▲▲▲様 後編

 本当に可愛らしい奴だった。八つも年下だから話が合うか不安だったが、巫女としてだけではなく人間的な魅力にも惹かれていった。彼の性自認は男性だったものの、睨んだ通り女属の魂であり、磨かれた内面は外面に現れると実感する。

 写真が好きらしく、スマホでよくツーショットを撮ったし、出かけた先々で景色を撮影していた。SNSに頻繁にアップして、幸福そうな姿をよく発信していた。俺の姿は足元と背中だけ映っている物だけを使うと約束して、親交を情愛と共に温めていった。

 三度目か、四度目のデートで改めて告白し、晴れて恋人となった。お互いに大人なので、体の関係も持った。少しずつ慣らして、しっかりと信頼関係を結んでいった。


 全ては▲▲▲様の為に。


 全ての苦痛を得るとするなら肉体的にはもちろん精神的な痛みまで網羅せねばならない。幸福だ。倖いだ。その味を知っておかなければならないのだ。調和のためにも、世界の調和のためにも。


 すっかり寒くなった頃、男二人にはやや狭いがアパートを借りて同棲を始めた。俺の荷物は施設にほとんど置いているので荷物はカバン一つだけ。彼もダンボール四つほどで済む荷物だったので引っ越しは驚くほどスムーズだった。

「あのさ。さすがに家賃、少し出したいんだけど……」

 家具の購入から設置までの費用はもちろんのこと、家賃は俺が持った。当然だ。ここは施設よりも重要な拠点になるのだから。

「息してるだけで嬉しいから気にしないで。それに、年上ぶったことさせてよ」

「うーん、この溺愛っぷり」

 金色の光が溢れて日向のような暖かさに溢れている。素晴らしい。いつまでも引っ付いて居たくなるほど居心地が良い。荷解きを手伝えば半日で片付けが終わり夜にはのんびりと過ごすことができた。


 引っ越した初夜という区切り。記念すべき日に交わりたくなるのは人の性とでもいえばいいのか。

 男を抱くのにも随分慣れた。女とすることはあまり変わらないな、と言うのが正直な感想で、快楽もあるし愛もある。

 激しさはなく、緩やかに愛を確かめるような交わりだ。

「身体、辛くないか」

「ン、……へいき……」

 熱に浮かされて汗をかいて。互いの体温が混ざり合う。少しずつ馴染んで来てから、揺り動かす。

「愛してる」

「俺も、んっ、ぁ、んんっ……!」

 緩やかな律動に声を震わせて中が蠢く。普段のくるくるとよく回る無邪気な表情が、今は悩ましげで官能的な色に濡れている。

 ▲▲▲様の存在を知らず、▲▲▲様の為という下心もなく、上質な魂の持ち主により底上げされた調和は、間違いなく強い影響をもたらすだろう。

 俺は計画を次のフェーズに移す事にした。

「試したいこと、あるんだけどいい?」

「んぇ……?」

 夢見心地に委ねていた彼の返事を待つことなく、一度引き抜いてうつ伏せにさせる。やや乱暴に扱ったが、驚きで声が出ないみたいだ。

「こういうのに興味あったんだ」

「ぃ、あっ、……!?」

 後ろから勢いよく貫いて、激しく抽挿する。肉がぶつかる音と共に、押し潰されるせいで彼の喉から悲鳴みたいな空気が漏れた。

「はっ、ぁ"、ッ! な、ァ"ッ、なにっ……!」

 ゴツゴツと穿たれているのに、碌な抵抗もできぬままなのが哀れで可愛らしい。吐き出されるのが無意味な音になってきたあたりで、あらかじめ用意しておいたバラ鞭を背中に打ち付けた。

「ヒッ! い、っ……!」

 パン! と派手な音がした。じわじわと赤くなっていき、白い肌に赤い線がくっきりと浮かぶ。

 反応が断然違う。痛みの為か、強い刺激によるものなのか。今までとは比べ物にならないくらいのうねりとくねりで、俺は息を溢す。

「ああ、すごいな。お前、本当に才能あるな」

「痛ッ! つ、ぁ……! やだ、ねぇ、怖い! やだっやだぁ!」

 繰り返し背中を打つと、僅かに血が滲む。光が揺らいで、一際輝いた。ああ美しい! 生命の質を感じる色だ。やはり、俺の見立ては間違ってなかった!

『特薬を使いなさい』

 不意に告げられた、▲▲▲様の言葉に俺は首を傾げた。施設の中で薬事班を作り、天啓を伝えてから好きにさせて居たが特薬と言うものについて知らぬままだ。▲▲▲様は灰色の腕でサイドチェストを指をさす。まさか、と思いながら引き出しを探ると、液体の小瓶が出てきた。

『お前も巫女も使いなさい』

 摂取は経口で良さそうではある。早速、口移しで彼にも飲ませ、俺も二口飲む。シロップのように甘く、同時に苦い。口にしたことのない味だ。形容し難いが、それが高揚につながる。

「せっかくだから、楽しもう。な? きっと気持ちいい」

「ねぇ、何、何飲ませたの……!?」

 それからは、めくるめく夜となった。▲▲▲様と共に巫女を組み敷く遊びに思えて、矮小な俺の恥知らずな行為を全て見られていると思うと堪らなくなる。

『痛みを』

 鞭で打ち据えて、肌の内側にある皮膚を見る。

『所有を』

 ピアッサーを使って、新しい傷と装飾を与え巫女らしく粧う。

『痕跡を』

 歯型をつけて、より光を発露させて輝かせる。

「いや、いあ! あ、やら"ッ! それ、やらぁ! あ"、あぁッ! はっ、ぁ"、やら……!」

 視線が定まらず、呂律が回らず、恐怖と反比例して快楽に溺れる巫女の姿。▲▲▲様もお気に召したようだ。断続的に白濁を吐いて汚していくので、果てる度に皮膚が裂けるまで痛めつける。

 ▲▲▲様が後ろから俺の肩を掴む。耳元で囁かれる福音に従っていじめ抜くうち、言いようもない多幸感が胸に満ちていく。

 今までは、彼が嫌とも、やめてとも、言うようなことがあればすぐに止めていた。今日からはもう一歩進んだ関係になる。彼を巫女として扱うのだ。そしてもう戻らない。

 愛が変わるわけではない。庇護がなくなるわけでもない。愛し方と捧げ方が変わるだけなのだから。


 ◆


 その日から、儀式は一日おきに行われた。肉体的な疲労や傷の回復の為に必要なことで、継続することが最も重要である。

 加減や線引きの具合は、さすが▲▲▲様といったところで、命に関わるような危険は全くない。

『巫女を外に置きなさい』

 ▲▲▲様に言われるまま、寒空の下ベランダへ放り出す。今日は今年一番の寒さだ。しばらく喚いていたが、やがて物音ひとつしなくなる。様子を見てみると、手足を引っ込めて衣服の中に仕舞い込んで丸まって耐えていた。街中で見かける猫と同じだ。ただ目の前の寒さを凌ぐために、今を生きている。日が落ちて余計に冷えてきているはずだ。

 健気な姿に胸が締め付けられるような気持ちになって、俺は目一杯優しい声で彼を呼び入れた。

「寒かっただろ? 温めないとな。ごめんな?」

「ひ、い"ッ、うあ"ああああっ!」

 温めてやらないと。けれど逃げられないようにしないと。強い拘束を施す必要はない。動けなくなれば良いのだ。熱湯はいい。毒もなく汚れもしない。乾きさえすれば何もないのだ。

 俺は湯をかけながら思う。そうか、こうして欠損せずに機能を失えば、同じようにして機能をなくしたどこかの誰かが取り戻すことになる。▲▲▲様の奇跡と恩恵を享受するものが増える! こういった苦痛もあるのか!

『愛を囁きなさい。慈しむ愛は彼を救います。そして二人の間にある絆をより強くするのです』

「これも、俺とお前の為だから。ありがとう。辛い思いさせてごめんな。愛している。誇張なしに、俺にはお前だけだ」

 ばたばたと足を動かすのを抑え、風呂場に連れて行く。今度は冷水シャワーで冷やしながら優しく触れた。怯えで目が溶けるほどに泣いている。不安が消えないのだろう。抱きしめてやると心底可哀想になるくらい震え、縋り付いてきた。


 苦痛を与えるのも、安寧を与えるのも、俺の役割なのだ。慈しみと愛おしさで心臓が爆発しそうになる。愛らしい、俺の恋人。


 俺は気付きを得た記念を残したくなって、彼の耳にピアスを増やした。耳に針を当ててもすっかり抵抗しなくなってしまったが、皮膚と軟骨の抵抗は変わらない。通過する感覚に、身体を竦ませて気弱に唸る。だから、俺は何度でも囁く。

「ああ、可愛い。また一つ可愛くなったな。本当に可愛い。今度はどんなピアスにしようか。楽しみだな。また新しいのを買おう。お前が痛がるおかげで、何処かで救われる人が居るんだ。ああ、可愛い、俺の恋人……」

 虚ろな瞳のまま、緩やかに笑う姿が心底愛おしくなる。その日は添い寝をして、寝付くまで頭を撫でてやった。


 翌朝、特薬を使う為にサイドチェストを開けると使い捨て注射器の束が入っていた。驚愕のあまり声が出ない。▲▲▲様の導きはどこまで広がっているのだろう。経口よりも特薬の効き目は覿面だった。俺は▲▲▲様に言われるまま使った。無論、彼にも。

 年を越して最も寒い時期を過ぎ、春の芽生えを感じる頃には、感覚がより研ぎ澄まされて、▲▲▲様の意向をより正確に理解でき、また威光についてより肌で感じることができるようになっていた。イコウの理解はこの儀式の精度を上げるのに不可欠だ。最短の期間で最大の効果を得、最適な調和により最高の世界へといち早く変わっていくのに必要なのだから。


 手枷を嵌めた彼の手首にキスを落とす。すっかり痕がついていたが、それさえも愛おしい。▲▲▲様に捧げた実体が身体に残ることでより強く広範囲の調和が為されるはずだ。証拠に、特薬が薄れたあとでも▲▲▲様の存在が同等に感ぜられる。

「ああ、すごい。すごいぞ! きっと今日、答えが一つ手に入る!」

 痛ましい姿になった俺の恋人。飯の量を減らし始めてから、目に見えて痩せていった。物が少なかったはずのアパートは散らかり三昧で初めの頃の空気は見る影もない。劣悪な環境にしていくと、施設の設備はより整い始めた。これも調和の一つであろう。

 ▲▲▲様の巫女。俺たちは素晴らしいカップルだ。預言者と巫女。その上パートナーであるなんてなんと素晴らしいのだろう。空は朝焼けに染まり美しい芽吹きを感じさせる色をしていた。▲▲▲様はぐるぐると稲妻を辺りに漲らせ、腕の翼を大きく広げる。真っ白な翼は孔雀よりも鮮やかでカラスよりも深い色だ。

『捧げなさい』

 さすれば叶えられん。

 天啓が眼前で弾けた。俺が叶えたいものは決まりきっている。▲▲▲様の御威光が更に更に更に行き届き俺たちのように選ばれた人間が平和に生きることだ。全ては調和の成せる結果であり起点である。

 調和に至るには、俺たちの描く世界は苦難だけでは足りない。平和とは誰も苦しまないことだ。平和とは誰も置き去りにされないことだ。平和とは餓えに喘がないことだ。平和とは誰も血を流さないことだ。

 巫女が引き受けた痛苦の中には血を流すものが無かった。つまり。

 血だ。血が足りない。

 血を捧げなければ!

「ああ、俺はやはり、選ばれている! 答えにすぐに至るのは、導かれているからだ!」

 巫女から血を流すにはどうすれば。魂の光は針で突けば破裂しそうに腫れ上がっている。

「飛び散りそうだな、楽にしてやるからな」

 俺の言葉が全く理解できないのだろう。特薬を与えても▲▲▲様の存在を感じないので、選ばれない側なのだ。それは仕方ない。しかし魂の光を朝日に負けず劣らず強くなっていく。その明かりは太陽に勝ってならない。▲▲▲様の為になるものを、と手を伸ばした先にあったのは千枚通しだった。

「ひっ、ぃぎ! いぁ、ッ! なんぇ、なんでぇ!」

 覆い被さる体勢で何度も突き刺す。主に太ももを狙って突き刺すと、特薬のおかげなのか、緩く熱が集まっていた。生命の高まり。生命の根源。外殻を打ち壊して、解放してやらねば!

「お前、外殻固いなぁ! さすがはお前だ。解放しよう! きっと気持ちが良い!」

 手に持ったものを落とす。代わりに握らされたのは包丁だった。

『捧げなさい』

「ひ、あ、……! うわ"あ"ああぁぁ!」

 ▲▲▲様の声と重なって、絶叫が上がる。恐怖に満ち満ちた声だった。ああ、素晴らしい。心の底からの恐怖! これならば調和として得られる安寧は、どれほどのものだろう! 振りかぶって突き刺そうとしたが、手枷の鎖部分に当たってしまった。咄嗟に庇ったようで、手枷の一部が緩んだのを包丁伝いに感じる。

「いや! いやぁ! うああああぁッ!」

 手枷がゴトンと音を立てて落ちる。自由が利くようになったために激しい抵抗にあった。眩さに慣れたつもりだったが、閃光がほとばしる。突き飛ばされた弾みで倒れこみ、後頭部から目の奥へ強烈な衝撃が抜けていった。

『捧げなさい』

 頭に何かぶつけたのだと理解する頃には、視界に星が散っていてまともに立ち上がれずに呻く。あいつが錯乱して喚く声が遠くでする。

『捧げなさい』

 刹那、鋭利な痛みが身体を貫いた。驚きで跳ねる前にもう一度。悲鳴を上げるより先に二度、三度。闇雲に制止しようとして胸に四度、五度。

『捧げなさい』

 繰り返される感覚に世界がループする。ブレイクしなければ抜け出せない世界。突き刺さす何かに釣られて胸が上下する。世界が水浸しになって沈んでいく…………

『捧げよ』

 何が起きているか分からない。身体に触れる液体が温かいのに、寒くて仕方がない。しかし意識が遠のく感覚が気持ちよく、羊水に浸っているみたいだ。

『捧げよ。お前を。お前の全てを』

 くっきりと浮かび上がるのは▲▲▲様の御身と珠声。

「──……」

 口を動かそうとしたが上手く動かせない。いや、それどころか。周辺が暗闇に包まれている。先程まで朝日を浴びていたのに。▲▲▲様だけを感じる世界……。▲▲▲様が俺を覗き込んで。真後ろから。あらゆる角度に▲▲▲様がいらっしゃる。

『心身ともに捧げたお前の魂は、私のもの。姿も、声も、魂も、私のもの』

 俺はこの境地に至れたことを喜んだ。肉体は要らない。▲▲▲様が使うには、この肉袋はあまりに穢れてしまった。しかし裏を返せば肉体以外の俺の全てを捧げれば、▲▲▲様が俺の姿を象ることができるのだ! ▲▲▲様は俺を同化させるどころか、恐れ多くも矮小な俺の姿をお使いになるおつもりなのだ。きっと市井へ降りられて、顕現を確固たるものになさるのだろう。

『蛹から孵るまでの短い間、私の腕(かいな)に抱かれよ』

 ▲▲▲様の黒い腕が、白い腕が、俺を包む。このような楽園があって良いのだろうか。眼前よりも近いところに▲▲▲様を感じる。空いた穴から、力が流れ込んで身体が溶けていく。


 ◆


 ▲▲▲様。俺は。

「…………」

 俺は倖いです。

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