わたしアルバム

霧朽

変わったもの、変わるもの

 振り返るとちょうど、信号が青に変わったところだったようで、人混みが雪崩を起こしていた。そのほとんどは私と同じ制服に身を包んでいて、紺色の制服そのままの生徒と灰色無地のパーカーの生徒が混じって鹿まだらだった。


 私はカメラのレンズ越しに見下ろしていたその景色にシャッターを切ると、再び校舎に向けて歩き出した。三年間恨み続けたこの上り坂も今日で最後だと思えば、少しだけ愛おしく思えた。



 廊下にいるのは私一人だけだった。長いこと進路関係のプリントで埋め尽くされていた掲示板はすっかりお役御免になったようで、剥き出しの姿を晒している。

 すぅと一呼吸(深いやつ)すると、朝方のひんやりした空気が肺に満ちて、体に染み込んでいった。


 坂道で火照った体の熱を落ち着けた私は教室の扉を開けた。いつもの先客はヘッドフォンから流れる音楽に夢中なのか、私に気付いていないみたいだった。


 三年生に進級したてのときにも似たようなことがあった。その日、彼女はヘッドフォンで音楽を聞いていて、それを見た私は無意識の内に首に下げていたカメラのシャッターを切ったのだった。


 中途半端に閉められたカーテンの隙間から漏れる仄かな日差し。肘をついて窓の外を眺める彼女の後ろ姿。スキー用のゴーグルを外したときみたいに青い世界。ほんとうのほんとうに心の底から綺麗だと思った。考えるよりも早く手が動いたのは、後にも先にもこれだけだ。


真野まの、おはよ」


 窓際に座っていた彼女の肩を叩いて、一言。一つ後ろの自分の席に腰を下ろす。


「ああ、おはよ」にへらとした笑みを浮かべて真野は言った。

「今日は勉強してないんだね」

「もう受かったし良いかなって」

「おめでと」

「ありがと。七見ななみは推薦だっけ」

「うん。一足先に」


 私がそう答えると、真野の視線は校舎に続々と登校してくる生徒たちに注がれた。


「……もう最後なんだね」


 なんて返すのが正解なのか分からなくて「そうだね」なんてつまらない答えを返した。また、真野の視線が私に戻る。相変わらず顔が良かった。


「ねえ。撮った写真見せてよ」

「いいけど、急にどうしたの」


 ポケットから取り出したスマホでアルバムを起動して、真野に差し出す。取った写真の大体はスマホの方に入れていた。


「なんか一年を振り返りたくなった。最後だし」

「変なの」と笑いが漏れた。

「あ、この写真」とスマホの画面をスクロールしていた真野の手が止まる。


 それは全校集会の最中、夏の暑さに殺意を漏らす真野の写真だった。このあと、小声で怒られちゃうよって言われたんだっけ。冷静に考えなくとも大分すごいことをしている。集会中に写真を撮るなよ。


「懐かしいなあ」


 そう言って、真野は目を細めた。程なくして、再びスクロール。度々手を止めてはそれに付随するエピソードを私たちは語った。


 例えばそれは赤い自販機の隣で汗をかいたスポドリを手にした友達の写真だったり、授業中に頭がカクンカクしてる真野だったり、体育祭や文化祭での真野の写真だったりした。


「っていうか、私の写真多いね」

「真野は写真写りがいいから。いっぱい撮ってはいるんだけど、厳選したら真野ばっかになっちゃった」

「ふーん……」


 ジトーっとした視線が痛い。お前の写真が欲しかったんだよとは口が裂けても言えそうになかった。まあ写真くらい良いでしょ。減るもんじゃないし。美人の宿命だと思って諦めて欲しい。


「こうして見ると、私たち少しづつ大人になってるんだね」

「……かっこつけ?」

「違うやい」とデコピンが私の手のひらに炸裂する。いてっという私の悲鳴は華麗に無視された。

「一生忘れないと思ったくらい楽しいと思った出来事でも、案外忘れてるなって」

「ああ、写真はそういうの思い出させてくれるもんね」

「逆に言えば、この写真たちは七見にとって忘れたくないものってことだ」


 私は少し考えて、ちょっとだけほんとうを言うことにした。気付いて欲しいわけじゃないけど、最後ぐらいは素直になろうと思ったのだ。


「うん。忘れたくない人とか、感情が詰まってる」

「かっこつけ?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら言う真野にデコピンを仕返す。けど、鳴ったのはペチっというなんとも腑抜けた音だった。


「大人になんてなりたくないねぇ。子供のままで何も知らずにいたい」

「無理だね」


 うあーっと真野の唸り声が響いたと思えば、すぐに止む。


「ね、七見。写真ちょうだい。そうすれば少しはまだ子供を思い出せる気がする」

「私、真野の連絡先持ってないよ」

「クラスのやつから追加していいよ」

「ふはっ」


 連絡先の交換。ただそれだけなのに、なんだか無性におかしくて笑いが漏れた。たぶん、嬉し笑いもめっちゃあった。そんな私を真野は不思議そうに眺めていた。


「笑うとこあった?」

「いや、卒業式の日に連絡先交換するのウケるなって」

「確かに」

「友達記念ってことで写真撮ろ」

「お、いいね」


 カメラを内向きに構え、シャッターを切る。いつかこの写真を見て、今日という日を思い出すのだろうなって、なんとなく、そう思った。

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