第3話
イグアナ見なかったー? と聞きながらライルはフロアを歩いていた。
見たという者と、見なかったという者どちらもいた。
見なかったならしょうがないが、見たという奴に「見たなら捕まえといてよ……」と言うと、あんな怪獣みたいな奴をどう捕まえるんですか! などと逆ギレ気味に言われてライルは閉口する。
「ったく……どいつもこいつも怪獣怪獣って……お前らいつもキメラ種狩りとか興奮して見てるくせになにヘビとかイグアナなんか怖がってんだよ……」
これが犬とか猫とか兎だったら絶対会社の女子社員も「かわいー♡」などと言って撫でているはずのくせに、近づけないから無視をするとか最悪である。
「一人くらい爬虫類に優しい社員いねーのかよ【バビロニアチャンネル】は……」
随分歩いたもので、この通路を折れたらもうこのフロア全部探しましたよ、という所まで来てしまった。
これで見つからなかったらどこかの部屋に入り込んだか、フロアを降りたかである。
あまり階段を使うタイプではないのだが高い所に上るのは好きなので、階段を使ってないとは言い切れない――と。
そうなったら益々探すのがややこしいことになるぞ、と思った矢先。
通路を曲がった先は廊下が伸び、向こうの方で行き止まりになる。
そこからは階段で上下に行くしかない。
フロアの一番端で人気のないそこに、見慣れた姿があった。
シザの弟であるユラ・エンデである。
これはまだ公表はしてはいけないことなのだがここ半年ほど【グレーター・アルテミス】だけならず世界中の注目の的となった彼は【グレーター・アルテミス】に帰還した後しばらくは休養していたが、最近この【バビロニアチャンネル】本社に頻繁に姿を現わすようになった。
実は、来シーズンから彼も新しい特別捜査官として【アポクリファ・リーグ】に参加することになったのだ。
噂ではアリア・グラーツが死に物狂いの説得で頷かせたらしい。
兄のシザはアリアが「新たな特別捜査官になってもらうわ!」と胸を張っていた時、苦虫をかみつぶしたような顔をしていたので不本意なのだろう。
ユラはピアニストという本業があるのだから、まあシザの表情も分からなくはない。
ライルはまさか本気でマズい戦闘に、アリア・グラーツがユラ・エンデを送り込んで来るとは思ってなかったが、偶発的には凶悪事件などに遭遇することもある。
キメラ種なども最近出現が増加傾向で、これも予想は出来ない。
【アポクリファ・リーグ】はエンターテイメント化されてはいても、完全に安全なわけではないのだ。
それでも元来生真面目で、任された仕事は一生懸命やろうとする性格であるユラは、最近来シーズンに向けて【バビロニアチャンネル】本社のジムで護身術やら、軽い体術やらを習っているのだ。
ちなみに【バビロニアチャンネル】本社の隣に立つ高層ホテル最上階にシザの自宅にも、ジムはある。
そこで兄であるシザにも護身術程度は教わってるらしいが、とにかく今音楽活動をノグラントの連邦捜査局のせいで縮小中のユラ・エンデは、時折小さなコンサートを配信したりしつつ、あとは来シーズンにむけての準備に使っているようだった。
だからよく最近【バビロニアチャンネル】本社で見かける。
アリアなど、多くの人間が彼に会いたがって会社の内外から押し寄せて来るので、ユラは大概兄のシザのオフィスにいる。そこにいればそういうものも、一切入って来ないからだ。
つまりライルのオフィスでもあるそこにいるので、ライルともよく話はするようになった。
だが彼は大概、オフィスの端にあるソファに座って、楽譜を見たり映像を見たりと自分のピアニストとしての仕事などをしてたりするため、何かそれで兄の仕事を妨げたり、ライルの目障りになったりとすることはない。
聞いてはいたが、非常に静かな印象の青年だった。
その静かな印象の青年が。
その先は行き止まりになるという廊下をゆっくり歩いていて、何をしているのかなと思ったら、側にライルの探していたイグアナがいた。
彼が歩いているのではなく、ゆっくり歩いているイグアナに合わせてついて行ってるのだ。
あるところでユラは前方に階段を見つけ、「あっ」という顔をした。
慌てて階段の方に行って、そちらの方面に行こうとしたイグアナの前に立って、遮っている。
イグアナにとっては長い階段など穴のような感覚で、落ちたら危ないと思っているのだろう。
イグアナはユラが壁になると、壁を避けるようにして動き出し、階段の方にどうしても行きたい素振りを見せたが、ユラは困ったようにまたそこを塞いでいる。
何度か持ち上げようと試みているが怖いのか、どこを持てば分らないのか困惑したように、アワアワしていた。
それでもイグアナが動き出すと怪我をしないように前を塞いで、どうにか反対側に歩き出してくれないかと見守っているらしかった。イグアナがユラの足の間に顔を突っ込もうとしている。
ライルはしばらく青年とイグアナの長閑な攻防を見ていたが、吹き出して歩き出す。
「なーにしてんの」
ユラが、近づいてくるライルに気付いた。
「あ……ライルさん……僕、あそこのラウンジにいたんですけど、そうしたらこの子が向こうの方から歩いて来て」
「ユラ君が見てくれてたんだー。ありがとね」
「いえ、あの……大丈夫かな、どこ行くのかなぁと思って」
ユラ・エンデはここの社員ではないし、クラシック界のいわば超新星である。
世に出る矢先にとんでもない災難に遭ってお休み中だが、彼が活動を再開すれば共に仕事をしたいという人間は山ほどいる。
自分の名でコンサートを開き、DVDも売れるプロのピアニストなのだから、ここにいる人間とはさすがに時間の流れ方が違った。
加えて兄のシザはここの稼ぎ頭でCEOの養子でもあるから、CEOの保有する隣のホテルの最上階の住人であるユラにとってはそこと、兄のオフィスを行き来することは軽い散歩くらいの感覚なのだろう。
そんなことよりもライルが気に入ったのはイグアナの生態が分からず、怖がっている顔をしているのに、一人黙々と歩いているこいつを放っておかず、気にしてこんなところまでついて来てくれたところだった。
コイツを見ると大概迷惑そうにするかどうすればいいか分からないから無視するか、人は二択である。
興味を持って心配したり可愛がってくれる三択目はまあ少人数である。
いいマイノリティに会えた。
ひょい、とライルがイグアナを持ち上げて抱き上げてやると、そうかそういう風に持てばいいのかぁと感心したような顔をしている。
神経質で五月蝿い所のあるシザとは血が繋がっていても彼は、随分性格の違う弟だった。
「ごめんなさい、連れ戻した方がいいかなと思ったんだけど、どこ持てばいいのかよく分からなくて」
「こいつ草食だし噛みついたりしないから触っても大丈夫だって」
「そ、そうなんですか……? 強そうな顔してるから、怖いのかなって思ってしまって……でもそうですよね、いつもオフィスでもすごく静かに過ごしてますよね」
「うんそお。すげー大らかな奴らだから、怖がんなくても平気」
触ってごらん、とユラの方にイグアナを差し出して、無理矢理持たせてしまう。
「えっ、あっ、あの、ライルさん、これ、どうやって……」
「足場が安定しないとそいつら動くから。こうやって、なるべく広い面積で捕まえてやる」
ユラの肩に両前足を掛けたところで、イグアナが安定した。
「そう! そんな感じ」
「あっ、なるほど……こっちが抱きしめるとかじゃなくて、『留まらせてあげる』って感じなんですね」
「そう。まあユラ君には大きすぎたか」
長い尾を入れると、イグアナの体長はほぼユラ・エンデと同じである。
体半分を占領されてるその姿にライルは笑ってひょいとまたイグアナを取り上げ、自分の肩に乗せてやる。
やっぱり手慣れてるなぁ、と感心してるようだ。
「ユラ君はお散歩?」
「あ。僕はジムにいました。今日は午後から【
「ジムってまだ朝十時だけど」
イグアナはライルの背を伝って、両肩にマフラーのように巻きついている。
「はい、朝八時から」
「八時⁉ 真面目だな~~~~っ! 最近毎日ジム通いしてるよね」
「そ、それはそうですよ……僕なんかもっとやらないとホントに皆さんの足手まといになってしまう……」
「イグアナが世話になったから一杯奢ってあげる」
ラウンジまで戻ると、ライルが珈琲をユラに手渡した。
「ありがとうございます」
ユラは微笑んで、淹れてもらった珈琲を受け取っている。
自分も珈琲を入れて、イグアナをラウンジのソファに下ろすと、ライルは小さく息をついた。
「ユラ君ってほんと兄貴と性格違うんだねー」
「?」
「まあ、あんたはあの人の恋人でもあるから、違うってのも分かるんだけどさ。
あんたの持つ大らかさとかスローテンポな感じ、シザ大先生皆無だもんな。
だからこそ、あんたのそういうところに癒されたり惹かれてんだろうなーってのは分かるけど。それにしたって同じ屋根の下で生きて来たんだからもう少しくらいユラ君寄りの性格にあの人がなってもいいと思うんだけどなあ~」
「いえ僕、そんな大らかでもないですよ……すぐ慌てて失敗するし……落ち込むし……スローテンポでも全然ないです。
僕からするとシザさんの方がずっと大らかで落ち着いていて、側にいると癒されます」
「えええ~⁉ どこがぁ⁉」
「ライルさん何故そんなに反対を……」
「全然シザ大先生大らかじゃないよ。俺の可愛いヘビをゴミ箱に放り投げたやつ初めて見たし! すんごい好戦的だし、些細なことでもすぐ苛つくしさ~。全然側にいて癒されない!」
「そ、そうですか……、あの……、どうなんだろう僕たち兄弟だから……あんまりそういうの分からないのかも」
「時間かけると変わってくんのかなあの性格……」
兄にライルが不満を溜めていることには、何となくユラは気づいたらしい。
「あ、でも……シザさんはあまり知らない人の前では本当にしっかりした人として振る舞おうとするから、それはあると思いますよ。時間をかければ必ず分かってくれますし、心を開いてくれますし、それに一度壁を取り払ってくれると……やさしいです」
ライルは釈然としない顔をしている。
「そうかなぁ」
ユラは微笑った。
「ライルさんとは仲良くしてるように、僕には見えますよ」
「ええ~? そーかぁあ?」
「シザさん、ノグラントの大学に行った時そこでも寮だったけど、僕たちは抱えてる事情が事情だったから……あんまり友達とかも作って学校生活を楽しめる状況じゃなかったみたいなんです。
だから【グレーター・アルテミス】に来て、【アポクリファ・リーグ】に参戦して、アイザックさんと同僚になった時、すごいこっちに干渉して来る人だって最初は困惑してたけど……僕はすごく、嬉しかったんです。
シザさんって自分から行くタイプじゃないから、相手の人まで遠慮しちゃうとなかなか距離感埋まらないじゃないですか。
アイザックさんは同僚は協力するんだ! って最初からどんどんシザさんを構ってくれたから歳は離れていましたけど、やり取りは友達みたいで、僕最初に【アポクリファ・リーグ】で二人見た時驚いたんです。やり取りに。ぶつかり合ってましたけど」
優しい顔で弟は笑っている。
「でもすごく……楽しそうだった。
アイザックさんは経験ある先輩だから、友人と言ってしまうとちょっと失礼かもしれないですけど、ライルさんはシザさんと確か同い年でしたよね」
「同い年ー。でもいっつも173日お前が年下だろとかすっごい威張って来る」
ユラが笑った。
明るい笑顔だ。
ここ半年くらい、この子は泣きっぱなしだった。
それを思うとライルは何だかんだ結構真面目にここぞとばかりに弟に、兄貴についての文句を言いたいことがあったはずなのだが、まあいいかなどと思って来てしまった。
「ライルさんとシザさんは、またアイザックさんとは違う感じで友達みたいだから、見てて楽しいです」
「友達ねぇー。
まあいいけどさそういうことでも……」
はい、と頷いている。
イグアナがいつの間にかユラの膝の上に乗っていたが、もうユラは怖いだの、どうすればいいんだだの、言っていなかった。
イグアナの好きにさせつつ、興味深そうに外皮を指先で触っている。
「ぼく、あんまり動物のこと分からないんですけど……イグアナも、触られると喜ぶ場所とかあるんですか?」
「まあこいつら外皮が堅いからね。犬猫みたいに背中とかに触っても全然無反応だし。
でもここの皮膚のとことかは柔らかいから比較的撫でると眠そうな顔する」
顎のあたりをライルが手の甲で撫でると、イグアナが目を細めている。
「本当だ。目を細めてますね」
真似をしてユラが同じことをすると、完全に目を閉じた。
「本当に大人しいんですね」
「そうだよ。その辺の犬猫よりずっと大人しいよ。まあ取って来いとか芸はしないけど。でも俺そんな取って来なくていいし」
ユラが明るく笑っている。
「ユラ君がそんなに笑う子だったなんて知らなかったなー」
「えっ、ぼ、僕ですか?」
「ユラ君こうやって普通にしてるとそんなに可愛い笑顔なのになんで公の場だとあんなカメラ映り悪いの。絶対目をつむってるか怯えた顔してるよね」
「うぅ……だって色んな所からカメラ向けられてどこを見ればいいか分かんないし……、
……カメラのレンズってなんか怖くないですか?」
「怖い? ぜんぜん!」
ライルが吹き出してる。
「なんか、こっち見てる人の顔みたいで……」
「まあ『レンズ』だしねえ。そーか。カメラが怖かったのか。なんであんな目を閉じるのかなってずっと思ってた。確かにシザ大先生の部屋にある写真だとユラ君あんま目なんか瞑ってないし普通に笑ってるもんね」
「シザさんが撮ってるって分かるから」
すぐに柔らかく微笑った。
これはあの能面みたいなツラを見せる同僚が、溺愛するわけだ。
癒されてるんだろうなあ。
「シザさんもライルさんも元々メディアの人じゃないのに、なんであんなにカメラの前で堂々と最初から出来るんですか……?」
「ん~。俺は別にメディアの人じゃないけど、警察してる時にメディアとか押し掛けてくるの経験してるから全然あんなの平気。攻め寄せて来るメディア止めるの新人の仕事だったから、あーハイハイあっち行ってねーってあしらってたからもう慣れちゃって」
「そうか、そうですね。現場にカメラの人って絶対いますもんね」
「そう。あいつらって別に俺らを撮りに来てねえからすげー歯向かって来るし口悪いんだ。どけよそこの警官オラァ! とか普通に言って来るから。それに比べればここのカメラなんて『ライルさんこっち見てー!』とか言って来てくれるからすんごい可愛い。最高」
「そうかぁ……」
ユラが何故か安堵の溜息をついている。
確かにそれなら怖くなくなるかもなあ、などと思ってるんだろうか。
「? でもライルさんはそうでも、シザさんはどうしてカメラ平気なんでしょうか?
普通の大学生だったのに……」
「いやそれは知らん」
「デビュー時から少しも怖がってなかったですよね」
「金ない時モデルもちょっとしてたんでしょ? だから慣れてたんじゃない?」
「でもシザさんがモデルしてたの本当に【グレーター・アルテミス】に来てから三か月くらいのことですよ。すぐ【アポクリファ・リーグ】の話が来て、そっちの方がお金になるからってすぐ決めて」
「先生土壇場に強いからなあ。逆境とか。決戦に強いタイプだから。
緊張すればするほど強くなるタイプだから、カメラとかも怖くねえんじゃねえかな。
デビュー時の記者会見から挑戦するみたいな顔でカメラ睨みつけてたし。
根性で生きてるタイプだから」
笑いながらライルが言うと、ユラの頬が薄く色づいた。
「そうなのかな……本当にすごいです……」
ライルはふと、ユラのその表情に目を留める。
恋人なので当然なのだけど、こういう顔を見るとやはりこの二人は単なる兄弟ではないのだなと実感する。
確かにユラはシザに惚れているのだ。
こんなに臆病で人見知りする質なのに、ユラは【グレーター・アルテミス】公演をシザの為に成功させた。
あの時の演奏は確かに凄まじかった。
普段クラシック音楽など、しかもピアノのソロ演奏など絶対に聞いたことなど無いライルでも、知らない間に全てを聞いてた感じだ。
さすがはシザ・ファルネジアを震え上がらせる音楽家である。
演奏に没頭している時のユラは普段とは別人だ。
音楽を見つめる時。
そしてもう一つだけ、彼が真摯に見つめるものがある。
それがシザだった。
ライル自身はシザなど特に何の脅威にも思っていないが、ユラ・エンデの瞳の先にいるシザ・ファルネジアだけは、何かどう足掻いても勝てないような気持ちにさせられるのだ。
「ユラ」
丁度、シザが戻って来た。
彼はオフィスに行こうとして、ラウンジで喋っているライルとユラに気付いたようだった。
「あれ? 早いじゃん。会議は?」
「夜に変更になりました。なんか緊急の用事が入ったらしくて。
取材まで五時間空きましたから、一度家に戻ります。ユラは十四時に【
「はい」
三人までしか登録出来ない【アポクリファ・リーグ】の規定上、ユラは所属は【双魚宮】になっていて兄とは所属が異なっている。それでもやはり、シザは完璧に弟のスケジュールも把握しているようだ。
シザがやって来て、ユラの膝の上で寝ていたイグアナをひょいと取り上げ、ライルの肩に下ろす。
「なら、僕が研究所まで送ります」
「あ、でも……準備でお忙しいんじゃ」
「【バビロニアチャンネル】収録の【バビロニアチャンネル】スタッフとの仕事ですから気にしないで大丈夫ですよ。慣れていますから」
それを聞いてユラが安心したようだ。
シザはユラの白い額に優しく唇を触れさせる。
「……僕が貴方を送りたいんです。どうか送らせて下さい」
ユラは赤面して、小さく頷いた。
「シザさんのご迷惑にならないなら……」
こいつらは毎日こんな感じだ。
まったく、よく飽きねーな。
ライルは呆れた。
「シザさん、ライルさん! すみません!
今スケジュール変更聞いて、詳細来てますので説明させて下さい」
パタパタと走って来る。マネージャーだ。
「構いません。お願いします」
シザが言って、ライルも立ち上がる。
「じゃあ、僕は先に家に戻ります」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫って大丈夫に決まってんじゃないのそこのエレベーター乗って降りて隣のホテルに行くだけでしょうが。内部でも繋がってんだし。イグアナでも迷わないっての」
「あんたは黙っててください」
ユラはくすくす、と笑っている。
「ライルさん、ありがとうございました。失礼します」
「いや。こちらこそイグアナ面倒見てくれてありがとう」
「ばいばい」
イグアナの顎を手の甲で優しく撫でて、ユラはエレベーターに乗り込み去って行った。
ユラがそうした時は一瞬笑ってそれを見たライルだったが彼が去ると、溜息をついた。
わしわしと鬱陶しそうに茶髪を掻く。
「――あんたってさぁ……。
今のとか、ほーんと過保護だよね」
「そうですか? 普通ですよ」
ライルの声は最初から仕掛けに行っていたがシザは全く気にしていないらしく、さっさとオフィスに入って行く。
「そういうもん? 俺小さい頃から家族とかいねえから全く分かんねえわ。
鬱陶しいんだねー。家族ってさ」
ドカッ、とソファに座る。
シザは一瞬ライルを見たが、彼はやる気のない様子で目を閉じている。
「お話、いいですか?」
マネージャーが切り出す。
説明は十分ほどで終わった。
彼は他にも確認しなければならないことが出来たらしく、急いで出て行った。
ライルが立ち上がる。
「俺も外出るわ」
見た感じ、気分転換を望んでいるようだったのでシザは何も言わなかった。
「ライル」
そのことに関しては。
「ん?」
「別に現段階で仕事に大きな支障は起きていないので、いいですが。
何かあるなら聞きますよ」
出て行こうとしていたライルが怪訝そうに振り返る。
「なにかって?」
シザはさして散らかっても無い書類をまとめ机の上を簡単に綺麗にし、掛けてあったコートを取って家に帰る姿になった。
「いえ。何も無いならいいんです」
「ふーん。」
「ただライル。
あんまり集中を欠くと、例え貴方でも、
どんどんアレクシス・サルナートにはポイントで差を付けられますよ」
ライルは目を瞬かせる。
その時カチンと来て、自分が何となく最近何を不満に思ってるのか、漠然としていたことが分かった気がしたのだ。
「……あんたってさ。
俺のこと、出動した現場では自分のフォロー役とでも勘違いしてない?
前々からちっと思ってたんだけどさあ。
俺が敵を足止めしてあんたが仕留めるって、いつそんな取り決めした?」
「仕事の不満ですか?」
シザは腕を組む。
長身のライルが不機嫌な顔をして威嚇すれば大概の人間は押し黙り、これ以上はやめておこうという顔をしてきたが、シザだけは一切そんなところはない。
むしろ相手の敵意を感じると、受けて立ってやると歯向かって来るタイプなのでこういうことになる。
貴様なんぞちっとも怖くないと言わんばかりの空気に、顔に、
何故か一瞬シザの意志の強さに憧れたような表情を見せた、ユラ・エンデの顔が過った。
「いんや。不満てほどじゃない」
「僕としてはそういう意識はなかったですが。
ですがお互いの能力の特性を考えれば、自然とそういう役回りになったのでは?
貴方が来る前アイザックさんと同僚だった時、あの人も貴方同様属性能力者だったので、自然と彼が氷の能力で敵を足止めし、強化系の僕が仕留めていました。
貴方も土を操って防御壁とかも作れますし、重力で敵を足止めも出来る。
僕はその間に犯人のリーダー格やらを仕留めて一網打尽にした方が効率がいいかと。
貴方は自分の能力特性を理解して、一番効果的な役目を自然と見つけて担った。
さすがに場数を踏んでるなと、僕は最も貴方のそういうところは評価してたんですが。違ったんですか?」
「ん~~~~何て言うかなあ。――うるせえ。」
ライルは煙草を取り出し、咥えた。火をつける。
「……禁煙ですと何度も言ったはずですよね?」
シザが静かな声を出す。勿論、その裏に揺らめく炎のような怒りを感じた。
「言ったねえ」
口の端を歪ませてライルが笑う。
「いいでしょう。貴方の望みを聞きますよライル。僕としてもここから終盤、同僚に足を引っ張られてアレクシス・サルナートとの点差をこれ以上広げられたくないんで」
「望みねえ……言ったら叶えてくれんの?」
ライルが近づいてくるが、シザは平然と彼の目を見据えたまま、たじろぐこともない。
「まあ内容によりますが。出来ることなら、考えないことも無いですよ」
ライルはシザの肩に手をつき、重さをかけて来た。
「へぇ。今日って何? なんかみんな気前がいい、そういう日なの?」
「……何の話ですか」
とっくに額に青筋が立ってるが、シザは冷静にやり過ごすつもりだろう。
こいつは先輩が後輩の前でぶちキレるなんてみっともねえと思ってるタチだから、優位性を求める限り、食いついて来ることはない。そういうこいつの綺麗事を無性に無茶苦茶にしてやりたい、今日に限って何故かライルはそういうスイッチが入ってしまった。
「いや。こっちの話」
「そうですか。まず煙草消してもらえますかライル。
またユラに喫煙を僕が心配されたらその時は容赦なくキレますよ」
「いいねえ。あんたと一度、殴り合ってみたいなあ。
そんで一回どっちが強いオスか序列を決めたいよね」
「僕は特にそんな欲求はないですけど。
貴方と僕とじゃ能力タイプも違うしプロフィールも違うのに一概に比べられるわけないでしょう。どうしてそんなにやたらと序列を決めたがるのか、全く理解に苦しみます。
そのアフリカのサバンナにいるライオンみたいな考え方どうにかならないんですか? 鬱陶しいんでホントやめてほしいんですけど」
「逃げんの?」
「そんな挑発したって無駄ですよ」
シザは冷ややかな声を響かせる。
「ですがどうしても貴方が序列を明らかにしたいというなら、仕方ないですね。
付き合いますよ」
「んじゃ表出ろや。」
凄んだライルの手を掴み、自分の肩から外す。
「――だから集中してないと言ってるんですよ。あなたは」
シザの怒りに輝く目が、睨み上げて来る。
ライルが片眉を吊り上げた。
「僕はこれからユラを研究所に送る、とさっき言ったはずです。
そのあとは取材に打ち合わせ。夜には後回しになった契約会議。
当然ですけどユラを迎えに行き、家で夕食を取りますから。
二十三時以降なら構いません。
他人ならそんなクソみたいなことに付き合う気はサラサラありませんが、他ならぬ貴方は僕の同僚で相棒でもありますから。
嫌ですが、付き合いますよ。
ですが感謝してくれますか?
普通仕事の先輩はこんなくだらないことに付き合いませんので」
「おめーに感謝なんかする気はねえって言ってんだろ」
「そうですか。では二十三時に。場所はどこですか? 校舎裏ですか?」
初めて鼻で嗤ったシザに、ライルも好戦的な笑みを返す。
「
ぴく、とシザの蟀谷の当たりが動いた。
「能力を使うつもりですか?」
闘技場は特殊なシールドが張られているので、能力がその中では使える。
外界には被害を及ぼさないのだ。
「ったり前だろォ。おめーと俺はアポクリファだろうが。
アポクリファがサシで喧嘩するなら能力でぶち当たらねえと序列がくっきりはっきりしねえだろ」
「ライル」
視線だけで返す。冷たい声が響いた。
「――死にますよ。」
ライルは笑った。
「良かったなぁ。俺たち特別捜査官は訴えられねえ決まりだから、今度はお前殺人やらかしても、罪に問われねえぞシザ。喜べ」
シザはそこまで言われて笑って済ますほど、温和ではなかった。
その場でブチ切れて殴りかかるようなことはしない。
だが、この反抗的な後輩を一回ぶちのめすことは決めた。
「――分かりました。いいでしょう。二十三時に闘技場で。
遅刻は厳禁です。十分待ってこなかったら付き合わず僕は帰りますので」
「んじゃ俺様が十分遅れることでも祈っとけよ」
「貴方は先に病院の予約でもしておくんですね」
「おめーは最愛の弟に別れの言葉でも言って来い」
「三十分で帰るとメモでも貼っておきますよ。
ホントは五分で決着はつくんですが」
「おい! てめぇ怖くなってもあのお節介なおっさんにいつもみたいに言いつけんじゃねえぞ」
「僕がいつ言いつけましたか? 無礼なこと言わないでくださいよ。貴方こそアイザックさんに僕の怒りを解く方法を教わりたいなら彼のアドレス教えてあげますよ。まあ今回に限っては解けないと思いますけど」
「いるかそんなもん!」
ライルが扉を開け放って出て行く。
「イチャついて時間すっぽかすんじゃねえぞシザ!
来なかったらてめー俺が怖くて逃げたって明日の朝刊に出るからな!」
エレベーターに乗り込み、ライルが外に立って腕を組んでいるシザを睨みつけて言った。
怒りを叩きつけられても、シザは平然としている。
「貴方の方は怖くなったら別に逃げても構いませんよ。ライル。
僕は例え貴方が逃げてもいちいち言いふらしたりしないであげますから。
バカじゃなかったんだなあと思ってあげますよ」
ガン! とライルが、扉が閉まって行くエレベーターのその扉を、長い脚で苛立つように蹴りつけた。
「そんなことしてるとエレベーター止まりますよ」
呆れたようにシザは言った。
「あれ? シザ。お前会議はどうしたの」
向こうからアイザックがやって来る。
「ああ、まだ情報がそちらに言ってませんでしたか」
予定変更をアイザックに伝える。
「僕はこれから一度家に戻ります」
「そうか。分かった。んじゃ俺はちょっと街ぶらついてくるわ」
「また後で」
「おう。つーか今のライルか? なんだよ~。また喧嘩か? やめろよなぁー」
「平気ですよ。軽く言い合っただけですから」
「そうか……? ならいいけどさ。
あいつのことはお前に任せてんだからな、シザ」
「大丈夫ですよ。後輩指導は任せてください」
「まあ、お前は俺と違って鉄拳指導なんかしねえとは思ってるけどさ……。
んじゃ、ひとまずおつかれ~」
「お疲れさまです」
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