第二章 襲来する魔物(三)
五田村の人々は、奇跡的に無事だった五田小学校の体育館に集まっていた。
村の被害は咲羅の想像以上に悲惨だった。
魔物と呼ばれる化け物たちの死骸があちらこちらに転がっていた。ハリネズミのような棘を持ったトラや、象牙のような長く太い牙が生えた狼など、動物園には絶対いない怪物だらけだった。こんな魔物に追いかけられた人々の恐怖はどれほどのものだろう。咲羅は想像だけで身がすくむ思いがした。
火はすべて消えていたが、村中が黒い煤にまみれていた。木造の家が多かったため、炭化した木材と瓦を残してすっかり崩れた建物がほとんどだった。コンクリート造の校舎も魔物の攻撃をまともに受けたのか、壁がごっそりと落ち、黒板が露出していた。
体育館は、村人たちの不安と不満の声で満ちている。咲羅はフードで顔を隠していたが、人々から厳しい視線を向けられているのを敏感に感じ取っていた。
体育館までの道中、「魔物を引き寄せたんじゃないか」と咲羅を見ながら言う声が何度も聞こえてきた。魔物と戦っていた風牙や沙智が、咲羅と同じ異色を持っていたことが理由らしい。平和な日常が壊された怒りの全てが、咲羅に集中しようとしていた。
そんな重苦しい空気を切り裂くように、風牙と村長が壇上に姿を現した。ざわめきが収まり、村人たちの視線が風牙に集中する。これまでの喧騒が嘘のように、体育館内に静寂が広がった。
壇上に立つ風牙が、よく通る声で言った。
「これで全員ですか?」
風牙の隣に立つ村長が頷く。
「ええ。三百十二名、全員揃っとります。あの……ほんまに説明してくださるんですよね。これからのことも。こんだけ被害が出て、一体どうしたらいいか……」
村長は禿頭を撫でた。復興について考えているのだろう。
「大丈夫ですよ。魔物による被害の立て直しは、我々が行いますから」
「はあ……」
「ということで」
風牙は説明を急ぐように言葉を切ると、体から緑と黄色の二色のもやを発しはじめた。もやは線香の煙のように立ちのぼったかと思うと、まるで地を這う根のように体育館内をゆっくりと侵食していく。
藍の目を見開いた咲羅は、もやを追いかけるように首を動かした。もやは徐々に濃さを増していく。やがて村人たちの姿が朧げになっていく。ただ不思議なことに、咲羅と両親の周りだけは意図的に避けているようだった。
「どうしたの?」
隣に座る実幸が、咲羅の落ち着かない様子を不思議そうに覗き込んでいた。母以外の人を見回しても、誰も動じた様子はない。みんなには、このもやが見えていないのだ。
壇上にいる風牙に顔を向けると、視線が絡んだ。風牙の口角がゆっくりと持ち上がる。風牙の右手が前に突き出された。
次の瞬間、村人たちの体が一斉に傾いた。
異様な光景だった。大人も子どももお年寄りも、見えない手に支えられるように、静かにゆっくりと横たわっていく。
周助と実幸は咄嗟に村人たちの様子を確認しはじめた。素早く脈を測り、呼吸を確かめていく。
そんな二人に対し、風牙が淡々と言った。
「安心してください。記憶を書き換えたことで、一時的に眠っただけです」
「……記憶を?」
実幸の訝しげな声が、どこか遠くで響いているような気がした。咲羅の意識は風牙の言葉に囚われていた。記憶を書き換えられるなんて、この人は一体何者なんだろう。わたしが使った力と関係があるとしたら……。
咲羅は思わず身震いし、両腕を胸の前で交差させた。
「彼らは大丈夫ですから、三人は外へ。咲羅さんのことでお話があります」
風牙の言葉に、咲羅たち家族は一様に顔を顰める。周助と実幸が口々に疑問をぶつけた。
「村人たちを集めて説明すると言ったのに、なぜ彼らを眠らせたんです? なぜ私たちだけ……」
「記憶を書き換えたって、本当に大丈夫なんですか? 脳への影響などは……」
「ご心配なのはよく分かります。外でゆっくり説明させてください」
実幸が食ってかかる。
「ここで話せないことなんですか?」
「起きたら面倒ですから」
風牙の視線が眠りこむ村人たちを捉えた。頑としてここで話す気はなさそうである。
咲羅は乾いた唇を舐めてから口を開いた。
「わかりました」
両親の戸惑いの声を聞きながらも、咲羅は立ち上がった。どうしても知りたかった。今日、自分の身に起きたことはなんだったのか。風牙や沙智とどんな関係があるのか。自分はいったい何者なのか。早く知りたいと咲羅は思った。
外に出ると、冷たい空気が頬を撫でた。鼻をつく焦げ臭さに、咲羅は思わず眉をひそめる。その匂いは、見慣れた景色が一瞬で焼け野原になってしまったという現実を、否応なく突きつけてきた。
校庭では沙智が腕を組んで、小学校の象徴である楠の巨木に背を預けていた。咲羅と同じ異色の持ち主。彼の存在は、この混乱の中で咲羅に不思議な安心感を与えていた。
「さて」
楠の木陰に入った風牙は口火を切った。
「改めまして、
「学園長?」
思わず声を上げたのは周助だった。
咲羅も周助の声に隠れて、小さく「え」と声を上げた。若すぎると思ったからだ。風牙の顔をまじまじと見つめる。余裕を宿した切れ長な目の周りには、どう見ても皺らしきものはなく、二十代にしか見えなかった。
風牙は咲羅たちの動揺を気にも留めず、話を続けた。
「咲羅さんには、風子学園に通っていただきます」
「通っていただくって」
実幸の声が裏返った。
「娘はもう高校受験も済ませたんですよ。明日には公立の発表がありますし、もし落ちていても私立が決まっています。そもそも、あなたたちは何なんですか。村をこんなに壊しておいて!」
肩で息をする実幸の背中を、周助が撫でる。
「まあまあ、実幸さん。まずは彼の話を聞いてみよう。説明してくださるんですよね」
「ええ」
風牙は薄い唇を横に引いた。それから沙智に歩み寄り、彼の肩に手を置く。沙智は迷惑そうに眉間の皺を深めた。
「彼や私、そして、咲羅さんのように、異色の髪と目を持ち、特別な《才》と呼ばれる能力を操る種族を、風人と言います」
「ふうじん」咲羅は小さく呟く。
「風の人と書いて、風人です。《才》というのは、まあ、簡単に言えば特別な力のことですね」
「さっきの、空を飛んだり、炎を出したり?」周助が恐る恐る訊ねる。
「ええ。他にも、自分の体を変化させることもできます」
風牙の体から茶色いもやが出たかと思うと、瞬く間に、彼の特徴的な銀髪と翡翠の目は黒色に変わっていた。
咲羅の隣で、周助と実幸が息を呑んだ。
「黒ではない髪と目を持った方は日本を出ればたくさんいますが、この《才》を持っているかどうかで、風人であるかそうでないかを見分けます」
咲羅は俯き、自分の手を茫然と見つめた。精霊の助けを借りて、魔物と戦ったあの力が、風人の力だというのか。ずっと、疑問だった。なんで自分だけ、他の人とこんなにも違うのか。異色を持ち、精霊の声が聞けて、そして――。
咲羅の思考は、風牙の話によって遮られる。
「咲羅さんが我々の同属だということは、もうご理解いただいていますよね。では、なぜ風人の子が風子学園に通わなければならないのか。こちらについてお話しします」
咲羅は緊張で背筋を伸ばした。
「最大の理由は、《才》の扱い方を学ぶためです。風人の子の中には、生まれつき力が強く暴走をしてしまう子もいます。幸い咲羅さんは今まで上手く《才》と付き合ってこられたようですが、これからもそうなるとは限らないでしょう。もし力が暴走してしまえば、山一つ吹き飛ばすくらいでは済まないかもしれません」
「や、山ですか」
周助は顔を引きつらせた。
「ええ。そうならないためにも、風人の子は七歳から二十歳まで、学園の中で暮らしながら、自分の力の使い方を学びます」
暮らしながら?
咲羅はよろめくようにして、一歩足を前に出した。
「い、家から通えないんですか?」
「学園の場所を、万が一にも風人以外の方に知られるわけにはいきませんから。入学したら、基本的に二十歳で卒業するまで学園の外へは出られません」
「そんな! わたし、行きたくありません!」
模試で解答欄が一個ずれていた時よりも衝撃的なことだった。今から五年間も実家に帰れないなんて! 咲羅は、両親の中の自分の存在が小さくなってしまうことが怖かった。離れたくなかった。縋るように、実幸の腕を掴んだ。
実幸は咲羅の肩を抱いてくれた。周助も隣で寄り添ってくれる。
「出られないなんて、監禁と一緒じゃないですか」
実幸は険のある話し方で言った。
「基本的にと言ったでしょう」
風牙の目が細められる。その瞬間、彼の顔から温度が消えたように見えた。口元は笑っているのだから、一層不気味に感じられた。
「優秀になれば、卒業前でも出られる機会はありますよ。行きたくないと言われましてもね、あなたの存在を知った今、私も見逃すわけにはいかないんです。……ご両親の記憶は残してあげようと思いましたが、もし未練になるようであれば、きれいさっぱり消して差し上げますよ」
それは紛れもない脅しだった。これ以上駄々をこねるようなら、両親との縁を断ち切るぞ、というわけである。
咲羅は沙智に視線を送った。しかし、沙智は何も言ってくれない。無表情でいて、どこか寂しげな色がその真紅の目に漂っているように見えた。
どうしたらいい。どうしたらこの状況から逃げられるのか。咲羅は下唇を噛んだ。混乱、焦燥、恐怖――次々と押し寄せる感情に苛まれていく。
そんな咲羅の耳に届いたのは、父のやさしい声だった。
「咲羅」
周助は微笑んだ。
「行ってきなさい」
「でも……」
「行ってしまうんじゃないよ。行って、ちゃんと勉強して、それからここへ戻ってきなさい。お父さんもお母さんも、ずっと待っているから」
咲羅は喉奥から溢れそうになる激情を、奥歯を噛み締めることで堪えた。心配かけまいと、ここ数年両親の前で泣いたことはなかった。しかし、今回ばかりは耐えられそうにない。
こそばゆい感触が頬に走り、咲羅は目元を両手で擦った。
周助が言葉を継いだ。
「黒のウィッグとコンタクトを買ったこと、正解だったのかなって、ずっとお父さんたちは不安だったんだ。咲羅が楽になるならと思ったけど、同時に、ありのままの自分で生きてほしいとも思っていた。ね、実幸さん」
「それはそうだけど……こんな腹黒そうな学園長がいるところで大丈夫かしら?」
実幸はわざと語尾をゆっくりと、皮肉たっぷりに言う。
それに対し、風牙は軽く息を漏らすだけだった。
「本当に、忘れない?」
咲羅は鼻を啜る。
実幸と周助が口々に答えた。
「まさか! 親が子どもを忘れるわけないでしょう」
「そうだよ。家族だからね」
咲羅は腕を目一杯伸ばして、両親に抱きついた。咲羅の背中にも、二人の手が添えられる。温かかった。離れがたく思うほどに。
「わたし、行ってくる。行って、優秀になって、卒業するよりも早く、またここへ戻ってくる」
体を離すと、両親の目には涙が浮かんでいた。それを見て、咲羅もまた目頭が熱くなる。でも、もう決めたのだ。咲羅は涙を堪えながら、風牙に向き直った。
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