令嬢、踊る
周囲の席に視線を流すと、皆が黙っているようでいて、わずかな仕草が情報を物語っていた。
指先で仮面をいじる者。マントの下で何かのメモを覗き込む者。
ふたりで座っているのに、目を合わせようとしない者たちもいた。
──誰もが誰かを探っている。それでいて、自分が探られるのは徹底的に拒む。
誰一人、ただ物を買いに来た顔ではなかった。
「何を落とすか」ではなく、「誰が何を狙っているか」
その読み合いこそがこの場の本質であるかのように、
沈黙の中に、ぬるりとした熱が満ちていた。
そして──静かに、音楽が止む。
会場の中央、黒い布で覆われた円形台座に魔導灯がひときわ強く灯り、
セレナ・ノワールが再び静かに前に出る。
「さて、皆さま」
彼女の声は、甘く、そして滑らかに会場を満たす。
「本日最初の、選ばれし一品を、お目にかけましょう」
静まり返った会場の中心に、ひとつの木箱が置かれた。
それは掌ほどの大きさで、磨かれた黒檀の蓋に金の鍵がかかっている。
セレナ・ノワールが指先で鍵を外し、ゆっくりと蓋を開けた。
その手つきには余裕と緊張の両方があり、
彼女が“この瞬間を演出している”ことを物語っていた。
中にあったのは、一見すればただの緑色の宝石。
だが、それは明らかに何かが違っていた。
翡翠のような半透明の球体の中心に──光を受けた瞬間、微かに動きが走った。
まるで、誰かの眼差しが内側からこちらを見返してくるような。
そのわずかな揺らぎに、周囲の空気がざわりと揺れる。
「本日最初の品、《翡翠の目》。正式な用途は未解明ですが、魔力反応は三度にわたり確認済み」
彼女の声は、静かにして挑発的だった。
低く落ち着いていながら、その一語一句が客席の“欲”を引きずり出すような調子を帯びている。
「ある感情術師は、これを見ていると、自分の過去が見える気がした、と語りました。また別の占術士は、これに睨まれて、三日三晩眠れなかった、とも」
彼女は少しだけ視線を流し、いくつかの仮面の目を見つめる。
「……さて。あなたは、これに何を見るのでしょうね?」
そう言って小さく笑った瞬間、球体の中心がもう一度ゆらりと動いた。
まるで、それ自身が“品定め”をしているかのように。
沈黙が、一瞬、場内を縛った。
誰もが目を奪われた。いや、正確には、翡翠の球体に“見られた”ように感じていた。
仮面の下、視線が揺れる。息が止まり、思考が走る。
「……動いたよな、今」
「いや、光の反射だろ」
「それにしては……妙に、タイミングが良すぎる」
抑えた声が席のあちこちから漏れる。
誰かが手袋の指先を噛み、誰かがメモを取り、誰かが黙って拳を握った。
その欲望の温度が、目に見えぬ煙のように立ち上がっていく。
セレナ・ノワールは、そんな空気を楽しむように、ゆっくりと手を上げた。
「それでは──《翡翠の目》、入札を開始いたします」
その言葉と同時に、魔導札の端末が一斉に光る。
数字が静かに踊り始めた。
入札の数字が静かに上昇するのを見ながら、私は意識を内に引き戻した。
──今は、動かない。
今回の作戦は単純だが、精密な段取りが必要だった。
この品を欲しがる者たちの手の動き、仮面の下の揺れる眼差し──それらすべてが、計画の一部だった。
今回の作戦は、端的に言えば「すり替え」。
でも、ただの置き換えではない。
本当に価値あるものを手に入れるために、「より目立つ価値」を作り出す。
まず、私は身元を偽って “南方から来た無名の貴族令嬢”という設定で出品者登録をした。
王都の中心からは遠く離れた地方、だけど代々の資産が豊富──という噂が立つよう、クラリスが出入り商人にそれとなく“話”を回した。
その仕上げとして、実は想定外の協力者も現れた。
──シルヴィア。社交界で顔が広く、いつも噂話の中心にいる彼女は、
あっという間にその話をいくつかのルートに“拡散”してくれた。
……本当に信じたのか、それとも冗談半分だったのか。
真相は知らない。でも、今はそのおかげで完璧な舞台が整った。
そして出品したのが、私自身の旧いペンダント。
ラッフルズ家がまだ華やかだった頃、式典のために誂えた一品で、
贋作などではなく、れっきとした本物の“高貴さ”を纏っている。
その外見と背景に、“地方で発掘された王家の古物では”という尾ひれが勝手につき始めた。
──いいわ、そのまま泳がせてあげる。
このペンダントは、今日一日だけ“囮”になる。
興味を引き、視線を奪い、欲望を誘うための、完璧な装飾。
その間に、本当に狙っているのは……別の出品物。
セレナの管理下にある品のひとつに、特殊な幻術細工が施された“装飾具”があると私は睨んでいる。
だが、その価値を見抜ける者は少ない。
そして、それが誰に落札されようと、
準備した“別ルート”で回収できる仕組みも、すでに整っている。
つまり、私は競らずに済む。名も明かさず、罪も残さず、ただ微笑んでいればいい。
これが、私のやり方。
「奪う」ではなく、「手に入るように仕向ける」だけ。
少なくとも、今のところは。
──けれど、その余裕もそう長くは続かないかもしれない。
私は仮面の奥から視線を巡らせ、再びセレナ・ノワールの姿を探した。
彼女はすでに次の品の準備に取り掛かっていたが、
あの眼差しには、さっきと同じ余裕が浮かんでいる。
……こちらの仕掛けに、どこまで気づいているのかしら?
オークションは、静かに、しかし確実に熱を帯びていた。
希少な魔導具から、正体不明の魔物の骨片、由来の不確かな書簡まで。
上品とは言えないが、確かに欲望をくすぐる代物たちが、
次々と回転台の上に乗せられていく。
「こちら、《南方墓地より発掘されたとされる牙》。確証はありませんが、先日まで二人の呪術師がこの品を巡って争ったとか──」
セレナ・ノワールの声が、会場を包み込む。
その声音には、奇妙な魔力があった。
抑えられた熱気、意図的な余韻、そしてわずかに毒の混じった甘さ。
「さあ、皆さまの信じる心が、この品の価値を決めるのですわ」
数字が跳ね上がる。誰も手を挙げず、ただ沈黙の中で札が競られていく。
仮面越しの視線が交錯し、沈黙が加速していく。
まるで、空気そのものが金で測られているかのようだった。
私は手を出さない。
今は、ただ観察に徹する時。
「次は──やや趣の異なる品でございます」
セレナが片眉を上げ、意味ありげに笑う。
運ばれてきたのは、赤い布に包まれた短剣。
殺傷力よりも、儀式性を重んじた装飾品のようだ。
その柄に刻まれた古文が一部消されており、不穏な空気を醸し出している。
「元の持ち主は、“亡霊を封じるために使われた”と語っていたそうです。……真偽はともかく、物語があるものは強いですわね」
欲しいというより、関わりたくない。
だが、そう思わせる物こそ、どこかで誰かが強く引かれる。
私の隣で、クラリスが小さく呟いた。
「……予定通り、ペンダントはまだ出ませんね」
「いいのよ。引き伸ばしてくれる方がありがたいわ。演出になるから」
グラスの水面を揺らしながら、私は静かに微笑んだ。
この会場全体が、もうすぐ“あれ”に釘付けになる。
──その瞬間まで、私の役目は静観と沈黙。
観客の顔をしながら、舞台の重心を握ること。
それもまた、主役の特権だ。
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