殺されたい君と人殺しの私が同棲する話
ひのき
プロローグ
私と私。
人気の少ない田舎の駅のホーム。
壁がほとんどないこの場所は、風が吹き通っているせいで、三月の冬の残り香を感じさせる程に肌寒い。
「
祖母が私の手を大事に…大事に握っている。
その手はほんの少し冷たくて脂肪も殆ど無いからか、握る都度に骨が直接擦れるようで少し痛い。
「わかってるよ、おばあちゃん」
もういいよと、苦笑いをした。こういう時にどんな顔をすれば良いのか、私にはわからない。
「しっかり食べるんだよ?」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はーい」
そんな別れのやりとりを、祖母の後ろで聞いている祖父は、腕を組んで壁に寄り掛かっている。
そんなあからさまな態度を取るんだったら、最初から来なければいいのに。
「お父さんは? 電車、もうすぐ来ちゃうけど…」
「今朝は行くって言ってたんだけど…。待ってな電話してみるから」
「おばあちゃん、いいよ、いいよ」
そう言っても、祖母は聞く耳を持たずに鞄から携帯を取り出した。
ガラケーを音を立てながら開き、老眼鏡をカチカチと音を立てながら電話を掛ける。
しばらく、よくわからない静寂が訪れる。
静けさのせいでスピーカーになっている訳でもないのに、電話の発信音が耳にまで届く。
しばらくその音を聞いていると、留守電に切り替わったのがわかった。
「おかしいわね…」
「携帯振っても繋がらないよ」
別に一生のお別れって訳じゃないんだし、そんな気にしなくていいのに。
祖母が困り顔で携帯を鞄にしまうと、電車が到着するアナウンスが駅のホームに響いた。
「じゃあ、もう行くね」
祖母はハンカチで涙を拭いながら「ごめんね」と何度も謝っていた。
「別におばあちゃんは悪くないでしょ。 もう行くよ」
ほんの少し重いキャリーバッグを持ち上げて、電車に乗る。
「またね」
「東京に着いたら、お父さんにちゃーんと、電話するんだよ」
そう優しく祖母は微笑む。
「はいはい」
「返事は…」
「一回。 でしょ?わかってる」
祖母はわかってるなら直せと言いたげに、肩をすくめながら呆れ顔を浮かべた。
そんなやり取りを最後に、電車の扉が閉まる。
一応、見えなくなるまでは手を振っておこう。祖母もそれを期待しているだろうし。
現実は忙しなく、一分も経たずに駅のホームは見えなくなった。
私は軽いため息をつく。
車内には私だけ。
窓外には呆れるほど広大で、なんとも収穫が大変そうな畑が広がっている。
空調の音と、電車の走る音だけが響いている。
キャリーバッグを頭上の荷物置きに置いてから、座席の真ん中に腰を掛けた。
「疲れたー。やっと一人になれたね」
そう、頭の中に声が響く。いつもの事だ。無視だ…無視。
「無視なんてできないでしょ?」
うるさい。なんでいつも、こういう時に限って出てくるんだ。
「私はずっといるよ。だって、私は
だから何と、唇を噛み締めてから「今日は何の用?」と、心の中で呟く。
私にしか聞こえないこの声は、時に挑発的でとても刺々しい癖して、私のどうしようもない本音や図星を的確に突いてくる。
「理想の孫を演じるのは、疲れたでしょ?」
「別に演技じゃないし」
「うそっ」
「嘘じゃない…」
「本当は誰かに弱音を吐きたい癖に」
仮にそうだとしても、それは誰かにであって、
そんなことを考えていたら、いつの間にか拳を強く握りしめていた。
ほんの少し、手が汗ばんでいる。
「強がっちゃって。
「消えて!!」
つい声が出てしまった。もし周りに人がいたら異常者だと思われてたな。誰もいなくて良かった。
いや、もし誰かいたら、もう一人の私は姿を見せなかったかもしれない。
ため息をついてから、ぼんやりと外を見つめる。
電車の中では特にやることもなく、時間だけがゆっくりと過ぎていった。
何も無い田舎の駅から出発して二時間程経って、ほんの少し文明的な街が目に入ってきた。
何回か行ってるから、緊張とかは無いんだけど、新幹線までの乗り換えが不安だ。無事にたどり着けるだろうか。
電車から降りて、切符を購入する。
その時に、ポッケからしわくちゃになったメモを取り出して路線図と比較した。
「うん、たぶん大丈夫だ」
さっきまでの一本道しかない線路と違って、ほんの少し分岐している。
私からすれば、この路線図だけでも複雑に見えてしまうのに、祖母の話を聞く限り東京の路線図は、子供が書いた迷路みたいになっているらしい。
見たことも、行ったこともない東京の街並みを想像ながら、メモをポッケに入れて切符を買った。
いくつか電車を乗り換えて、何とか新幹線の出発する時間までには間に合った。
白くて曲線を描いた近未来的な車両が駅のホームに停まっている。これに乗れば、数時間で東京に着くらしい。すごい時代になったものだ。
「なにそれ。いつの時代の人間なのよ」
もう一人の私は、乗るのを待ち切れないといった感じだ。
「私じゃなくて
「はいはい」
新幹線の窓から眺める景色は新鮮だった。
まるで自分が風になったように風景が次々と過ぎ去っていく。
窓を開けたい衝動に駆られるけれど、開けてしまったらきっと、外に吸い出されるんだろうな。なんて想像する。
「東京…少し楽しみでしょ?」
隣の座席には確かに人が座っているのに、窓越しにはなぜか、もう一人の私に見えている。
「別に」
「素直じゃないな〜」
素直も何も、東京に行ったからって何が変わるのか。そんな期待は、小学校に置いてきた。
「いいや。
「うっさい。そんなの知らないよ」
薄っすらと見えているもう一人の私は、無表情な私とは対になるように悪魔的な微笑みを見せている気がする。
「ま、期待しなければ絶望もしないか…。良いんじゃない?そうやって死ぬまで何もしなければ?」
「ちっ…」
つい舌打ちをしてしまった。
「図星?不貞腐れちゃって…」
自分の腕を力いっぱい抓って、心の中で消えろと強く念じる。
すると少しずつ、周囲の音がぼんやりと戻ってきた。
家族旅行だろうか。子供たちの笑い声にそれを注意する保護者の声。それに隣の人がキーボードを打つ音。
昨日は準備とかでほとんど眠れなかったせいか、今日はいつもよりもう一人の私が話しかけてくる。
少し疲れた。いや、かなり疲れた。
そう思って目を瞑った。
「お客様、東京駅に到着いたしました」
薄っすらとした声が耳に届いて、目を開ける。
隣にいたはずのサラリーマンは、美人駅員へと変わっていた。
「恐れ入りますが、切符の確認をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え、?あ、はい…」
目を擦りながら、ボロボロの革財布から切符を渡した。
駅員の細く冷たい指先が手に触れる。
そっか、私寝ちゃってたんだ。
なんとなく、視線を窓に向ける。そこには今まで見たことのない程のたくさんの人がいて、忙しなくすれ違っていた。話し声や足音が何層にも重なり、ガヤガヤと音が絶え間なく聞こえてくる。
「ありがとうございます。確認できましたのでごゆっくり、降車なさいませ」
「すみません…」
恥ずかしい…。でも、なんか認めたくないけれど、ドキドキしてる。
「珍しく素直じゃん」
目の前の私は、まるで私の代わりに感情を表に出すように満面の笑みで私を見つめている。
「代わりじゃなくて、
「はいはい」
キャリーバッグを持ち上げて、新幹線を降りて、人混みを掻き分けながら進む。
同じ方向に進む人も、すれ違う人も、みんな私の事を気にもしない。
すごい…。すごい…!
こんなに人がいるのに、私のことなんて誰も見向きもしない。
私を知っている人は、誰もいないんだ。
誰も彼もが他人で、別々の目的があって、東京という都市に集まってるんだ。
私を気にする余裕のある人なんてここには居ない。
それがもの凄く、嬉しかった。
そんな感情を胸にしまいながらも、壁に書いてある地図や標識を頼りに、外に向かって進んで行く。
視界から入ってくる情報量が多すぎて、頭が回らない。目に映る人や物が何もかも新鮮で、私に余裕を与えてくれない。
期待や高揚感を自覚して、胸か膨らむ。
外に近づくに連れて、早足になっていく。
歩いていると人工的な照明とは違った、太陽の光が見えてきた。
そこに向かって突き進む。
髪をたくし上げて、視界を広げる。
屋内と屋外の光量の差で、一瞬視界がぼやけた。
すごい。これが東京駅…。
振り返ると、目の前に赤レンガを基調とした建物が堂々とそびえ立っていた。
すごい。テレビの中でしか見たことのない建物だ。
それ以外にも高いビルや整理された道路、お洒落な照明が、私を異世界に迷い込んだ気分にさせる。
そんな事を考えていたら自然と笑みが溢れていたのか、もう一人の私が話しかけてきた。
「少し落ち着いたら?」
「はぁ…」
てっきり、人混みに行けばこの声は途切れると思ってたのに、寧ろ増えていっている気がする。以前なら、この声が聞こえるのは部屋で一人いる時とか、どこか上の空の時だけだったのに。なんでだろ。
「きっと、影みたいなものなんだよ。私は
「みたいなものって…。なんで曖昧なの」
「
それもそうか。にしても、なんて鬱陶しい影なんだろうか。こんな
とりあえず、ポッケからメモを取り出して、アパートの住所を確認する。
「ここどこ…?」
アパートは都心から離れた場所にあるらしく、最寄り駅の名前もメモに書いてあるけれど、その駅にはどうやって行けば良いのかわからない。
ため息をついて、キャリーバッグから地図を取り出す。
今どき紙の地図を広げる若者は珍しいのか、目の前を行き交う人々と何度か目が合ってる気がする。
「総武線に乗って…」
メモと地図を照らし合わせながら、指でなぞる。同じ総武線でも、乗り換えが必要らしい。祖母が住んでいた田舎なら、考えられない事だ。そんな事を思いながら、少し目が疲れてきて、空を見上げる。
視界に映るのは青空だけでなく、ビルの輪郭やらヘリコプター。空が狭いとでも言うのだろうか。田舎や街の空とは違っていて、改めて随分と遠くに来てしまったと実感する。
「よしっ」
見たい建物は見たし、そろそろ行かなきゃ。
地図とメモをポッケに入れて、駅に引き返した。
東京の駅はどこも複雑で、よそ見をしているとすぐに自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。それでも何とか標識を頼りに進んで、電車に乗ることができた。
満員電車を覚悟していたけれど、昼間は案外空いていた。そのおかげで、キャリーバッグに気を使う必要がなかったので楽だった。
小岩駅に到着して駅のホームにあるベンチに腰を掛けた。
こんなに歩いたのは初めてで、足が悲鳴を上げている。普段履きなれている靴のはずなのに、指先や足首の付け根が擦れて痛い。
かかとに手を入れて、位置を調整したけど履き心地はあまり変わらなかった。
諦めるように立ち上がって、改札を後にする。
地図と勘を頼りに商店街を抜けて、ほんの少し薄暗い路地に入る。そんなところをいくつか通り抜けて右に行ったり左に行ったりをしていたら、それっぽいアパートが見えてきた。
ぼろぼろの背の低いビルに囲まれた、二階建てのアパート。
アパートも手すりや階段も錆びていて、第一印象は最悪だ。
まあ、うちはお金持ちじゃないし。
「こんなもんだよね…」
隣のビルに事務所があるらしいので、鍵を受け取りに行った。
「すみません。今日から入居します、
「あら、随分と若いのねぇ」
ビルの一室から、大家さんらしきおばあちゃんが出てきた。
「まだ中学生?なんだってねぇ」
「い、いえ…。四月から高校生です」
「あら、随分と落ち着いてるわねぇ。長旅だったでしょう?」
そう言いながら、大家さんらしき人は事務所の奥まで行ってしまった。
すると、ごそごそと物音が立ったと思ったらすぐに戻ってきて、茶菓子がたくさん入ったビニール袋を手渡された
「い、頂けません!」
「いいのよー。これからの生活も大変でしょう?
「は、はい。 ありがとうございます…」
すごく感じの良い人だ。もっと東京って、他人に興味がくて冷たい人しかいないと思ってた。
「期待外れ?」
もう一人の私が大家さんの周りを一周して、観察している。
「どうだろうね。お父さんが事情を話してるとも思えないし、大家さんは私の事知らないんじゃないかな」
「だといいね」
何か含んでるような言い方だ。気に食わないけどこういう時、あいつは自覚のない不安に気づかせてくれる。
「あとこれもね」
心の中で会話をしていたら、大家さんが小さな鈴のキーホルダーが付いた鍵を手の平に優しく置いてくれた。
「鍵ね。失くしたらすぐに言うんだよ」
「わかりました」
事務所を出るとき、頭を下げてお礼をした。
改めてアパートを見ると、大家さんと同い年なのかな。なんて思えてきた。
キャリーバッグを両手で持ち上げて、階段を上る。
廊下には狭い癖して、誰のか分からない植木鉢が散乱していたり、お酒の缶がたくさん入っている袋が放置されている。
覚悟はしていたけれど、相当古そうだ。
鍵を刺して扉を開けると、まるでホラー映画の効果音のような音が扉から鳴った。
「汚くはないけど、古い…」
入ってすぐ、薄暗い板張りの廊下に古いキッチンが置かれている。昔ながらの水道とガスコンロだ。
「まぁ、料理なんてしないしな…」
そう呟いて、短い廊下の先にある扉を開けると、四畳半ほどの和室が広がっていた。
窓はあるけれど、ビルの壁しか見ることができない。そのせいで昼間でも薄暗く、照明をつけないといけないらしい。
何となくキャリーバッグを部屋の隅に置いてから、和室の真ん中で正座する。
近くに線路があるからか、電車が走る度に籠もった騒音が聞こえてきて窓が揺れる。
昼間は気にならないけど、夜とか朝はうるさいと感じるかもしれない。
しばらくぼーっと正座をしていたら、足が痺れてきたので、体勢を崩して横になる。
「今日から一人か…」
「寂しい?」
そう言って、もう一人の私が幽霊のように宙を舞っている。
「全然。寧ろ楽」
「嘘つき」
そう言いながら、見透かしたような顔で私を見下してくる。
「見下してないよ。見下しているとしら、
「あっそ。私、やる事あるから」
ため息をつきながら四つん這いになり、部屋の隅に置いたキャリーバッグに手を伸ばす。
「お父さんに電話するんだ?真面目じゃん」
「うるさい」
キャリーバッグを広げて段ボールに包まれた固定電話を広げる。
机も棚もないので床に直接置くしかない。
説明書とにらめっこしながら、壁にある穴にコードを指した。
父が回線の契約を終わらせているはずなので、これで繋がるはずだ。
メモ帳を取り出して、電話番号を確認しながらボタンを押す。カチッと、どこか引っかかる押し心地が少し気持ちいい。
「もしもし?
父は家族の事を一番に考えていて凄い優しい。
けれど、その気怠そうで眠たそうな声質が、よく人を誤解させてしまう。
「あ、お父さん? 着いたよ」
「良かった…。今日はごめんな」
「別に?気にしてないよ」
普段から父の声を聞いていると眠そうとか、興味無さそう、なんて勘違いしそうになるけれど、電話越しだと独特なザラザラした音質のせいで余計に気怠そうに聞こえてしまう。
「やっぱり、お母さん?」
「最近は症状も軽くなってきたんだが、今朝テレビを観てたら、急にな…」
「そっか……。大変だよね。ごめん」
「善人ぶっちゃって」
なぜもう一人の私は、私の図星を的確に突いてくるのだろう。そんな事、言われなくてもわかってるのに。
「なぜって、
「アパート、結構古かっただろ?ごめんな、父さんの給料じゃ都内だと中々な…」
「ううん、気にしないで。お父さんには感謝してるから」
下手な愛想笑いだ。それを見透かしたように、頭の奥でもう一人の私が突いてくる。
「こんな娘を持って、お父さんは大変だね〜。きっと作らなければ良かったと考えてるに違いない」
「黙れ。お前にお父さんの何がわかるんだ」
「じゃあ、
「……」
「ほら、何も言い返せないんじゃん」
もういい、うるさい。
「明日には、荷物とか届くようにしてるからな。今日一日は頑張ってくれよな」
「うん、わかった。 お母さんによろしく伝えといて。おばあちゃんにも」
「わかった。
「はいはい」
そう言いながら受話器を置いて、電話を切った。
明日から入学式までは、部屋の整理整頓で忙しくなりそうだ。
お父さんの言った通り、翌日から少しずつ荷物が届き始めた。
狭い階段や狭い廊下で、配達の人は大変そうだったけれど。
明日は四月一日、入学式だ。
いくつか荷物は届いたけれど、物が少なくて生活感がない。
家電と言えば、小さな冷蔵庫に安物の電子レンジだけ。食器やコップは一人分で、洗濯機は隣のビルに共有のがあり、そっちを使わないといけない。
そして、四畳半の部屋には小さな机一つとパイプベッドのみ。相変わらず固定電話は床に置きっぱなしだ。
そんな寂しい部屋の中に、高校支給の鞄や制服を並べてみる。
「楽しみ?」
「どうだろう。ていうか何の用?」
「わかってると思うけど少し忠告」
「何?」
「期待するなら自覚した方がいい。今まで何度も思い知ったでしょう?今度こそって無自覚な期待に打ちのめされたのを」
もう一人の私は、私をよく知っている。私の事だから当たり前だけど。
「わかってるよ…」
明日は入学式だ。
それでも、これを機に普通になりたい。
普通に通学して、普通に勉強して、もしかしたら恋なんかも。
いや…東京で一人暮らしをしてる高校生の時点で訳アリだけど、それでもどうか、私に普通の生活をください。
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