燕雀安んぞ天馬の志を知らんや。
泉野あおい
一章: A side
第1話
今日は、月に一度の約束の日。気づいたら、もう三月の終わりだった。
もう三十回以上もこうして会っているのか……と感慨深く思う。
それでも、一向にふたりの距離は縮まる様子はなく、私はそのことに心底ほっとしていた。
今日の私の服装は、昨年買ったダックブルーの七分袖ワンピースに、少し厚めのカーディガン。
今日も、髪型はいつもどおりにさっと後ろでひとつに結んでいこうと思っていたのに、洗面所で父に怪訝な顔をされ、なんとなく気まずい雰囲気を察した私はヘアアイロンで髪を巻いた。時間にして三十分もかからないのに、そんな時間があれば新しい単語をいくつか覚えられただろうと、考えをめぐらす。完成した髪型は、まぁ、良家の子女に見えなくもないもので、これなら父も文句はないだろうと思った。
まとめてない髪が頬にかかり、面倒だな、と耳にかけて、ちらりと前に座る彼に目を向ける。目の前には、見た目がいいだけでなく仕事まで完璧にこなす東雲総合病院の男性医師――天馬拓海先生がいた。私たちはふたり、カフェのテラス席でお茶をしていたのだ。
私はこの春発売という『桜とモモのスムージー』を時間調整もかねてゆっくり飲んでいて、天馬先生はと言うと毎回変わらずアメリカンのブラックだ。
私は街の景色を眺めながら、スムージーを半分飲んだところで、やっぱり肌寒くなってきたことに気づく。そういえばストールを忘れてきたなぁ、とのんきに考えたところで、ふと最近見た映画のワンシーンを思い出していた。
寒そうに震えるヒロインに、相手役の医師が自分の白衣を羽織らせる。私はそれを脳内で、一条先生と天馬先生に置き換えてうっとりと見つめていた。
一条先生と天馬先生なら、映画の中のふたりより完璧にいいシーンになるだろう。しかもそのふたりなら、画面の中ではなく、生で見放題。私はいつも、そのふたりを生で見れる特等席にいる。
ふふ、と口元が緩みそうになって、それを隠すように話を始めた。
「最近、一条先生とは飲みに行ったりされないんですか?」
私が探るように聞くと、天馬先生の眉がピクリと動いて、「あのね」と口を開く。
「何度も言ってるけど、僕はつばめちゃんとの婚約を解消するつもりはないよ」
思わず天馬先生の顔を見つめる。
(なんて律儀な人なんだろう……。いや、むしろ野心家とでも言うべき?)
彼はどうしても東雲総合病院を継ぎたいらしい。
私としてはとても残念なことに、天馬先生は、一条先生とではなく、私と婚約している。
私と結婚すれば、天馬先生はうちの東雲姓を名乗り、市で一番の私立総合病院にして、市内でたった二つの三次救急対応病院である東雲総合病院の病院長となることが確約されているからだ。
「もちろん私も、私から婚約破棄するつもりはないですけど、婚約しようが結婚しようが、天馬先生が『心に決めた女性』を思い続けるのは自由ですからね」
私は天馬先生が遠慮なんてしないようにきっぱりと言った。
私は天馬先生と一条先生が仲良くしていても全く構わない。というか、どんどんしてほしい。
それくらい、私はふたりを眺めているのが好きだったし、ついでに言えば、私自身、天馬先生に男性として好意を寄せているわけではなかったのだ。
そしてまた逆もしかり。天馬先生だって、一条先生とはなんでも言い合えるほどの仲のよさであり私にはつけ入る隙もない。
そんなことを考えていると天馬先生は、仕方ないな、というようにため息をひとつつく。
(そうね、仕方ないわよね。東雲総合病院の病院長になるには、私との結婚は嫌でも避けられない道だもんね)
私の父が病院長を務める東雲総合病院には、外科で救急医でもある天馬先生を筆頭に、優秀な医師が数多くいる。天馬先生の幼馴染にして内科医の一条麗子先生もそのひとりだ。
一条先生は、明眸皓歯、まさに現代の楊貴妃ともいえる美女。もちろん天馬先生も整った顔立ちをしていて、見た目も腕も相性もばっちりな『東雲総合病院の最強コンビ』と呼ばれているのだ。
すべてにおいて非常にお似合いで、美男美女で眼福もののふたりに私はずっと憧れていたし、ふたりには、付き合ってほしいし結婚してほしいとまで思っていた。
一条先生と天馬先生は、生まれたときからの付き合いらしく、幼小中高大と勤務先まで同じ。もう完全に幼馴染から結婚するというフラグがしっかり立っているように思えた。
ちなみに、ふたりの写真は、私のスマホに常備されている。
私は、まるでドラマの主役の男女を応援するような、そんな気持ちだった。
ふたりの邪魔をする気は毛頭ない。全くといってないのだ。
しかし、両親がどうしても私と天馬先生を結婚させたいと突然言い出し、それをなぜか、天馬先生が受けてしまった。最初聞いたときは衝撃のあまり、吐き気を催したほどだ。
(天馬先生は、うちの親に弱みでも握られているのだろうか)
そして私自身はというと、親が決めた婚約者の立場から自分勝手に降りるわけにもいかず、あわよくば、天馬先生からこの婚約を断ってはくれないか、と日々模索している最中である。
そんな私たちが会うのは、月一回のカフェデート。もちろん、手もつながないし、キスだってしない。夜に会うことも、飲みに行くことすらしない。
入籍をのらりくらりとかわし続けてはや三年。なかなか天馬先生がお断りしてくれないので、相当、天馬先生は野心家で、うちの病院長になりたいのだろうと踏んだ私は、
「もちろん一条先生との間に『大人の関係』があったとしても、気にしないでください。私もそのおふたりに関することは何があっても気にしないですからお好きなように」
というスタンスに切り替えることにした。
ただ、相手が一条先生以外だったらイヤだなぁ、というのは本音だ。
あくまで私は天馬先生と一条先生のふたりがいいのだ。天馬先生と一条先生には『運命めいた何か』を感じているから。
自分にはそんなものはないと思うが、運命自体はあると思う。それは天馬先生と一条先生のふたりの間に横たわっているような、そんなものではないかと私は考えていた。
天馬先生はまたコーヒーを一口飲むと口を開く。
「そんなバカなこと言ってないで、そろそろ入籍の日程を決めない? 式場も早めに抑えないと」
「でも先生、毎日忙しいでしょう。だから、入籍は落ち着いたらにしましょう」
「またそれだ。そんなこと言ってたら一生入籍できないよ」
「う~ん、でも……」
今日も今日とて、私はのらりくらりと入籍の日程をのばしている。
(だから、天馬先生と一条先生、ふたりの邪魔なんてしたくないんだってば)
できれば他に親が認めるような婚約者候補、出てこないかしら?
そして天馬先生が院長になれる病院が他に現れないかしら?
真剣に毎日、そう願っている。
私はと言うと、天馬先生が相手でなくても、うちの病院を継いでくれるお医者さまであれば誰でもいいのだから。
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