はふりたまふるふゆしづめ

あろん

【序】



 ようやく山際に太陽が姿を見せはじめた頃、山間やまあいの村で女の悲鳴があがった。山々に反射し木霊こだまする声に村人たちが慌てて集まると、叫び声の主は腰を抜かした有様で地べたに倒れこんでいた。

 女は集まった村人に気がつくと、自らの着物が汚れることを気にかける余裕もなく地面を這いずり、近くに立っていた男にすがりついた。


「顔が……顔が……」


 女はうわ言のようにそう繰り返すばかりだった。

 何があった、と村人たちが再三問いかけることで、ようやく女は震える手で見たものを指差した。指を追ったさきには草木が茂っていたが、その草陰に横たわる人影がひとつあった。

 死体だ――。女が悲鳴をあげた状況から誰もがそう思い至った。

 正体を知るべく一部の者が恐るおそる近づくと、ではないことに気づいて驚きの声をあげた。


「ど、どうなってんだァ」


 驚きのあまり足がもつれて転倒した。目にした全員が叫び声をあげる異様さに不安が伝染していき、村人たちはその場に縫いつけられたように立ちすくんだ。棒立ちの肉壁を掻き分けてやっとのことで村長が前に出ると、座りこみ震える者らの脇を抜け、渇きあがる喉に生唾を飲みこみつつ死体を見た。

 死体には。頭部が切り落とされているわけでも、顔の皮が剥がされているわけでもない。ぽっかりと頭部に穴がき、顔と呼べる部分がすべて失われていた。そしてその穴には血肉に代わり、暗闇だけがたたえられていた。


「顔が、剥がされとる……」


 村長が漏らした言葉に、事態を理解できずとも恐怖から村人たちは一様に自分自身へと手を伸ばしていた。そしてまるでそれが〝自分の顔〟であるかのように、を自らの顔に押しつけていた。




   ◇◇◇◇




 近くの村で起きた惨状をいまだ知らず、この村では仮面をつけた子どもたちが元気に走りまわっていた。さる、たぬき、ねずみ、うさぎ。どれも小さな子どもがつけているだけに、頭に〝子〟がつきそうな面々だ。その中のひとり、うさぎの仮面をつけている少女が前方不注意にも歩いている人にぶつかってしまった。


「いたっ」


 ぶつかった反動で少女はその場に倒れ、はずれた仮面が地面に転がった。

 相手は村では見かけない人物だった。黒色の狩衣かりぎぬ狩袴かりばかまを着ており、一見すれば高貴な方が迷いこみでもしたかと思うが、生地は光沢を帯びた絹ではなく活動的な麻で、文字どおり狩りの最中だとでもいうかのようだった。

 しかし全身が黒一色かというと、一点だけが異彩をはなつ。少女は顔をあげてを見たばかりに不気味さから全身をこわばらせた。

 黒衣の人物は奇妙な仮面をつけていた。素焼きの陶製を思わせる渇いた灰白色の表面に、目口と思しき三本の線が短く刻みつけられていた。他に特徴的な箇所はなく、三本の線だけが唯一の意匠だった。

 村人に限らず村の外から来た者も含めて、誰の仮面であっても何かを模していた。それは動物であったり神であったり妖怪であったり様々だが、などという簡素すぎるものを少女はいままで見たことがなかった。

 硬直して謝罪の言葉も発せられぬ少女に代わり、きつねの仮面をつけた女が進み出ると頭をさげた。


「私の娘が大変申し訳ございません。私がどんな罰でも受けますので、どうか、どうか娘は寛大な御心でお許しいただきたく――」


 少女の母親であった女は相手の服装から庶民ではないと判断し、厳しい処分が行われないように必死に嘆願した。だが意外にも返ってきたのは朗らかな口調の言葉だった。


「いえいえ、お気になさらず。子どもが元気なのは良いことです。ここが良い村である証ですね」


 声から判断するとどうやら二十代ほどの男性のようだが、残念ながら三本線の仮面という不気味さから母親はいまだに警戒心を手放せないでいた。その言葉を真に受けても良いものかと思案するあいだに、黒衣の男はその場に屈みこんで、落ちていたうさぎの仮面を拾いあげた。そして丁寧に土ぼこりを払い落とすと少女へと差しだした。


「お嬢さん、ケガはないかい」


 目の前に差しのべられたうさぎの仮面に、少女はようやく我に返ると慌てて立ちあがり、両手で仮面を受け取った。


「あ、ありがとう、ございます。ケガ、ないです。ぶつかってごめんなさい」

「ケガがなくて良かった。仮面は前が見えにくいからね、あまり無茶をしてはいけないよ。それと、仮面はしっかりとつけておくようにね」


 そう話して男は仮面の口に当たる線のまえで人差し指を立て、まるで秘め事を明かすかのように声を落として続けた。


みんながみんな、〝人〟とは限らないからね」


 口を模したであるはずなのに、少女にはその端が吊り上がったように見えて身震いをおぼえた。一方で男は気にする風もなく立ちあがると、さきほどまでの朗らかさで母親に質問をした。


「村長殿にお話があるのですが、どちらにいらっしゃるかご存知でしょうか」


 母親は道のさきに見える家が村長のものであることを教えた。男は丁寧に礼を述べるとそこに向けて歩みを進めた。いつの間にか他の子どもたちをはじめ村の人々すら家屋のかげに身を潜め、奇妙な仮面をつけた男を遠巻きに眺めていた。

 母親はふと、歩き去っていく男の姿に既視感をおぼえた。以前にもどこかで見たような気がした。彼をではない。彼に似た誰かを――……。

 しかし何時いつのことだったかを思い出すことはできず、記憶はふたたび奥底へと沈んでしまった。





 白髪の眉毛と髭がそれぞれ束となって垂れさがるほど生えている寿老人じゅろうじんの仮面をつけた男は、朝の野良仕事を終えて農具をかたづけているところだった。若いころは年齢にそぐわない仮面を好ましく思っていなかったが、齢を重ねて村長まで任せられると、いまでは貫禄のある見た目を誇らしく考えるように変わっていた。

 村長の持論だが、たとえ同じ題材の仮面であっても日々つけていることで使用者それぞれの人生を表すようになる。つまり仮面を見ればその人が分かる、と日頃より考えていた。

 しかしその日訪ねてきた男によって、その持論は揺らぐこととなった。


「すみません、村長殿のご自宅はこちらでしょうか?」

「ええ、ええ。わしが村長を務めております」


 訪問者の声に応じて出てきた村長は、相手の姿を目にすると固まってしまった。身につけている黒い装束は見慣れないものではあったが、仮面の異様さに比べれば些末なことだ。白泥はくでいを思わせる質感に目口を記号化したであろう三本線が刻まれているだけの灰白色の仮面。そこに人となりを読み解けと言われれば、亀卜きぼくをおこなう方が簡単に思えた。


「村長殿、お初にお目にかかります。羽振部ほうりべより参りました、シデ方の比義ひよしと申します」


 比義と名乗った男は穏やかな口調で話すと深く頭をさげた。だがしばし面食らっていた村長は比義の言葉に更なる驚きをおぼえていた。


「ほ、と仰りましたか……?」

「はい、羽振部より参りました」


 比義は噛んで含めるようにゆっくりと話した。経験上、相手の反応には慣れていたからだ。ゆえに村長がきちんと情報を嚥下できるまで、しばらくのあいだ待つことにした。

 村長の脳裏を前任者との記憶がよぎっていた。新たな村長に任じられた日、村長の職とともに前任者から伝えられたことが思い起こされた。羽振部という組織と、その組織が対峙する〝ある怪物〟の存在のことだ。

 村長は唇を小刻みに震わせながら比義にたずねた。


「も、もしや出たのですか……が……」

「はい。隣村で三名の方が亡くなりました。痕跡を追ったところこの村に向かったようでしたが、村の様子から察するにまだ犠牲者は出ていないということでよろしいでしょうか」

「ええ……そういった報告は、まだ、受けておりません」


 死者がいると聞かされても、村長はいまだ夢うつつの様子だった。


「顔剥ぎは……」村長は現実であることを確かめるように一言ずつしっかりと噛みしめながら訊ねる。「顔剥ぎは、本当に、人の顔を、剥ぐのですか?」


「はい」比義は短くはっきりと答えた。「顔剥ぎは人の顔を剥ぎ取り、そして食します。そうすることで人という情報を得て、さらに賢くなるのです。賢くなれば手口は巧妙化し、犠牲者を発見することすら困難となります。まだ痕跡を追えるいまのうちに、早期に手を打つ必要があるでしょう」


 比義の説明を聞いて、村長は現実の出来事を前にしているのだという実感をつかめた。


「分かりました。比義様、儂はどうすれば良いのでしょうか」


 比義は村人たちに「独りでは出歩かず、また不審な人物には近づかないこと」を周知させる旨を伝えた。そして自虐気味にこう続けた。


「ですが、そうなると不審な私の話なぞ誰も聞いてくれなくなりますので、村の調査に協力してくれる者を取り計らっていただきたいのです」


 その言葉に、村長は自然と大きく頷いていた。

 四半刻しはんときもしないうちに一人の若者が村長宅に呼びつけられた。彼は巨大な鼻が半分ほどを占めている達磨だるまの仮面をつけ、名を庄吉しょうきちといった。

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