第十四話:聖女の試練とユニコーンの影

 ユルゲンの村の入口に着いたクララは、白百合の香りの懐かしさに胸を踊らせた。教会の関係者に見つからないよう、事前に行商人に扮している。ラッセルが商人に、亜人の三人は商隊を守る冒険者、リアンとクララは目深にフードを被り、認識阻害の魔法をガルドにかけてもらっていた。

「ふぇふぇふぇ、旅の者かね? ……と、クララじゃないか」

 黒のローブに翡翠の数珠ネックレスの老婆に一目で見抜かれてしまった。村の者に気付かれないよう、老婆が小声で話しかけてきたのが救いだ。

「……っ! ゾーイ様でしたか。実は事情がありまして、このような恰好なのです」

「そりゃ、分かるよ。あと、婆に認識阻害は効かんよ、ガルド。幻術防止の秘薬の香水を振っているからねぇ。いい香りじゃろう?」

 レオは鼻をつまみ、尻尾を下げる。

「香水より、薬草の変なニオイ、すル。いいニオイ、違ウ……」

「ゾーイは相変わらずじゃのう! 久しぶりに会えてわしも嬉しいぞい」

 ガルドとゾーイはとある鉱山事故の生き残りだ。手紙でのやり取りはあったものの、前回のユルゲンでの訪問では再会することはなかった。二人は抱き合い、お互いの安否を確認し合う。

 その様子にラッセルとリリスは微笑み、リアンは辺りを確認した。

「再会を祝すのはここでは目立つだろう。どこか他に場所を移そう」

「そうじゃな。婆の『魔女の館』に案内するかね。狼獣人のお前にゃ辛いかもしれんが、我慢せいよ?」

 クゥーンとしょげるレオにクララは小さく笑い、『恵みの森』方面に馬を走らせた。



 恵みの森はもとは穢れの森と呼ばれ、村人に忌み嫌われていた。そこには教会から追われた他種族やあぶれ者が住まい、子どもがかどわかされるとされている。

 しかし、ハーフエルフの墓守、セルゲイの働きにより、森の住人は村に受け入れられ、村にも森に住まう住人との交流もされていた。村の者は住人として村に住むことを提案したが、一部の者は森に住むことを選んだ。それは森の恵みと共に生きたいと願ったためだ。


「カモミールティーでも飲んで、落ち着くといい。して、ここには何用で来られた?」

 ゾーイは客人にハーブティーを振る舞い、スツールに腰掛ける。ラッセルがユルゲンに来た目的を告げると、老婆は考え込む。

「ふーむ。セルゲイか……。彼奴きゃつはこの森の異変に巻き込まれたのか、何日も帰っておらん。エシルも心配そうにしておってな、森に住むドワーフ、グラムにも探させてはおるが手がかりもない」

 クララが動揺で目が潤む。リリスが彼女の肩を抱き、慰めた。

「ユルゲンには魔法使いがおらんのじゃろう? わしの探知魔法の出番かの」

「セルゲイさんの持ち物があれば、レオの鼻とガルドの魔法で行方が分かるかもしれません。お婆さん、なにか彼の持ち物は……?」

「木の枝に引っかかっていた服の切れ端があるぞ。これでええかえ?」

 懐からボロきれを取りだし、ガルドに渡す。ガルドはボロ切れを机に置き、詠唱する。

「『サーチ』!」

 するとボロ布から光が飛び出しふよふよと浮かんだ。

「この光が墓守の居場所を教えてくれるはずじゃ。急ぎ、支度するぞ」

 ガルドの言葉に一行は席を立ち、薬小屋を後にした。



 ゾーイの心配そうな顔に後ろ髪を引かれたが、セルゲイの無事を確かめるのが先決だと言い聞かせたクララは不安定に動く光を追った。

「あの小屋、すごいニオイだっタ。今も鼻が効かなイ」

 げっそりした顔のレオにラッセルが肩を叩き、励ました。

「大丈夫ですか? その内、回復しますから今は我慢ですよ」

「ここに来るたび、レオはしょげちゃうわね。大丈夫、私たちを頼ってよね」

 樹の上で偵察していたリリスも声をかける。その様子にリアンは羨ましそうな視線を向けた。

「キミたちは信頼し合っているんだね。ボクにも側近であり幼馴染のジルがいるけど、肉親である兄様や父様はボクには無関心だったよ。唯一、叔父上がボクに構ってくれていたけど……追放からこっち、ボクに王位継承権があると知ると、無関心だった兄上からは執拗に当たられ、父様からは手の平を返したかのように期待された。ボクが信頼できる人間はジルぐらいさ」

 リアンの横顔には憂いがあった。クララに視線をやると王子は張り付いた笑顔を向ける。

「教会の神託で王位継承権があるかが分かるんだよ。だから放蕩ほうとう息子を演じ、王位を継ぐ気はないことをアピールすることにしたんだ。神託では継承権二位が兄様だから、きっと安心しているよ」

 高貴な人の苦労は分からない。でも、ここには王子としてではなく、リアンという一個人がクララたちと旅を共にしている。今まで接してきた貴族と違い、庶民である風詠みたちと対等な立場で接してくれて、一緒に笑ってくれる。だから彼の王族としての一面も受け入れられた。今までの貴族も、もしかしたら彼らなりの苦労があるのかもしれない。立場や振る舞いで判断していた自分たちの行いを少し恥じた。

「高貴な人にもそれなりの苦労があるんじゃのう。金持ちの鼻持ちならないヤツと毒づいてた自分が小さく見えるわい。お、ここら辺りか? 警戒を怠るでないぞ!」

 不安定な光がその場でくるくると回っている。ガルドは杖で地面に印をつけ、落ちていた枝を突き刺す。森のざわめきがひと際、耳に障った。


 苔むした匂い、鳥が飛び立つ羽音、遠くで響く獣の唸り声。すべてに集中させ、光の半径をリリスは樹上から、他は地面から探索する。

「魔獣の気配がするあっちかラ、見てみよウ」

 獣の唸り声のする方へ慎重に足を運ぶ一行。クララはその前に試したいことがあるとみんなに声をかけた。

「試しに皆さんに祈りの魔法をかけてみたいです。いいですか?」

 ラッセルが一瞬、眉をひそめたが考え直した。

「……無理をしないのなら。ユルゲンまでの道中の訓練では、まだ不十分だということを念頭に置いて下さいね」

 クララはコクリと頷き、新しい祈りを唱える。

「『女神マリテよ、かの者たちに永続的な癒やしを与え給え』」

 彼女の胸元から光が瞬き、光の粒が皆を包んだ。セルゲイならこの魔法の粒も色で判別できるのだろうか。

「なんだか疲労が取れて力がみなぎるみたい。クララ、無理してない?」

「大丈夫です。この祈りなら私自身も回復できると思って考えていたんです」

 クララの顔色は以前より良かった。目の落ち込みもなく、バラ色の頬が血行の良さを物語っている。


 森の中を音を頼りに進むと、霧が立ちこめていた。進むたびに霧が深くなり、一メートル先も見えない状態だ。

「みなさーん、声をかけ合って進みましょう。リリス、歌で霧を払いのけれるかい? ガルドは光の魔法を。わたしも祈ってみます」

 リリスが魔力の込めた旋律を紡ぐ。しかし、その歌声は空に消え、意味をなさない。ガルドの『ライト』は霧の中では乱反射し、余計に視界が悪くなった。ラッセルの霧よけの祈りは立ち消え、この霧が自然現象ではないことが分かる。

「この霧……クララ! どこにいる? 返事をしてくれ!」

 リアンが呼びかけるも、それに応じない。レオが鼻を鳴らしてクララの居場所を探るが、湿度の帯びた空気が阻んだ。


『こちらです。そう、まっすぐ』

 声のする方にふらふらと進むクララ。彼女の耳には、この天使のような澄んだ声しか入らなかった。

 やがて霧が晴れ、森の奥には白い毛並みと輝く角を持つ美しい馬が現れた。

『我とともに来なさい。汝の魂にふさわしい場所に導こう……』

 クララの瞳に光はない。まるで幻惑にかかっているようだった。

「御使い様……? セルゲイ様は?」

『墓守も我のもとにいますよ。安心して身を預けて』

 白いたてがみに触ろうとした瞬間、叫び声が耳に入った。

「シスタークララ! それはユニコーンだ! 近づいてはいけない」

 ゆっくりと声のする方に目をやると、セルゲイの姿があった。

「……っ。シスターが二人?」

 セルゲイの目にはクララが二人いるように見えた。一人は口元に笑顔をたたえ、神のような佇まいだが違和感がある。もう片方のクララは所在なさげに立ち尽くし、瞳には光を宿していない。

 ユニコーンは見た者の大切な人の姿を借りるという。セルゲイにとっての大切な人がクララなのだと認識させられた瞬間だった。

 違和感のある彼女の姿によく目を凝らすと、白い馬の姿がブレて見えた。あれが偽物で間違いないだろう。本物の彼女は妖精界か天国に行く気はあるのだろうか。

「……セルゲイ様、会いたかった」

 どうもその様子はなさそうだ。幻惑で考えがまとまってなさそうだ。すぐさま本物のクララの腕を掴み、その場から避難させる。

「なぜ、彼女をかどわかそうと?」

『妖精女王の愛し子か。クララは天界に選ばれたのだよ。我は隣人の国と天界の使者。選ばれた人間をどちらかに運ぶのが使命なのだ』

「ずいぶん強引な勧誘ですね。彼女はまだこの世界に、いや僕が必要なんだ。まだ用があるなら僕が相手をしよう」

 手元に水の球体を形成し、セルゲイは唱えた。

「『ウォーターカッター』!」

 半円型の水がユニコーンの額をかすめた。クララの姿でなくなったユニコーンの足元に輝く角が落ちている。すると霧が晴れ、風詠みたちの姿もあらわにする。

『今日のところは立ち去ろう。しかし、我はいつでもクララを天界に運ぶ』

 やがてクララの意識がはっきりしてきた。

「セルゲイさ……ま。これは……?」

 彼に肩を抱かれた姿を確認すると、クララの顔が真っ赤になる。

「えっ、セルゲイ様、近いです……。恥ずかしい」

 セルゲイはその姿に心が苦しくなり、クララにぎゅっと抱きつく。

「あ、あのっ! ……会いたかったです」

 最初は恥ずかしそうにしていたものの、セルゲイの抱擁に安心したのか、腕を回し受け入れた。クララは小さく「お慕いしております」と呟き、セルゲイの耳に届かないことを願った。


「あの霧はユニコーンの仕業でしたか」

 ひづめの跡とユニコーンの角を手にラッセルが呟く。リリスも角を触り、目を輝かせる。

「この角、癒やしの薬に使えるのかしら? 昔はユニコーンが人をさらうことはなかったのに、時代は変わったものね」

 ガルドが豪快に笑い、ヒゲを撫でた。

「エルフの昔とな? 一体、何百年前の話なんじゃろな!」

 耳が跳ね、腕を組み不機嫌なことを示すリリスに一行は笑った。

「とりあえず、小屋に戻りましょう。ゾーイ婆さんにセルゲイさんの無事を知らせなくては」

 ラッセルが手を叩き、一行は薬小屋へと戻っていった。

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