第17話 クッキーを作ろう

 マイラはダンスが中止になり、今は体幹を鍛えるトレーニングをしている。習い事がない日は気の向くまま刺繍を刺している。


 前世では茉依の食事を作らない母親から食事代に千円を毎日もらっていた。


 食費を切りつめて購入した刺繍道具を両親が見つけ、捨てられて以来、刺繍をすることはなかった。


 幼い頃の趣味だった刺繍を、今は思う存分に楽しんでいる。


 優しく接してくれる国王とフレーデリックに感謝をこめて、ハンカチを贈ろうと刺繍を刺している。


 国王には紋章を、フレーデリックには前世である福の姿を。国王のハンカチはすでに仕上げており、福の姿に取りかかるところだ。




 フレーデリックは数日前から視察で宮殿を留守にしている。一週間ほどで視察を終えると教えてもらった。




 お茶の時間になると、必ず来ていたフレーデリックがいない。ケッセルリング土産でもらったアイシングでかたどられた花が咲く角砂糖を目にして、フレーデリックがいないことに気を取られる。


(……なんだろう、変? な感じ)


 不意に湧いた感情に戸惑う。

 宮殿に住んでから高熱で寝込んだときと、ケッセルリングから帰国して以来、フレーデリックを見ない日はなかった。


 気がつくと、フレーデリックの姿が視界に入っていた。

 姿が見えなくて気を取られるのは、マイラの心にフレーデリックが微かに入り込んでいるのかもしれない。


 それにマイラが気づいていないだけで。


(ハンカチだけで感謝は伝わるのかな? 何かを添えて渡すのはどうだろう。う〜ん、クッキーとか)

 

 人と感覚がズレていると自覚したマイラは、カルラとニーナに相談する。


「あのね、陛下とフレーデリック様にハンカチを贈りたくて刺繍を刺しているんだけど、何か物足りなくて。手作りクッキーを添えて贈るのは迷惑かなぁ?」


 カルラとニーナは目を丸くしてマイラを見つめた後、顔を見合わせた。

 これはマイラとフレーデリックの仲が一歩進むチャンスになると、二人は頷き合う。


「ハンカチにクッキーを添えると喜ばれると思います!」


 ニーナは身を乗り出して目をキラキラさせている。


「陛下もフレーデリック様も甘い物がお好きですし、マイラ様の手作りだと知れば、より喜ばれるかと」

「そっ、そうかな? なら明日、厨房の隅を借りてクッキーを作ろうかな」

「なら、料理長には私からお願いをしておきますね」

「ありがとう。お願いします」


 マイラはほんのりと頬を染めてはにかんだ。


 翌日。

 クッキーを作るなら汚れても大丈夫な服装がいいだろうと、カルラがメイド服を持ってきてくれた。


 メイド服に着替えたマイラは髪の毛を三つ編みにしてもらう。

 カルラとともに厨房へやってきたマイラは緊張のピークに達し、顔が引きつって悪役顔になっている。


 悪役顔になりながらも、料理長や料理人にきちんと挨拶ができるだろうか、邪魔に思われないかと、行動を起こす前から心配している。


 カルラと一緒にきた令嬢は、ライラック色にリラ色のメッシュが入る髪色に銀色の瞳は鋭く、悪役令嬢そのもので、料理人たちに緊張が走る。


「料理長、昨日お願いしたクッキーを作るマイラ様です」


 カルラが声をかけると、穏やかそうな男性が近づいてきた。


「マイラ様、宮殿の料理長をしております、マルクと申します。クッキーをお作りになるとか。緊張しないで楽しく作りましょう!」


 マルクはマイラの緊張を解くように穏やかに声をかけて、人懐っこい笑みを浮かべた。


「あ、あの、マイラと申します。マルク料理長、厨房の皆さん、お世話になります。皆さんにご迷惑をかけないように心がけますのでよろしくお願いします」


 前世が日本人だったマイラは身についた習慣で頭を下げる。


(しまったぁ〜頭を下げちゃいけないんだっけ)


 慌てて頭を上げたマイラは、緊張とやらかした思いで無表情のまま、狼狽える。


「マイラ様、大丈夫ですよ。力を抜いてください」

「ええ」


 マイラは深呼吸を繰り返し、真剣な面持ちで料理人たちと向き合う。


 令嬢が頭を下げるのを初めて見た料理人たちはびっくりしたが、マイラの真剣な表情に、遊びで来たんじゃないと理解した。


「マイラ様、困ったことがあれば何でも聞いてください。こちらこそよろしくお願いします」


 料理人たちも揃って頭を下げた後に笑顔を見せた。きちんと挨拶ができたと、ホッとしたマイラは無意識に柔らかい笑みを浮かべていた。


 マイラの笑みに、悪役令嬢のイメージが一掃され、ほんわかした雰囲気になり、気分よく料理の下ごしらえに取りかかった。


 昨夜のうちに料理長と料理人たちはミーティングを開き、料理長がマイラに付きっきりになると予想して、明日の夕食の仕込みなどを誰が担当するか、細かく決めていた。


 令嬢もクッキーを作るなら楽しんでもらえるようにフォローをしようと、マルクは考えている。


「マイラ様、こちらへ」

「はい」


 料理長にクッキーを作る場所に案内された。台の上には小麦粉や砂糖、バターや卵とバニラオイルが用意されている。


「クッキー作りを楽しんでくださいね」


 マルクは人差し指を立てて、ウインクをする。お茶目な料理長にマイラも自然と口角があがり、頷いた。

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