令嬢、なりきる

「で、どうするつもりですか?」


朝の静かな屋敷。クラリスの一言から、今日の作戦会議は始まった。


机の上には、昨ヴァイオレットから借りてきたドレスが丁寧に畳まれて置かれている。

ふわりと広げれば、光沢のある布地が朝日を受けてやわらかく輝き、袖口の刺繍がキラキラと瞬いた。


「え?着るけど。夜のオークションに行くために」


「それはわかります。伺ったのは、どうやってそこに入るかです」


「正面から堂々と入場するわ」


物陰からコソコソ入ったら即座に怪しまれる。


だとしても『アンナ・J・ラッフルズ』の名前で行けるわけでもない。

正体を隠すかどうかの前に、まず入らせてもらえないだろう。

ラップルズはもう買う側でわないのだ。


私はブローチを手に取り、胸元にそっと当てた。


「ミスディレクション・ブローチの出番よ。“地方から出てきた無名貴族のお嬢様”を演じるの」


私が胸を張ると、ニナが「へえー」とパチパチ拍手してきた。


心が癒やされる。

解錠アン・ロック》なんて使わなくても妹としてずっといてほしい


「また無茶な……」


それに比べてこのメイドは全然可愛いくない。

最初はクラリスの変化がちょっと嬉しかってけど、今はね、


「最近、ちょっと調子に乗りすぎではなくて?」


「お嬢様の成長を見て、感動したあまりでして」


ほら、一言も負けない。


でも今はそれを叱る余裕がない。


「ええっと……それよりクラリス、もう一度私に簡単な礼儀を教えてくれない? お茶会で振る舞うときの動作とか……」


「はい?」


クラリスが驚くのも同然だ。


ラッフルズ家の令嬢として、礼儀作法は子供のころから習っていた。

誰に見せても恥ずかしくないほどはあると自負している。


だが、未来(私にとっては過去)では民街をさまよっていたわけだ。

何年もさぼってきたし、想像以上に感覚が鈍ってるのだ。


「ほら、最近バイオレット以外とはあまりあってないじゃない。ミスでもしたら困るし」


「お嬢様…」


クラリスの目に同情光が浮かんだ。


これを誤解と言うべきか、誤解ではないと言うべきか。

どちらかというと、それよりもはるかに大きな同情を受けてももんだいないしね。

大人しく受け入れよう。


「承知しました。大丈夫です。すぐまた慣れます。お嬢様は立派なレディですから」


…いたいなぁ。


生意気な方がまだマシだった気するまでする。


「じゃあ……まずは歩き方からですね」


クラリスがすっと背筋を伸ばして歩いて見せる。


「クラリスって、お姫さまみたい!」


「私は使用人です」


「でもかっこいい! じゃああたしは……」


ニナが真似しようとして転びかけて、場が少しだけ和んだ。


この子はほんとにあの鍵開けマスターキー

偶然《解錠アン・ロック》が使えるだけの真っ赤な他人ではなくて?


まあ、でも、そういったこともあるでしょうね。


環境が人をどれだけ変えるのかは誰より知っている。

私自身が完璧な例でもある。


「大丈夫?」


「全然平気!」


でもやっぱり気になる。

私と出会ってない世界ではいったい何があったのかしら。


でも今はもう永遠に分からなくなったものだ。

そして、親もいない見たいし、ろくなことはなかっただろう。

分かったとしてもいいこともない。


「ニナ、お姉ちゃんが必ず、清く正しく美しい子に育っててあげるわ」


「泥棒の助手にしてる人が言いますか?」


……。


あれ。


もしかして、運命って変えられない?


「ど、泥棒ではない」


そんなわけない、っという念を込めて否定した。


クラリスがなんか言ってるけど聞こえない。聞いてたまるか


運命は回避できる。

できないとならないのよ…!




◇◇◇



それから数日後。


私はある小さなティーパーティーに“参加”することになった。


主催者は上流階級の若い令嬢数名。

場所は王都の新市街にある小洒落たティーサロン。


ほんの五、六人が集まる程度の小規模な集まりだが――ここが重要。


そこに顔を出す“ある令嬢”こそ、私のターゲットなのだ。


名前はシルヴィア。

かなり権勢がある伯爵家の遠縁らしい。


未来ではほとんど記憶がないけど、昔はラッフルズ家にも出入りしていたはず。

この時点ではまだそこそこ社交界で顔が広いようだ。


実は、事前に調べておいた情報がある。

シルヴィアが“夜のオークションへの参加ルート”をこっそり握っている――という噂だ。

なにしろ貴族というのは、意外なところで裏取引に深く関わったりするものだ。


もちろん正面から

「あなた、夜のオークションに出入りしているでしょ?」

なんて聞いたら怪しまれるに決まってる。


怪しまれるところか、あまりの破天荒でその場の人間全て石になるかも知れない


危ない。それもちょっと面白そうに思えてきた。


今日は、あくまでも自然に振る舞うことが大事だ


まずブローチの力で「地方から出てきた無名の令嬢」になりきる。

あとはシルヴィアからうまく“仮の招待状”を引き出す。

それが今日の目的だ。


計画通り行けば、問題はない。


決意を新たにして、新市街のティーサロンに足を踏み入れた。

名前は《ブライスローズ》。

入り口からして薔薇の香りが仄かに漂い、淡いレース模様で飾られた落ち着いた空間だ。


受付係に招待状を見せ――もちろん偽名――、あっさり

「かしこまりました、お通りください」

と通される。


よし、ブローチの効果は確実。

誰も私が「あのラッフルズ家の娘」だとは思ってないみたいだ。


部屋に入ると、すでに四人ほど女性が集まっていた。

豪奢な椅子に腰かけた貴族令嬢たちが優雅に談笑していた。


みな一見すると穏やかで優雅。

だけど、私は知っている。


彼女たちはしたたかな貴族だ。

利害が絡めば何でもやりかねない――私だって経験済みだ。


「はじめまして。クローナ・ブリッジフォードと申します」


偽名を名乗り、穏やかな笑みを浮かべて席に着く。


名前を考えるだけでも一苦労だった。

〜フォードとか〜ベルとか、

貴族っぽくて印象に残らないものを必死に捻り出して。


私の前で出迎えてくれたのは、今日の主催者の一人。

そして今回の本命ターゲット。シルヴィア・グレンミル。


彼女は薄ピンクのドレスに身を包み、明るい金髪をハーフアップにまとめている。

悪くいえばいかにも「いけ好かないお嬢様」な感じ。

でも本人はそれを魅力だとわかってるタイプだ。


つまり、昔の私ととっても気が会えそうな人だ

自己嫌悪がふつふつと湧き出る。


「まあ、地方からいらしたというのはあなたね? 噂には聞いていたわ」


シルヴィアには事前に連絡を送り込んでいる。


『地方の小さな伯爵家の娘が、都の文化を学びたいとティーパーティーへの参加を希望している』

――それが今回の設定だ。


「はい、父が急な要件でこちらに来るよう命じたものですから……」


「まあ、どちらのご出身で?」


「南東のフォルカ村にほど近い山あいですの。自然は豊かですが、少々文化には飢えておりまして……」


微妙にリアリティのある“架空の田舎”を捏造して答える。


そして、視線だけで彼女を探る。


一同は特に疑うことなく受け入れた様子だった。

さすがミスディレクション・ブローチの力は伊達じゃない。

あと必死で考えた設定も。


まずはパーティーが始まるまで雑談という流れらしい。


今のところ、想像以上にスムーズに立ち回れている気がする。


ただ、注意点は時間制限。

ブローチの効果が完全に切れる前に、目的を果たさなくちゃ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る