第九話:そよ風の王子と聖女の覚悟

 クララと風詠みのやいばの一団はルーネの街角に繰り出していた。

「次は食料を調達しないとね。携帯食に飲料水、長い旅なら葡萄酒なんかも持っていくわ。水と違って腐らないもの」

 リリスがクララに旅支度の手ほどきをしている。ガルドは「葡萄酒より、火酒じゃ!」と言っているが、ドワーフと人間は違うとラッセルとリリスが突っ込んでいた。


 レオの耳が跳ねる。ニオイを辿るように鼻をならし、警戒している。

「ラッセル、黒ずくめのニオイがすル。注意しロ」

 ラッセルに耳打ちし、二人は辺りを見渡した。すると前方数メートル先から、こちらに真っ直ぐ向かう影があった。目深に被ったフードから歪んだ口元が見える。くるぶしまで覆うローブの足元にそよ風がよぎった。

 ガルドやリリスも気配に気づき、黒ずくめの方を見る。クララはまだ気付かない。

「クララさん、わたしの後ろに下がって」

 ラッセルがクララを黒ずくめから隠すと、前方の男はフードを剥いで顔を見せた。


「こんにちは、風詠みの。ボクのこと、だいぶ警戒してたから正体を明かすことにするよ。ボクは――」

「あー! リアン殿下じゃない!? てか、風詠みのとクララまで、どうしたのよ?」

 オリーブ色の髪の少女に邪魔され、ガクッとコケるリアン。一行が声のする方を見ると、アイリーンが私服姿でリアンを指さしていた。

 周囲もアイリーンの指摘にざわつき、リアンを見る。口々に「第三王子?」「またお忍びか」と噂する。民衆の声に居心地が悪くなり、リアンは一行を路地に連れ込んだ。


「コホン。改めまして、アルテリア王国第三王子、リアン・フェルド・アルテリウスだよ。以後、お見知りおきを。ボクの愛しの聖女様」

 クララに傅き、手の甲にキスをする金髪の青年は、王族特有の紫紺の瞳を持っていた。

「そうそう、あたしも王族主催のパーティで見たことあるのよ」

 キスされたクララの顔に熱が帯びる。貴族流の挨拶に慣れているのは、この王子とアイリーンだけだろう。

「殿下、いつも教会に寄付、ありがとうございます。が、わたしたちは庶民の出ゆえ、仰々しい挨拶はお控え下さいね?」

 ラッセルの言葉には怒りがこもっていた。レオがラッセルに「知り合いカ?」と尋ねると、頷き肯定した。

 リリスとガルドも呆れている。

 クララは熱くなった手を引っ込め、ラッセルの後ろに隠れた。


「そんなに嫌わないでほしいなー? キミの手紙とスミス、だっけ。彼の報告書はルーヴェン伯爵を通して国王やボクの耳にも届いているんだよ?」

 そんな大事になってるとは思わなかったクララは、顔だけを出し恥ずかしそうに答える。

「リアン殿下、お初にお目にかかります。でも私はまだ〝見習い〟でして……。どなたかと勘違いされているのではありませんか?」

 王子が目を輝かせ、クララに近寄る。

「赤髪に緑眼、キミは〝シスタークララ〟だろう? ユルゲンでの調査のとおりだ! キミは聖女、そのものだよ」


 リリスとガルドは顔を見合わせる。

「ハーフエルフの青年の依頼の時にいた黒いヤツが、この第三王子だったのか。なるほど、敵意がないのもうなずける」

 ガルドがそう言うとヒゲを撫でた。

「あー。いかにも怪しいあのローブね。レオとラッセルがすごく警戒していたヤツね。なんだ、クララのストーカーだったの? 殺そうかしら」

 リリスが物騒な言葉を口にしながら、長弓に手をかける。クララは慌ててリリスに抱きつき、制止した。

「アハハ、不敬罪にはしないから安心して。クララは随分慕われているんだね」

 両手を挙げ、プラプラと振るリアンは、思ったより親しみやすい人間なのかもしれない。しかし、初対面の女性の手にキスをする人だ。警戒はしておくに越したことはない。


「……それでリアン殿下はなぜクララにこだわるんですの?」

 アイリーンが貴族モードでリアンに尋ねる。

「教会の腐敗を暴きたい。我が叔父エリウス・ヴェリタスは、王家と教会の上層部しか知り得ない女神マリテの真実に迫り、筆をとった。しかし、その本が教会に知られると、目をえぐられ、足を折られ、国外に追放された。なにもない荒野だ。きっと、もう……」

 リアンは懐から『アルテリアの秘史:女神の光と教会の影』エリウス・ヴェリタス著と書かれた本を取り出す。

 本の表紙を愛おしそうに撫でながら、リアンは言葉を紡いだ。

「ボクの小さかった頃、叔父はこの本を書いた。いつかお前に知ってほしいと叔父上はボクに話していったっけ。そして本が発売されると教会の検閲により、禁書と指定された」

 エリウスとリアンの過去に涙する一同。本の表紙には『禁書』の文字はない。ずっと大切に保管していたのだろう。


「でも、国外……というと、帝国との国境の境にあるあの荒野ですか」

 ラッセルが眼鏡を外し、涙を拭う。あの辺りはユマン種はいないものの、何かしらの種族が生息していたはずだ。もしかすると……と思うのはご都合主義なのだろうか。


「エリウス叔父上は高名な魔法使いでね。宮廷魔法使いとして、教会の人間とよく反発していたよ」

 多種族が扱える魔法と、ユマン至上主義の教会との相性は非常に悪かった。彼らの間には二百年もの軋轢が生じている。

「そして代々、国王しか知り得ない女神の秘密を知ってしまった。――ボクを通じてね」

 第三王子なのだから王位は第一王子になり、リアンは公爵に下り、宰相として国王を支えるのではと噂されていたが、どうやら違うらしい。


 紫紺の瞳にクララの顔が映り込む。

「だから、叔父上の意志をボクは継ぎたい。そして、他種族でも安心して暮らせる世の中になってほしいと願うんだ。叔父上の目はもう見えない。生死もわからない。キミがその光になってくれ」

 そう言うとリアンはクララに手紙を渡した。王家の紋章が押された手紙をクララは見つめる。

「殿下、それはクララには荷が重すぎます」

 ラッセルが反論するが、リアンは言い放った。

「クララなら出来る。そう信じている」

 クララは自分の置かれた立場に、不安の文字が頭に浮かんだ。



 クララたちは無言のまま、帰路についた。

 自室に戻ったクララは、リアンからの手紙を読んだ。

『キミがエリウスの光を継ぐ』

 セルゲイからの手紙を読み返し、ユルゲンの景色に思いを馳せる。

「トムさんも満足に癒せなかった私に、エリウスさんのような犠牲を背負える?」

 歴史に葬られた本を手に取り、ペラペラと読む。そこにはアルテリア王国の歴史と教会の闇が赤裸々に綴られていた。


「セルゲイ様みたいに強くなりたい。前は気弱で優しい人だった彼が、あの事件をきっかけに変わった。あの強さが今の私にはない。でも――」

窓の外には二つの月が浮かんでいる。ユルゲンの満点の星空には及ばないけど、チラチラと光る星が見えた。


「私は変わります。エリウスさんのためにも、他ならぬ私のためにも」

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