令嬢、祝杯を上げる

「じゃーん!」


屋敷に戻るなり、私は片手を高く掲げた。

掌には、ひときわ輝くブローチがひとつ。 今日の作戦で“回収”してきた戦利品だ。


「お行儀が悪いですよ、お嬢様」


「え、なにその冷たい反応」


『やりましたね、お嬢様!』みたいな反応を期待していたわけじゃないけれど。

まるで興味なさげな態度には、さすがにしょんぼりする。


「よく見てよ!この輝かしい成果を!少しくらい褒めてくれてもいいじゃない!」


「お仕えするお嬢様が、初めて詐欺を成功させたことを、どう褒めればよろしいのか分かりません」


「ここまで来てまたそれ? じゃあ、その話するならニナにも言いなさいよ!」


「うん?」


自分の名前が出たとたん、ニナが顔を上げた。

唇の端には、パイのかけらがついていた。


昨日の夜、霧溜まりに戻すのも何だか気が引けて連れてきたわけだが。

一晩で完全に馴染んでしまったようだった。


「本気でおっしゃってるんですか?」


クラリスがわずかに首を傾げる。


「お嬢様とこの子を一緒に?」


言葉に詰まる。

ニナはとなりで、再びパイに夢中になっていた。

フォークを持つその手つきには、悩みの一欠けらもなかった。


「……ま、ちょっと違うかも」


「ちょっとではなく、まるで違うんです」


クラリスは小さくため息をついて、立ち上がった。


「とにかく、おかけください。お茶を淹れてきますので」


そう言って、キッチンのほうへと姿を消した。


「それで、お嬢様。あのブローチは一体何ですか? そんなものをお持ちとは存じませんでした」


紅茶を注ぎながら、クラリスが静かに問いかけてきた。


「まあ、クラリスったら知らないの?」


私は胸元にブローチをぱちんと留め、ちょっと得意げに肩をすくめて見せた。


「《ミスディレクション・ブローチ》よ」


「ミスディレクション?」


「見せたほうが早いわね」


姿勢を少し崩し、声のトーンも落として、無造作に挨拶をするように一言。


「こんにちはー、配達に参りました〜」


クラリスの眉がわずかに動き、そして真剣な表情で首をかしげた。


「あら、不思議ですね。確かにお嬢様なのに、誰か別の方に見えるような……」


「でしょ? それなりに効果あるでしょ?」


『ミスディレクション・ブローチ』。

見る者の認識をゆがめ、装着者の外見印象を変える魔導具だ。


「わああ、すごい!へんしんの魔法なの?」


ココアで口の端を汚しながら、ニナがぱちぱちと手を叩いた。


「変身っていうほどじゃないけど、これでも十分ごまかせるのよ」


変身魔法と呼ぶには、原理も効果もまったく異なる。

現実に存在する別人へと姿を変えることはできない。


たとえば――「どこかの店で一度見かけたような店員」。

あるいは――「ある舞踏会で会ったような気がする貴族のお嬢様」。

そんな、“どこかで見たような気がする誰か”に見せかけるだけ。


制約も多い。

まず、声や体型、身長は変わらない。

一度使えば、効果はせいぜい1時間程度。


結局のところ、用途は仮装パーティーなどの余興用。

「まあ、私のこと忘れちゃったの?」といった悪戯に使う程度のものだ。


「懐かしいな。子供のころはこれでよく遊んだっけ」


「思い出しました。確かに、何度か不思議なことがありましたが、これを使っていらしたのですね」


「そう。でもすぐ飽きて、忘れてた」


そのせいで、こんなふうに裏で売られる羽目になったのだ。

時間を遡る前の私は、これが失われたことにすら気づいていなかった。


「でも今は、大活躍してもらうつもりよ!」


遊び半分の道具でも、使いようによっては無限の可能性がある。

私は手のひらの上でブローチをくるりと回し、得意げに笑った。


クラリスはため息ともつかない声を漏らして言った。


「言い回しは立派ですけど、使用目的は相変わらず不健全ですね」


「自分の持ち物を使うのがどこか悪い? まだグレーよ」


「グレーとおっしゃった時点で、問題の可能性を認識していらっしゃる証拠です」


「冗談よ、冗談」


……もちろん、全部が冗談というわけでもないけれど。


「それより、これを実際どう使うか――研究してみましょ」


私は椅子から立ち上がり、鏡の前へと歩いて行った。

ブローチを再び襟元にとめ、姿勢を整えた後、

にやりとした笑みを浮かべて振り返る。


「どう? それっぽく見える?」


このブローチの効果はあくまで曖昧。

相手の認識を揺さぶるものであって、実際にどう見えるかは本人にはわからない。

だからこそ、相手に尋ねるしかない。


「確かに、印象が変わりますね。お嬢様には見えません。初対面の貴族令嬢という印象です」


「まあ、私のこと忘れちゃったの?」


「そう言われたら、確かに動揺しそうです。誰だか分からないけど、どこかで見たような気がする――そんな感覚になります」


この台詞を真面目に使う日が来るとは思わなかった。

子供の頃の私も、想像すらできなかっただろう。

そして、そんな分析を真剣にしてくれるメイドも同様だ。


「ニナも、そんなふうに見える?」


皿をフォークでこすっていたニナは首を傾げながらこちらを見た。

少し目を細めて、唇を尖らせて言った。


「……わかんない。貴族って見たことないし……うーん……」


「つまり、私には見えないってことね?」


「うん。知らない人」


「よし。効果そのものは問題なさそうね」


私は満足そうに頷いた。


「次は、どんな人に見えるか、ね。実際の人物に似せてるのかな? ちょっとクラリスっぽく動いてみるわ」


ティーポットを手に、おしとやかに立つ。


「お茶をお注ぎしましょうか?」


「……おふざけ中の貴族令嬢に見えます」


「ぐっ」


「では、私の言う通りに動いていただけますか? 腕はこう、立ち姿勢はこうです」


クラリスの即席レッスンのもと、あれこれポーズを変え、

5分ほどでようやく「メイドに見えます」との認定が下された。


「今後の課題は演技力ね」


正体不明の貴族令嬢がうろついていれば、それだけで目立つ。

……まあ、「貧乏なお嬢様」役なら得意だけど。

バリエーションは多いに越したことはない。


「ところでお嬢様、あの骨董店の件はどうなさるおつもりですか? 鑑定に出すと仰って、持ち帰って来られたんですよね? 偽物を用意するとしても、それなりに費用がかかりますが」


「それは気にしなくていいわ」


私はブローチをくるくる回しながら、さらりと言った。


「向こうも、もう諦めたことにすると思うから」


「とおっしゃると??」


「だって、箱の錠前が開いていたんだから。すり替えられたって考えるでしょ。実際は本物なんだけど」


あの立場からすれば、いちいち真贋で騒がれるのは面倒だろう。


「だから、安物ひとつ渡して、穏便に終わらせたの。残りは適当に処理するでしょうね。まあ、一応形式として箱だけは返しに行く? 開けても見ないでしょうし」


唯一の懸念は、犯人捜しに乗り出すことだけど――

ま、どうということはないわ。実際に盗んだわけじゃないし。

ニナの解錠アン・ロックは、跡を残らないんだから。


大した問題はないでしょう。

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