令嬢、口説く

紙に包んだリンゴの蜜漬けを手に、ニナへと近づいた。


自然さを装うような中途半端な真似はしなかった。

相手は子供なのだから、むしろ少し大げさなくらいがちょうどいい。


「こんにちは。何してるの?」


自分でも驚くほど明るい声が出た。

背後から、クラリスが呆れ顔をしている気配が伝わってくる。


「遊んでるの。お姉ちゃんもやる?」


ニナが顔を上げて、私を見た。


突然現れたというのに、驚いた様子はまるでない。

まるで、誰かに声をかけてもらうのを待っていたかのように、瞳がきらきらと輝いている。


この子が、あの《鍵開けマスターキー》?


無垢な子供にしか見えない。


「どんな遊びなの?」


「こうやってね」


ニナは小石を並べたり投げたりしながら、何やら説明を始めた。

それなりにルールはあるらしい。

けれど、その説明は支離滅裂で、あまり頭に入ってこなかった。


それより目を引かれたのは、彼女の手さばきだった。


私と目を合わせながら、石にはほとんど視線を向けていない。

それなのに石はきちんと定位置に収まり、軌道も乱れない。

なるほど、実に印象的な器用さだ。


だが、ニナの真価はそこではない。


解錠アン・ロック》――

あらゆる錠前を、呪文ひとつで開いてしまう魔法。


ニナが鍵開けマスターキーという異名で知られるようになる最大の理由だ。


とはいえ、本当にニナがそんな魔法を使えるのか。

そもそも、そんな魔法が実在するのかすら不明確だ。


ニナが《解錠アン・ロック》の使い手とされるのも、

「それくらいでないと説明がつかないだろう」という、推測の域を出ない。


まあ、今から確認すれば済む話だけど。


「すごいね。この遊び、ニナが考えたの?」


「うん!興味あるの?」


「すごく面白そうだけど……今ちょっと困ってるのよ」


「どうして?手伝ってあげようか?そしたら一緒に遊べるよね?」


「本当に?じゃあ、お願いしようかな」


私は、用意しておいた小さな箱を差し出した。

簡単な錠前がついた、よくある木箱だ。


「これを開けたいんだけど、鍵を失くしちゃってね。できる?」


「うん!これだけでいいの?」


ニナは嬉しそうに箱を受け取った。


見ているこちらも、少しドキドキしてきた。


なぜなら――これは、非常識なことだから。


魔法の本質とは、イメージを通じて対象に魔力を作用させることだ。

つまり、イメージと現実が一致しなければ、魔法は発動しない。


錠前を魔法で開けるには、「開け」というだけでは足りない。

まずは錠前の内部構造を正確に“認識”しなければならない。


そのイメージをもとに、マナを精密に流し込み、閂を解除する――という仕組みだ。


でも、そんなことを誰がやるだろう?


そもそも、鍵開けなんてのは泥棒か、よくて職人の仕事。

彼らには魔法を学ぶ余裕なんてない。


一方で、魔法使いにとっては、そんな細かい仕事をする必要がない。


魔法的なセキュリティなら、それ専用の解除魔法があるし、

物理的な鍵なら、壊すほうがコスト的にも早い。


必要としている人に能力がなく、能力のある人に必要がない。

だから当然、《鍵開け魔法》などというものは存在しえない。


――のだが。


ひらけアン・ロック!」


子供のような呪文の掛け声とともに、錠前がカチリと音を立てて開いた。


……すごい。


思わず、頬が緩んだ。


さすが、鍵開けマスターキーの名は伊達じゃない。


ニナは、工学的知識も魔法の知識も、たぶん何ひとつ学んだことがない。

それなのに、純粋な感覚だけで、独自の魔法体系を築きあげている。


疑いようのない天才だ。


そして私は、そんな彼女を、誰よりも早く見つけ出したのだ。


「どう?これでいい?」


「うん、完璧。ありがとうってことで、これをあげる」


私は、リンゴの蜜漬けをニナに手渡した。


貧しい子供にとっては、これでも十分すぎるご褒美だろう。


「甘くて、果物の味がするの。食べてみて」


ニナは紙包みをほどき、中身をじっと見つめた。

口にしてもいいのかどうか、まだ疑っているような目つきだった。


だが、やはり子供にとってその誘惑は強すぎたのだろう。

ごくりと喉を鳴らし、勢いよくかじりついた。


「……っ、あまっ!なにこれ、おいしっ……!すっごくおいしいっ!」


ぱあっと表情が明るくなり、ほっぺたをふにふにさせながらぴょんぴょん跳ねる。


「しゃりってして、じゅわってして……ん〜、しあわせ〜!」


きらきらとした目で私を見上げてきた。


「もういっこ、もらっていい……?」


その様子はまるで、甘い夢の中にいるようだった。


「じゃあさ、お願い聞いてくれたら、もっといっぱいあげるよ?」


「ほんと!?やるやるっ!お願いってなに?」


「そんなに大したことじゃないよ、ちょっと――」


「そこまでです、お嬢様」


「ひゃっ」


こつん、と軽い音とともに、額を小突かれた。


「な、なに?」


「ご自分の言動を省みてください」


「言動って……」


言われてみれば、今の流れ、どう見ても誘拐犯そのものだった。


唖然とする私の横で、クラリスはやわらかい笑みを浮かべながらニナの前にしゃがみこんだ。


「こんにちは。突然驚かせてしまってごめんなさいね」


「……う、うん?」


「私たち、ちょっとだけあなたにお願いがあって来たの。でも、それはあなたが嫌なら無理にしなくていいの。代わりに、美味しいお菓子を持ってきたわ」


クラリスはふわりと微笑んだまま、ゆっくりとリンゴの蜂蜜漬けをもう一つ差し出す。


「これはあなたの分。さっきのもそう。だから、この人の話だけ、少しだけ聞いてくれるかしら?」


「……うん。わかった」


ほんの一瞬の間のあと、ニナはこくんと小さくうなずいた。


その頬には、まだ残る甘い余韻のような笑みが浮かんでいた。


「やってることは同じでは?」


「まったく違います。で、その子に何をさせるおつもりですか?」


クラリスの声には、明確な叱責が込められていた。


「開けてほしい扉があるの。旧市街の店よ」


「どんなお店です?」


「普通の雑貨屋。ただ、裏では闇市とつながってる。うちの元使用人たちが盗品を処分したかったなら、きっとそこを選んだはず」


「お嬢様がどうしてそんな知識をお持ちなのかは置いておくとして――で、その扉を開けたあと、何を? その子に盗ませるおつもりですか?」


「んー? あたし、やれるよ! たぶん!」


「今はちょっと静かにしててくれる?お嬢様と大事なお話中だから」


もう完全に保護者気取りである。


「私を何だと思ってるの。まさか、そんなことするわけないでしょ」


「では、お嬢様が自分で中に?それはそれで心配しかないんですが。」


それには答えず、私はそっとクラリスの肩に手を置いた。


「よろしい、これより作戦を説明いたします」


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