用無しの留め具

月夜崎 雨

用無しの留め具

単刀直入に言おう。

世界は、私を取り残した。


平日の朝。駅前のコンビニエンスストア。

毎日出勤のお供にしている缶コーヒーを手に取り、レジへと向かう。

何かしらの事務作業をしている店員。私は声をかける。だが、気付いていない。

もう一度声をかける。気付かない。

もう一度、大きな声で呼びかける。私の存在を無視するかのように作業をしている。

もう一度、声を出そうとした時に、後ろから強い衝撃を感じ体勢を崩した。

誰かに殴られたのか?

振り返りレジを見ると、スーツ姿のサラリーマンが作業をする店員に声をかけ、会計をしてもらっている。店員は何もなかったかのように、淡々とレジを打つ。

会計を終え、サラリーマンが出口に向かう途中に、私はかっとなり肩を掴んだ。だけれどその手の力を感じていないかのように歩みを進め、しまいには出口を通り過ぎてしまった。私の存在を認識していないかのように。

私の頭には疑問符しか無かった。何が、何が起きたんだ?

茫然と立ち尽くす私。だけれど無慈悲かな。会計を終えた数多の人が私の存在を無視するかのようにぶつかり、通り過ぎてゆく。声をかける私を無視して。

唖然。私は唖然とした。




その日を境として、私は全世界の人間から無視され続ける存在となった。

道で立っていれば何人もがぶつかりだれもこちらを見ない。立ち入り禁止されている区域に入ろうと、万引きをしようとも、だれも私を咎めない。咎められない。

私は他者と同じ世界で暮らしているが、私だけしか居ない別の世界にも存在している。そんな摩訶不思議な人間となってしまったんだ。


喜んだ。

そりゃあもう喜んださ。

真の「自由」があるのだと心の底から確信したよ。

だって、仕事に行かずとも、決められた生活を過ごすまいと、犯罪を犯そうと。誰も、何も言わない。私は誰にも干渉されないのだから。

私は思いつく限りのことをした。

寝て起きて、今日のやりたいことを決め、欲望の赴くままに行動した。

口で言うことも渋ってしまうような。そんな行動。

過去の自分では到底できないほど「自由」に行動した。


そんな生活は、最初こそ良かったものの、だんだんと焦燥感を覚え始めてきた。

私は、このまま誰からも認識されないまま死ぬのだろうか。誰にも知られず野垂れ死んでしまうのだろうか。そう、感じてしまった。

かつて友人だった人も。私のことを嫌っていた人も。頭の片隅に私という存在を残していた人も。今となって私は「赤の他人」となってしまうのだろうか。

手を伸ばせば届く距離だが、心の距離は何千、何万、何億と離れている。

そう思えば、過去の「他人から認識されている私」も幻覚であったかのように思えてくる。今の「誰からも認識されない私」が本当であり、過去の私は都合がいいように見せられたただの幻覚。

とすると、私は、一体、何なのだろうか。

私は何のために存在し、他者は何のために存在しているのか。

私から見るあなたたちは「あなた」であるが、あなたたちから見る「わたし」は、一体何なのだろうか。

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用無しの留め具 月夜崎 雨 @ame_tsukuyozaki

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