安全第一!

増田朋美

安全第一!

そろそろ冬も終わって、暑さ寒さも彼岸までと呼ばれる季節がやってきた。本来ならもう暖かくなって来るような季節であるが、今年はいつまでも大雪が続いている。なんだか春・夏・秋・冬と区分してしまうのが、できなくなってくる時代になっているのかもしれない。そうなると、今までやってきた季節感とか、そういうものはみんな役に立たなくなって、新しい安全神話に変わってくるのかもしれなかった。

その日、杉ちゃんたちが、水穂さんにご飯を食べさせようとしていた所、こんにちはと玄関先から声がして、車椅子で梅木武治さんがやってきた。

「何だ、レッシーさんか。どうしたの、こんな寒い日に。」

と、杉ちゃんが言うと、梅木さんは、一人の女性を連れて製鉄所に入ってきた。

「実は、彼女のことなんですが。」

梅木さんは彼女を紹介した。年齢は、20代前後のまだ若い女性である。でも、いわゆる女郎さんのような色っぽさとか、そういうものはない。いわゆるごく普通の女性と言う感じであるのだが、

「お前さんの名前と商売は?」

と、杉ちゃんが聞いた。女性は、杉ちゃんのヤクザの親分みたいな言い方に、ちょっと、怖いなと思ってしまったようであるが、

「いえ、大丈夫です。杉ちゃん、話し方は確かに乱暴だけど、悪い人ではありません。」

と、一緒にいた水穂さんに言われて、ちょっと安心してくれたらしい。

「間垣と申します。間垣美穂子です。」

とりあえず彼女は名前を名乗ってくれた。

「間垣美穂子さんね。それで、お前さんの商売は何だよ?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。大学生です。」

と、彼女は答えた。

「どこ大だ?」

杉ちゃんが聞くと、

「杉ちゃん、あんまり根掘り葉掘り聞くのは辞めたほうがいいのではありませんか。実は、僕のところに鍼の治療で来てくれている患者さんなのですが、いくら鍼を打っても全く良くならないので、それで相談にこさせてもらったんです。もしかしたら、カウンセリングとか、あるいは他の治療が必要なんじゃないかって。」

と、梅木さんが美穂子さんを擁護するように言った。

「いや、こういうやつは、自分のことをちゃんと言える人間にならないと、成長しないよ。それで、お前さんの病名というか、診断名は何だ?」

確かに杉ちゃんの言うことも半分は正解なのであった。

「怖がらなくて大丈夫ですよ。みんなここにいる人達は、いい人ですから。批判する人もいないし、変にわいせつなことをする人もいません。だから安心して、身の上を語ってください。」

水穂さんが優しくそう言うと、美穂子さんは、水穂さんに話をしたいような顔をした。

「ダメダメ。特定の人にしか自分のことを話せないというのはもっと悪いぞ。僕みたいな歩けないやつは、相手が善人であろうと悪人であろうと、歩けないと説明しなければならん。それは、誰だっておんなじさ。お前さんの、診断名と、所属の大学を教えろ。」

杉ちゃんに言われて、美穂子さんは、小さくなったまま、

「病名は、線維筋痛症です。」

と言った。

「声が小さい!もう一回!」

杉ちゃんが言うと、

「杉ちゃん、その言い方はまるで兵隊さんみたいじゃないですか。もう少し、柔らかく話せませんか?」

と、梅木さんが言った。

「うるさいな。僕は僕じゃないか。」

「そうかも知れないですけど、線維筋痛症というのは、体の40箇所に麻酔の注射を打たなければならないほど痛みが発生する病気なんですから、もう少し優しく話してあげてください。」

「そうか。こいつもそうなのか?」

杉ちゃんは美穂子さんを顎で示した。

「そこまで重症ではないですけれども、彼女もひどいときには、歩くのもままならなくなるほど辛いそうです。」

梅木さんが答えると、

「ほんならこいつは違うことになるわな。そういうことなら、こいつにちゃんと、自分の病状を喋らせろ。精神疾患とか、そういうものの治療はそこから始まる。」

と、杉ちゃんは言った。

「ごめんなさい。確かに自分のことをちゃんと言えないとだめだというのはわかります。あたし、流石に、麻酔の注射を打つということはしていませんが、トラマールを飲みすぎて大変な事になったのはあります。」

美穂子さんは恐る恐るそう答えたのであった。今度は、杉ちゃんたちが驚く番である。

「トラマールだって!」

「あれは脳が麻痺するだけで、人間の頭をおかしくさせる薬です。そんなもの、飲まないほうがいい。」

杉ちゃんと水穂さんは、そう言ったのであるが、すぐに水穂さんが、

「痛むところはどこですか?」

と優しく聞いた。

「足がいたいんです。」

美穂子さんが答えると、

「はあ、それで、例えばの話、骨折したとか、骨に悪性腫瘍ができたとか、そういうことはなかったわけだね。」

と、杉ちゃんが聞いた。

「それがあったほうがまだマシです。そんなものないって、医者に怒鳴られる始末で。でも、痛みが消えないから、困ってるんじゃありませんか。」

美穂子さんは、涙をこぼして泣き出してしまった。

「わかりました。線維筋痛症というのは、一般的な検査では異常を発見できないといいます。それは、僕らもよく知っていますから泣かないでください。それより、心を癒やす治療を探しましょう。梅木さんの鍼灸でだめだったら、他の治療を探すしかないでしょう。」

水穂さんは、そう彼女に言った。

「でも、トラマールを飲んでも痛みがとれないそうですから、非常に難航すると思います。」

梅木さんが言うのも無理はなかった。

「自分でもどうしたらいいのかわからなくなっているくらい、痛いんだと言っていますから。」

「そうですね。でも、痛いというのは、非常に辛いものでもあるから、なんとか癒やさないといけませんよね。まず初めに、誰かに話を聞いてもらうことから始めてはどうでしょう。なにか理由がなければ、痛いということはないはずです。」

水穂さんは、そう梅木さんに反論し、製鉄所の固定電話で、誰かに電話をかけ始めた。こういうときに、潔く行動できるのは水穂さんなのだ。普通の人なら世間体が悪いとか言うことを、平気でやってのけるのが水穂さんである。

「いま、涼さんに電話しました。ちょっと時間はかかるけれど来てくれるそうです。」

水穂さんはそう言って、受話器を電話機の上においた。それからしばらく経って、玄関の引き戸から時計まで13歩という声がして、涼さんの来たことがわかった。

「美穂子さん、こちら、心理療術師の涼さんだ。目が見えないけど、お前さんの話を聞くのは専門家だから、こいつに何でも話してみてくれや。まずお前さんの治療はそこからだろう。」

杉ちゃんが、涼さんを美穂子さんに紹介した。美穂子さんは白い杖を持っている涼さんに、

「よろしくお願いします。」

と丁寧に座礼した。涼さんは、座礼したのと視線がズレたまま、

「はい。よろしくお願いします。まず初めに、あなたが一番いま訴えたいことは何ですか?」

と、美穂子さんに聞いた。

「はい。足が痛いのです。」

美穂子さんは即答する。

「足が痛いと仰りますが、どのように痛いのでしょう。例えば、その足が痛くなったことについて、きっかけになることはありますか?そうだなあ、体育器具から落ちたとか、あるいは、犬に噛まれたとか?」

涼さんが聞くと、

「いえ、そのどちらにも該当しません。ただ足がいたくて歩くのもままならないのです。」

と美穂子さんは答える。

「じゃあ質問を変えますね。あなたのご家族はどんな家族構成なんでしょう?誰か問題を持っている人はいますか?」

涼さんがまた聞くと、

「ええと今、実家暮らしで、父と母、あと妹がいます。父は会社員で母は公務員です。妹は、まだ高校生で、今、静岡市内の私立学校へ通っています。あたしは、大学生なんですけど、一応、静岡大学です。」

「はあ、静大ねえ。結構頭いいんだなあ。」

美穂子さんの答えに、杉ちゃんが口を挟むが、水穂さんがそれを止めた。

「それで、学校は自分のご意思で決めましたか?それとも、誰かに勧められましたか?あと、学部はあなたが学びたい学部ですか?」

涼さんがまた聞くと、美穂子さんはこう答えるのであった。

「ええと、高校生のときに、特に学びたい科目があったわけではなく、ただ家から通えるところで、費用もさほどかからない静大を選びました。」

「はあ、それでは、お前さんの意思でいったわけじゃなかったのか?大学って言うと、いきたい学部とかあって、親や学校の先生と喧嘩するのが当たり前なんだけどな。」

と、杉ちゃんがでかい声で言うのであるが、

「いえ、そういうことは全くしたことがありません。妹は、志望校で揉めたことがあったんですが、あたしは、そういうことは避けたいと思ったから、一番無難だと言われる教育学部にいきました。」

と、美穂子さんは答えた。

「へえ、自分がないね。」

杉ちゃんはそう言うが、

「クライエントさんの答えに批判をしてはダメですよ、杉ちゃん。それはもう事実なんだから、善悪甲乙つけることは辞めましょう。それでは、大学や学部を決めたのは、あなた自身ではないということでよろしいですか?」

と涼さんがそういったのであった。美穂子さんは、小さな声で、

「はい。それが一番安全だと思いましたから。」

と、小さな声で言った。

「安全かあ。まあ確かに、何も起こさない人生ってのは、安全なのかもしれないね。でも、一生に一回しか経験できないことでもあるわけだし、もっといきたい学部とか、真剣に考えるべきだったんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、

「いえ、今は、安全第一主義の方は増えてますよ。」

梅木さんが、杉ちゃんに言った。

「でもさあ、それって、ただ何かをしたいとか、なにか真剣に学んでみたいとか、そういう気持ちがないってことだろ?それがない人生もまたどうかと思うぞ。大学ってのは、本当に自分が学びたいことを専門的に学べる場所でもあるわけだから、それを、将来の職業に生かせようが生かせまいが、思いっきり好きな科目を満喫しても良かったんじゃないの?」

「そうかも知れないですけどね。それはきっと、間垣さんの考えでは思いつかなかったんだと思いますよ。じゃあ、次に大学生活について伺います。大学の授業は充実していましたか?また、自分にとって収穫になる学びはありましたか?」

と、涼さんは、静かに聞いた。

「ええ、まだ一年生だったので、高校の延長線上のようなことが多かったですけど、これから、好きなことを学べる学年になると思って、我慢していました。」

と、美穂子さんは答える。

「はあ、つまり、何も楽しい科目もなくて、つまんなかったわけか?」

「いえ、そういうわけではないんですけどね。せっかく行けた静大だし、一生懸命勉強しようと思いました。それは、ちゃんとやろうと思ったんですけど、なんだか、やる気というか、頑張ろうと言う気持ちがわかなくなってしまって。」

美穂子さんは、正直に答えてくれた。

「まあ、大学ってのはそうなりやすいわな。それ以外の活動はどうだった?なにかサークルとか部活とか、そういうものに入ってたとか?」

杉ちゃんが涼さんに割り込んでそういうことを聞いてしまった。

「ちゃんと答えを得ないと、僕納得しないもんでさ。具体的にしっかり話してみてくれ。」

「それが、覚えてません。」

美穂子さんはそういうのである。

「覚えていない?」

梅木さんが繰り返すと、

「はい。サークル活動もほとんどしなかったし、勉強についていくのが精一杯で、何もしませんでした。」

と、美穂子さんは答えた。

「じゃあ、大学内での人間関係はどうだったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ほとんどありませんでした。」

そう彼女は答えた。

「つまり一人ぼっちだったわけか。安全第一の神話の裏では、一人ぼっちで寂しかったんだろう。それで、足がいたくて、誰かと人付き合いをしたい。違うか?」

「いえ、だって私、一人ぼっちにはなれてるのに。いつも家では、妹の方に注意が向けられていたから、寂しいことになれてしまっていたんです。」

「そんなことはないさ。人間誰でも寂しいときはあるんだよ。寂しいことになれちまうやつなんかいるもんか。もしそれができるんだったら、事件は起こらないはずだ。」

「ちょっとまって杉ちゃん。ここは涼さんに話をしてもらおうよ。事実に対して善悪甲乙はつけられないのは、杉ちゃんも観音講で習ってきていることでしょう?」

話に割り込もうとする杉ちゃんに、水穂さんがそう言って止めた。

「そうですか。僕は、ご覧の通り、盲人なので、あなたの表情を見ることはできませんが、その寂しいことに慣れてしまったという表現は、どこか無理をしているような気がします。本当に寂しくなかったんでしょうか?」

涼さんは、そう美穂子さんに聞いた。

「ありま、、、せんでした。」

美穂子さんは、申し訳無さそうに言う。

「そんなことありえない!人間だもん。寂しいのを感じなくなったらおしまいだぜ。」

「でも私は、寂しいことにはなれてしまってるから。」

「うーんそうですね。でも、言葉というのは本当に不完全なもので、それで世の中の流れを変えていくことはまずできません。いくら言葉で、寂しいことになれているという表現を舌としてもですよ。心の奥底ではその通りになってしまうということは、まずないと思ってください。」

杉ちゃんと涼さんがそう言っているが、美穂子さんは寂しいことになれてしまったという表現を繰り返すばかりだった。あまり掘り下げてしまうと、彼女の痛みが悪化するおそれがあると涼さんが言ったので、今回のカウンセリングはここまでということになった。涼さんは、今回は前に進まなかったが、でも寂しいことになれてしまったという、大事なキーワードを見つけることができたといった。これから、更に深く掘り下げていけば、痛みの原因も見つかるかもしれないと、言っていた。

しかし、その数日後。また梅木さんが、間垣美穂子さんを連れてやってきた。今度はどうしたんだと聞くと、また足がいたいと言って我慢出来ないほどであるので、トラマールを飲んでしまいたいといったという。そんな危ない薬を飲むのであれば、こっちへ来て話をしたほうが良いと思った梅木さんは、彼女を連れて製鉄所に来たのだという。

「そうですか。そういうことなら、天童先生を呼びましょう。直伝靈氣で、なんとかしてくれるんじゃないかな。」

水穂さんはそう言って製鉄所の固定電話で、天童先生を呼んだのであった。天童あさ子先生はすぐ来てくれた。水穂さんから、概要を聞いた天童先生は、そういうことなら、年齢退行をしてみましょうかといった。なんでも、脳波を過去も現在も関係ないシーター派という状態に持っていくことで、過去にあった辛いことも思い出すことができるようになるという。まず初めに、美穂子さんには、製鉄所の居室の一つを借りて、布団に寝てもらい、天童先生の誘導に従って、静かにリラックスしてもらった。

「それでは、今どこにいるのか言ってみてください。目は閉じたままですが、今は、時間も場所も関係なく、映像が浮かんでくるとか、声が聞こえてくるとか、してくるはずです。」

天童先生がそう言うと、美穂子さんは目を閉じたまま、

「私、大学でずっと一人ぼっちでした。話が合いそうな友達もいませんでした。誰かに話しかけようと思ったけど、誰も私の方を向いてくれませんでした。」

と答えるのであった。杉ちゃんが、やはり寂しいことになれてしまったというのは大嘘だというと、

「その時、声をかけてくれた人は、本当に誰もいませんでしたか?例えば友達としてではなく、他の存在で、声をかけてくれた人。誰かいませんでしたか?」

と、天童先生は続けた。

「はい。一人おりました。同じクラスと言うか、同じ講義を受けていた男子学生で、私の事をすごく真面目で良い子だと褒めてくれました。」

美穂子さんはそういったのであった。

「でも、彼は、別のサークルの勧誘員だったんです。何でも、哲学を考えるサークルとかそういうのだったそうで、私が、新興宗教の誘いはいらないって断ったら、、、。」

「そうなんだねえ。お前さんは本当に安全第一主義だったんだな。それで、その男性、どうしたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。違う学部の人だったので、噂でしか聞いたことがないのですが、私が断った数日後に、自殺してしまったと聞きました。」

と、彼女は答えた。

「はあ、変なやつだ。そんなことで大事なものを手放すなんてホント変なやつ。それをいつまでも悔いて、足が痛い痛いというやつもまた変なやつだよ。人間だもん、色々あるに決まってらあ。ときには判断を誤るときもある。そんなことで、自分を攻め続ける時間があるってのもまた問題だよな。ああ全く、学校は百害あって一利なしだ。」

杉ちゃんだけ、一人ニコニコしていた。それ以外の人たちは、確かに、こういう事例があったら、乗り越えられないだろうなという顔をしている。

「わかりました。じゃあ、今の自分だったら、そのときの自分に、なんて言ってあげたいと思いますか?」

と天童先生が、間垣美穂子さんに聞く。美穂子さんは少し考えてこういったのであった。

「私は、安全第一主義でいすぎました。もう少しその人の言っていることを聞いて見るべきでした。本当に私は、進路をきめるというか、志望大学を決めるときから安全第一主義になりすぎていたのかもしれません。」

「それでは、これからの自分に対して、今回のことから学んだ教訓を、言ってあげることはできますか?」

天童先生がまた優しく聞いた。美穂子さんは、どうしようか迷っているようであったが、

「ほら、大事なことは、ちゃんという。それは、誰にとっても必要なことだ。黙っていて相手がわかってくれるなんて思うなよ。今回のことは、それを学ぶためでもあるんじゃないの?」

杉ちゃんに言われて、美穂子さんはこういった。

「あたしは、こんなに寂しい思いをするんだったら、安全第一な学校ではなくて、自分の本当にいきたい学校を選ぶことにします。これからは、自分のやりたいことを、本気で探したいです。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

安全第一! 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る