第2話 不幸から逃げる童

 事務所で寝ていた所長こと、緋風 結琉は目が覚めるとボサボサの頭を掻きながら体を起こしてソファに腰掛けた。まだ意識が完全には戻っていないようだ。これは、彼が人よりも寝起きが悪いからだ。古いパソコンのように起動には時間がかかるのだ。私は、彼の意識を完全に覚醒させるためにコーヒーを淹れることにした。床に散らばっている資料を踏まないようにしながら流し台につく。電気ケトルに水を入れてスイッチを押して、お湯を沸かす。その間に2つのマグカップに規定量のインスタントコーヒーの粉をいれる。本当は豆を引いてコーヒーを入れたいところだが、今日は気が乗らないのでやめておいた。けれど、インスタントだからといって適当にいれるわけではない。豆からひいて淹れるものに比べると味は落ちるが、淹れ方次第ではいい味になる。できたコーヒーを机に置くと彼はそれを飲み始めた。私も向かいのソファに腰掛けてコーヒーを飲んだ。彼は段々と意識がはっきりしはじめたみたいだ。


「今日のコーヒーもおいしいね~」

「私が淹れたんだもの」

「たしかに、僕が淹れてもこうはならないよ」


彼には、なんどもコーヒーの淹れ方を教えてあげているのだけれど全く上達しないのだ。不器用ではないので、本人にやる気がないのだろう。美味しくないコーヒーはごめんなので、結局はいつも私が淹れている。もしかして、私に淹れさせるためにわざとできないようにしているのか?


「今日も話を聞きに来たのかい?」

「ええ」

「花の女子高校生がこんなおんぼろビルにいるおっさんに芦毛もなく、会いに来ているのは、お世辞にも褒められたことではないね」

「勘違いしないで頂戴」

「冴えないおっさんに会いに来ているのではなく、面白い話を聞きに来ているだけのことよ」

「それはそれは、失礼しやした」


彼は、ニヒルな笑みを浮かべながら肩をすくめた。


「なんで今更そんなことを?」

「ずっと思ってはいたさ、口に出したのは今日が初めてだけどね」

「あなたが、大人みたいなことをいうってことは今日は雪かしらね」

「酷いことをいうな~、僕だってたまには大人としての気遣いはするさ」

「必要ないわ、私はここにきたくてきているの」

「それでいいじゃない」

「まぁね」


彼は納得したかわからない表情でコーヒーに口をつける。彼はおそらく私が、貴重な高校生活の時間の多くをここで過ごしているから、その心配をしてくれているのだろう。しかし、その心配はおそらく誰が決めたかわからないような一般的な高校生活の基準に私があてはまらないからだろう。くだらない。私は、常識や普通や一般的などという言葉が大嫌いだ。そしてそれがあたかも絶対的に正しくて、それに逸脱するような行いが間違っていると勝手に判断されることはもっと嫌いだ。一般的な生活からかけ離れた彼がそんなことを言ってくるとは意外だった。私の高校生活は今充実しているのだ。高校には、クラスに友だちが1人。学業成績は良好。はいらなくてはいけなかった部活動は新聞部に入った。取材という名目で放課後は好きに使うことができるからだ。打ち込むことも、色恋沙汰も、友だちと遊ぶこともないけれど、充実しているのだ。だって私が望んだ現状なのだから。大切なのは主観のはずだ。だから、勝手に気遣われたり哀れまれたり間違っているなどと言われるのはごめんだ。私は、この話で機嫌が悪くなったので帰ることにした。コーヒーを全部飲み終え、空のマグカップをテーブルに置いた。コーヒーは私が淹れたので片付けぐらいは彼がやるだろう。立ち上がろうとソファに手を置くと紙の形が変わる音がした。なにかの資料を手の下敷きにしてしまったらしい。ちらりとそれを見るとそれは新聞の切り抜きだった。ある事件について書かれた記事だ。私はなぜだか、妙にその記事が気になった。


「この新聞に載っている事件はなにか怪談奇談に関わるものなのかしら?」

「相変わらず、よく気づくね」

「それは、怪談に関係するかな」


私は昔から、なくてもなんとなくで普通ではない話を見分けることができたのだ。だから、この力を彼の趣味に利用される日は近いかもしれない。面白そうだから、別にいいのだけれど。話を戻すと新聞に載っていた事件とは、ある男性が女性と子どもを包丁で殺害したあと自ら命をたったという内容である。被害者と加害者の関係は家族のようだ。一見するとありふれた悲惨な事件である。記事を詳しく見ると、どうやらこの家族は1週間でこの事件が起きるほどの不幸に見舞われたらしい。詳しくはわからないが、なんでも近所ではとても幸せな家族として有名で、おかしくなったのがちょうど1週間ほど前からみたいだ。たった1週間で家族を殺害して自殺するほど気が狂う不幸に遭うのはとてもじゃないが、異常だ。夫の長年溜めていたストレスが爆発した、あるいは、夫か嫁の浮気が発覚したため、家族関係が崩れたという可能性は非常に高かったが、怪談関係というからにはどうやらそうではないみたいだ。


「どんな怪談なの?」

「聞きたいかい?なら話すとしよう」

「それが、僕の本業だからね」


ーーー ある男とその家族は、息子が中学校に入ることをきっかけにローンを組んで一軒家を購入した。男は、貿易会社の会社員で業績は人並で可もなく不可もないものであった。妻は、専業主婦で新居に引っ越してからはご近所との付き合いは良好であった。息子は中学校では新しい友だちもできて勉強、部活動ともに精を出していた。男の家族は、ささやかだが幸せな日々を過ごしていた。男はこの生活にとても満足していた。新しい家に来てから1年ほどの年月が経つと、男はある不思議な幻覚を見るようになった。それは、おかっぱで着物の姿の小さい女の子の幻覚であった。男がその幻覚を見るときは決まって家にいるときであった。リビングに居るときや自室にいるとき、子供部屋にいるときなど、ふと気がつくとそれは見えたのだ。はじめは、息子の友だちかご近所の娘さんが遊びに来ているのかと思ったが、息子も妻もそんな娘は知らないという。どうやら男にしかその娘は見えなかったのだ。だから、幻覚なのである。男は、はじめ不気味に思えてどうすればその幻覚を見えなくすることができるのか考えていた。しかし、その気はすぐになくなった。娘の幻覚が見えるようになってから男は家族も含めてとても幸せになったからだ。男は、会社で自分が担当していた大きな取引が大成功し、昇進することになった。妻は、趣味でしていたピアノがご近所の人たちにとても評価されて、今ではピアノ教室を開いている。息子は、成績が順調に上がり、部活動ではレギュラーになり、どうやら好きな女の子と結ばれたらしい。男の家族は、より一層幸せになったのだ。男は、昔聞いた妖怪の話を思い出した。座敷わらしという、住み着いた家に幸福をもたらすという妖怪だ。男は、とても喜んだ。自分の家にはこれから幸福がどんどん舞い込んでくる。今よりも、もっと幸せな暮らしができると考えたからだ。それから、男の家族はどんどん幸せになった。男は、昇進したことにより大きな仕事が来るようになり、それを成功させると更に昇進した。妻は、ピアノ教室の生徒がどんどん増えた。そのため、テナントを借りて、教師と事務員をやとい、教室を大きなものにしていった。息子は、成績はトップクラスで、部活動ではリーダーの役割を担い、恋人とは仲睦まじく、今では学校の人気ものになった。しかし、問題がおきた。座敷わらしが見えなっくなったのだ。男は不安になった。今の自分達の生活は座敷わらしが運んでくる幸福によって成り立っているもののはずだから。男は今の生活を手放したくなかった。前のささやかだが幸せな日々では満足できなくなっていたのだ。しばらくして、男は会社でちょっとしたミスから大きな取引を失敗してしまった。会社の信用を著しく低下させた責任を負わされ解雇された。妻は、雇っていた教師の1人が通っている子どもの母親と不倫していたことがわかり、それがご近所で有名になり生徒の数が激減した。息子は、不注意が原因で自転車で人を引いてしまい、訴えられた。学校での信頼も失った。それが、わずか3日間でおきた。男の家族は、今では、言い合いがたえないほどに険悪な関係になっていた。幸せだった家族の日々はなくなっていた。男は、焦った。男だけがその事実に気づいていたからだ。座敷わらしがいなくなった今、この家にはもう幸福なことは舞い込んでこないのではないか?わずか3日間でこれだけの不幸に見舞われたのだ、これから先はどんな不幸な目に合うのだろう。男はどんどん追い詰められていった。誰にも相談することもできない。言っても信じてもらえないからだ。1人で抱えるしかなかった。けれど、それは男が1人で抱えるにはおもかったのだ。おもすぎたのだろう。そしてこの事件が起きたのだ。 ーーー


彼は話し終えた。毎回思うのだが、公開されていないような情報を、どうやってここまで集めているのだろう。探偵として顔が広いのだろうか。それに情報を集めて、そこから出来事を推測するその推理力は、とても高い。まるで体験してきたかのように話すので、はじめは随分と驚かされた。なぜ、彼は探偵として真面目に働こうとしないのだろう?絶対に向いていると思うのに。彼は、話し終えるとあくびをしながらまたソファに寝転がる。


「今回は、座敷わらしなのね」

「そうだよ」

「娘ってことは、性別があるの?」

「さぁね、男が娘の姿で見えただけで別の見える人が見たら男の子かもしれない」


彼は興味なさそうに語る。怪談奇談の類が好きなくせにこの話には興味がないのだろうか。相変わらず、彼が興味を示す話の基準がよくわからない。それにしても、座敷わらしとは、本当はどんな妖怪なのだろう。彼の話は意図的なのかはわからないが、いつも起こったことを語る。だから、なぜそれが起きたのかは質問を通して私が推理しなくてはいけないのだ。


「座敷わらしって本当に幸福を運んでくるの?」

「どうして疑問に思うんだい?」

「だって、今の話を聞いてると座敷わらしがいなくなったあとに男の家族はとんでもない不幸に見舞われているわ」

「まるで、幸福を前借りしたみたいに」


そう、幸福の前借りだ。本来は均等に訪れる運が一気にやってくる、その後には不運がやってくる。簡単な話だ。私は、それが座敷わらしという妖怪のなせることだと考えた。


「幸福の前借りか、面白い考え方だね」

「たしかに、幸福を運んでくるだけなら、座敷わらしがいなくなったあとに訪れた不幸に説明がつかない」

「ええ」

「けれど残念、幸福の前借りではないよ」


私の推理は事実とは違ったようだ。なら、どうして男たちに不運が訪れたのだろうか。


「なら、幸福は運んで来たけど、不運は男たちの自業自得だったというのは?」

「実際、座敷わらしが見えなくなった男は精神的に焦っていて会社でのミスをするというのは十分に考えられるわ」

「息子にしても注意不足で人を引いてしまったと言っていた」

「けれど、それだと妻のピアノ教室に訪れた不幸は説明がつかないんじゃないかい?」

「それに、いくらなんでもすべてが、たった3日間で起きたというのは流石に異常だよ」


たしかにそうだ。私の考えだとそれらの説明ができない。なら、事実は一体何なんだろうか。男たちには幸福が訪れ、不幸が訪れた。その出来事に座敷わらしは関わっているが、幸福の前借りでも、幸福を運んできただけでもない。うーむ、わからない。彼にできて私にできないのはとても腹立たしいが、わからないものはわからない。


「お嬢ちゃんは、座敷わらしを過大評価しすぎだよ」

「え?」

「座敷わらしには運も不運も操ることなんてできないのさ」


意外な事実を聞かされたが、それだとおかしい。実際、男の家族には運も不運も訪れている。座敷わらしがそのどちらも操ることができないのだとしたら、事件が起こることはなかっただろう。


「なら、座敷わらしができることは何なの?」

「運と不運の巡りが見えるのさ」

「運と不運の巡りが見える?」

「そう、運が良くなる人間や不運になる人間がわかるんだ」

「それってつまり」

「そう、座敷わらしは別に何もしていない、ただそこにいただけ」

「この事件は、たまたま男の家族の運と不運の巡りがものすごく悪かっただけなのさ」


開いた口が塞がらないという言葉は今の私にはとても似合うだろう。はっきり言おう。そんな答えは反則だ。とうてい納得できない。


「その話はだいぶ無理がある結論なんじゃないかしら?」

「そうかい?」

「でも実際、座敷わらしが消えたあとで、特段悪いことが起きていないことだってたくさんある」

「だから、座敷わらしは幸福を運んでくるだけの存在だと思う説も有力視されている」


だからって、もともとそういうふうになる運命だったなんて話、あまりにも身も蓋もない。救いがない。それが本当だと人は努力して生きていても結局は運命とやらがそうと決めれば台無しにされるってことだ。だったら、努力して生きていても意味がない。自分らしく生きようとする意味も意義もすべてが無意味だ。だって不可能なんだから。敷かれているレールをただ気づかずに歩き続ける人生は生きる意味があるのだろうか?


「なら、人は運命に縛られて生きているの?」

「それは違うさ、大きな流れの中にいるだけ」

「この出来事も別の人間が体験していたら、結末は違っていたさ」

「結局のところは本人次第ってことさ」

「でも、」

「それに、これは僕の推測の域を出ない」

「それを忘れちゃいけないよ」


そうだった。矛盾点がないというだけで、これはあくまで彼の推測なのだ。だから、私が彼の話を受け入れられないのならそれはそれで正解ないのだ。真実はわからないのだから。座敷わらし以外には。それに、意外な結末だからこそ聞く価値のある不思議な話なのだ。

 話を聞き終えたので、帰ることにした。ソファー立ち上がり、鞄を持って玄関まで歩いていく、床はやっぱり散らかっている。玄関で靴を履いていると珍しく彼から声をかけられた。


「勘違いしてたようだから、説明するけど」

「僕は、つまらない常識で君にあんな事を言ったわけではないよ」

「君みたいなひとは、魅入られやすいんだよ」

「だから、一応ね」


そういうと彼はタバコに火をつけた。私は無言で、たばこの煙が漂う部屋をあとにした。その部屋にいたのは、やっぱり私の知っている彼だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奇奇怪怪の放課後 伊佐 隠 @A-nennerube

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ