第十六話:聖女の旅路と光の試練

 セルゲイがエシルに留守を任せると同時に、ユルゲンの修道士に仕事を引き継ぎ、旅行カバンを手に風詠みのやいば一行の旅に同行することになった。


「ユルゲンはずいぶん変わったのですね……。墓守の仕事を率先して引き受けてくださる修道士がいるなんて驚きです」

 クララが素直に感心していると、セルゲイは目を伏せた。

「新司教様の改革のおかげです。シスターの働きもあるかもしれません」

 旧司教と男爵の癒着を、セルゲイやクララたち庶民の手で暴いたあの事件を機に村人たちは変わった。

「その件はルーネでも広まってました。まぁ、吟遊詩人の歌でセルゲイさんの存在は何年も前から知られてましたが」

 ラッセルがフェイガードを撫でつつ、会話に参加する。

「そうなんだ。王宮にはクララの手紙と執事くんの密告書が届いてから知ったね。ボクはガイルンくん……有名な吟遊詩人だね、彼から情報を仕入れていたけど、彼らは重要視しなかった」

 リアンは拾った棒をくるりと回した。

 御者台に座るガルドは手綱を握り、隣に座るレオに声をかける。

「のちにユルゲンを統治したルーヴェン伯爵の策略でハーフエルフを遣わせたんじゃなかろうかとも噂になっておったのう、狼の」

「セルゲイ、そんなヤツに見えなイ。ニオイも清純そのものダ」

「運が良かったんじゃない? 男爵のそばには今にも裏切りそうな有能な執事、変革をもたらす亜人、教会にも教義に不信感を募らせる見習いさん。ここまで舞台が揃ってるのも珍しいわ。女神がいるなら妖精女王と仲がいいのかも」

 リリスは足を組み直し、耳を動かした。

 クララが両手を胸の前で組み、空を見上げる。

「女神様の思し召しなのですね。なら私の信じる信仰も女神様が肯定してくれるかもしれません」

 禁書の内容と教会の教義には剥離があり、疑問に思う者も冒険者を中心に多い。だが、教会に反旗を翻したりしたら自分の身が危ない。だから今まで声を上げる者がいなかった。自分たちの行動次第でクララが危ない目に合うかもしれない。慎重に行動しなければ。


 森を抜けると平原が見えてくる。馬車が完全に森から抜けると、火球が飛んできた。前方の草が炎に包まれる。炎の前から馬蹄ばてい音が鳴り響き、馬車の馬がいななく。ガルドが手綱に力を込め、馬を落ち着かせた。レオが耳を動かし、遠吠えをする。呼応するようにフェイが吠え、セルゲイに念話を飛ばした。

(あるじ、危険だ)

 森から二十人ほどの武装した聖職者が茂みから飛び出し、馬車を半円形に囲んだ。

「総員、警戒!」

 ラッセルが叫び、荷台の皆が飛び降りる。ガルドは馬を安全な場所で停めた。燃える草が煙を上げ、視界を遮る。そこに威厳のある声がした。

「教会の脅威である異端の聖女をひっとらえろ!」

 異端審問官がメイスをクララに向ける。横に並ぶ重装備の後衛術師が祈りの文言を唱え始めた。


 風詠みたちにレイピアを持って向かう軽装備の前衛は、身体強化の祈りを済ませているのかレオとセルゲイに狙いを定めた。炎の中から武装聖職者が飛び出す。レイピアとレオの剣が当たって火花を散らす。セルゲイは短剣でレイピアを受け流した。

「『女神マリテよ、障壁をもって我らを守り給え』! 二人とも、大丈夫ですか?」

 ラッセルが早口で皆に防壁を張り、クララを背に隠す。

「『ウィンドカッター』! ええ、大丈夫です。風詠みさん、殿下は後衛にダメージを与えられそうですか? フェイはクララを任せたよ」

 風の刃が武装聖職者を切り裂き、片腕に深い傷を負わせた。頬に付いた血を腕で拭い、セルゲイはラッセルに呼びかける。

「『女神よ、彼らに力を与え給え』……これで、体が軽くなるはずです。ガルド、殿下は後衛の術師を頼みます」

「あいよ! 『アーススピア』!」

「『トルネード』! 確かに、これなら前衛は楽そうだ」

 ガルドの土のトゲをかいくぐった者をリアンの燃える草を利用した炎の竜巻で巻き上げ、地面に落とす。致命傷を免れた敵の頭をリリスの矢が突き刺さり、ぐったりとその場に横たわった。

「打ち漏らしは私に任せてよね!」

 鈍い音と轟音が平和な平原を戦場におとしめる。


「冒険者ごときが……。さっさと異端者を渡せばいいものを。前衛二人をなんとかしろ!」

 指揮官が低く唸り、二人を殺すよう命じた。そうはさせまいとレオとセルゲイが応戦する。だが、細い切っ先はレオの防具を破ることは出来ない。

「『女神マリテよ、聖なるつるぎに更なる奇跡を我にお見せ下さい』」

 そう唱えると、レイピアが鋭く光り、レオの肩当てを貫き、浅い傷を負った。

「……っ。あれは、なんダ?」

「多分、武器に強化魔法を施したんです。レイピアに巻き付くように白い風が見えます」

 ラッセルの張った防壁をかいくぐり、敵は強化されたレイピアで突いてくる。そのたびに体毛が舞い、レオの尻尾が逆立つ。

 セルゲイは前方に風の盾を構築するものの、敵はなおも突撃してくる。どうやら敵に効果はなさそうだ。

「『ウィンドウォール』! くっ、効きが弱い? 魔法への耐性を上げているなこれは……」

 短剣で受け流し、胴に蹴りを入れる。後方の敵に当たり、ゆるい下り坂で上体を崩した。数人の軽装の敵が転がり、後衛にぶつかる。

 敵の後衛は魔法耐性の祈りを唱え終わったようだ。


「クララさん、これはチャンスですよ。魔法と祈りは別だとすれば、あなたの祈りでどうにか出来るかもしれません」

 ラッセルが馬車を盾に身を隠し、震えるクララを振り返る。

「後衛は魔法耐性の祈りは唱え終わっていても、対僧侶の祈りの耐性のすべを知りません」

 土埃と鮮血が舞い散る中、クララは懸命に祈る。右手の中指がキラリと光り、クララに勇気を与えた。フェイガードが心配そうに鼻を鳴らし、マズルをこすりつける。


 数分間の激戦のあと、敵が距離を詰めてきた。クララは目を閉じる。頭から全身に。全身から心臓にマリテの魔力が満ち溢れてくる。

「……『女神マリテよ、闇を払う光を与え給え』」

 クララを中心とした光の波動が敵の防御壁を打ち破る。そのまばゆさに目を覆う異端審問官たち。パリンと音がし、敵の障壁が割れたタイミングでセルゲイは魔法を唱えた。

「『ウィンドスライス』!」

 鋭い風の刃が敵を切り裂き、鮮血が飛び散った。軽装の敵は痛みでその場にレイピアが落ちる。それを見た敵の仲間はは青ざめ、恐怖で声をつまらせる。後方の敵にも当たっていたようで、重装の胴鎧に傷をつけた。

 前衛の数が減っていくのを見て異端審問官がたじろぎ、歯ぎしりをしながら右腕を高く上げた。撤退の合図なのか、敵は後退していく。

「異端の聖女よ、予想を越えてくるとは……。これ以上は分が悪い。だが、ゆめゆめ忘れるな。次はないと」


 土埃と鉄の臭いにクララの精神は限界だった。リリスがクララの背中をさすり、ハンカチを差し出した。

「とりあえず汗を拭いて。近くの水場で休憩しましょう」

 ツタ模様のある刺繍の手ぬぐいで額の汗を拭くと、ウィンプルの中からもどんどん汗が吹き出てくる。


 馬車を水場に移動し、クララとリリスはメンバーの見えないところで服を脱ぎ、水浴びをした。

「リリス様、おきれいな身体ですね……」

 一糸纏わぬリリスのスレンダーな身体はみずみずしい珠のような肌と、長く伸びた手足が神秘的だった。

「何言ってんの。クララもキレイよ?」

 赤銅色のゆるく縮れた髪が肩甲骨まで伸びていて、少し膨らんだ胸を隠す。白い肌に赤い髪が映えて恥ずかしそうに潤ませる翠眼が、幼さの残る顔立ちを引き立てた。

 互いの背中を手ぬぐいで拭き合い、戦いの汗を流す。


 服を着替え終わると、男性陣のもとへ歩いていく。

「セルゲイさん、意外と筋肉あるんですねぇ」

「ああ、土ばかり掘ってますから……。殿下もメイドの助けなしに身体とか洗えたんですね」

「嫌味かい? 王宮にいる時は手伝ってもらっているけど、市井にいる時は自分でなんでもやるさ」

「こらっ、狼の! 身体を拭いてからブルブルしろと言っとるだろう。こっちまで水がかかったわい」

「……ゴメン。でもこれは本能ダ」

 今は男性陣も裸なのだろう。樹の幹にもたれかかり、クララは高鳴る胸を深呼吸で整えた。覗くのは乙女の恥と、馬車を停めているところにそろりと足を運ぶ。


「お待たせしました。あ、食事の用意をしてくれたんですね。ありがとうございます」

 ラッセルが木皿を用意するリリスに声をかけると、クララの料理したスープの香りを鼻で楽しむ。それは他の男性陣もそうで、それぞれお腹で返事をする。

「ふふ、みなさんお腹が空いていたんですね。どうぞ、召し上がって下さい」

 水場の近くで食事を摂り、お腹を満たせた。


 リアンが懐から禁書を取り出し、ペラペラとページをめくる。

「クララ。『女神マリテの光が全ての種族を救う』と叔父上の書に記述があるのは知っているよね」

 クララが無言で頷いた。

「それは短いこの旅の中で証明された。ガルドランやニャルティの村の、ユマン種以外の亜人に信仰の息吹が芽生え、祈りの奇跡が使えたことで分かるね」

 パタンと本を閉じ、懐にしまった。

「今、クララとついでにラッセルくんが危機に瀕している。何の策もなくルーネに戻っても良くて幽閉、悪くて死刑だろう」

「策……。アイリーンさんを救うためなら私はどうなっても――」

「アイリーンも多分、同じ目に合うじゃろうな」

 ガルドの非情な言葉にクララは息を呑む。

「今、アイリーンさんは教会に囚われているんですよね……。どうにかこの現状を打破しなければなりませんね」

 セルゲイの言うとおり、まずはアイリーンを救うことを第一目標にした方がいいだろう。

「まずはアイリーンさんの居場所を突き止めなければなりません」

 ラッセルの不敵な笑いにクララの不安を煽った。


 クララのポケットから祈りの鏡が光る。レオが気づき、コンパクトを取り出すと微かにアイリーンの声が聞こえた。

『ク……ララ、いそ……いで……!』

「アイリーンさん! 聞こえますか!」

 クララの声は平原に響き渡るばかりで、アイリーンの返答はない。絶望する彼女と対照的に風詠みたちは互いの顔を見つめ、頷く。

 平原の風が一行を包む中、聖女の光が試される戦場が近づいていることを予感させた。

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