第4話 執事の代理?
正装というものは、どうにも慣れない。俺がいた世界でも、位の高い人と会うことはあったが、堅苦しい格好はどうにも性に合わない。
今、俺は白いスーツを着ている。生地に伸縮性はなく、ピタリと張りつく感じも苦手だ。そのうえネクタイまで締められ、首元が窮屈で仕方がない。
ギルドマスターのジェイドはこれを着こなしているが、どう考えても冒険者向きの服装じゃない。
今回スーツを着ている理由は、ヘルナのハーフドルフへの護衛だ。まだ婚姻を結ぶわけではないが、婚前にどうしても会いたいというヘクセルの要望で、同行することになった。
本来ならヘルナの執事であるエーシュが付き添うはずだったが、急な怪我で動けなくなり、代役に俺が選ばれた。以前、倒れたヘルナを助けたことや、ドラゴン素材の採取で力量を認められていたのが理由らしい。
スーツである必要はない気もするが、執事代行と会食同席のため、ヘルナがわざわざ用意してくれたのだ。着心地は最悪だが、断れるわけもない。
俺は一足先に着替えを済ませ、そわそわしながら屋敷の外でヘルナを待っていた。ジャンプしたり、身体を捻ったり、動きづらさを誤魔化していると、屋敷からヘルナの父レックが現れた。
レックはヘルナと同じく黄色い髪を短く切り揃え、眼鏡をかけた恰幅のいい男だ。穏やかそうな印象だが、娘への愛情は人一倍強い。
護衛依頼を受けた際、一対一で話をした時も、レックはヘクセルへの不信感を隠さなかった。薬作成の一件で色々思うところがあるのだろう。
とはいえ、一商会の主人では辺境伯の申し出を拒めず、ブリーゼ家のためにも婚約を受け入れるしかなかったらしい。悔しげな様子が今も目に浮かぶ。
ちなみに、辺境伯本人はとても朗らかだという。どうしてあの親からヘクセルのような子が生まれたのか、レックも首を傾げていた。
「ウィルくん、道中と、不埒な男からの護衛、よろしく頼んだよ」
そう言って、レックは懐から手紙を取り出した。
「それと——この手紙を辺境伯に渡してほしい。大事なものなんだ」
護衛に加え、大切な手紙まで託された。責任の重さに身が引き締まる。
「わかりました。任せてください」
そう答えると、レックはにっこり笑い、俺の頭に手を乗せてきた。
「我が息子、アルトに似ているな。……いい顔をしている。君がヘルナと結ばれるなら、文句ひとつないのだが」
ヘルナには兄がいると聞いていた。まだ会ったことはないが、レックの言葉からすれば、きっといい人なのだろう——などと想像していたが、待て、今レックはとんでもないことを言わなかったか?
俺とヘルナが結ばれたら、だって?
「お父様、ウィルさんに変なことを言わないでください!」
バンッ、と屋敷の扉が勢いよく開かれた。そこに現れたのは、純白のドレスに身を包んだヘルナだった。隣には、右腕を吊ったエーシュの姿もある。
ヘルナはひとしきりレックを叱りつけると、俺に向き直った。
「お待たせしました。……ウィルさん、とても素敵です! スーツ姿、お似合いですよ」
不意を突かれた言葉に、思わずドキリとする。
……きれいだ。
「ヘルナも、ドレス……すごく似合ってる」
「ありがとうございます!」
微笑むヘルナの横で、エーシュが無言で目配せしてきた。『頼んだ』という意味だろう。俺も小さく頷き返す。
「ははっ、こうして見ると二人が婚姻するみたいに見えるな。いっそこのまま……」
冗談まじりに笑うレックに、俺もヘルナも顔を真っ赤にして固まる。
「お、お父様、冗談はやめてください!」
ヘルナは怒鳴ったあと、口ごもりながら何かを呟いていたが、聞き取れなかった。そんな賑やかな空気の中、出発の時間が来た。
俺が先に馬車に乗り、動きにくそうなドレス姿のヘルナに手を差し出す。
「気をつけろよ」
「はい」
ヘルナの手を取った俺を見て、レックは満足げに笑った。
「まるでどこかの国の王子様みたいだな、ウィル君は」
「……からかわないでください」
顔を真っ赤にしたヘルナの手を引きながら、俺たちは馬車に乗り込んだ
★
海沿いの町、ハーフドルフ。ここへ来るのは初めてだったが、潮騒の音と、潮風の匂いが心地いい。遠くには、白く輝く海が広がり、空には海鳥たちが飛び交っていた。
だが、市場の様子は思っていたほど活気がなかった。店の人々はどこか沈んだ表情で、ため息混じりに声を交わしている。
俺は眉をひそめた。
……どこか、魔王の支配下にあった世界の雰囲気に似ている。
「ウィルさん、どうかしました?」
隣を歩くヘルナが心配そうに問いかけてきた。
「あぁ、いや……なんでもない。ところで、辺境伯の屋敷はどこだ?」
「あの丘の上のお屋敷です」
ヘルナが指さした先には、遠くからでも目立つ白い建物があった。なるほど、さすがは伯爵家。立派なものだ。
「……迎えの方がいないみたいですね。本当は、ここで合流する予定だったのですが」
辺りを見回しても、それらしい人影はない。
「仕方ないな。のんびり歩いて行こう」
「はいっ」
ヘルナは嬉しそうに微笑み、俺もそれに合わせて傘を差し出した。
潮風が強い。ドレス姿のヘルナを風から守るように、傘を少し傾ける。
「ウィルさんに傘をさしてもらえるなんて、嬉しいです」
「これくらいお安いご用だ」
自然と笑みがこぼれる。だが、歩きながら思わず心の中でため息をついてしまう。
まさか、ヘルナの婚約者があのヘクセルだとはな。
最初に会った時から嫌な予感はしていた。軽薄そうな態度、金や地位にしか興味のなさそうな雰囲気——。
それでも伯爵家の息子なら、もっと権威を振りかざしても良さそうなものだ。それをしていない、いや、できなかった理由があるのかもしれない。
なにか……活路があるだろうか。
ふと横を見ると、ヘルナが真っすぐ前を見据えて歩いている。その表情は、どこか曇っていた。
……当然だ。これから会いに行くのは、好きでもない相手なのだから。
ヘルナと別れるのは、正直、辛い。いつもフィオラの店で「いらっしゃいませ」と迎えてくれたあの声が、もう聞けなくなるかもしれない。
やっぱり、嫌だな。
だが、俺にはどうすることもできない。ただの冒険者の俺に、政略結婚を覆す力なんてない。もしそれができるなら、今すぐにでもヘクセルをぶん殴ってやりたいくらいだ。
……でも、そんなことをしたら俺は牢屋行きだろう。
どうしたものかと考え込んでいると、
「ウィルさん?」
ヘルナの声で我に返った。
振り返ると、少し後ろを歩くヘルナが、心配そうに立ち止まっている。
「あ、悪い。考え事してた」
「いえ……きっと、私のことを考えてくださっていたんですよね」
小首をかしげながら、ヘルナは微笑んだ。
俺は照れ隠しに頭をかいた。
「まあ……そんなところだ」
正直に言えば、もっとみっともないことまで考えていた。それでも、何か少しでも励ませればと思い、口を開く。
「……ただ、ひとつ気になってることがある」
「はい?」
「ヘクセルがまだ街にいた時に、辺境伯の力を使わなかったことだ」
ヘルナが驚いた顔で俺を見る。
「普通なら、伯爵家の名を使えば、誰も逆らえないはずだ。それを使えなかった理由があるとしたら——そこに、付け入る隙があるかもしれない」
もちろん、楽観できる話ではない。相手は権力者だ。気づいたところで、どうにもならない可能性の方が高い。
それでも、何もしないよりはいい。
俺が少し沈んだ表情をすると、ヘルナはふわりと笑った。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。……いずれは受け入れなければならないことですから」
そう言って、彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
違う。俺が嫌なんだ。いつもフィオラの店で会えていたヘルナに会えなくなることが。
だが、それは言えなかった。彼女の覚悟を、俺のわがままで揺るがせるわけにはいかない。だから俺は、ぎこちない笑みを返すしかなかった。
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