件の羊

磐長怜(いわなが れい)

件の羊

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。しかし私は報告していない。無機質な白い部屋の中。いつからこの天井になったろう。ただ眠らされ、この夢に至るまでは、夢を報告する日々を過ごしてきた。


 部屋の向こうから監視する者が呼びかけてくる。

「【M20254】、夢は見たか?」

 いいえ、と頭をふる。口を開くのも億劫だ。

「本当に夢を見ていないなら、5日後にはお前を廃棄することになるぞ。……少しも見ていないのか?」

うなだれたまま答えない。彼らは僕を侮っている。後がないのは彼らのほうだ。

「脳波は『夢見』を起こしていてもおかしくない。報告しない理由はないはず。お前は夢を見て生きる。我々は夢を活用し生を保障する。眠りすぎて壊れたとも思えないが……」

 答えない。彼らの価値観は実に身勝手だ。とはいえ、今は脳波を乱さないことが重要だと思い、頭の痛みに意識を向ける。


ため息まで拾って、スピーカーが言った。

「投薬量を増やそう」

 マイクの向こうで、これ以上は危険だと伝える者がいる。

「仕方ない。βを足して精神汚染を遅らせる」

(そうだ、そうしてくれ)

 まもなく、体についた管から流れ込む物質が私を夢に落とす。

(これでいい)

 また同じ夢に落ちていく。


 昏々と眠る姿が日に日に小さく見えてくるのは見間違いではないだろう。薬で眠らせ続けるのは無理があるのはわかっている。

「【M20254】は本当に夢を見ていないんでしょうか」

「夢の抽出が出来るまで科学が進まなかったのは、我々の敗北かもしれないね」

 自白剤も試したが、奴等は重篤なアレルギー反応を起こして死んでしまうのだった。夢見は内容を無理に引き出す方法の全てを拒んだ。我々にできたのは、鳴き声から内容を解読することのみ。

「『夢見』最後の一体……親や兄弟を覚えてるんでしょうか」

「覚えていないほうがいい。憎しみを持たれても厄介だろう」

「無理に増やしたのは我々ですし、本当は彼らは」

「その物言い、君は人間側なのか?【羊】側なのか?」

「ーー失礼しました」

「……すまない、私も感情的だった。終末がいつ来てもおかしくないせいだな」

 本当は夢見など必要ないほど地球は荒廃している。お偉方が逃げ出しても、特殊な【羊】の夢にすがっても、ただ何か目先の思想がほしいだけなのだ。


 夢を見ている。沢山の兄弟と温かいところにいる。母は無理な実験の末に血を吐いて死んだ。過去のことだ。兄が歌うようにつぶやく。

「夢を見たんだ」

 うん。

「僕らは悪い人間の都合で白い建物に入れられて寝かされて、見た夢を教えて、そのうち衰弱して死んでしまうんだよ」

 うん。

「だけど心配いらない。終末が近づいたら、今話してることを繰り返し夢に見るようになる。10回目、同じ夢を見ている間に人間は絶滅して、自由になれるんだ。そうしたら、歩く練習をして。そのときには僕らは食べ物がなくても生きていける体になってるはずだから。それから東に向かうんだよ。お仲間に会える。

 終末について話したら君は殺されるかもしれない、絶対言っちゃだめだ。従順な【羊】みたいにふるまうんだよ。ね、いいね?」

 兄さん、私はうまくやれたかな。次に目覚めるのを楽しみにしていいかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

件の羊 磐長怜(いわなが れい) @syouhenya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ