赤の鉄人

幸馬コピー

第1話

  1



 私、阿久津創二は仲間たちに背を向けて大学のとある小屋に籠った。仲間たちは金属バットで機動隊に応戦しているが、鎮圧は時間の問題だろう。

 やはり無理なのだ。火炎瓶や棒っきれなんかで、国の力を背景にする機動隊と渡り合えるわけがないのだ。時間が足りなかった。あと四日あれば私の研究は完成していた。そうすれば三里塚さんりづかでも、この安保闘争でも我々はあの公僕どもを粉砕することができていたかもしれないというのに。

 少年の日、見た憧れのヒーロー、鉄人。十五年前、七歳の私は、今はめっきり少なくなった貸本屋で見つけた鉄人に夢中になった。そして私も鉄人のようなロボットを作りたいと志し、大学に進んだのだ。その大学で私は運命の出会いを果たした。

 先輩から紹介されたその人は、三里塚さんりづか闘争で幹部を務めているという小宮山こみやま輝彦と言う人物だった。小宮山さんは戦時からマルクス主義の実現を目指し、反戦運動をしていたという、筋金入りの反骨であった。小宮山さんは私に「君の研究を安保闘争の勝利のために貸してほしい」と頼まれたのだ。

 私は公安に目を付けられたから、同盟者であるこの市ヶ谷いちがやの大学の使われていなかった小屋を借りて研究を続けた。それがこの部屋だ。

 だが小宮山さんの取り巻きの馬鹿どもは、私にもゲバ棒を手に取り、機動隊と交戦するように強要した。そのため私の鉄人の完成は遅れ、このザマである。私が公僕に負けたのではない。あの馬鹿どもの敗北を、私が尻ぬぐいするだけなのだ。

「この建物に火を掛けて燃やしてやる」

 私はこれまでの研究してきたレポートを一箇所にまとめた。公僕はこの建物にも迫っているだろう。そいつらを巻き込むことを私は祈る。私はマッチをするとレポートに火を掛けた。石油ストーブの灯油燃料を部屋にぶちまける。

 鉄人たちはまだ動かないが、完成間近なだけに、公僕の手に渡れば、必ず奴らはこれを完成させ、小宮山さんをはじめとする同志たちの脅威となろう。私と共に灰燼に帰してもらうほかない。

「燃えろ! 燃えろ! この火こそが、マルクス主義がこの世から消えることがないことの証だ!」

 炎を見て哄笑する。意識が徐々に遠のいていく。一酸化炭素を吸い込んだのだろう。

 昭和四十五年六月二十六日。この日が私の命日となる。

 はずだった。

 そう、はずだったのだ。

 遠のいた意識は、やがて戻ってきた。

「う。ぐっ」

 頭が痛い。右手で頭を抑えながら立ち上がると、そこはあの私が火を掛けた部屋の中だった。意識はまだ朦朧としているが、それでも何かおかしいことに気付く。

 部屋の中は何ひとつ変わっていない。放火に失敗したのかと思ったが、積み上げたレポートも何事もなかったようにそこにある。いくら放火に失敗したとしても、これは確かに燃えたはずなのに。私の身体にも火傷一つない。身体の異常は頭痛だけだ。

 私は小屋の扉を開けて外へ出てみる。そして絶句した。辺りは大規模な火災の跡のようなありさまで、燃えた梁や柱が崩れて折り重なっていた。だが小屋は全くの無傷である。

 どういうことだと混乱していると、

一寸ちょっとあんた。大丈夫かね?」

 と、私に声を掛けてくる者がいた。七十歳くらいの老女だ。

「巡査さん、生きてる人がいるよ!」

 老女がそう叫んだことに、私は飛び上がりそうになる。冗談じゃない。警察に突き出されるのだけは勘弁だ。

「大丈夫、大丈夫です」

 私はそう言って、その場を急いで離れようとする。が、ふと気が付く。ここはどこだ?

 私は市ヶ谷いちがやにいたはずだ。市ヶ谷いちがやはその名の通り、東京でも谷に当たる場所で、低い土地である。なのにここはどう見ても高い場所であり、山の手の方と思われる。

「おばさん。つかぬことを訊くがここはどこですか?」

 私は老女に尋ねると、老女は心底同情したような表情で答える。

嗚呼ああ、可哀想にねえ。あまりの恐ろしさに混らんしているんだねえ。此処ここ巢鴨すがもだよ」

 巣鴨だって?

 言われてみれば。周囲の建物が焼け落ちて、広くなった視界の遥か向こう側にコンクリートの巨大建築物が見える。

「あれは巣鴨プリズンか?」

 私がひとりごちると、老女は慌てたように私の口をふさぐ。

「あんた。何敵性てきせい語なんて喋っているんだね。憲兵に聞かれでもしたら事だよ?」

 敵性語? 憲兵? ま、まさか、私は?

「おばさん。すみませんがもうひとつ訊いていいですか? 今日は一体何年何月何日でしょう」

嗚呼ああ、日付さえも判らなくなってしまっているんだね。今日は昭和二十年三月五日だよ」



  2



 あそこに巣鴨プリズンが見えるということは、昭和四十五年で言うところの国鉄大塚駅の南側だろうか。だとすると都合のいいことがひとつある。

 両親に「私はあなたがたの息子だ」と名乗ったところで到底信じてはもらえまい。そもそも父はラバウルに出征しているはずだ。だがこの時代で私が頼りにできる人物はもう一人いる。それはかの小宮山輝彦さんだ。

 戦時中特高警察に狙われていた小宮山さんは、駒込こまごめに潜伏していたらしい。頭の回転の速い小宮山さんのことだ。未来からやって来た同志と知れば、必ず受け入れてくれるだろう。

 大塚から駒込までは山手線でふた駅。だが巣鴨駒込こまごめ間は確か駅間が凄く短かったはずだ。この時代の金を持たない私は山手線にも都電にも乗れないが、このふた駅ならば歩くことは苦にならないだろう。

 そこかしこにある焼け落ちた建物は、空襲によるものだろう。その中の適当な焼け跡をあさって、当面の金やあるいは時計などを物色することも考えた。だがそれで私が官憲に捕らわれるくらいなら構わないが、尾行されてそのまま小宮山さんのところまで官憲を案内するようなことはあってはならない。それで小宮山さんが逮捕でもされようものなら、三里塚の闘争は昭和四十五年まで続かず、一年やそこらで鎮圧されることになるかもしれない。

 私はただただ東へ歩き続けた。やがて木々が茂っているのが目に飛び込んでくる。六義園りくぎえんだ。確かこの近くに……。

 二十五年後の小宮山さんから聞いた記憶を頼りに辺りを歩き回っていると、一軒の家の前にたたずむ男の姿が目に入る。見覚えがある。名前は確か……。いや、小宮山さんの取り巻きの有象無象うぞうむぞうの一人なんていちいち覚えてはいない。だが私がこの時代で頼みにできるものがほかにあるとは思えない。

「同志。小宮山さんはここに?」

 私は思い切って声を掛けてみる。

「小宮山さんを知っているのか? どういう傳手つてだ?」

 男が問い返してくる。

「その説明は小宮山さんに会ってからでもいいか?」

 私が言うと、男はしばし考えた後、

わかった。ついてたまえ」

 と答えて、歩き出す。私は胸を撫で下ろす。これでなんとかなるかもしれない。

 男はぐるぐると無駄に遠回りをしながら歩く。私を警戒して、方向感覚を失わせようとしているのだろう。構わない。有象無象の信用など私は必要としていない。

 やがて長屋にたどり着くと、入り口のところで男は立ち止まる。

「ここがとう支部だ。先ずは私が小宮山さんに話をする。其れ迄は此処で待て」

 男は私にそう言うと、長屋の中の一軒に入っていく。

「小宮山さん、同志にいたいという者が居るのですが」

 男の声が聞こえる。

「ふむ。心たりはないが、まあいいだろう。おうじゃないか」

 聞こえてきたもう一つの声は、若々しいものの、私にとって聞き覚えのあるものだった。通された家にいたのは紛れもなく、当時二十二歳、昭和四十五年の私と同い年の小宮山輝彦さんだった。私を案内してくれた男も含めて、十人ばかりが狭い家の中に密集していた。

「小宮山さん。信じていただけるかわかりませんが、私は昭和四十五年からここに迷い込んだ、二十五年後の貴方の同志です」

 私はありのままを伝えた。世界の中でも小宮山さんにだけは嘘は言いたくないからだ。

「なんだと!」

「そんな莫迦ばかげたことがあるものか!」

 取り巻きたちが怒号を挙げるが、小宮山さんは手を挙げてそれを制する。

「いや。異國いこくの文がくにそういう話がある。黑岩涙香くろいわるいこう先生が翻譯ほんやくされたものをんだことがある。君たちももっと讀書どくしょたまえ。ウヱルズは英國人だが、尊敬出来る社かい者だ」

 小宮山さんが言う。私の背中にぞくりとした感覚が走る。さすがは小宮山さんだ。有象無象とは教養が違う。

「ということは昭和四十五年には、時を渡るすべ發明はつめいされて居るのかな?」

「い。いえ。それが自分でもどうしてここに来たのかわからない事故のようなもので。こちらで頼れるのは、昭和四十五年でお世話になった小宮山さんしかおられないので」

 私が言うと、ここまで私を案内してくれた男が、

「ということは私とも昭和四十五年で面識があって、それで私にこえを掛けたのか」

 と私に向かって言う。

「はい。今言うのも変な話ですが、その節は大変お世話になり」

 本当は世話になどなっていないが、ここは相手の懐に入るためにも仕方ない。その思いが功を奏したか、この男も私への警戒を解きつつあった。だが他の者たちは依然私に疑いの目を向けたままだった。

 私は昭和四十五年の日本について小宮山さんたちに語った。日米安保のこと、三里塚のこと。そしてそこで機動隊、戦後における特高とっこう警察のような連中に対抗するために鉄人を作ろうとしていたこと。

てつ人か。ふむ。面白いじゃないか。研究室ごと昭和二十年にたとったね。それなら私たちもそのてつ人を見ることが出來できるのかな?」

 小宮山さんは興味津々で尋ねてくる。そうだ。鉄人を見せれば、周囲の者たちも私のことを信用するのではないか?

「ええ。大塚駅の近くにあります。参りましょう」

 私が言うと、小宮山さんはじめその場にいる者たちがみな立ち上がるが、目立ってはいけないということで、三人ほど指名し、五人で向かうことになった。

「君のてつ道運賃は出してやろう」

 と言われたので、今度は山手線に乗り込む。「行きはよいよい帰りは怖い」の童謡の逆であった。大塚駅に着くと、取り巻きの一人が、

「これが昨日の空襲のあとか」

 と呆れたように言う。そういえば行きはゆっくり歩いていたから気付かなかったが、電車で移動してくると、駒込より大塚の方が被害が大きかったことに気付く。私は大塚駅から都電に沿って南に進み、あの昭和四十五年から転送してきた小屋を目指す。すると突然一人の男が私たちに気付いて駆けて来た。皆すわ特高かと色めきだつが、男はまるで敵意を見せていない。

「小宮山さんですよね。横浜の党支部の赤田さんに仰せつかって参りました、木戸安治やすはると申します」

 木戸と名乗る男は、小宮山さんに頭を下げて言う。「赤田さんの?」と小宮山さんが訊き返したことから、心当たりのある名なのだろう。私は木戸の顔をじっと見る。そういえば覚えがあるような気もする。もしかすると今回の件を機に小宮山さんの取り巻きになり、昭和四十五年にも側にいたのかもしれない。

「東京の山の手に空襲があったと聞いて、小宮山さんの安否を確かめるように言われたのですが、無事でよかった」

 木戸は言うと、「これからどちらに?」と尋ねてくる。小宮山さんは、

「君もたまえよ。面白い物が見られそうだ。彼は昭和四十五年からのらい訪者なのだ」

 と答える。

「昭和四十五年ですって?」

 木戸は私をじっと見つめる。「まあ先ずは彼の言うものを見てみようじゃないか」という小宮山の誘いに乗って、木戸もそのまま同行する。やがてあの私が籠っていた小屋が見えてくる。その扉を開けると、昭和四十五年のままの姿であった。

「どういう原理か、電気は来ているようだな」

 私は蛍光灯を点ける。いいぞ、電気が来ているなら、鉄人の完成を進められる。

「なんだ。この電氣は。まるでひる間の日光じゃないか」

 取り巻きの一人が驚きの声を上げる。

 そういえば蛍光灯は戦前に東京芝浦電気や松下電器が開発していたものの、時勢が時勢なだけに広まらなかったのだ。灯火管制下では、明るい蛍光灯などむしろ邪魔で仕方ないだろう。松下電器は空襲用の、外に灯りを漏らさない蛍光灯も開発していたと聞いたが、大阪の電化製品を東京で使えるわけもない。彼らが蛍光灯を見たことがないのも当然だ。

「これは。いよいよ阿久津くんの言うことを信じるほかなくなったようだ」

 小宮山さんが感嘆する。鉄人たちは布を被せているので小宮山さんたちには見えないが、昭和二十年の文明では見られないようなものでいっぱいだからだ。

「そしてこれが鉄人です」

 私は布を取り払って、四体の鉄人を全員に披露する。

「おお」

という声が上がる。

「身長一七〇センチ、体重五〇〇キロ。本当は漫画に出てくる鉄人のように大きなロボットにしたかったのですが、世間の目から隠れながら作るには、人と同程度の大きさにするしかありませんでした」

「成程。昭和四十五年にはこれくらいの兵器がたり前になっているのかな?」

「いえ。これはあくまで私独自の発明品です。漫画の鉄人はリモコンで操作しますが、これは人工知能を積んでいて、自らの考えで動きます。人工知能は、二十五年後の小宮山さんが米帝べいていの研究所から奪って来てくださいました。おかげで完成間近となっていたのです」

 漫画ほどの大きさはなくても、人と同じ大きさの鉄の塊にぶつかれば、人はただでは済まない。四体の鉄人は機動隊数百人を相手にできるはずだ。

「完成までにはどの位掛かるのかな?」

 小宮山さんが尋ねてくる。

「四日あれば。後は人工知能とアンテナを取り付けるだけです」

 アンテナはニュースを取り入れるためのものだ。テレビやラジオの電波、昭和二十年ならラジオだけだが、を受信し、人工知能はそれを分析して常に最新の情報を取り込むシステムとなっている。

「四日。つまり完成は三月九日か」

 誰かが呟く。ん?

「ああっ!」

 大変なことに気が付いて、思わず叫ぶ。全員が「どうした?」と私を見る。

「昭和二十年三月十日。東京大空襲だ!」

「東京大空襲?」

 私以外の全員、その単語を聞いたことがないのだが、その響きの不穏さに息を呑む。

「昨日あったという空襲は、その予行演習に過ぎないんですよ。十日未明に本格的な大空襲が来ます。そして米軍はそのまま、名古屋、大阪、神戸と日本の主要都市を次々空襲するんです」

 東京大空襲を受けて、大都市にいると大規模空襲を受けるという考えが国内に広まり、他都市では疎開そかいが進み、被害を抑えることができたのだが、最初の空襲の目標であった東京の被害はとてつもないものとなる。

 三月十三日に大空襲を受けた大阪では十三万二千戸が焼け、三千人以上が亡くなる。それに対して東京は焼失戸数こそその二倍の二十六万八千戸だが、死者数は十万人以上と大阪大空襲の実に三十倍以上なのだ。

「我々はその東京大空襲を生き延びなくてはなりません」

 私が言うと、小宮山さんの取り巻きたちが黙り込む。しかし小宮山さんはふふっと不敵に笑った。

「みんな。心配は無用だ。考えてもみ給え。私と越野こしのくんは昭和四十五年まで生き延びることが、阿久津くんのしょう言から明らかだ。他の者は私か越野くんの側に居れば、生き残るがい然性が高くなる」

 小宮山さんが言うと、皆がおおと感心する。そうか。私を小宮山さんのところまで案内してくれた人は越野というのか。

「そして私たちが皆その大空襲で死なないのなら、大空襲は一てんして私たちの好機となる」

「好機ですか?」

 取り巻きの一人が小宮山さんに問い返す。

「ああ。大空襲の日、官憲どもは大混らんに陥るだろう。空襲が終わった後、その混亂に乗じて、宮城きゅうじょうに乗り込み、天皇の御首級みしるしを頂戴する」

 飛び上がらんばかりに驚いたのは木戸だ。

「しかし小宮山さん。本来の歴史で貴方が取った行動と違う行動を取れば、阿久津さんの言う未来とは別の未来に進むかもしれません。貴方が死なないという保証がなくなりますよ」

 木戸は必死に止めようとするが、小宮山さんは首を振る。

「東京大空襲の話を知らなかった場合、私は駒込のとう支部に籠っていただろう。だから私はそうするつもりだ。私が宮城きゅうじょうに乗り込むわけじゃない」

「じゃあ誰が宮城きゅうじょうに?」

 木戸が尋ねると、小宮山さんは鉄人を指さす。

てつ人は命令をあたえれば自分の考えで動くのだろう? ならばてつ人だけで行かせればいい」

 小宮山さんの答えに私の胸は躍る。もしそれが実現したら、まさに私の発明がこの国の歴史を動かすことになるではないか!

 しかし取り巻きの一人が疑問を呈する。

「しかし小宮山さん、てつ人の存在にはれき史の保しょうがありません。宮城きゅうじょうに乗り込む前に空襲でてつ人が消失するかもしれません」

「それもそうか。空襲の間だけ、てつ人をどこか安全な場所に置いておけないものか」

 小宮山さんは私を見る。

「東京大空襲ではありとあらゆるところが焼け野原になったと聞きます。安全なところなんて見当も付きません」

 私はそう答えるしかなかった。だがそこで木戸が助け舟を出してくれる。

「阿久津さん、昭和四十五年に、昭和二十年以前からあった建物とかはないのですか? あるのなら、そこに隠しておけば安全なはずです」

 昭和二十年以前からあった建物。ぱっと思いつくのは、先ほど見たばかりの巣鴨プリズンだが、あんなところに入れるわけがない。私は今日その後に見てきた風景を反芻する。

「あっ! そうか。ある! ありますよ、小宮山さん!」

 そうだ、確かに今日私はそれを見た。

駒込こまごめ六義園りくぎえんです。六義園りくぎえん内の建物は東京大空襲でかどうかはわかりませんが、空襲で焼失しました。でも園内の木々は昭和二十年以前からずっとそこにあるものです」

「成程、六羲園りくぎえんか」

 小宮山さんが感心したように呟く。そうだ。この閃き、見事なものだった。木戸という人物、どうやら他の愚鈍な連中とは違う切れ者のようだ。昭和四十五年のどこで会ったか覚えていないが、私はその切れを見る機会がなかったということか。

 するとその木戸がふふっとおかしそうに笑った。「どうした?」と小宮山さんが尋ねると、

「いえね、六義園りくぎえんと言えば、この間まで岩崎家の持ち物だったわけでしょう?」

 そうだ。確か岩崎家、すなわち三菱が私用として使っていたものを東京市に寄付したのだと聞いたことがある。小宮山さんはそこまで聞くと、木戸の言いたいことを理解して同じく笑い出した。

「そうかそうか。ブルジョワジイの象徴のような岩崎家のやしきが、我らプロレタリヤの革命を手傳てつだう形になるのか。確かに傑作だ」



  3



 四日が過ぎた。私は小屋に籠り、鉄人の完成を急いだ。

「阿久津さんは未来から来たのですから空襲のことを何も知りませんよね」

 木戸はそう言って、小屋の窓に米字型にテープを貼った。空襲で爆風が起きると、窓ガラスが割れるから、こうやって飛散を防ぐらしい。

 取り巻きの一人が木戸に「横はまかえらないのかい?」と尋ねたが、木戸は「この暗殺計画の顛末てんまつを見届けるまでは離れられない」と東京に残ることを選んでいた。

「なあ阿久津さん、この戦争はいつ終わるんです?」

 木戸は私の作業を見ながら尋ねてくる。

「昭和二十年八月十五日だ。未来の日本人で知らない者はいないよ」

 私が答えると、その場にいる皆が、あるいは希望を見出し、あるいは絶望していた。あと五か月でこの苦しみから解放されるという思いと、解放されるまで五か月もあるという思い。

 そうだな。五か月なんて過ぎてしまえばあっという間だが、これから過ごすにはあまりに長い時間だ。

 木戸は横浜に帰ればある程度の安全は得られる。数か月後に大空襲が横浜にも来るが、そのときまでに離れればいい話だ。だが私は昭和四十五年に帰ったところで、安全は保証されない。帰れば機動隊にすぐ捕らえられるかもしれないのだ。東京大空襲を潜り抜けるか、機動隊から逃げ切るか、どちらが助かる可能性が高いのか。

 考えたところで気付く。そもそも昭和四十五年への帰り方がわからない以上、選択肢などないことに。ならば今できることをするだけだ。

「でも一体なんだって昭和四十五年から、この危ない時代へやって来たんです?」

「来たくて来たわけじゃない。機動隊、昭和四十五年における特高みたいな連中に追い詰められて、せめて一人や二人巻き込めないかと思って小屋に火を掛けたら、いつの間にかここにいたのさ」

「ふうん。世の中にはわからないことがまだまだあるものですね」

 そんなことを話しているうちに私の作業は終了した。

「できたぞ」

 鉄人たちに電気の血が通い、目覚める。

「これらは自律して動くことができます。人工知能は少し改修して、日本語音声で命令できるようにしました。喋ることはできませんが、胸にモニタがあって、鉄人側の回答はそこに表示されます」

 私が説明すると、皆の目はモニタにくぎ付けになった。テレビを知らない彼らにとっては、それが珍しいものなのだろう。

「服を何枚も重ね着して、防空頭巾でも被れば、人間に見えるでしょう」

 私が言うと、木戸もうなずく。

「今の季節なら、厚着をしてても目立たないしな」

 小宮山さんは、四体の鉄人の周囲をぐるぐると回ってしばらく観察した後、

此奴こいつらは自分の脚で歩けるのだな?」

 と尋ねる。私が頷くと、

「よし電車は人目に立つから、歩いて駒込こまごめに向かうとしよう。今夜、街から人が消え次第、六羲園りくぎえんに入り、そのときを待つ」

 小宮山さんはそう指示を出した。現在時刻は三月九日十六時二十分。あと八時間弱で、未曽有みぞうの大空襲が始まる。駒込まで歩いて向かっても、十分間に合う時間だ。

 服を着せ終わると、電源につないでいたケーブルを抜く。このケーブルを、駒込の党支部に持ち込めば、あちらでも充電はできるはずだ。

「それでは鉄人たちを発進させます。鉄人きのえきのとひのえひのと。前へ」

 私が命じると、鉄人たちは一歩前に進み出る」

「おお!」

 その場にいる全員が感嘆する。

「はは。これだ。これぞ人類の進歩と調和だ!」

 私は、昭和四十五年なら全ての日本人が知っているフレーズを口にしていた。

「さあ、行くぞ、鉄人たち。この小屋を出て、まずは山手線の北に出る」

 六義園りくぎえんのすぐ南には駒込こまごめ警察署があるから、なるべく近付きたくない。あえて山手線の北側へ抜け、そこから東進して駒込こまごめへ向かうと、党支部に着くころには十七時を回っていた。もう間もなく日が沈む。鉄人は、その間何の問題もなく動作していた。

「今晩には未曾有みぞうの大空襲がある。下町に家族がいる者があれば、山の手に避難するようつたえておいで」

 小宮山さんは党支部にいる全員に言うが、ここにいるのはみな家族がいないかすでに縁を切った者たちであるから、誰も動かなかった。二十時になると、全員で外へ出る。当初は駒込こまごめの党支部に籠る考えだった小宮山さんも、六義園りくぎえんに行くように方針を変更した。確実に安全な場所がわかっている以上、そちらの方がいい。

 鉄人たちはラジオ電波を受信しているので、外にいても、情報の入手はできる。二十二時半に鉄人のモニタに空襲警戒の文字が表示されるが、すぐに消えた。

「空襲警報が解除されたんじゃないか?」

 誰かが言う。

「いえ。確か東京大空襲では、おとりの飛行機を何機かわざと引き返させ、空襲警報を解除させてから、本隊を差し向けてくるのです。もう間もなくですよ」

 私が答える。そうだ。まだ二十二時半だ。来るわけがない。東京大空襲は三月十日なのだ。日付が変わってから、米帝べいていの飛行機は来る。怯える者も多ければ、日本の歴史を揺さぶるときが来ると勇む者もあった。

「日付がわったぞ」

 小宮山さんが腕時計を見て、全員に警戒を促す。そこからの数分が長かった。まるで何時間も経過したかのようだった。だがそれが起こったとき、小宮山さんの時計が指していた時刻はまだ零時七分であった。

 東の方でちかちかとが見えたような気がして、それからしばらくしてどどう、という爆音が上がった。

「始まった!」

 いつまで経ってもやまない爆音。最初はわずかだった光が徐々に大きくなり、炎が巻き上がっているのだとはっきりわかるようになる。そのころにようやくウーウーと空襲警報が鳴り出す。

「これほどなのか……」

 何人かは東の空を見つめて呆然としている。

「うえええ……」

 木戸は胃の中のものを地面にぶちまけていた。

 そんな中にあって、小宮山さんは泰然としていた。

「どうやらこちらにはないな。今日の目標は、鐡筋てっきんコンクリイト製の建物が多い山の手ではなく、木造家屋の多い下町ということか」

 小宮山さんは、四体の鉄人の前に立つ。

てつきのえきのとひのえひのと。これより宮城きゅうじょうに向かえ。そして」

 鉄人の前に、手近な空き家から盗み出してきた天皇の写真、いわゆる「御真影」を示す。

「この男を討ち取ってくるのだ!」

 小宮山さんの命令に対して、四体の鉄人はラジオ電波からニュースの検索を始める。

「待ってください、小宮山さん。それは余りにも卑怯ではありませんか」

 木戸が制止しようとするが、

怖氣おじけづいたか、木戸。このような機かいは二度とないぞ」

 小宮山さんは退くつもりはない。だが小宮山さんがここまで意気込んでいるのに、鉄人は動かなかった。モニタにはこう表示されていた。

「ロボット三原則第三条に抵触します」

「ロボット三原則?」

 ウェルズの『タイムマシン』を知っていた小宮山さんも、ロボット三原則は知らないらしい。すると木戸が、

「第一条は『人への攻撃禁止』、第二条は『人の命令に絶対服従』、第三条は『一条、二条に反しない限り自己を保存する義務』でしたか」

 と私に向かって言う。

「それはおかしくないか? 二條は三條に優先するのだろう? ならば先ずは二條を守り、宮城きゅうじょうへ向かうべきではないか! どういうことだ!」

 小宮山さんが私を見る。私にも答えがわからず逡巡しゅんじゅんしていると、木戸が代わりに自らの解釈を述べる。

「おそらく検索したラジオの情報から、宮城きゅうじょうにたどり着けないと判断したのでは? 第二条が達成不可能なので、それがキャンセルされ、第三条が前に出てきたということでしょう」

 木戸の解釈を聞いて、私は舌打ちする。

「畜生。米帝べいていの研究所め。余計な機能を入れやがって」

 ロボット三原則なんて、そんなくだらない機能さえ入れてなければ一か八かの進撃をさせられたというのに。

「いや。てつ人がそう判断したのならそれは一か八かではなく、無謀な蛮勇ばんゆうに過ぎないということなのだろう。火災が治まってから、宮城きゅうじょう襲撃を行うことにしようではないか」

 小宮山さんが言うが、木戸は首を振る。

「いや。それなんですがね、小宮山さん」

 木戸は堂々と小宮山に異を唱える。支部が違うから、小宮山さん相手にも動じないのだろう、ロボット三原則を解説してから、この場の主導権が完全に彼に移っていた。

「戦災に乗じて天皇を暗殺したところで、それを我らプロレタリヤの勝利と呼べるのでしょうか。この戦災の混乱に乗じて天皇を倒しても、皇太子がいるし、天皇の弟もいる。代わりの天皇が立つだけで終わりですよ」

「では君は、天皇の存在を看過せよと云うのかね?」

 小宮山さんが木戸を睨むが、木戸は言葉を続ける。

「そうではありませんよ。天皇の御首級みしるしは貰い受けます。ただそれは今日明日という話じゃない。もっと相応ふさわしい日にやるんです」

相應ふさわしい日だと?」

「ええ。昭和二十一年五月一日です」

 木戸は日付をはっきりと指定した。

「まずこれからの世の中の流れをご説明しましょう。今年の八月十五日で戦争は終わる。そうだったね、阿久津くん」

 木戸が私を見るので、私はうなずいてそれを肯定する。

「その後、米軍が我が国を占領統治します。まず米軍は何をすると思います?」

 木戸は小宮山さんに問いかける。

「そうだな。先ずは人氣取りだろう。これだけのことをやったんだ。日本の人民は皆米帝べいていを深く恨んでいよう」

「でしょうね。そういった政策を打ち出すはずです。その一環で戦時政治犯の釈放が行われるでしょう。つまり八月以降、我らの同志が数多く釈放され、我らは戦力を増すことができます」

 木戸はそう言うが、私にはとてもそうは思えなかった。

「待て待て。政治犯の釈放って、それでマルクス主義者が釈放されるか? 米帝べいていが最も嫌うのがマルクス主義だろう?」

 だが木戸は私の言うことを否定する。

「そうでしょうか? 囚人の思想次第で釈放、非釈放を決定するようでは、結局米軍は思想統制をするつもりなのだと思われて、人気取りになどなりません。全員釈放以外の選択は彼らにはないんですよ。もちろん、阿久津さんが、政治犯釈放でマルクス主義者だけ残されたことを覚えているなら話は別ですが?」

 木戸にそう言われて、私は自信を失う。昭和四十五年の世界では、アメリカとソ連は互いに相容れない存在だったが、昭和二十年では違うだろう。そもそも先月のヤルタ会談では、すでにスターリン同志と米帝ルーズベルトとが会っていたはずだ。

「いや。木戸さんが正しい」

 私が退いたことで、さらにこの場での木戸の影響力が増す。

「そして我らプロレタリヤにとって特別な日といえばやはりメーデーです。メーデーに、天皇の御首級みしるしを挙げてこそ、プロレタリヤ革命の象徴ではありませんか。それでこそ体制の転覆を狙えるというものです」

 木戸にそこまで言われて、小宮山さんは苦渋の表情を浮かべる。

「来年五月という日付、阿久津さんはどう思う?」

 木戸は私に話を振る。そう言われても、来年の五月にはまだ私は生まれていないし、未来の知識も……。いや、待て。そういえば。

「そうだ。来年の五月には大きな事件が起こるんですよ!」

 私は小宮山さんに向かって言う。

「戦後には食糧が大いに不足することになって、五月半ばくらいに、宮城きゅうじょうに二十万人以上が集結して、食糧の要求を行うのです」

「いいじゃないですか。メーデーではなくても、その日に天皇を倒せば、まさに労働者による勝利だ。それに、そんな大勢が集まるのなら、鉄人を宮城に連れ込んでも目立たない」

 木戸は満足げに言う。そうするとついに小宮山さんも折れて、

「わかった。私の命がまだあることはわかっているんだ。急ぐ必要はない。革命は待とう」

 と言った。聞き入れてもらったことに感謝した木戸は、小宮山さんに深々と頭を下げる。

「阿久津くん、君はどうする? 昭和四十五年にかえすべがないんだったか?」

 小宮山さんは私を見る。

「はい、残念ながら。あるのかもしれませんが、まるで見当がつかず」

「そうか。ならば我々と共に駒込のとう支部に來るといい。てつ人もそこに運び込もう。電氣は支部で取って、らい年に備えよう。どうせ電とうは点けられないのだから電氣の使い道もない」

 そうと決まれば、小宮山さんの策の立て直しは早かった。

 それを確認して木戸は、

「では私はこれで失礼致します」

 と言って頭を下げる。

「ん? 横濱よこはまかえるのかね?」

「いえ。阿久津さんのお話によると大空襲があるそうですから。名古屋、大阪、神戸にも行けませんし、と言って田舎の方に出入りすると目立ちますから、どこか地方の都市に行きますよ。でも来年の五月には必ず仲間を連れて応援に駆け付けます」

 小宮山さんの問いかけに木戸はそう答えた。地方の都市か。

「木戸さん、広島と長崎だけはいけませんよ。他の都市にしてください」

 私は木戸にそう言葉を投げかけた。彼がそれを守るかどうかはわからないが、守ってくれることを願う。



  4



 それからの一年余り、私は歴史を目撃し続けた。広島と長崎の原爆。日本の敗戦。枕崎台風。復員兵の帰還。進駐軍。闇市。

 教科書でしか知らなかったことが、次々体験として私の前に訪れた。

 横浜の党支部にも連絡を取ったが、どうやら横浜空襲でみんな散り散りになったらしい。木戸が横浜に立ち寄って、横浜が危ないと警告したのかもしれない。

 だが戦後、木戸が予言したとおりに、巣鴨プリズンに囚われていた同志たちが次々に解放され、代わりに巣鴨には東條英機とうじょうひでき小磯國昭こいそくにあきら政府の幹部たちが入ることとなった。労働者による革命は確かに進んでいる。

 戦後復興の進む五月一日、戦後初のメーデーで多くの労働者が集まってデモを起こした。なるほど。このデモの成功が、あの食糧メーデーにつながるのか。そして、

「阿久津さん、お久しぶりです」

 五月十七日には、木戸が駒込こまごめに顔を見せた。十五人ほどの男たちを連れていた。

「これは! 今度の作戦の応援ですか?」

「ええ。必ず本懐を遂げましょう」

 すでにマルクス主義者の間では、明後日五月十九日に宮城きゅうじょうで大規模デモを行うという合意が為されていた。木戸もそれに合わせて来たのだろう。

「木戸さんはあの後どこに避難していたんです?」

「え? ああ。鎌ヶ谷かまがやですよ。鉄道連隊の知り合いがいましてね。その演習場であった辺りに土地勘があったので、そいつに匿ってもらっていました」

 私の問いに、木戸はそう答えた。鉄道連隊の演習場というと、今の新京成しんけいせい線か。木戸が連れて来た男たちの中に、その鉄道連隊の人間もいるのだろうか。

「まあ人数なんて大したものではありません。計画の全てはあなたの鉄人に懸かっている」

「そうなるといいな」

「ああ、そうだ。鉄人の充電は、例の小屋に帰って行うといいですよ。阿久津さんと一緒に昭和四十五年からやって来たあの小屋、まだ無事でしたから。昭和四十五年の電源の方がいいでしょう」

 木戸はそう言って、去って行く。あの人数では駒込の党支部には入れないから、別の場所を用意したようだ。党支部では、デモに持ち込むプラカードやむしろ旗の制作が行われていた。「國体はゴジされたぞ ちんはタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね」などと煽動的なことを書く者もいた。

 戦争が終わってから生きて行くのに必死で、大塚まで足を運ぶ余裕すらなかったが、あの懐かしい小屋はまだ無事だったのか。大事な日まであと二日だ。万全の状態に仕上げておきたい。整備もついでに行おう。あの党支部の環境ではそれらが満足に行えるはずもない。もう電灯を点けていいのだから、電源を鉄人が占領し続けるわけにもいかないのだ。

 小宮山さんの許しを得て、鉄人と共に大塚に戻って久しぶりにあの懐かしい小屋で過ごした。

 そして運命の日がやって来た。宮城きゅうじょう坂下門を目指すことになるが、今日は坂下門に人が集まるから山手線は大混雑になる。周囲の人とすそが触れるほどの距離になると、さすがに人間ではないと気付かれるから、鉄人を山手線に載せるわけにはいかない。歩いて行く必要がある。

 幸い小宮山さんと木戸が小屋まで来てくれた。歩いている間の話し相手がいてくれるのは有難い。

 茗荷谷みょうがだにから水道橋、神保町じんぼうちょうを抜ければ大手町だ。だが茗荷谷みょうがだにまで来たところで、前方から木戸の連れて来た仲間の一人が近付いて来た。

「坂下門は人が多くなっています。大手町へは向かわない方がいいでしょう」

 彼は言う。今から言っても同志たちの後ろに付くことになるから、鉄人を宮城きゅうじょうに進撃させようとすれば、同志を踏みつぶしながら進むしかないとのことだ。

「では九段くだんへ抜け、千鳥ヶ淵ちどりがふちから半蔵門に回り込みましょう。半蔵門からなら堀を飛び越えればそこが天皇の在所だ。一気に首が取れる可能性が高い」

 木戸が言うので、私たちは後楽園球場の西を通り抜けて、坂を下って九段くだんを目指す。九段くだん会館が目の前に迫る。

「私からすれば歴史の舞台だが、小宮山さんたちにしてみれば、つい十年前の出来事なんですね」

 私が言うと、小宮山さんはうなずく。

「ああ。だが二・二六は軍隊主導の汚いクーデターだ。我々の清らかなプロレタリア革命はそれとは違うのだということを見せつけてやろうじゃないか」

 小宮山さんは力強く言う。

「では私はこれから南へ進み、坂下門の仲間たちに合流する。阿久津くんの健とうを祈るよ」

 そう言って小宮山さんは私たちと別れた。私たちはここから西へ向かう。十五分ほどで千鳥ヶ淵ちどりがふちに到着する。いよいよだ。私は小宮山さんから預かった御真影を鉄人たちに示す。

「さあ、鉄人たちよ。この淵を越え、この男の命を取ってくるのだ!」

 私は鉄人たちに命じる。そしてしばらくしてから鉄人の胸モニタに文字が表示される。

「ロボット三原則第一条に抵触します」

 は?

 私は思わず間抜けな声を挙げていた。第一条?

「ロボット三原則第一条は『人への攻撃禁止』。昨年三月言いましたよね、阿久津さん」

 木戸が言う。

「ああ。確かにそうだ。だが何故。昨年三月の時点で同じ命令を出したときには第一条への抵触はなかったはずだ。なんで拒否する?」

 私は鉄人たちの身体を揺さぶるが、モニタに表示される文字に変わりはなかった。

「変わったんですよ。全てが劇的に。阿久津さんは今年の一月に何があったか、見ていなかったのですか?」

 木戸が言う。今年の一月?

「そう今年の元日を境に、天皇陛下の御立場は大きく変わられた。何があったか本当に見ていないのですか?」

「元日? 天皇? …………ああっ!」

「そういうことです。昨年三月の時点では、陛下は現人神あらひとがみであらせられた。だからそれに対する攻撃にロボット三原則は適用されない。でも今は陛下はおひとりの人間となられた。これでもうロボットは陛下に手出しできない。だから私は鉄人の攻撃を封じるために、あえて今年の元日以降に革命を起こすよう、進言したんです」

 木戸の言葉遣いが先ほどまでとは大きく違っていた。天皇を呼び捨てにせず、「陛下」と呼び、敬語を用いている。

「阿久津さん、あなたは小屋に火を掛けたときに、公僕を巻き込めないかと考えたと話していましたね。おめでとうございます。巻き込むことができていたんですよ。この私、警視庁警備部機動隊所属木戸安治やすはる巡査部長を」

 私はそれを聞いてふとあることに思い至る。

「あ、ああ! そうだ! ロボット三原則! アイザック・アシモフが『われはロボット』を著して、ロボット三原則を打ち出したのは、戦後だ……。だから小宮山さんはロボット三原則をご存じなかったんだ……」

「おや。そうでしたか。私はミスをしていたんですね。でもこのときまでバレなかったのならまあいいでしょう」

 木戸は余裕綽々しゃくしゃくといったたたずまいで私を見ている。

「だ、だから何だというのだ。お前だってもう昭和四十五年に帰れない。帰れないのに私の邪魔をして何になる?」

 私は左手の人差し指を木戸に向けて言う。

「阿久津さん。ご自分でご自分を評価しているほど、貴方は優れたテロリストではない。人工知能をアメリカの研究所から盗んだがために、ロボット三原則に縛られたことに腹を立てていたことから見える他責思考もそうですが、この昭和二十年に飛ばされたとき、何故もっと物事を調べようとしなかったんです? テロリストをやるには貴方は迂闊うかつすぎる」

 そう答える木戸の声は、馬鹿にしているというより同情しているようであった。それがなお私をいら立たせる。

「どういうことだ?」

「あの小屋はね、扉を開ければ昭和二十年の大塚に出ますが、窓を開ければそこは昭和四十五年の市ヶ谷いちがやなんですよ。もっとも今は一年が経過して、昭和二十一年と四十六年ですがね」

「え?」

「昭和四十五年六月。貴方が小屋に逃げ込むのを見て、私はその小屋の前で張り込むことにした。ところがふと気付けば小屋の中から人の気配が消え失せている。中を確かめたかったが小屋の扉から入ると、貴方が中にいた場合、気付かれてしまう。そこで私は窓を開けて小屋に忍び込んだ。するとやっぱり貴方はいない。どこから逃げたのか不思議に思いながら扉から出ると、そこは全く違う景色だった。いや、驚いたと言ったらなかったですよ」

 木戸は随分楽しそうに話す。そうか。私が木戸に見覚えがあったのは、仲間として過ごしたからじゃなく、敵同士として対峙たいじしたからだったのか。人に興味を持たず、顔を大して覚えて来なかったことに対して、こんな形でツケが回ってくるなんて。

「そのまま周囲を調査して昭和二十年の大塚だということはわかりました。そこで小屋に戻ろうとしたら、貴方が若き日の小宮山輝彦を連れて歩いてくるじゃありませんか。これは潜入して調べるしかない。そう思って、機動隊の隊服を隠して、その辺りの空き家から拝借した服に着替えて、声を掛けたのです。戦前の左翼の大物で、空襲で死んだという記録が残っている赤田の名前を使って、小宮山を信じさせるという手段でね」

「それじゃあ……、それじゃあ小屋の窓から出れば私はいつでも帰れたのか……」

「ええ。私も東京大空襲の後は、鉄道連隊の演習場なんかで過ごしちゃいない。現代で安全に暮らしていましたよ。でもそれを気付かれちゃまずい。あの小屋、窓から外を見れば、昭和四十五年の景色が広がっているんです。だから……」

「空襲対策と称して、窓にテープで目張りしたのか!」

 なんてことだ。これでは……。これではまるで……。

 私が木戸の掌の上で踊らされていたみたいじゃないか。

「そういうわけで私が連れて来た十五人の仲間というのも、全員昭和四十六年の機動隊員です。鉄人との戦闘になったときに備えて、人数が必要だったので。でもロボット三原則第一条が守られる以上は大丈夫でしょうね」

 木戸は私の手を取る。手錠を掛けるつもりだと気付いて、ばっとそれを振り払う。

「小宮山さんをどうするつもりだ? この時代で逮捕するのか?」

 私が問うと、木戸は大きくため息をついた。

「その必要はありませんよ。この食糧メーデーは、人数こそ集まりましたが、世の中に特に大きな影響を与えることもなく収まるのが、歴史上の事実です。それにこの時代の小宮山輝彦を観察したことで、彼の持つ土地勘を私は理解しました。それにより、昭和四十五年十一月に、駒込こまごめで潜伏する彼を逮捕することができました。貴方もよく知る市ヶ谷いちがやの襲撃で安保闘争は決着し、小宮山の逮捕で三里塚さんりづかの解決にも大きく前進しました。この時代で彼を逮捕する必要はありません」

 木戸から聞かされたことに、私は言葉を失う。

「貴方が機動隊の誰かを巻き込もうと火を放ったおかげで、私が巻き込まれた。それが小宮山輝彦という大物の逮捕につながった。貴方には感謝していますよ」

 私の視界が真っ暗になった。もう五月半ばだというのに急に寒くなったように感じる。耳に木戸の声だけが響き渡り続けた。

「ああ。もう聞こえていないようですね。心が壊れてしまいましたか。無理もない。鉄人の発明。プロレタリアの革命。共産主義の実現。自らの人生の目標を全て今この一瞬に奪われたのだから。同情はしますが、可哀想だとは思いませんよ。貴方がたテロリストは、それ以上に多くの人々の人生を無茶苦茶にしてきたんだ。こんなことで償えるとは思わないでいただきたい。でもね。私は貴方のこと、嫌いではありませんでしたよ。私を現代人だと知らない貴方が、広島と長崎に近付くなと言ってくれたこと、嬉しかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤の鉄人 幸馬コピー @igarasi-k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ