを踏んで土間から床に上がった。

 手渡された大きな布で一通り雨を拭うと、玄関から連なる居間に通された。

 長い時の流れを乗り越えてきた自信のようなものを感じさせる、落ち着いた佇まいの木造家屋だった。褐色に枯れた太い柱を中心に梁が渡り、山形の屋根を支えている。行燈あんどんが優しい光を広げて、ふすまや土壁に、穏やかに揺れる陰影を写し出していた。

 家具の類はあまり多くは見当たらない。屋根の具合から見て部屋はいくつもありそうだ。大きな家だ。

 焦げ茶色の床には磨き込まれた深い艶があった。その中央に囲炉裏がしつらえられており、吊り下げられた鉄鍋で、湯気を上げながら何かが煮えている。食欲を誘う匂いがした。

 続いて案内されたのは風呂場だった。濡れた服のままでいるわけにはいかない。遠慮なく使わせてもらうことにした。ちょうど沸いたところだったらしい。まるで、慎司が訪問する時刻を知っていたかのようなタイミングのよさだ。

 服を脱ごうとして、ふとスマホが気になった。ポケットから取り出す。期待していなかったが電波が入っていた。民家が建っているぐらいだから、基地局が近くにあるのかもしれない。慎司は取り急ぎ美里に電話をかけた。

『慎司さん、大丈夫なの?』

 慎司が名乗るよりも早く、緊迫した様子の美里の声が問うた。

「平気だよ。遭難しかけたけど、民家に避難させてもらった」

『民家? 山の中なのに』

「場所はよく分からないけど、どこかの村のようだ」

『あなたのお父さまが、さっき警察に捜索願を出したわ。地名を教えて』

「おいおい、手回しがいいのは結構だけど早過ぎる。夜が明けて雨が止んだら、家の人に道を教えてもらって自力で帰るよ」

『何言ってるの。連絡が途絶えてからいったいどれだけの時間が――』

 電話は切れてしまった。電波もなくなっていた。

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