今も、どこかで
リコラ
第1話 3月18日 持て余しとメイ
春休み。それは大学生にとってのオアシス。2か月を超える休暇は無限の可能性を秘めている。何かの資格の勉強をしてもよし、気になっていた映画や漫画を一気見するもよし。新しく始まる学期に向けて、自分磨きをするのもいい。
何をしようか。そんなことを考えてみると、やりたいことはとめどなく浮かんでくる。しかし、それらを実行するのはまあ、しんどい。資格勉強の為に必要な参考書を買いに行ったり、漫画を買いに行ったり、映画が見れるサブスクを登録したり。自分磨きのための美容室を予約したり。いざやろうと思うと重たい腰が上がらない。
結果、何が言いたいかというと。長すぎる春の休みは、大半を持て余す。現在大学2年生を終えた私も、休みを持て余す学生の一人だ。一日が長い。昼間に起き、朝食兼昼食を食べ、ぐうたら過ごす。このルーティンの繰り返し。
あまりにやることがないわたしでも、決まってやることがある。それは二日に一回の掃除だ。
大学に行っている間は家にいることが少ないから、埃はあまりたまらない。だが、持て余し休暇期間中はその限りでない。バイトの時間以外は大抵家にいるので、埃はすぐに溜まる。二日に一回、掃除をしなければ、埃アレルギーの私は家にいることができなくなる。
綺麗好きとかでもなく、ただアレルギーがあるためだけに、仕方がなく掃除をしなければならない。これも持て余し休暇の悪いところである。
一人暮らし、それほど広い部屋ではないものの、一帯を掃除するとなるとなかなか労力が必要になる。掃除機をかけ、ワイパーをかけ、空気を入れ替え、トイレを掃除する。
今日はバイトもないので、いつもより丁寧に広い区域を掃除してみることにした。持て余しに対するささやかな抵抗である。ずっと気になっていた風呂の鏡の水垢を落とし、リビングにおいてあるテレビ裏のコンセントを整理。服を収納してあるクローゼットの片づけ。
時間はかなりかかったが、目に見えて部屋は綺麗になった。時刻は午後3時。体感あっという間だった。
「持て余してない」
すっかり片付いた部屋の真ん中で大の字に寝転ぶと、自然とそんな言葉がついてでた。久しぶりの充実感に、なんとも言えない感情がこみ上げた。
持て余しを打破したことによる優越感。私を常に堕落へと導いていた持て余しが、今日は私の前に屈服した。強敵に勝った時の興奮に近いものが、身体をめぐった。
私は飛び起き、机にメモとボールペンを用意する。この素早い動きも、持て余しを克服していないとできない。
「よし」
英語の資格試験の参考書を買う。サブスクを登録する。久しぶりに料理をしてみる。
持て余し打破の材料である。きっとこのメモを見て、持て余しは驚愕しているに違いない。こいつは持て余しを攻略し始めたと。
いつまでも持て余しの思い通りにさせてなるものか。トートバッグを肩にかけ、外に飛び出した。
最寄りの書店まで自転車を漕ぎ、目当ての参考書を探す。
「あれ、サーちゃんじゃん」
「あれ、メイ!」
サーちゃんとは私のこと。沙羅という名前から付けられたあだ名だ。メイとは、大学の友達、紗(さ)月(つき)のことである。なぜ紗月という名前でメイと呼ばれているのか。これには複雑な事情がある。
まず、紗月をあだ名で呼ぶならサっちゃんやサーちゃんでいいのではないかと思うだろう。そう簡単にはいかない。サーちゃんというあだ名は私がすでに所有しており、譲ることはできない。
以上の事情を鑑みて、サツキには五月という意味があり、それを英語にするとメイ、という遠回りなあだ名のつけられ方をしたのだ。紗月はこのあだ名のつけられ方に最初は難色を示したが、最終的には承諾に至った。というよりは承諾させた。
あだ名の所有権に関する問題は、友人間において重要な議題であるとともに慎重な検討が必要になる。
「サーちゃんも買い物?」
「そーそー、英語の資格試験の勉強でもしようかなと思って」
メイにサーちゃんと呼ばれると若干胸がもやっとする。先にサーちゃんというあだ名を獲得したことによる罪悪感だろうか。だが仕方がない。あだ名の世界は弱肉強食だ。
「え、私も!」
メイは目を大きく見開き、私の袖を引っ張った。大げさすぎると思った。メイはそのまま腕を引いて、参考書の棚の前まで私を案内した。
「メイも受けるの?」
「うん、受けよっかなあって思ってて」
かなあ。という語尾。これはメイの口癖の一つだ。メイ。このあだ名がつけられたのはその口癖も大きく影響している。メイはかもしれないという話し方を良くするので、英語でmayという意味も込めて、メイと呼ばれている。流石に本人はこれを知らない。
「この資格試験難しいって聞くから、受けるかどうか不安なんだよねー」
「えー、メイは絶対いけるよ」
メイは満更でもなさそうに笑う。この試験には難易度が設定されており、上はレベル3、下はレベル1まで用意されている。大学生のほとんどはレベル2を受験する。お世辞抜きでメイは頭がいいので、レベル2は合格できるだろうという確信があった。
「サーちゃんがそこまで言ってくれるなら」
メイはそう言ってレベル3の参考書を手に取った。レベル3なんかい。という驚きを隠しながら、私はレベル2の参考書を手に取る。
「あれ、サーちゃんはレベル2?」
こいつ嫌な奴だな。シンプルに嫌悪感が湧き出る。
「私にレベル3は厳しいよ」
「えー受かるよ絶対、知らんけど」
ここでのメイビー。正直言って、激しくむかついた。
「私はレベル3厳しいけど、メイならきっと行けるよ、まあ、わかんないけど」
華麗なるメイ返し。私はかなりやり返したつもりだったのだけれど、メイは何を気にするでもなく、「そうかなあ」とメイっぽく呟いている。
メイは満足そうにレベル3の参考書を購入した。私はレベル2を購入し、書店の前でメイと別れた。
私は嫌悪感を持て余す。
続いてスーパーに向かった。先ほどの書店でかなり持て余しがせり出し始めたので、私は少し焦っていた。
メニューはロールキャベツに決まった。手間のかかる料理だが、打倒持て余しを掲げる私にとっては非常に頼れる戦力となる。コンソメやひき肉。材料を買い集め、ついでに間食用のお菓子もカートに放り込んでいく。
「ちょっと買いすぎかな」
カートを覗き込み、小さなお菓子の山とにらめっこする。自分の欲に負けてしまうと、そこから持て余しは侵入してくる。油断はできない。審議をした結果、クッキー一袋を商品棚に戻すことにした。持て余しの気配が少し遠ざかった。
次に主役であるキャベツだ。順調な買出しであった。しかし、この野菜コーナーで持て余しが仕掛けてきた。
カットキャベツがない。店員に聞いたところ、キャベツを積んだトラックが運送中に事故を起こし、今日はカットキャベツが入ってこないのだとか。店頭に並んでいるのは大きく立派な一玉のキャベツのみ。
これは確実に持て余す。キャベツを持て余す。だが、キャベツなしでロールキャベツを作るというのは至難の業だ。というか不可能だ。目標達成のためには一旦、持て余しのリスクを負う必要がある。虎穴に入らずんば虎子を得ず。使い方があっているかは知らないが。
「かかってこい」
キャベツを一つ掴み、カートに積む。これは持て余しに対する宣戦布告である。
自宅に帰り、スマホでメニューを見ながらロールキャベツを作っていく。およそ1時間で煮込む工程までたどり着き、IHのタイマーを設定してソファに寝転ぶ。
持て余しの気配。すぐに上体を起こし、今日買ってきた英語の参考書を開く。すぐに微睡が瞼にぶら下がった。駄目だ。圧倒的な持て余しの優勢。
こういう時は早めの決断が必要になる。サブスクを登録しよう。今は非常に便利な時代で、いくつものサブスクが用意されている。一番自分に合ったサブスクを検索し、登録まで進む。
「え、昔使ってたっけ」
どうやら以前に一か月無料登録をしていたらしく、パスワードがすでに設定されているらしい。顔認証は登録されていないから、パスワードを思い出すほかない。
「なんだっけな」
思い当たる数字を片っ端から入れてみるが、通過せず。再登録の手続きに進むことになった。見るからに面倒そうな手続きに、途中で心が折れてスマホを放り投げる。
どうやら私は最近のセキュリティーを持て余しているようだ。
なかなかおいしく出来上がったロールキャベツを完食し、皿を片して風呂に入る。お風呂上りは冷蔵庫で冷やした炭酸水を飲む。独り暮らしにしては大きすぎる冷蔵庫は、いつもスカスカで持て余すのだが、大量のキャベツの千切りが持て余しを緩和している。
持て余しが仕掛けてきたキャベツ一玉作戦はもろ刃の剣だったらしい。
「疲れたなあ」
炭酸水を流し込み一息つくと、どっと疲れがこみ上げた。持て余しとの戦いには体力が必要らしい。
早めにベッドに入り、眼を瞑るとあっという間に眠りに落ちた。
少しぐらい持て余すくらいの日々が良いのかもしれない。心地良い夢の中で、そんな『かもしれない』が弾けた。
丁度良い持て余しが幸せ。新しい発見だった。
翌日、反動のせいか、何のやる気も出ずに一日を過ごした。やっぱり持て余しは憎い。
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