第3話

 一号たちとのリモート通信を終えた俺はひろしと街に出た。行き交う人々が朝陽を浴びている。これから一日を積み上げようという意気込みを背中いっぱいにひろげて歩いていく人々、一日の終わりを早く迎えたいと疲れた顔で帰ってくる人々、一日を感じることなくその場に腰を下ろしている人。


 雑踏を進みながら俺は考えた。


 なぜ妖精なんだ。三月だ、ひな人形は分かる。だが、なぜ妖精なのか。しかも、一号と二号だけ。ハッキングに対処しようとした二号を恥ずかしい姿にしたのは分かるとしよう。だとしても、どうして一号まで。


 一号は、今回の攻撃は自分に対する復讐だと言った。彼はその根拠を話してくれなかったが、それも気になる。俺が知っている事情が絡んでいなければいいが……。


 考えに気を取られていた俺から離れて、ひろしが駆けていった。赤いマントの白い犬。間抜け顔の中型犬だが、絵的にはそれなりだ。だが、奴が駆けていってロクなことになった試しがない。俺は愁眉を寄せてひろしを追った。


 ひろしはある店の前で立ち止まり、その店の看板を眺めながら太い尻尾をぷんぷんと振り回していた。


 ――妖精ショップひぐらし――


 これは……。この血迷った店名から何の店なのかは不明だ。だが、ひろしが何かを嗅ぎ取ったことは確かだろう。調べる必要がありそうだ。


 俺はその店の暖簾をくぐった。


「入るぞ。えらく早いな。こんな時間から、もう開けているのか」


 パイプを咥えた店主が頷く。


「もちろんですよ、お客さん。ここは妖精ショップ街だ。他の店より早く開けて一人でも多く客をとらなきゃ」


「他の店?」


「お向かいは『あまくに妖精店』、西隣は『妖精の国しまこ』、東隣は『妖精フィーバーにわ冬莉』ですからね。しかも裏には『オカンの妖精の店』、その隣は『鳥尾巻妖精相談所』、その隣に今度『壱単位妖精専門店』とかいう店もできるそうで……」


「わ、わかった。――で、その妖精って何だ。何を取り扱っているんだ」


 店主はパイプをへの字口の端で挟んだまま、白煙を噴きながら言った。


「知らないんですか。じゃあ、おたくには売れないな。帰ってください」


 手を下から振る店主を俺は睨みつけた。


「妖精は、違法薬物の隠語なのか」


「まさか。馬鹿言っちゃいけません。そんな物は扱ってませんよ。そんないかがわしい物が欲しいのなら、他に行ってください。私は真っ当な商売をしているので。さ、帰った、帰った」


 胡散臭そうに横目を向けながら手を大降りする店主に気圧され、俺は店の外に出た。


 周囲の店に目を向ける。どの店のシャッターも閉まっていた。やはりまだ時間が早過ぎるのだ。そんな中、一軒の店の軒先を箒で掃いている男がいた。上の看板に記されている店の屋号は「平安と推理の妖精店 スミヲ」。


 男は小野篁か安倍晴明を思わせる平安装束のまま道を掃いていた。警戒しながら、俺は話し掛けてみた。


「おはようございます。ちょっとお尋ねしたいのですか……」


「あなや! 下がられよ!」


 男は掌を突き出した。驚いて足を止めた俺は、一歩後退してから、路面に伸ばした男の手の先に目を向けた。そこには一冊の写真集が落ちていた。猫の写真集だ。


「コネさん、落ちましたよ。にゃんすけ先生の写真集」


 平安装束の男は拾い上げたその写真集を持って、肩に太った猫を乗せたカーゴパンツの男の方に走っていった。写真集を渡してから短く会話を交わした平安装束の男は、猫の男に会釈してから路地に姿を消した。


 俺はひろしと共にその猫の男に駆け寄った。


「すみません、あの、ちょっとお尋ねしても」


「何でしょう」


「よかった、あんたはまともそうだ。いくつか訊きたい。まず、向こうで竹刀を振っているダンダラ羽織の女性は何者ですか」


 俺は通りの奥で浅葱色の羽織姿で竹刀を素振りしている若い女を指した。


「ああ、かおりんさんですね。そこの『妖精処かおりん』のオーナーさんですよ」


「あの発光している人は――人だと思いますが……」


「UDさんですか。ああ、『キラキラ妖精ショップUD』の店長さん。サングラス無しで直に見ると目をやられますよ」


 俺は額に手を立てて光を遮りながら言った。


「ここは異世界か。どの店も、いったい何なんですか。『妖精館ツキモリ』とか、『妖精雲丹』とか。寿司屋か。『私は妖精パンターニ』とか、もう自分が妖精だし。そもそも、その妖精って何なのですか」


 猫の男は肩の上の丸々とした茶トラと同期しているように同時に左右を見回すと、小声で耳打ちした。


「小説です。ここは妖精書店通りと言って、皆さん、自分が書いた小説を本にして店で売っているんですよ。空想の賜物で、夢があり、恐ろしくもあり、過去にも未来にも登場する妖精は、その隠語なんです」


「じゃあ、おたくも?」


「ええ、まあ。そこの角の『にゃんすけ先生と妖精の森』が私の店です。こういうのも売ってますが――」


 男は握っていた写真集を掲げた。その横で茶トラの猫が誇らし気にポーズをとる。男の足下で、ひろしが悔しそうに吠えていた。

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