魔王は平凡な余生を送りたいようです。
春森千依
第1話 魔王閣下は再就職をしたいそうです。1
気だるくなるような昼下がり、俺は開店前の酒場に来ていた。もちろん、開店前だから客は一人もいない。椅子はひっくり返した状態でテーブルに上げられているし、風通しのために開けられた窓から光と風が入ってくる。そして、厨房の方からは男女の楽しそうな声が聞こえていた。
どうやら、人間ってやつは昼夜所構わず睦み合うものらしい。なんてどうでもいいことを考えながら、俺はしごく真面目な顔を作り、洗濯板のように背筋を真っ直ぐ伸ばして座っていた。
今の俺は、どこからどう見ても、勤勉、実直、真面目、かつ誠実な好青年だ。負のオーラをまとってもいなければ、一瞬で人間の息の根を止めそうなほど鋭い眼光を放っているわけでいる。
見た目は清潔で、健康そう。なおかつ、人に警戒心を抱かせない凡庸な顔立ち。人間社会に溶け込むにはまさにうってつけの風貌だろう。まったく繁盛していなさそうな下町の酒場で働くにはピッタリだ。
俺の向かいに座っているのは、オークかと見間違えそうな顔立ちと体格をした人間の男だ。年は五十間近というところだろうか。俺から見れば赤ん坊程度の年齢だが、人間基準ではもう中年らしい。このオークもどきの男はこの酒場の店主らしく、俺が書いた経歴書に鼻くそをつけながら目を通している。酒場も飲食業だ。それなのに、この不衛生さはいったいどういうことなんだと、眉を潜めたくなる。
テーブルも汚れているし、出されたカップの水には小さな虫まで混入していた。それでも辛抱強く笑みを作り続けたのは、まあこちらとしてもやむを得ない理由があるからである。
「……アーノルド・ネッカー……二十二歳? どう見たって、十七のガキだろうが……年齢さば読んでやがるな」
フンッと鼻で笑われた俺は、「いえいえ」と営業スマイルのまま答える。
「正真正銘の二十二歳ですよ。身分証ならここにあるでしょう? 昔から童顔美少年って言われていて、年齢よりずーっと若く見られるんです」
そう言って、手の平サイズの身分証を見せる。都市行政区発行のものだ。そこにはアーノルド・ネッカーという名前と、年齢、住所が書かれている。
それをチラッと見た男は、俺が苦心して書いた経歴書を投げてよこし、「他を当たってくれ」と席を立つ。「はぁ!? なんでですか!? 俺のどこが怪しい……いや、不採用になるような理由がどこにあるんですか!?」と、俺は腰を浮かせてテーブルを叩いた。
「うちの客は、荒くれ者が多いんだ。お前みたいな生っ白いのじゃ、舐められてボコられるのがせいぜいだからだよ。雇ってほしけりゃ、もう少し腕っぷしでも鍛えて出直してきな。兄ちゃん」
オークもどきはヒラヒラ手を振って、厨房に戻っていく。「いつまでやってんだ、仕込みしろ!」と、怒鳴る声が聞こえた。
荒くれ者が多い? 大いにけっこうじゃないか。生っ白くて、舐められて、ボコられるだって? この俺が!? そんなことのできるやつが、いったいこの世界のどこにいるんだ? いたら、お目にかかってみたいものだよ。
俺は鼻くそのついた経歴書を一瞥する。それだけで経歴書は一瞬で灰になり、風に流されて散らばった。不潔なものは燃やすに限る。あのオークもどきを丸焼きにしなかったのは、せめてもの慈悲だ。まあ、こんなところで騒ぎを起こし、街の憲兵団に騒がれるのも面倒だからでもある。俺は平和に、安心安全に、慎ましく、静かに余生を送りたい。
もう、世の中のゴタゴタに巻き込まれるのも、くだらない戦いに明け暮れるのもうんざりで、そういうのを全部終わらせて、ようやく手に入れた『自由』なのだ。そう簡単に、手放してなるものか。
広場まで戻った俺は、噴水の縁に座って青々とした空を見上げる。子どもと母親が、水が噴き上がるたびにキャッキャと楽しそうに笑っていた。
あー……実に長閑だ。長閑すぎて眠くなる。日光が眩しい。
目を細めていると、ポンッと頭に何かが当たる。落ちそうになったものを咄嗟に受け止めると、柔かいボールだった。持ち主は捜すまでもなく駆け寄ってくる。そばで遊んでいた人間の子どもだ。推定年齢五歳といったところだろうか。性別は服装からして男だろう。
「ぶつけてしまって、ごめんなさいっ!」
ペコっと頭を下げた子どもに、俺は「ほら」とボールを返してやる。
「ありがとうございますっ!」
「すみませんっ、注意しておきますから」
母親も駆け寄ってきて謝り、子どもの手を引っ張って立ち去る。怒られたのか、人間の子どもは首を竦めていた。だが、すぐに笑顔になってウサッキーみたいにピョンピョンと跳びはねる。元気なものだ。
平和だ――。
平和すぎる。十五年前の大戦のことなんて、忘れてしまったようだ。
俺は破壊し尽くされ、死体が腐臭を放つ街を思い出す。どこもかしこも、燃えていて、人は無気力に立ち尽くしていた。逃げることもできないと諦めたように。やったのは、他でもない、この俺だ。王国の半分を攻め滅ぼした。理由? 報復だよ。人間の方が先に侵略戦争を仕掛けてきて、五百年に渡って守り続けてきた不可侵の条約を無視して領土に侵攻してきた。こちらの被害もそれなりに甚大だったのだ。許してはおけなかった。俺が許しても、他の者は許さなかった。それから、報復に次ぐ報復。ものの数年で、国中焼け野原だ。死者は数万をくだらない。どちらの陣営もだ。
この国が無謀な侵攻に踏み切ったのは、聖教会の差し金だろう。連中は自ら信じる神とやらの使命のために、俺たちを目の敵にしていて滅ぼそうとしていた。それが神の仰せだと本気で信じていて、国中から人間を連行し、戦場に送り込んできたイカれ野郎の集団だった。
そいつらの崇高な使命とやらのために、どれほどの人間が犬死にをしたのかわからない。もちろん、そう――そいつらの首を片っ端から斬り落として、魔獣の餌にしてやったのは俺たちだ。だから、あいつらの行いを非道だと批難する資格はないし、しようとも思わない。存在そのものが忌まわしき悪である俺が、人の善悪を語るなど、それこそおこがましい。そこまでは、図々しくないつもりだ。
まあ、つまりだ。俺はこの世界の何もかもが面倒くさくなって、うんざりして、自分が生まれながらに課せられた役目も、使命も、背負うべきものも、無責任に全部、放り出して、やめてやったというわけだ。
おかげで、すっきりしたし、未練は一切なし。そもそも、俺は働き過ぎだった。なんせ六百年も休みなく働いてきたのだ。もう十分だろう。いつまでも、同じ役職にしがみついて、目下の者たちから老害なんて煙たがられる前に、隠居して正解だ。後のことは血気盛んで志とやる気に満ちた若い者たちが担うべきだ。というわけで、前職『魔王』を引退して魔族の国を出奔してきた俺は、この人間の国で、人間に紛れつつ再就職先を探しているのであった。
「うう~~~~っ、これで不採用何度目だ!? なんで、どこもかしこも、俺を雇わない!? 俺のなにが不満だってんだよ! どこから見ても、完璧に普通だ!」
俺は両手で顔を覆って呻いてから、大きな独り言を漏らす。
「健康で、体力もあって、顔だってそこそこで、機転もきくし、覚えもは早い。見ろ、この人畜無害な笑顔を! この笑顔を作るためにどれだけ修練を重ねたと思っているんだ。それなのに、俺を雇わないなんて目が節穴なのか!? まさか、俺があまりに優秀過ぎるように見えて、かえって敬遠されているのか……こんな俺様をオークもどきのゴミカス人間が雇うなんて恐れ多いと思われて不採用にされたのか!? なんてことだ……輝くオーラがダダ漏れになってしまっていたのかもしれん」
俺は立ち上がり、一人でブツブツ言いながら口を手で押さえる。いつの間にか、回りから人がいなくなっていた。遠巻きに見ている人間どもは、目が合いそうになるとサッと顔を逸らす。やはり、俺の輝きが隠し切れていないらしい。
「お姉ちゃーん、あれなにー? 一人芝居?」
幼女が俺を指差して大きな声できく。一緒にいた背の高い娘はギョッとしたようにその幼女を抱えて、「怖い人だから、近付いちゃダメ!」と逃げていってしまった。
…………まあ、どうでもいっか。
俺は気にせず噴水の縁に腰を戻し、ハァ~としょぼくれたように溜息を吐いた。
「俺、人間の社会で生きていくの……向いてないかも……」
ガックリしていると、「キャーッ!」と叫ぶ声が聞こえる。その途端、急に辺りが騒然となり、広場にいた人たちが逃げ惑う。空から舞い降りてきたのは、でかい人喰い鳥だ。赤い嘴に派手派手しい色の羽根をした、ずんぐりとしたみっともない姿の怪鳥である。おまけに首が三つもあり、「ギャーギャー!」と耳障りで不快な鳴き声を漏らしていた。その怪鳥を目にした人々は一様に青ざめ、腰を抜かして震えている老人もいる。
「誰か……憲兵団に知らせろ!!」
「いや、憲兵団では手に負えないだろ……魔獣討伐ギルドに要請しろ!!」
「それより、王国騎士団の騎士だ!!」
喚く声がそこかしこから聞こえてくる。怪鳥はその間にも逃げ遅れた老人を嘴にくわえ、丸呑みしようとしていた。「おじいちゃーんっ!!」と、泣き叫んでいるのは孫娘か。
あー……うるせー……。
今、こっちは真剣に悩んでんだよ。これから先、どうしようか人生の岐路に立たされてんだよ。三十回も面接落ちててイライラしてんだよっ!!!
俺はギロッとうるさい怪鳥を睨む。その途端、怪鳥はグエッと喉が詰まったような声を漏らして、半開きの口からポロリと老人を落とした。俺は怪鳥に向かって軽く手を振り、背を丸めたまま立ち上がる。
マントのポケットに手を突っ込んで立ち去ろうとした俺の横を、一瞬、風のように走り抜けた人間がいた。振り返った俺が目にしたのは、その人間が落ちてきた老人を間一髪受け止めたところだった。と、同時に――切れた怪鳥の首から血が噴き出し、周囲に降り注ぐ。
ドンッと重い音を立てて転がった首の断ち切られた怪鳥の死体に、この場にいた人間たちは震え上がって悲鳴を上げていた。老人を抱えたあの人間も、もれなく返り血を全身に浴びてしまったようだ。白いマントが紅に染まっていた。
白マント――銀の刺繍。
その人物はマントのフードを脱ぐと、駆け寄ってきた娘に老人を預けて微笑む。
女か。年齢は十六、七歳。結んだ髪は太陽の光のような明るい金色だ。
その女がこっちを向いたものだから、俺はすぐに顔を背けて急ぎ足でその場を離れる。厄介事はご免だって言ってんだ。こっちは就職活動中なんだ。
あれは、王国騎士団の制服だ。俺の天敵みたいなやつらで、近付きたくもない。
まあ、俺の顔なんて覚えているやつはいるとも思えないけど。なんせ、俺の姿を目にした騎士団の連中はみんなまとめて墓に入っているだろうから。嫌なことを思い出して顔を顰め、フードを目深にかぶった。
しかし、なんで王都に魔物が入ってくるんだ?
あの怪鳥は珍しくもないし、不細工なだけで大した脅威でもない。人間にとってもそうだとは限らないが――。
王都の城壁の中は、神聖魔法で防御結界が張られているはずだ。闇取引のために持ち込まれたやつが逃げ出したってところだろうが。どのみち、死体はあの騎士団の騎士様が片づけてくれるだろう。俺の出る幕じゃない。
というか、うるさくて思わずその首を切り落としてやったが、余計なことだったのかもな。あの騎士の嬢ちゃん、まさか見てないよな? いや、見たとしても何をしたかまではわからなかったはずだ。単純に、風の刃を飛ばしてやっただけなんだから。ド派手な魔法を使ったわけでもなく、使った魔力も微量。そよ風程度のものだ。俺はしばし考えて、「うん、大丈夫! 問題なし」と結論を下す。
あの場には大勢の人間がいたんだし?
俺がやったなんて誰にもわからないはずだ。あの広場には、姿の見えない謎の魔術師が潜んでいて、バレないように物陰からあの怪鳥を仕留めたのである! という筋書きでいこう。
「そこの君、待って」
人気のない細い通りに逃げ込んだっていうのに、呼び止められて俺はうんざりした顔をする。振り返らなくても、さっきの騎士の嬢ちゃんだ。なんでついてくるんだよ、勘弁してくれよ。
立ち止まらずに無視して三段ほどの階段を下りる。だが、嬢ちゃんは俺を飛び越えて、目の前にストンと着地すると瞬時に抜いた剣の先を俺に向けてきた。おおっとあぶねぇ。俺は降参だとばかりに両手を上げた。
「なんだよ……てか、あんたどこのどちら様? 俺の知り合い? それとも、もしかして俺は君にお誘いされているのかなー? だとしたら、悪いんだけど。俺は嬢ちゃんみたいな血気盛んなタイプは趣味でも好みでもないんだよねー。俺はもっと、慎ましくて、癒やし系なタイプの女子に惹かれるんですわ」
「まず、その無駄で喧しい口を閉じてください。次に、一歩下がって」
命令口調で言われて、俺は「へいへい」と一歩後ろに下がった。
俺は基本的に無抵抗主義だ。争いも戦いも好まない平和主義者なわけだよ。なんて昔の手下が聞いたら、腹がよじれるほど笑うだろうな。ああ、そうだよ。真っ赤な嘘だ。
俺は戦い大好き。言ってわらかないやつは拳で黙らせたほうが早いじゃん? っていう、好戦的なタイプだよ。その方が結果的に効率的だからだ。話し合いってのは、互いに譲歩する意思のある者同士の間でしか成り立たない。お互いに相手を理解する気もなく、一歩も譲らないって時には、無駄な時間と労力でしかないだろう?
だったら、それを省いてなにが悪い。手っ取り早くいこうじゃないか。
俺は言われた通りに大人しく黙っているし、この白マントの嬢ちゃんも無言だ。人間基準ではかなり美人の部類に入るだろう。だが、生憎と俺から見ればただのお子ちゃまだ。十六、七歳といっても、俺は六百歳。爺さんが孫や、ひ孫を見るような気分にしかならない。実に残念なことだ。俺があと五百云十歳若ければ――。
塀の上で小鳥が長閑に鳴いている。ネッコが俺たちをチラッと見ながら、尻尾を揺らして通り過ぎていった。
あー……えっと……。なんで、何にも言わないの?
えっと、これ、なに待ちの時間?
俺は困惑して頭に手をやる。その瞬間、「動く許可を出していません」と声がする。その間も、彼女の剣の先は俺の喉にピッタリとつけられたままだ。少しでも動かせば切れそうだ。
「……あのさっ! 面倒くさくなったから、勝手に口を開かせてもらうけど。俺はこれから、大事な用があるんだよ。さっさと要件を言ってくれませんかねぇ。そっちが呼び止めたくせに黙っているとか、いくら王国の騎士様でも少々傲慢が過ぎるんじゃねーの?」
俺は一息で言い切ってから、深呼吸した。はい、どーぞ。そちらの番ですよ~?
「…………怪しいから追いかけてきた」
「は?」
ポカンとして思わず聞き返すと、「怪しいから追いかけてきた。それだけ」と少女は真面目な顔をして答える。そして、剣を鞘にストンと収めた。
「えーと……? で? 俺を捕まえんの? 怪しいという、ただそれだけの理不尽な理由で?」
ポリポリと頭を掻いてきくと、少女は少し考えてから「違う」と首を振った。
美人は美人だけど、ぼやーっとしている子だな。天然系なのか?
「さっき、あの魔物を倒したのはあなたでしょう?」
うっ、天然系かと思ったら以外と鋭いな。やっぱ俺が発動した微量な魔力を感知したか。だとしたら、なかなか優秀じゃないか。魔道具も使わず、魔法の発生源を突きとめるとは。いや、待て。魔道具を使ったのか?
「……はぁ? 魔物を倒したのが俺? そんなまさか! 俺は見ての通り、ただの丸腰平凡人間ですよ~。 魔力量も微量、体力も平均以下、おまけに無職でただいま就活中。こんな俺がどうやって、魔物を倒すんだ! ネズミ一匹だって、退治できやしないってのに。君がどうしてそこまで俺を過大評価して追いかけてきたのか知らないけれど。残念ながら君の直感は、大外れだ。俺じゃなくて、たぶん、俺の隣にいたやつがやったんだ。顔も見てないけどね」
堂々としらばっくれて肩を竦める。嬢ちゃんは一歩近付いてきて、穴が空きそうなほどジーッと俺の顔を凝視してきた。
俺は散々練習した営業用スマイルを浮かべて、相手の警戒心と疑惑を解こうと試みた。だが、残念。失敗だ。美人さんのコバルトブルーの瞳は、ますます怪しむような色が濃くなり、眉間に皺まで寄っていた。
「あなたの隣には、誰もいなかった。誤魔化さないで」
「だからさ。君がすっ飛んでくる前の話だよ。そいつはきっと何らかの魔法を発動した瞬間、転移魔法かなんかを使ってシュッと消えてしまったんだ。どう? 実に説得力のある説だと思わない?」
「転移魔法はかなり魔力量を消費するから使えばわかる。でもあなたの隣からはそんな魔力は検知されていない」
「おやおや、魔力量が見ただけでわかるなんて優秀じゃないか。そいつは魔眼のヴァシリスの子孫じゃなきゃ持たない能力だぞ。普通の人間には……」
俺は言いかけて、思わず口を噤む。魔眼とのヴァシリス――偉大にして異端の大魔術師。金髪にコバルトブルーの瞳。ハッとして、無意識に一歩下がっていた。
「あ~~あのさ~~。ちょっと、ものは試しにきくんだけど。君、ご先祖さんに魔眼のヴァシリスってインチキ臭い魔術師がいたりするのかなぁ? その遠縁の遠縁の、遠縁とかでもいいんだけど」
「私は魔眼のヴァシリスの直径子孫。王国魔導騎士団所属、ルア・ヴィシリス」
彼女は「よろしく」と、キリッとした顔で言う。俺は拍子抜けてしまって、どういう表情を作ればいいのかわからず、額に手をやった。
マジかよ。我がバカ友よ。お前の子孫がこんなところにいたぞ。
おまけに王国魔導騎士団の騎士様とは、ずいぶんご立派じゃないか。お前の血、本当に入ってる? どっかの代で奥さんに浮気とかされてないか? 大丈夫?
「いやいやいや、やっぱありえないって。あいつの子孫がこんなに美人なわけがない」
俺は頭を振りながら独り言を漏らす。お嬢ちゃんは「本当だから」と、顔を寄せて睨んでくる。
「だから、あなたは怪しいってわかる。魔力量が計測できない……そんなこと、あるはずない。だから、おかしい。ちょっと一緒に来て」
ギョッとする俺にかまわず、お嬢ちゃんは大胆にも俺の手をつかんで歩き出す。
「お、おいおい、これはちょっとまずいんじゃないかなー? 白昼堂々? 恋人でもない男女が手を繋ぐなんて、よくないよー? 誰かに見られたらどうすんだよ。君の彼氏が目撃したら、疑われるかもしれないぞ! 困るだろ? 困るよな。俺はものすごく困る。というか、ハレンチすぎでしょ! 不純異性交遊ダメ絶対!」
細い通りから引っ張り出されると、眩しい大通りに出る。おまけにさっきの騒ぎのせいで人が集まってきたのか、人間が多い。危険や脅威が去った途端に、娯楽に転じてしまうのは人の常だ。
「私に交際している人なんていない……それに、これは捕獲だから」
「捕獲!? 俺はそのへんの野生動物じゃないんですけどねー。いやいや、離してくださいってば。お願いだから。ほら、注目集めちゃってる。というか、お嬢ちゃんさ。自分が血みどろになってるのわかってるー? それに、魔獣の血の臭いがプンプンしているよー? 俺みたいなやつにかまっていないで、着替えて水浴びでもしたほうがいいんじゃないかなー? 若い嬢ちゃんが、そんな格好のまま街中闊歩するなんて、ご両親が見たら絶対嘆き悲しむって!」
俺の言葉を無視して、嬢ちゃんは周りの好奇の視線も気にせずに歩いている。白いフードもマントも魔獣の血のせいで赤黒く染まっているのだから、通りすがりの人が驚くのも無理はない。
「それより、あなたを騎士団本部に連れて行って取り調べる。今回の魔獣騒ぎの主謀者かもしれない」
「いやいやいや、違うから。全然違うから!!」
あーっ、厄介なお嬢ちゃんに捕まっちまったな。おい、あの世で見てんなら、お前の子孫のこの嬢ちゃんをなんとかしてくれよ、バカ友。俺は非常に迷惑をしている。なんせ、俺は夕方から面接を受けることになってんだ。これで三十一回目の就職活動だ。この嬢ちゃんのせいで面接時間に遅れてみろよ。俺は怒りのあまりに、王都をぶっ壊すかもしれない。甚大な被害が出るだろう。死体もゴロゴロ転がるだろう。人々は大魔王復活と恐怖に打ち震えて絶望するだろう。そんな姿を見たいか? ああ、わかっているさ。愚かなヴァシリスよ。お前なら、大喜びで火に油を注いで回るだろう。お前はそういうやつだった。
「あー……あのさ、俺よりどっかの闇業者を摘発して回る方がいいじゃないかなー? 俺さー、ちょっと見たんだけど。あの鳥の脚に、なんか括り付けてあったじゃん? あれ、たぶん魔道具だよー? てことは、野良魔獣じゃなくてさ。誰かの悪趣味なペットか、取引のために持ち込まれたやつだと思うんだよねー。嬢ちゃん、聞いてるかー? おーい、美人なお姉さーん」
ズルズル引きずられて人間どもの注目の的になるという屈辱を受けながら、俺は呼びかける。あの怪鳥騒ぎのあった広場まで戻ってきたらしい。魔獣は片づけられていて、街の憲兵団の連中がせっせと血を洗い流していた。
「私は嬢ちゃんじゃない……ルア・ヴァシリスって名前がある」
「あー、はいはい。そうだねー。かわいい名前だねー」
まともに受け答えしないことに、どうやらイラッとしたらしい。表情があまり変わらないわりに、考えていることがわかりやすい嬢ちゃんだな。
「ルア・ヴァシリス」
「ああ、うん。聞いたよ? 覚えたよ?」
立ち止まったルア嬢ちゃんは、俺をジロッと睨んでくる。手は意地でも離さないつもりらしい。広場にいた人間どもは、「あれまあ、仲良しかね」、「イチャつきやがって」とヒソヒソ話しながら俺たちの方をさりげなく見ている。
「ルア・ヴァシリス! ルア・ヴァリス!!」
強い口調で自分の名前を連呼するが、俺はその意図がさっぱりわからずに首を傾げた。これはいったい、なんて答えてほしんだ? 人間流の挨拶の仕方か? それならと、俺は「あー、俺はアーノルド・ネッカーだよ」と取りあえず名乗ってみる。
「………………」
「アーノルド・ネッカー……アノールド・ネッ!!」
「それは聞いたから」
なに、その冷めたい反応! いや、そっちが何度も名乗ってきたんだよね?
だからこっちも、人間の流儀に合わせて何度も名乗ってやったのに、「やだ。なに、この人……」みたいな目で見るのやめてもらえる!?
魔王(隠居中)だったからって、心まで無敵なわけじゃないんだよ。むしろ外側頑丈な分、心は繊細にできてんの。ウッニーだってそうだろ!? あー、ウッニーっていうのは、高級な貴族御用達の海洋生物の一種で、トゲのある外殻に覆われている生き物だ。
トゲトゲの殻の中には、うまいベチャベチャが入っているだけだろ。俺はあれなんだよ。わかってくれよっ!! 六百歳の老人は繊細なんだ。
「私はあなたに名前を名乗った。嬢ちゃんじゃない。そう呼ばれると……不快な気分になるから」
スッと目を逸らされて、俺は「あっ、そうっすか……」と大人しく答える。
つまりは、この嬢……ルア(敬称略)は俺様に名前を呼んでほしかったというわけだ。
「悪かったよ……そうだよな。名前を名乗ったからには、名前で呼ぶべきだ。ルア、君は正しくて、俺が愚かだった。ところで、俺も名乗ったんだ。ということは、俺のことも名前で呼んでくれるんだろうか?」
「あなたは不審者だから、まだ名前では呼ばない」
当然とばかりに言われて、俺はガクッとなる。なんで、そんな『えっへん』みたいに胸を張ってるんだよ。かわいいな、くそ。ジジイの胸を無駄にキュンッとさせんじゃねー。というか、こいつはあのアホのヴァシリスの子孫だ。
全世界の人間の女が俺に夢中になったとしても、嬢ちゃん――ルアだけは絶対に選びたくない。愚友の顔が無駄にちらつくなんてご免だ。
「まあ、いいさ。で、俺の推察は一考してただけたかな?」
フッと笑ってきくと、ルアは石畳に残された血痕に目をやる。深刻そうに考え込んでから、その視線を平常通りの落ち着きを取り戻した人々に向けていた。風がふわっと彼女の髪を撫でる。
「それも確かにそうかも……それなら、あなたには一緒に来てもらう」
「…………は? え?」
俺がポカンとしている間に、片手にガシャッと金属の手錠がはめられてしまった。しかも、彼女は手錠の片方の輪を自分の手にはめる。この手錠、どうやら魔道具らしく微量な魔力が込められていて、物理的に破壊できないようになっているようだ。
「おーい、なんでそうなるっ!! 俺、無関係なんですけどー?」
「逃げるかもしれない。これでもう、離ればなれにならない」
「その言い方も、妙な誤解を生むから!」
ほら見ろ、周りの視線が痛いじゃないか。「まあ、昼間っから……」、「いやらしい」とおばちゃんたちがニヤニヤしているじゃないか。だが、ルアはまったく意に介していないらしく、手錠をつけたまま俺を引っ張って行く。
あー、これは落ちたな。面接。
絶対、間に合わねー。次に受けようと思ってた仕事、けっこう狙ってたんだよ。船乗りの仕事でさ。大きな海原を船で旅するって、なんかかっこいいじゃん? 余生を楽しむにはぴったりだと思ってたんだよねー。あー、でも落ちた。はい、不採用!
面接に落ちた哀れな俺を置いて、船は海の彼方の異国に旅立つだろう。
どーしてくれんだよ――っ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます