文化祭:3

 陽葵ひまりが部室までギターを片付けに行っている間、私と静流しずるは人混みから離れたベンチで、座って待機することになった。駐車場近くで、普段から誰も来ない穴場スポットだ。


 行き交う人の楽しげな声が少し遠くから聞こえてきて、今だけはこの世に嫌なことなんて存在しないような気さえしてくる。


「さっきの話だが」

「ん?」


 不意にビーグル頭のままの静流が切り出してきた。何の事だろうと記憶を手繰り寄せながら返事をする。


「なんで静流が文化祭実行委員になったか、っていう話?」


 陽葵の公演中に出た話題を出せば、こくん、と犬の顔が頷いた。


 静流はそのままもぞもぞとマスクを脱いで膝に置くと、首を軽く横に振る。柔らかそうな金髪が、ぱさりと肩に掛かった。頬に汗で張り付いた幾筋かを指で外しながら、静流はそっと溜め息を吐く。


「僕は……この通り、目立つだろう」


 長い睫毛がゆっくりと臥せられた。その辺の人間が言えば「なんだコイツ」となる台詞も、静流が口にすると話が変わってくる。全くもってその通り、と肯定するしかない説得力と迫力を伴った美貌が目の前にあるせいで、下手に茶化すことすら難しくなるのだ。


「鈍臭いから失敗ばかりするし……目立ったところで、醜態しか晒せない」

「だから注目されるのが嫌、と」

「ああ。今日だって……」


 迷惑を掛けてしまった、と消え入りそうな声で呟いて、大きな背中が丸まった。両手で顔を覆うその様子が、なんだか雨に降られてべしょべしょになった大型犬っぽい、と思ってしまう。


「迷惑? 何の話?」


 人間は、容姿の優れた人物を買い被ってしまう悪癖がある……というのを、委員会で静流と行動を共にする間、嫌というほど実感させられた。初見でこの超絶美人がかなりのウッカリ者であるということを見抜けた人は、教師を含めて誰もいなかったのだ。もちろん、自分もそのうちの一人である。


 この王子、自分の鈍臭さをカバーしようとして、そそっかしくなるという欠点があった。


 とはいえ業務上の相方だし、同じクラスだ。行動を見ていれば性格はある程度わかる。自分にも跳ね返ってくるような失敗を、静流が好きこのんでやっているとは到底思えなかったし、委員会の仕事を一所懸命やっているのは傍目はためにも理解できた。


 だって、やらかしたら毎度こうして、濡れ犬じみた凹み方をするのだ。しおしおの表情のまま、最後まで居残って遅れを取り戻すための作業をしていた姿も、私は何度か目にしている。


 庇い立てするわけではないが、素直に人の話は聞けるし、ちゃんと冷静にやればできるポテンシャルはあるのだ。いつもやる気が空回りしているだけで。


 だから問題点を整理してちゃんと指示してやれば、静流はきちんと成果を出した。途中で諸々やらかした割に、私のクラスの出し物が当初の予定からダウングレードせずに済んでいるのは、静流が取り返しのつかない致命的な失敗を犯さなかったからだ。


 だから、大して迷惑は掛けられていないと思うんだけど……。


「他校の女子から庇ってくれただろう」

「あ、あれかぁ」


 売れっ子芸能人の付き人体験、と私は遠い目をした。なかなか貴重な経験だったと思う。


 なんだかんだと面倒を見ていたせいだろうか、いつの間にか自分の中にある「迷惑」のハードルが大分上がっていたらしい。交通整理をさせられたことに関して、「迷惑を掛けられた」と全く認識できなくなっていた。


「まあ、あれは静流も被害者でしょ。だからノーカウントだよ、ノーカン」

「そうか……ありがとう」


 指の隙間から、申し訳なさそうな視線が覗く。


「自分から行動を起こせば、失敗ばかりでも何か変われるかもしれない、と思ったんだが……」


 真清ますみのようには行かないな、と言って、静流は両手で自分の顔をゴシゴシと擦ったあと、大きく背中を反らす伸びをした。


「委員会に立候補したのはそういう理由だ。今日と明日を乗り切れば、実行委員の仕事も終わる。……はなぶさには悪いが、あと少しだけ辛抱してほしい」

「私はけっこう楽しかったけどな、アクシデントまみれの文化祭準備」


 何もなく平穏無事に終わるより、大人になっても笑いながら話せるくらいには、賑やかな記憶になったと思う。


 それに、あの真清を比較対象にするのは間違いな気もする。とうとう女装までできると発覚したあの男、器用貧乏を通り越して器用大富豪みたいな存在だ。きっと静流じゃなくたって歯が立たないだろう。


「はなぶさ……」

「だから、辛抱とか水臭いこと言わないの」


 軽く笑い飛ばしたこちらの反応が予想外だったのか、静流はぽかんとした表情になった。私は腕まくりしながらおどけてみせる。


「この纐纈はなぶささんの心の広さを舐めて貰っちゃ困りますよー? なんつって」


 これくらいドンと来ーい、と拳で胸を叩けば、静流は何か言葉を探すように視線を彷徨さまよわせてから、ふへ、と下手くそに笑った、その時。


「陽葵ちゃんも混ぜろー!」

「ぶべっ」


 急襲である。


 部室にギターを置いて戻ってきた陽葵が、「なに勝手に良い感じになってんのコラー!」の台詞と共に、背中にべちんと一発平手を入れてきて、私は勢いよくつんのめった。痛い。


「急になに!?」

「だって……陽葵に隠れてはるが浮気してる気配がしたから……」

「誰とも付き合ってませんけど……?」


 勝手に彼女ヅラするんじゃありません、とジト目で睨んでみれば、陽葵はえへ、と笑いながら頭を掻く。


「いやごめん、冗談冗談」

如月きさらぎが言うと冗談に聞こえないが……」


 私の背中に「痛いの痛いのとんでけー」する陽葵に対して、静流がボソッと言うのが聞こえた。恋愛はよくわからないけど、そういうものなんだろうか。


***


 気を取り直して、真清探しに繰り出すことになった。アトラクションの標的として仕事中なんだし、話し掛けるには口実が必要だろう……ということで、一年二組にスタンプカードを貰いに行くことにする。


「……何してるの、諫早いさはやくん」


 人もまばらな教室に設置された長机……スタンプラリーの受付で出迎えてくれたのは、二組の実行委員の片割れであり、あした真清と組んで巡回する予定の女子、庄田しょうださんだった。パイプ椅子に座ったまま、頭ビーグル男を見上げるなり、口元をヒクつかせてドン引き顔だ。無理もない、と内心で同情する。


「よく僕だと判ったな」

「いや、声聞けば一発だよ」


 ビーグル犬を模したゴムマスクを外さないまま、庄田さんからスタンプカードを受け取ろうとした静流の手が、見事に空を切る。やっぱりこのマスク、あんまり下が見えないんじゃなかろうか。主に立体的な鼻の部分のせいで。


 自分達の後ろに並んでいる人も居ないし、静流の隣でコントじみた様子を眺めていると、このひと大丈夫なの、と聞きたそうな顔の庄田さんと目があった。対する私は、黙って首を縦に振る。


 実行委員会の仕事中、何度も交わしたやり取りだった。派手な見た目に反して真面目な庄田さんは、人の奇行に対してあんまり耐性が無いのか、静流が天然を炸裂させる度、助けを求めるような顔で私か真清を見るところがあった。


 私か真清が「とりあえず大丈夫、根拠はないけどオールオッケー」、と頷いて、庄田さんが怪訝そうに仕事に戻るまでワンセットだ。


「いまワケアリでねー、お忍び王子やってるの。庄ちゃん、あんま気にしないで良いよお」


 私の後ろから陽葵がヒョコっと顔を覗かせて説明する。庄田さんが「お忍び……?」と小声で呟いたのがハッキリ聞き取れた。


 わかるよ、お忍びどころか目立ってるよね、これ。端から見たらただのヤベー奴のビジュアルだもん。玩具の銃とか持たせたら強盗と勘違いされそうだもん。


「それはそれとして、ますみん知らない?」


 庄田さんの困惑など何処吹く風で陽葵は続ける。これこれ陽葵さんや、人捜しアトラクションのターゲットの居場所を聞いても、運営の庄田さんが答えてくれるわけないでしょうに。


「真清くんならそろそろ別のターゲット係と交代だし、戻ってくると思うけど……」


 あ、答えてくれるんだ、そこ。庄田さんは律儀だなあ……と一人で遠い目をしていると、にわかに教室の入口がざわめきに包まれる。


「たっだいま戻りましたー!」


 噂をすればなんとやら、振り向けば縮尺の狂った黒ロリ美少女(偽)が、にこやかに看板を担いで凱旋してきた。


 近くで見たらメイクしていることがわかり、しかも似合っているから性質タチが悪い。声は完全に男のままだから、視覚情報と聴覚情報の組み合わせが失敗して、良い感じに脳みそがシェイクされた。夢でももうちょい情報の辻褄つじつまが合ってる。なんだか軽い頭痛がしてきた。


「ますみん可愛いー!」

「おー、如月~! 聞いたぜ、ライブ凄かったってな!」


 そっとこめかみを抑える私と対照的に、陽葵が真清に駆け寄ってキャッキャウフフと戯れ始めた。ただでさえ小柄な陽葵の横に、私より上背のある真清が並ぶと、ますます異様さがよくわかる。服で肩幅や関節、男っぽいパーツを隠しているとはいえ、手足の大きさなどは完璧に誤魔化しきれるものではないらしい。


「ますみん! スタンプちょーだい!」

「残念でした~、今の時間のターゲットは『女装してる奴』じゃなくて『着ぐるみの奴』なんで俺は対象外でーす」


 陽葵のおねだりをあっさり却下しつつ、真清は首から紐で下げていたスタンプを外す。


「あ、ねえ庄田さん、初島はつしま見なかった? 俺の次の標的係アイツだろ?」

「初島くんならもう着替えて待ってたと思うよ」


 真清に聞かれて、庄田さんが教室の片隅の一角を指差す。衝立ついたてに区切られていたスペースの中から、緑の恐竜の着ぐるみパジャマを着た男子生徒が「やっぱこれ恥ずいんだけど!」と顔を出した。見るからに野球部だ。彼が初島くんなのだろう。


 真清は笑いながら「大丈夫、俺も恥ずかった」と初島くんに手持ち看板とスタンプをパスする。


 ええいなるようになれ! と出て行った初島くんを「頑張れよ~」と送り出すと、腰に手を当ててこちらを振り向き──


 ──静流を見るなり、ふわりとスカートをひるがえし、芝居の一幕のように、その場に崩れ落ちた。

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