令嬢、ドレスに巻く
ヴァイオレットと顔を合わせるのは、ほんの数日ぶりだ。
私の体感では10年ぶりだけど、この屋敷に来るのは慣れている。
でも今日は、ちょっと特殊な用件だった。
そう、個人的な、しかもあまり気が進まないお願い。
ドレスを借りに来たのだ。
ドレスはいわばプライド。
それを借りるなんて、貴族としてありえない話だ。
でも今はそんなことを言ってる場合じゃないし、
そもそも私はもう、貴族としてなんとかっていうのは気にしない。
案内された客間は、彼女らしく品のいい空間だった。
淡い藤色を基調とした壁紙に、金の縁取りが上品にあしらわれている。
棚には古そうな本と瓶詰めの香油が静かに並び、どれも少しだけ埃が積もっていた。
使われすぎず、でも無造作でもない。
なんか、ヴァイオレットに似てる空気が漂っている。
テーブルの上には、整然と並べられたティーカップと、まだ湯気の立つ紅茶があった。
そしてその中央に、いつものように微笑んで立っていた。
「いらっしゃい、アンナ」
「ごきげんよう、ヴァイオレット」
「こうして会えるの、嬉しいわ」
「また大げさを」
軽やかな声。けれど、その目は私の顔をじっと見つめていた。
どこか、じんわりと熱を帯びた視線だった。
「それで、今日はどうしたの?」
「あ、うん……その……」
恥ずかしくはないけれど、別の意味で言いづらい。
変に突っ込んできたら困る。
口を濁しながら、私は本題に入った。
「実は……ドレスを、一着だけ貸してほしいの」
ヴァイオレットはほんの一瞬、ぴたりと動きを止めた。
そして、そのまま数拍の沈黙のあと——
「……え?」
意外そうな顔、というより、完全に面食らっている。
「ド、ドレス? あなたが?」
「そう。ちょっと、必要になって……」
「えっ、ドレス? どこで着るの? 誰と行くの? どういうこと?!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて!? なんで質問ラッシュなのよ!」
「……あ、ごめんなさい。つい。ちょっと意外だったから」
少しの沈黙。
え、なに?
なんか、思ってたのと違う反応だった。
でもそれが何なのかは、今は考えないことにした。
よくわからないけど話を押し付けるチャンスよ。
私はヴァイオレットの前に立ち直り、咳払い一つ。
「それで、そのドレスだけど——」
「で、どうしてそのドレスが必要なの?」
被った。
そのせいでぺーすをうしなってしまった。
「え、えっと……親戚の結婚式があって。ちょっと、ちゃんとした格好で行かなきゃいけなくて……」
「親戚? どこの?」
「えっ……えーと、ほら、ラッフルズ家の分家の……そのまた分家の……名前は……その……」
「ふうん?」
やばい、完全に疑ってる顔だ。
「……あ、ごめん。嘘! 全部嘘! ただの見栄、というか、なんとなく着てみたくなっただけ! 深い意味はないから!」
「そう?」
その表情には特に深い追及の色はなかった。
一応は納得したように見えた。
「僕にはそんな隠さなくていいよ。アンナらしいといえばそうだけど」
私らしいってどういうのよ。
気取ってるって言いたいなら...そうだね。
「ドレスならちょうど合いそうなものがあるわ」
そう言いかけた彼女に、私はふと思い出したように言葉を挟んだ。
「そういえば、ヴァイオレットって、まだあの『調査』とかやってるの?」
軽く探るつもりだった。
こっちが何をしてるか気づかれる前に、あの子のほうを牽制しておきたかった。
……というか、本音を言えばやめてほしい。
これ以上首を突っ込まれたら、ほんとに困るのよ。
また捕まるエンドなんて、絶対にごめんだから。
「うん。言ったでしょ? あなたを守りたいって。」
そう言って、ヴァイオレットはおどけたようにウインクしてみせた。
うん、顔はいいよね。女の子にモテるのも納得。
でも今は、正直ちょっとムカつく!
「……ありがたいって気持ちはあるよ。ほんとに。でも、そこまでしなくてもいいんじゃない?」
「そう思う?」
「うん。大袈裟っていうか、なんか、私のほうが疲れるっていうか」
「それでも、やめないわ。私はそう決めたの」
真面目な顔でかっこいい事を言った。
お願いだからやめてほしい。
迷惑なの、主に私に。
「サイズはたぶん、今でもそんなに変わってないでしょ?」
返事も待たずに引き出したのは、淡い紫のドレス。
繊細なレースと細いリボンが施されていて、派手すぎず、それでいて上品な印象を与える。
布地の光沢は月明かりのように柔らかく、裾はふわりと空気を含むようなラインを描いていた。
ヴァイオレットは私の前にそのドレスを広げながら、目を細めて言った。
「アンナの雰囲気に、とてもよく似合うと思うわ」
「……どうしてそんなに、あっさり選べるの」
「あなたのこと、よく見てるから。ね?」
どきり、と心臓が跳ねた。
それは友人としての『よく知ってる』なのか、それとも——。
「試着してみる?」
「えっ、い、今ここで……?」
「もちろん。サイズが合わなかったら困るもの」
当然のように言われて、私は渋々ドレスを受け取った。
ヴァイオレットに背中を押されるようにして、更衣室へ向かう。
着替えに手間取った。
自分でこういうドレスを着るのは、実はずいぶん久しぶりだ。
衣装そのものには見覚えがあるのに、手がよく進まない。
「……やっぱり、こういうの、もう合わないな。」
独り言を呟きながら、私は鏡の前に立った。
これは私じゃない。演じている『何者か』だ。
その10年で、私はまるで別人になってしまった
「アンナ、どうかしら?」
ヴァイオレットが扉越しに声をかけてくる。
少しだけ戸惑いながら、ドアを開けた。
彼女は私を見るなり、ふわっと目を見開いて、そして小さく息をのんだ。
「やっぱり似合う。まるで舞踏会のヒロインみたい」
「そんな大げさな……さすが口説くのが上手ね」
「本気よ。からかってなんかない」
その言い方に、少しだけ胸がざわついた。
危ない。さすが魔性の女。
私ではなければ落ちるところだったわ
「ありがと。助かるわ、本当に」
私はドレスの裾をそっと握りながら頭を下げた。
彼女の笑顔は変わらない。
「ううん、何も気にしないで。アンナが必要としてくれたのが、ただ嬉しいの」
やっぱり、この子は不思議だ。
何かを見透かしているようで、そうでないようで。
私はドレスを丁寧に畳み、腕にかかえて部屋を出た。
ヴァイオレットは玄関まで見送りに来てくれる。
「じゃあ、また」
玄関を出たところで一度だけ振り返ると、ヴァイオレットはまだ同じ場所に立っていた。
変わらない微笑みの奥で、何かを見透かしているような、そんな気がして——私はすぐに視線を外す。
帰り道、ドレスを抱えたまま、私はため息をついた。
……変じゃなかったかな。妙に浮いて見えてなければいいけど。
いやいや、気にしすぎでしょ。
今のヴァイオレットは、ただ私を助けたいと思ってるだけ。
手がかりなんかも一切残さなかったし、
私が何を考えてるかなんて、見抜けるわけがない。
大丈夫、大丈夫。
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