忘れない夢、忘れる夢
黒い猫
第1話 夢
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
8回目にあの夢を見たのが、もうすでに随分と昔のことのように思える。
どんな歌舞伎座でも、出るだけで観客の視線を独占し、一挙手一投足に思わず感嘆してしまう、そんな役者が俺の夢だった。
だからこそ、夢が叶うときのことを夢に見る。
そして決まって俺は、山場を迎える前に夢から目覚めてしまう。
舞台照明が眩しいくらいに役者を照らす。
ひときわ明るく照らしたあと、唐突に全ての証明が消える。
それと同時に世界から音が消えたかのように静まり返る。
あぁそうだ、覚えている。ここからがトリの登場、いやトリの降臨なのだ。
「シャリン」
揚幕が開く音でさえ透き通り、そして大きく響く。
舞台を光が照らす。
舞台に上がった俺に観客、いや歌舞伎座にいるすべての人の視線が集まる。
照明がとても眩しい、影が俺の跡を堂々とつけてくる。
舞台にいるのはひとりだけで十分だというのに。
見栄も切らず、口上を述べずとも、俺は観客の目を独占する。
かつてないほどのことに高揚すると同時に、まねき看板の男と
眩いほどの照明と、それに照らされる赤があまりにもきれいで、観客ともどもしばし見入ってしまう。
遅れて観客の悲鳴にも似た歓声が、歌舞伎座に響き渡る。
一人、また一人とその歓声によって目を覚ましたかのように声を上げる。
前まで男が立っていた場所に立ち、堂々と見栄を切る。
赤染をして間もない衣がよく映える。
あの日は、山場のみで満足してしまったのか、観客がひどく急いで帰ってしまったのは残念だったが、それほど俺が見せた
あの日の俺の
あの日から俺の人生は―――
―――ジリリリ、ジリリリ、ジリリリ
何度目かのアラームだろうか、夢の続きを見ようとするが脳は覚醒しようとしているようで、一向に見ることはできない。
幾度かのチャレンジを経て、諦めることを決める。
8時を指す時計を横目に確認し、急いで準備をする。
ついに脇役をもらうことができたのだから遅れることなどできないのだ。
あの夢を見たのは、これで10度目だったか。
抱いていた夢はもう、忘れてしまった。
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