第六章 守る意志
第六章 守る意志(一)
「何もないね」
「愚者之壁」から右の通路に足を踏み入れた咲羅たちだったが、視界には赤茶色の岩肌ばかりが広がっていた。
黄金の輝きに魅せられた興奮が薄れるにつれ、疲労感が忍び寄ってくる。ヘッドライトの光があるとはいえ、すでに一時間以上も薄暗い洞窟内にいるのだ。咲羅は光の大切さを、身をもって感じていた。
もう引き返すべきか、という考えが頭に浮かんできたころ、先頭を歩く夕希のヘッドライトの光が正面の壁を照らした。
「行き止まりだな」
「やはり、何もありませんでしたわね」
自分の予想が的中したことに得意げな舞弥に、夕希は口を尖らせた。
「あれ、なんか――」
立ち止まった咲羅は、今までとは空気が変わっていることに勘付いた。といっても明確な違いを言葉にすることはできず口籠っていると、栗色の髪がかすかな気流で揺れた。
「風だ!」
風が吹いている。洞窟内に空気の流れが生まれている。ということは、つまり――。
「この先に、出口があるのかも!」
咲羅の昂った声を聞いた夕希は、先ほどまでの不機嫌さを忘れ、行き止まりの壁へ突進していった。
「ちょっと夕希! 走ると危ないですわ!」
「待って!」
「大丈夫だっ……てええぇ――――」
岩が崩れ転がるけたたましい音とともに、夕希の叫び声が洞窟内に反響し、そして、だんだんと小さくなっていった。
亀裂だ。
行き止まりの壁の前に、垂直に落ちる深い裂け目が口を開けていた。遠くで水しぶきが上がる音が聞こえた。どうやら亀裂の底には地下水が溜まっているらしい。
「夕希!」
咲羅と舞弥は亀裂の淵にしがみつくと、必死に夕希の名を叫んだ。亀裂は深いのだろう。ヘッドライトの光も闇に飲み込まれてしまい、底の様子は分からない。
咲羅は体を震わせながら叫び続けた。叫んでも仕方がないと分かっているのだけれど、パニックに陥った頭の中は真っ白で、次の行動を考える余裕はなかった。
そんな咲羅の隣で舞弥が立ち上がる。リュックサックを地面に下ろすと、意を決した様子で暗闇を見つめた。喉を一回動かす。呼吸を荒くしながら、じりじりと亀裂の淵に近づく。右足の先が宙に浮く。左足も追いつく。右足が地面を離れる、と思ったその時――。
「いやあ、びっくりしたあ」
緑色の気を纏った夕希がゆっくりと浮上してきた。
舞弥は力が抜けたように尻餅をついた。咲羅も腹這いになっていた体を持ち上げた。二人の真ん中を抜け、ふわりと地面に降り立った夕希は、両手の指を組み、頭上に伸ばした。
「ははっ、やっぱり危機的状況ってのは大事なんだな。《浮遊》できるようになっちゃったよ。初任務で才を修得するって、あたしすごくね⁉︎」
満面の笑みで振り返った夕希が、舞弥にしこたま説教されたのは言うまでもない。
「ですから、二度と! 軽率な真似はなさらないよう、その小さな小さなおつむの中にしまっておいてくださいませ!」
説教が終わるころには、地面に正座した夕希は縮こまり、がっくりと肩を落としていた。
あまりにも呑気な夕希に対し咲羅も言いたいことはあったのだが、すべて舞弥が伝えてくれたので黙っていることにした。さすがの夕希も反省の色を見せており、これ以上の叱責は不要に思えた。
側から見ても分かりやすく落ち込んだ夕希は、そろそろと顔を上げた。眉尻を下げたその顔は情けなく、まるで親に叱られた後の幼い子どものようだった。
ひとつ慰めの言葉でもかけようか、と咲羅が口を開こうとした瞬間、夕希の表情が一変した。真剣な、そして恐怖に染まった顔だった。
ただごとではないと、宙を漂う夕希の視線を追うと、行き止まりの壁に巨大な影があった。
影がゆっくりと動く。最初は単なる岩の出っ張りかと思った。でも違った。全長六メートルはあろうかという巨大な体躯。黒光りする皮膚に、不吉な赤い模様。それは、おぞましいまでに巨大化したイモリだった。
咲羅の背筋に冷たいものが走った。
イモリは、四本指の二対の前足と五本指の二対の後ろ足で壁に張りつき、長い尾を垂らしている。全体的に黒いが、腹や足の内側が赤いため、暗闇でも目立っていた。逆にいえば、この赤がなければ、なかなか気がつかなかっただろう。
咲羅が村にいたころ田んぼや池などでよく見かけた、アカハライモリの特徴によく似ていた。
「魔物?」
咲羅が絞り出せたのは、その一単語だけだった。三月の恐怖が再び咲羅を襲った。
「なんで風原に魔物がいるんだよ」
夕希の声も震えていた。
「もしかしたら、ここは《結界》の外なのかもしれませんわ」
「なっ⁉︎ この任務Cランクだぞ。そんなとこに行かせるか?」
「左の道は大丈夫でもここは分かりませんわ。それに、持之さんが御存命のころに比べると、結界の範囲は縮小していると言いますし」
「じゃあ、今あたしらがすることと言えば……」
夕希と舞弥は互いに頷くと、咲羅に向かって叫んだ。
「愚者之壁まで逃げるぞ!」
夕希に手を引かれ、咲羅は無我夢中で来た道を走った。
背後で重量のあるものが落ちる音がする。振り返ると、先ほどまで咲羅たちがいた地面に巨大イモリが下りていた。
「あいつこっちにくるぞ!」
「とりあえず、四方八方に《念話》を送ってみますわ! 私の力ではどこまで届くか分かりませんが……」
「頼む! あたしは《結界》を!」
「わ、わたしは、何をすればいい⁉︎」
「咲羅は、とにかく――走れ!」
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